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決闘の剣

 太陽が最も高い点まで昇り、徐々に下り始める。

 ある昼下がり、昼食を終えた多くの人々は、国に響き渡るような大音声を聞いた。

「頼もう! 依頼だ!」

 声の主は、ある鍛冶屋の前に立っていた。逆立った黒い髪は油で固めているらしい。黒の絹の生地に金の刺繍をあしらったジャケットから、相当な名家の者だとわかる。

 男の前に立つのは、青い上下一体型のツナギを着た長い茶髪の小柄な少女だ。

 少女は迷惑そうに眉根を下げ、なんとか引きつった笑みを浮かべて耳を塞いでいた手をどけて聞き返す。

「あの……どういったご依頼ですか?」

「ああ! 決闘のためのレイピアを作ってもらおう!」

 再び発された大音量に、少女は再び両手で耳を覆った。

「レイピアを……何かその他ご要望はございますか?」

「特にないが……そうだな。殺傷力の高いものを頼むぞ! 一突きでやれるようにな!」

「は、はぁ……一体誰と決闘を?」

 そう聞かれると、男は忌々しそうに目を瞑る。

 そして、先ほどまでの大声はどこに行ったのか、目の前の彼女が辛うじて聞き取れるような声で呟いた。

「コージモの野郎だ」

 男はそれを最後に、鍛冶屋から去る。

 苛立たしげに歩くその姿を、周りの住人はみな避けて道を開けた。


「ティカル。彼は、何者ですか?」

 鍛冶屋の奥から、ゆらりと背の高い男が姿を表す。全身をローブで包んだ赤目の男。その黒い前髪は、顎に届かんばかりに無造作に伸びていた。

「あ、ヴィカ。さっきの人は自警団のベングド=ウェストラインさんだよ」

「自警団にしては似つかわしくない衣類でしたが」

「あの人は商人でもあるからね。主に生計を立ててるのはそっちだけど、けっこう本格的に自警団としての活動もやってるみたいだよ」

 ヴィカは興味なさげに聞き流しながら、側にあった金物の冷却水を手で掬って一口飲んだ。

「だけど変だな……ベングドさんはコージモさんと仲が良かったと思うんだけど……」

「コージモとは?」

 口元を軽く拭いながらヴィカが尋ねる。

「コージモ=イーストライン。この人もベングドさんと同じような境遇の人で、貿易商人でありながら自警団の活動もしてる人」

 本来ならば商人は自らの商売だけを気にしていればいい。自ら身体を使う自警団に入る必要などない。

 しかしコージモ、ベングド両名は相当な変わり者であった。

 自らの商売の場を自ら守らなければならない。そんな考えから、彼らは自警団に所属したようだ。

 どうやらその言葉は印象操作のためではなかったらしく、二人の剣の腕は自警団の中でも上位に位置する。

「で、その二人が命を賭けて決闘をするというわけですか」

「まだ決まったわけではないと思うけど……不穏だよね」

 そうして話し込む二人に、一人の男が歩み寄ってきた。

 金髪の髪の毛先をカールさせた、涼し気な眼差しを持つ男。白の生地に金の刺繍の入ったジャケットを着て、腰には剣を差している。

「失礼、ティカルさん。少し依頼にやって来ました」

「あ、はい。どういったご依頼でしょうか……コージモ、さん」

 つい先ほどまで話に出てきていた男の登場に、ティカルはやや緊張ぎみに話す。

「ああ、レイピアを作ってもらいたい」

 既視感を感じる依頼に、ティカルはいよいよ不穏な空気を肌で感じた。

「殺傷力の高い、決闘用のですか?」

 コージモは少し目を見開きティカルを見つめた。やがて驚きと呆れの入り混じった笑顔を見せる。

「驚いたな……何かい? 君は客を見て望みの品がわかる域にまで達したのかい? 親父さんを超えたな」

「別にそういうわけでは……」

 ティカルは苦笑混じりに事情を説明した。

 ベングドもすでにここに依頼に来ていたこと、決闘用のレイピアを求めていたこと、決闘の相手がコージモであるということも。

「――なるほど、そういうことか。まぁ、鍛冶屋はこの国に君しかいないからな……そうなるのも当然か」

「よろしければ、一体何があったのか教えてくださいませんか。お二人はたしか、仲が良かったのでは?」

