必要だった剣
連続投稿キャンペーン(予定)です。
独立交易国家ハイノサイスとは、大国と大国を繋ぐ大陸路の傍らに存在する貿易国である。
その位置関係上、陸路を通る国々の休息地点となり、陸路から遠い国にとっては商品を捌く拠点となる。
ゆえに、ハイノサイス自体にはあまり主要な産業はないのである。
特に、ハイノサイスには川がなかったため、鉱業は専門外だ。金属加工は、町外れに一つ、小さな鍛冶屋があるのみである。
ある日の昼前。ある肌の黒い椅子工の男は鍛冶屋の戸を叩こうとしてやめた。
鍛冶屋の扉は閉ざされており、「CLOSE」の木札がかかっていた。
この鍛冶屋が昼から閉まっていることなどあっただろうか? 椅子工の男は首を傾げた。長い髪がそれに従って肩に落ちる。
「どうかしたのかい?」
鍛冶屋の前で留まる彼に、作業服を着た若い青年が声をかけた。
「ああ、実は椅子を切る仕事道具が壊れちまって。作ってもらいたかったんだが」
「そうか。あの二人は大陸路に買い出しに行ったらしいし、帰ってきたら伝えとこうか」
「俺の職場からここはかなり離れてるし、そうしてもらえるとありがたい」
「わかった」
青年は椅子工の男に向けて手を振った。男を見送って、作業に戻ろうとしたその時、ふとある事に気づいた。
「椅子工って何使うんだろうな」
青年はしばらく考えた。椅子を切る、と彼は言っていた。
椅子、つまり木を切る必要があるわけだ。木を切るための、鍛冶屋に依頼する道具。
「ああ! わかったぞ、斧か」
うんうん、それしかない、と一人で納得し、青年は再び道路工事に戻った。
それからしばらく時間が経って、太陽は上り正午となった。
休憩していた青年に、スキンヘッドの棟梁が歩み寄る。周辺の道路工事を取り仕切る、細目の男だ。
「悪ぃが、ちょっくら午後から別の場所に行っちゃくれねぇか」
「ん? いいっすけど、何かあったんですか?」
「北のほうで欠員が出たんだと。だから、経験がある仕事の早いやつを回して欲しいらしい」
「了解っす。じゃ、今からでも――あ!」
青年は先ほどの事を電撃的に思い出す。
自分は鍛冶屋に、椅子工の男の注文を伝えなければならないのだった。
だが、北の現場に行けば、ほぼ間違いなく明日の朝に伝えに行く時間は確保できまい。
ならば仕方がない。この場に残りうる誰かにさらに伝言を頼むしかないだろう。
「棟梁! 棟梁は明日の朝くらいまでここいらにいますか?」
「ん? 一応その予定だ」
「それなら、明日そこの鍛冶屋が帰ってきたら伝えて欲しいんです。椅子工の男の人が、木を切るのに使う『オノ』を依頼していったって」
「あ、あ〜わかった。木を切るのに使う『モノ』な。伝えとくぜ」
適当に青年の言葉を聞き流しながら棟梁は返事を返した。
青年も、棟梁がオノをモノと聞き間違えたことは気づいていたが、さすがにその程度の違いならば伝わるだろうと流すことにした。
それもそのはず、昼前の一件で斧を閃いてからというもの、斧以外の刃物は完全に彼の頭から失せていたのだった。
そして青年は、北の工事現場へと歩いていった。
作業が一段落する頃には、太陽は最も高いところまで登っていた。
棟梁の男は額に汗を浮かべながら、木材を持ち上げて歩いていた。
(安請け合いしちまったけど、俺明日は久々の休みなんだよなぁ)
木材を壁に立てかけ、うち一本を若い男に渡す。
(朝からこんなところまで来たくねぇなぁ。しかも鍛冶屋の嬢ちゃんって確か、すげぇ朝早かったよなぁ)
時間が経てば経つほど、毒のように全身に怠惰が回っていく。
だが、実際に棟梁の男の住む家は鍛冶屋からは離れているのだ。朝早くに伝えに行くのは些か骨が折れる。
誰かにこの仕事を押し付けなければ。自らの睡眠のために、男は決意した。
「なぁお前さん、確かこの辺に住んでたよな?」
棟梁の男は、ナタで木を割っている若い男に話しかけた。
「ええ、まぁ……そうですけど」
「ならちょうどいい。明日の朝、そこの鍛冶屋に言伝を頼みてぇんだ。椅子工の男が木を切るのに使うモノを依頼したってな」
「はぁ……木を切るのに使うモノ? 何ですそれは」
「わからねぇ」
二人の会話は途切れ、代わりにその視線は一点に集まる。若い男が握っているナタに。
「こいつですかね」