 ベングドとコージモは、互いに似た境遇であり、似た信条を持っている。

 ゆえに、二人が意気投合するのに時間はかからなかった。

 元々の商売の発展具合も手伝って、二人は国中が知るほどの親友関係であった。

「本来は話すのも腹立たしいことだが……まぁいいだろう。奴の真の顔はより多くの人間に知れ渡るべきだ」

 コージモはやれやれ、と額に手を当てて空を仰ぐ。

「奴はね、私の妻を侮辱したんだよ」

「え? あ……はぁ、なるほど」

「それ以外にも様々理由はある。歩き方が気に食わないとか、声が大きすぎるとか、色々とな」

 思ったよりも遥かに大したことのない理由に、ティカルは肩透かしを食らった気分になる。

 しかしコージモ本人にとっては一大事らしい。ベングドほどではないが、その表情ははっきりと怒っていた。

「付き合いが長いからこそ許せないことがあるのだ。それが積み重なった結果、どうあっても決闘で決着をつけるしかなくなった」

 飛躍しすぎじゃないですか、と言いかけるが黙る。この場で何かを言ってもあまり効果はないように思えたからだ。

「まぁ、そんなわけだから……レイピアの制作は急いでくれ。二人分出来上がった段階でようやく決闘ができるのだからね」

 そう言ってコージモは、やって来た時と同じように優雅な歩き方でゆっくりと去っていった。

 怒りながら地団駄を踏むように歩いていったベングドとは真反対の立ち居振る舞いである。

「……確かに、アンバランスなのかも」

 ティカルは小声で呟いた。


 太陽が赤く染まる夕刻頃、ティカルはまだ作業を開始させていなかった。

 金床の前に椅子を置き、背もたれに寄りかかって唸るティカルを、ヴィカが冷ややかに見つめている。

「何を悩むことがあるのですか」

「そりゃ、だって……わたしが剣をこのまま作ったら、二人は決闘しちゃうんでしょ」

 ティカルのもっともな発言に、しかしヴィカは首を傾げた。

「本人たちがそう望んでいるのでしょう。何の問題が?」

「今は、そうみたいだけどね。だけど一週間前はそうじゃなかっただろうし、一週間後はどうなってるかわからないし」

 そう言って、ティカルは再び唸り始めた。その様子を見てしばらくし、ヴィカが言葉を発する。

「つまり、元は仲の良かった二人がこのまま決闘をし、取り返しのつかない事態になったら不幸だと」

「そこまでわかってるならどうしてさっき……」

 ティカルは苦情を込めた眼差しをヴィカに送るが、無表情のまま涼しげに流される。

「ならば確かめてみてはどうです。本当に彼らが命を賭けて争うに値するのか」

「確かめる……?」

「彼らから話を聞けば、自ずと答えは出るでしょう」

「なるほど」

 ティカルは勢いをつけて立ち上がると、そのまま外に出ようとする。

「どこに行くんです?」

「善は急げってやつだよ。まずベングドさんに話を聞きに行こう」

「その格好でですか」

 言われてティカルは自分の服を見る。いつも着ている所々炭で汚れたツナギだ。

「なにか問題?」

「あなたがそうしたいのならそれでも構いませんが、訪問時くらいは普通の服を着たほうが常識を疑われず済みます」

「そうかな……」

 ティカルはやや納得いかないような表情で自らの寝室に入っていく。

 寝室はそう広くはないが、家具や小物のあまりの少なさで広々として見える。

 壁と、ベッドと、クローゼット。クローゼットを開けると、いくつもの作業着と、端の方にほんの少しドレスがあった。ティカルは着慣れたツナギの胸のボタンを外す。


 ベングド=ウェストラインの邸宅に行くと、まず立派な服を着た執事の男が二人を出迎えた。

 執事はティカルとヴィカを怪訝そうにしばらく見つめたが、やがて接待室に通した。

「ヴィカは着替えなかったんだね」

「僕には関係ありませんので」

 いつもと変わらぬローブで全身を覆ったヴィカの隣で、ティカルは慣れないドレスに煩わしさを感じていた。

 灰色のドレスは裾が長く、来る途中何度か躓きかけた。腹部のコルセットも締め付けがきつい。

 話を聞く間の辛抱だ、と自分に言い聞かせ、ティカルは苦しげに深呼吸した。

「おう、昼ぶりだな!」

 相変わらずの大きな声とともにベングドが姿を現す。

 屋内で、さほど感情が昂ぶっていないことがティカルの耳を救ったようだ。

「で、どんな用事だ? 依頼の件か、それとも鍛冶屋の話とかか?」

「ご依頼の話です。差し支えなければ、決闘に至った経緯を知っておきたいのですが」

「んん? なんでまた……」

 ベングドは眉を顰め、ソファに背を預けた。そのまま足を組む。

「私が依頼したのは剣の作成で、決闘の立ち会いじゃないんだが?」

「えっと、それは……なんというか……」

 ティカルは言葉に詰まる。実際依頼は依頼であり、本来そこに余計な市場を挟むべきではない。わかってはいるのだが……。

 どう聞いたものかと迷っているティカルに、ヴィカが助け舟を出す。

「無論、無駄な鉄を打たないためです。お二人はもともと仲が良かったのでしょう。まず話を聞かなければ、決闘用の剣が無駄になる可能性も否定できません」

 スラスラと述べられたもっともらしい理由にベングド、そしてティカルは感心した。

「ふむむ、まぁ確かにそうか……。まぁ、いいだろ。聞いて愉快なもんじゃないと思うが、話そう。この間のパーティーの時の話だ」

 ベングドは両手を組み、足を開いて俯いた。

「少し前に、ハイノサイスの有力商人たちのパーティーがあったんだ。その場には私と、コージモの妻も来ていた。最初のうちは、四人で愉快に話していたんだが」

 ベングドの表情全体に皺が寄り、右足が揺れ始める。

「事もあろうに、奴は私の妻を侮辱し始めたのだ」

「えっと……どうしてそんなことに?」

「互いに良い妻を持ったものだ、と話していた。相手の妻を褒めあったりな。だがどういう訳かコージモは突然怒り出し、私の妻を侮辱し始めたのだ!」

 ベングドの拳に力が篭もる。結局具体的にコージモが何を言ったのかは不明瞭だが、あちらに非がありそうではある。

「これは私のためではなく、妻の名誉のための決闘なのだ。故に、引き下がることなどない!」

 椅子から立ち上がり力説するベングド。そんな彼を、ティカルはやや冷ややかに見つめた。

「コージモさんが謝ってもですか?」

「ぬ……」

 それを聞くやいなや、コージモの勢いは一気に死に、腕組みして椅子に座る。

「ふん、奴がもし誠意を持って謝るなら許してやらんでもないが……まぁ、奴に限ってそういうことはありえんだろう。そういう男だ」

「……そうですか。わかりました。お忙しい中、お話をありがとうございます」

 ティカルは慇懃に礼を言うと頭を下げる。

 そして、ヴィカとともにベングド邸を後にした。


 次に二人は、その足でコージモ邸を訪れた。

 出迎えたのは燕尾色のドレスを着た大柄な女性で、ティカルはやや萎縮しながらコージモへの用事だと告げる。

 すると女性は手を叩いて顔を綻ばせた。

「あら、主人への御用でしたか。こちらへどうぞ」

 口ぶりからすると、どうやら彼女はコージモの妻であるらしい。

 大きな邸宅で、出迎えを主人の妻が行うという特異な状況にティカルは言葉を失った。

「――それで、鍛冶屋さんが主人にどんな?」

 家を通され、左右の端に甲冑の並ぶ広い廊下を案内されながら、ティカルはなんと答えていいか思案する。

「その……」

 正直に答えるべきか、誤魔化すべきか。そもそも二人の決闘のことを彼女らは知っているのか?

 視線を彷徨わせたあと、ティカルの目はヴィカに止まった。

 ヴィカはティカルの視線に気付くと、静かに横に首を振る。それを受け、ティカルは頷く。

「ご主人のコージモさんと、ベングドさんが決闘をするということで、剣の依頼を」

 案内をしていた妻の足が止まる。

「……そういう意味ではなかったのですが」

 ヴィカがそう呟くと、ティカルは青ざめた。どうやらヴィカが言いたかったのは、まだ本来の理由を話すべきではない、ということだったらしい。

「あ、あの」

 黙ってティカルたちに背を向けたままのコージモの妻は肩を震わせていた。

 怒っているのだろうか、或いは親しい友人の決闘を哀しんでいるのだろうか?