「椅子工が木を切るのに使うっつったら、まぁそいつか」
「要は椅子工のためにナタを作ってほしいって鍛冶屋に伝えりゃいいんすね?」
「おう、悪いが頼んだぜ」
棟梁が実に清々しい顔で去っていくのを見てから、男は再びナタで木を割り始めた。
その日の道路工事は滞りなく終了した。若い男は、言伝の任務のためにいつもより少し早く眠った。
翌日のことである。
朝早くに鍛冶屋の前を訪れた男は、店の扉が未だに閉ざされ、「CLOSE」の木札がかかったままであることに気づいた。
鍛冶屋は朝に帰ってきている前提で計画を立てていた男にとって、これは悪いニュースだった。
まだ多少時間に余裕はあるが、太陽がもう少し登ったら、男は別の地区に仕事に行かなければならなかった。
ところが辺りに人はいない。どうしたものかと考えるうち時間が経過する。
その時、鍛冶屋の斜向かいの店から一人のふくよかな女性が現れた。
手に持ったバケツと、その中から顔を覗かせる色とりどりの花びらを見るに、花屋のようだ。
ともかくこれは好機である。男は言伝を彼女に託すことに決めた。
「なぁ、奥さん!」
「あら……なんですの?」
女性はいきなり現れた、やや小汚い男に警戒したようだった。
男はそれに気づき歩み寄る足を止め、少し離れたまま話を切り出した。
「大した用じゃないんだ。そこの鍛冶屋に伝言を頼まれてほしい」
「あら、ティカルちゃんに? 何かしら」
ティカル、というのは鍛冶屋の主人の名前だろう。軽く流し、男は続ける。
「椅子工の男が、木を切るナタを作ってほしいと注文していた、と」
「…………」
そう告げるも、女性は何やら腑に落ちない様子でキョトンとしている。
「『ナタ』、ってなんですの?」
男は力がぬける思いがしたが、花屋ならば仕方がないのだろうか、と溜め息を隠した。
「ええと、木製の取っ手で、そこから平たい刃が伸びている工具だ」
「木製に、平たい刃」
「そう、まぁ、とにかく鍛冶屋が来たらそう伝えてほしい。俺は伝えたからな」
「はいはい、どうも」
男はやや乱暴に言いつけると、すぐに路地に向かって走った。軽く走れば仕事の現場には間に合うだろう。
それにしても、あの女性に正しく伝わっただろうか? 男は僅かに訝しんだ。
日光が街のレンガを照らし、どんどんと国の気温は上がっていく。
人々が昼食を食おうと意識を向け始める頃、鍛冶屋の前に背の高い青年がふらりと現れた。
その髪は黒く、バサバサで整わない髪は顎ほどまで届いている。その黒い髪の中から、赤い瞳が覗いていた。
「あら、ヴィカくん!」
花屋の女性は、帰ってきた鍛冶屋の助手を見つけると、真っ先に駆け寄った。
「何でしょうか」
ヴィカは全身を覆うローブを少し手で払い、睨みつけるように女性に向き直る。
その声に抑揚や感情は感じ取れず、彼を知らない人間はまず警戒するであろう。
「あら? ティカルちゃんは? 一緒じゃないの?」
「ティカルなら広場で朝食兼昼食を買っています。何かご用ですか」
「あぁうん、さっき男の人が来てね、椅子工の人が、えっと、なにか注文していったって」
「何かとは?」
威圧するような空気でヴィカが問うと、女性はうんうん唸りながら記憶を捻り出そうとした。
「えっとね〜、そう。木の取手があって、そこから平たい刃が付いていて、工具で」
ヴィカは無表情のまま女性を見続けた。しかしそれ以上の情報は出そうもないと見ると、「ノコギリ、ですか」と助け舟を出そうとした。
「ノコギリ? そんな名前だったかしら」
「名前を聞いて思い出せないのですか」
「う、うーん、そんな名前だった気もするわね! とりあえず、任せたわ!」
花屋の女性はそそくさと自分の持ち場に戻る。
情報は不完全だが、女性の店にも客が訪れたため、邪魔をするわけにもいかない。
ヴィカはしばらく沈黙して何かを考えていたが、やがて鍛冶屋の前に戻る。
木札を「OPEN」にかけ替えて、鍵を開けた。
「ただいまー」
ヴィカが鍛冶屋に入ってから数分の後、鍛冶屋の主人がようやく自らの仕事場に帰ってきた。
鍛冶屋に入ってきたのは小柄な少女だった。美しい茶色の長髪と瞳、幼いが端正な顔立ちの魅力は、着込んだ薄汚れた青いツナギと両手に抱えた巨大な荷物に打ち消されている。
「よいしょっと」
ズタ袋に入った荷物を鍛冶場に置くと、重々しいドスンという音と、金属質な高音が同時に鳴った。
「ティカル、何やら我々のいない間に注文が入っていたようですよ」
「へ?」
口にくわえたカイザーブレッドを口の中に押し込み、振り返る。
「椅子工の男性より、ノコギリの製作依頼です」
「ふむ、ノコギリか。わかった」
ティカルは聞くやいなや、もう一つのパンをかじる。ザラザラした表面の舌触りと、中身の滑らかな小麦味、焼いたばかりのパンの匂いが口の中に広がる。
「今からやる気ですか?」
ティカルは買ってきた袋から鉄鉱石を取り出し、頷く。
鉄塊を金敷に置くと、ティカルはツナギのポケットに入っている手袋をはめ、かんざしで髪をくくった。
火打金に火打ち石を打ちつけ、炉に火を入れる。
木製のふいごでその火力を調整し、赤い火を炉の中に作り出した。
金箸で鉄鉱石を挟むと、それを炉の中に入れた。鉄が橙に、やがて赤に染まっていく。
十分に熱されたと感じたティカルはそれを引き上げ、赤く染まった鉄を金敷に置き、金槌を振り下ろした。
金槌を振り下ろすと、鉄鉱石から飛沫のように火花が散った。
何度も金槌を打ち付ける。単なる直方体だった鉄鉱石が形を変え、平らになっていく。
ノコギリの刃は薄くなければならない。そのため、力加減や歪みの調整に意識を向ける必要があった。
そして、出来上がったのは大まかな刃の形。長方形と根本に行くに連れ細くなる持ち手部分。
出来上がった刃をティカルは水平に構え、片目で横から眺める。
ノコギリに歪みがあると、まともに機能しなくなるためである。
何度か軽く金槌で叩き、また歪みを観察し、また叩く。歪み直しは十数分続いた。
次に、金敷の上にノコギリを置く。
そしてその側面にタガネを添えて金槌で叩き、その刃を欠けさせた。
タガネを僅かに横にずらし、再び叩く。ノコギリに目を与える重要な作業だ。
目がなければノコギリにならず、細かすぎても粗すぎても切りにくい代物となる。
一通りノコギリの歯を作ると、ティカルはまたノコギリを水平に構えた。
歯の作成によってできた歪みを再び修正していく。
ノコギリが歪みなく真っ直ぐになると、次は焼き入れを行う工程である。
ふいごで火力を再調整し、炎を千度程度まで加熱する。
金箸でノコギリを掴むと、それを炉の中に突っ込んだ。熱された鉄の分子配列が変化する。
刃全体が火の色に染まると、今度はそれを一気に引き上げ、汲んできた井戸水に漬けた。
水は白い煙を上げながら揺らめく。急冷され鉄が一気に硬く、そして脆くなる。
刃は硬くなるが、このままではガラスのようにすぐに砕けてしまう。そのため、もう一度焼き戻しという工程が必要になる。
ふいごで火を調整する。今度の火の温度はかなり低い、約百五十度程度だろう。
炙るように刀身を火に翳し、薪を動かす。ノコギリの刃の色は変わらない。
ガラスのようだった刃が粘りを取り戻していく。刃の質が熱処理によって変化する。
「ふぅ」
ティカルは炉から金箸を引き上げた。熱された鉄を冷ますため、金敷に置く。
「って、あれ?」
伸びをしながらふと外を見ると、すでに空に太陽はなく、月が高々と登っていた。
「お疲れ様です」
作業の間もずっとその場を動いていなかったらしいヴィカが水を差し出す。
「あ、ありがとう」
「あまり根を詰めすぎないほうがよいでしょう。もう火を使う工程もない、続きは明日でよいのでは」
「うん、そのつもりだよ」
ティカルは木のコップから水を一気に飲み干す。そして、立ち上がってしばらく屈伸した。
「今さらだけど、本人からちゃんと注文聞かなくてよかったのかな」
ティカルの背中になにか悪い感覚が走る。対してヴィカは別に構わないでしょう、と無関心に返した。
翌日の朝。
ティカルは日課の水汲みを終わらせ、箒で鍛冶場の床の埃と灰を外に掃き出した。
金箸と金槌、タガネ、その他ヤスリなどに油を引き、軽く首と手首を回す。
朝食のライ麦のパンを適当に食べ終えて、かんざしで髪をくくり作業を再開した。
歯と作業に耐えうる硬さを手にしたノコギリだが、まだやるべきことは二つある。
まずは目立てである。単なるギザギザの凹凸から、木を切る刃にするための研磨だ。
歯の一つ一つを細かくヤスリで削る。細かい作業を要求されるため、手袋はつけられない。