「あっはっはっはっは! なかなか面白いこと言うわね!」

 正解は笑い。

 ティカルは目を白黒させながら、豪快に笑うコージモの妻を見つめた。

「決闘って? あの二人、そんなこと言ってたの?」

 笑いを堪えながら、彼女は目尻の涙を拭いた。

「は、はい。なんでも、お二人とも妻を侮辱された、とか……」

「侮辱? 私たちが? いつ?」

「パーティーの場で、お二人が言い争ったと聞いていますが」

「うーん……」

 どうにも矛盾した各々の反応にティカルは混乱し始めた。

 ベングド、コージモ両名は妻を侮辱されたとして決闘にまで発展した。

 しかし、コージモの妻は決闘のことはおろか、侮辱された覚えすらないという。

「私にはいつもの二人にしか見えなかったけどねぇ」


 コージモの妻が思案していると、廊下の向こうから件のコージモが歩いてきた。

 コージモは三人を見ると少し驚いた表情を作り、早足で近付く。

「君らは、ここで何を? 何か用かい?」

「あらあなた、ベングドさんと決闘をするそうですね」

「なっ……!?」

 コージモは驚愕と悲哀が混じった表情で固まり、すぐにティカルとヴィカを恨みがましく睨む。

「話したのか……妻に」

 ティカルはその眼差しと声にただならぬものを感じ、体が強張る。

「どうしてそんなことに? ねぇ、いつやるのかしら?」

「君は……しばらく、あっちに行ってくれ。私はティカル君と話をするから……」

 コージモは片手で頭を抱え、妻を追い払った。

 ブーブーと文句を言いながらも、彼女は廊下の先に消えていく。

「さて……立ち話をさせるわけにもいかない。そこの部屋へ」

「は、はい」

 相変わらず怪訝な顔のまま、コージモは二人を案内する。

 その苛立ちと失敗を匂わせる背中に、思わずティカルは問う。

「あの、なにかまずいことをしてしまいましたか?」

 コージモは部屋の扉を開けると、背を向けたまま気にすることはない、と答えた。

 明らかに様子がおかしいのだが、とこれ以上迫っても何にもならなそうだ。

 ティカルはソファに座る。背もたれがアシンメトリーで、横に広い。

 失神ソファーというやつだ。おそらくこの部屋は失神した女性を介抱する部屋だったのだろう。

「ふぅ……さてと、あらためて何か用かい?」

 コージモは対面する形で一人がけのソファに深く座り、溜め息を吐く。

「あ、はい。ベングドさんとの決闘のことで、そうなった経緯を伺いたく思いまして」

「はぁ……そのことか。話すことはほぼないよ。妻を侮辱されたから、それ以上の理由などない」

 淀みなく言い切ったあとで、コージモは俯いて呟いた。

「それに、こうなった以上もう引き下がれんだろう……」

 ヴィカはそれを聞き逃さず、鋭い目を向ける。

「ならば、ベングドさんが謝罪したらどう対応するつもりです」

 コージモははっと頭を上げ、食いかからんばかりの勢いでヴィカに詰め寄る。

「ベングドが謝罪を!?」

「仮定の話です」

 空気を抜かれた風船のように、コージモは肩を落とし再びソファに座った。

「なんだ……仮定、ね。もしそうなったら、まぁ私は寛大なほうだからな。妻に謝罪するならば水に流そうではないかと思うよ」

「なるほど、わかりました」

 ヴィカは話を切り上げると、ティカルを立ち上がらせ速やかに引き上げようとする。

 コージモは少しぐらいもてなしをと止めようとしたが、結局適当に断った。


 二人はコージモの邸宅から鍛冶屋へは帰らず、酒屋に寄っていた。

 丸テーブルが並び、その周囲に人がひしめいている。二人は調理場と店員たちを囲むバーカウンターの端に詰めて座った。

「う〜ん……結局剣を打っていいやら、よくわからなかったね」

「そうでしょうか。このままなら、どうであれ剣を打つことになると思いますが」

「そう?」