それらの研ぎを終わらせると、最後の工程の前に再びノコギリを水平に構える。歪みがないことを確認し、次に移る。
取り出したのは、ピッケルのような小さい金槌だった。
ノコギリを金敷の隅に構え、歯の一つ一つを小さな金槌で叩いていく。
あさり出しと呼ばれる作業で、歯を左右に開く事によって摩擦を軽減し、木を切りやすくする効果があった。
最期にもう一度歪みの確認を行ってから、ティカルは持ち手部分の加工に移った。
長方形の刃に、小さい長方形が連なっている。小さいほうが持ち手を固定する部位になるのだ。
刃を万力で固定し、ハンドドリルで二つの穴を開ける。
そして金属を二つの木の板で挟み、大まかな持ち手の完成像に沿って木に線を引く。
形通りに木を削り、穴を開けた鉄の持ち手に被せる。穴の位置に、左右からピンを打ち内部で固定する。
手元を木で固定したことで、完全なノコギリが完成する。
試しに余った素材の木の板を切ってみると、周囲に木くずを散らしながら、切断面も滑らかに切れた。
「お、帰ってきてたのか。ういーっす」
外から和やかに声をかけてきたのは、度々ティカルとも交流のある道路工事員の青年だ。
「どうも、こんにちは」
「椅子工の依頼は棟梁に取り次いだんだけど、ちゃんと伝わったかな?」
「棟梁?」
ティカルは軽く振り向きヴィカに確認の意味で視線を送った。
「僕が聞いたのは花屋の女性からでした」
嫌な予感が強まる感覚があり、ティカルは唾を飲んだ。
「えっと、一応、念のためですけど、椅子工の人はなんて注文を?」
「斧だ」
意を決して聞いた言葉は即答で叩き落とされ、脱力感が全身を走った。
ティカルの視線の先に導かれ、青年も彼女の手を見た。その手に握られたノコギリを。
「…………」
「……その、ごめん。まさか斧がノコギリになるとは」
「い、いえ、あなたのせいではないですから」
重々しい空気が鍛冶屋入り口に満ちる。半ば営業妨害じみた二人の空気は、来訪者によって破られた。
「おーい」
道の先から、やや髪の長い色黒の男がやって来る。国の北部に住む、椅子工の男だった。
ティカルは咄嗟にノコギリを自分の後ろに隠し、ぎこちない笑みを浮かべる。
「ど、どうしましたか?」
「いや実は、二日前に仕事依頼したんだが、ちゃんと何を作るかを言ってなかった気がしたし、本人にもちゃんと伝えたくてね」
「ん? ちゃんと?」
ティカルが不思議そうに青年を見ると、青年は目を逸らしていた。
「椅子を切るのに使うノコギリが欲しいんだ。作ってほしい」
「えっ」
おかしな出来事の連続で混乱するティカルと青年、そして同じく椅子工の男も、二人の反応に戸惑いを覚える。
膠着した状態を見かねたヴィカはティカルはノコギリを引ったくり、男に突きつけた。
「銀貨一枚です」
「つまり、伝言ゲームしてるうちに品が変わって、最後は本人の望むものに帰ってきたってこと、みたいだね」
銀貨を手の中で弄びながら、ティカルは苦笑した。
「表現や聞き間違いで斧がノコギリになるものでしょうか」
「今回みたいなのは偶然だけど、ある程度はよくあることじゃないかな」
「曖昧なものですね」
ティカルは銀貨をテーブルで転がす。コインは円を描いて転がったあとで横に倒れた。
辺りには喧騒が満ちている。二人は軽食屋に来ていた。二人の注文から数分経った。
「でも、そういうミスも許さなきゃ。じゃなきゃ自分が失敗した時ひどいことになるよ」
「そういうものですか」
ヴィカは感慨なさげに水を飲んだ。二人の前に、皿を持った恰幅のいい男が現れる。
「お待たせしましたぁ、カリフラワーのドリアです」
ドリアの皿がティカルの前に置かれる。表面はジュウジュウと音を立てながら泡立っている。
発する香りは強く、トマトと挽肉を煮詰めた風味は食欲をそそる。――だが。
「注文が違います。わたしが頼んだのは普通のミートドリアです」
まるで刃の歪みを見極める時のように鋭い眼差しで、ティカルは皿を返した。
有無を言わさぬ雰囲気に、男はただ一礼して調理場へ引っ込んでいく。
「許すのではなかったのですか」
慌てて去りゆく男の背を見ながら、ヴィカはやや不思議そうに言った。
「料理は別! あとカリフラワーはきらい!」
「……そういうものですか」
ヴィカは問題なく注文通りに来た熱いグラタンを食べ、冷え冷えと呟いた。