 ヴィカは無表情で辺りを見回しながら、最後にテーブルに視線を落とす。

「二人とも状態は共通です。仲直りはしたいが、引くに引けない。相手が譲ってくれれば回避できるが、そうもいかない」

 二人の前に店主が現れ、注文を聞く。ティカルは二人分の軽食と水を頼むと、また話に戻る。

「そうなの? それなら、二人で話せば解決できるんじゃない?」

「コージモさんはその心積もりだったようですが、今日妻に決闘のこととその理由が明らかになったことで、妻の手前、彼からの講和は難しくなりましたね」

「へぇ」

 鋳鉄製のカップに注がれた水とともにヴィカの言葉を再度呑み込むと、ティカルは目を剝いて狼狽した。

「わっ、わたしのせい!?」

「まぁ、そうですね」

「そんな〜……」

 ヴィカはニ品の軽食を受け取ると、自分の前のテーブルに一つ、突っ伏すティカルの背中にもう一つの皿を置く。

「起き上がれないからどけて」

「はい」

 気を取り直してティカルは体を起こし、炒めたジャガイモと玉ねぎが入ったシンプルなクニッシュを一口かじる。

「どうしたらいいだろう? ベングドさんに事情を話せば、謝ってくれないかな?」

「難しいでしょうね。ベングドさんは血気盛んなようですし」

「はぁぁ、やっちゃったなぁ……」

 溜め息を吐きながら、もう一口クニッシュをかじる。

「あ、そうだ」

 口に含んだパンとジャガイモを飲み込み、ティカルは笑みを浮かべる。

「二人に決闘をさせよう」

 ヴィカはそんなティカルを見つめながら、残ったクニッシュを口に放り込んだ。


 翌日の朝から、鍛冶屋の煙突は煙を吐いた。

 鍛冶屋はしが掴んでいるのは細長く打たれた鉄鉱石だ。それも、通常の剣やナイフとは比べ物にならない細さのもの。

 冷えた鉄が黒く染まるのを見ると、ティカルは再び鉄を炉にくべた。

 赤く染まる鉄を素早く金敷に置くと、また何度も金槌を振り下ろす。

 鍛冶屋はしで角度を何度も調整し、刃が曲がらず、細く真っ直ぐに、かつ決して折れないように叩いていく。

 刀身の長さは、およそロングソードと変わらないながら、その身幅はおよそ二センチメートル。

 そのままでは簡単に折れてしまうため、せめて鉄の質を鋼にすることで実用化に耐えうる硬さにすることができる。

 叩きが足らなければ鋳鉄となり、とても実用に耐えられない。

 かといって叩きすぎれば軟鉄となり、とても柔らかいものとなってしまう。

 適切な回数で、適当な長さと形を作り出さねばならないレイピアは、鍛冶屋にとって中級者と上級者を分ける指針となるものである。

 刃がある程度の長さと細さを持ち始める。先に向かうにつれ刀身は細くなっていく。

 刀身が六十センチほどの長さになると、今度は叩き伸ばすだけでなく別の工程も必要となる。

 伸びた刃の中心にタガネを構え、その上から金槌を振る。

 力加減を加えつつ、縦に刃を折っていく。短剣やロングソードの折り返しとは折る方向が違っている。

 レイピアは、突き通した時の貫通力を上げ折れるのを防ぐために刀身をくの字に曲げる必要がある。

 本格的な修正は後で行うが、大まかな曲がりはこの段階で作っておくのだ。

 再びレイピアの原型を炉にくべ、叩き伸ばす。実用に足る刃を作るために、結局刃の形成が終わった頃には夕陽が沈もうとしていた。


 翌日になると、どこから漏れたのか、ベングドとコージモの決闘の噂があちらこちらで流れていた。

 ヴィカは朝食の二人分のハムサンドを買ってきてティカルに差し入れる。

 土地の質が優れているわけでないハイノサイズで安定して供給されるのはライ麦だ。

 口の中の水分を吸う柔らかなライ麦パンの感触と、カリと焼かれた、肉汁の滴るベーコンハムの食感が良い対比を描いている。

 ティカルは朝食をゆっくりと堪能すると、再びレイピアの作成に取り掛かった。

 ふいごで火の強さを調整し、火の温度が十分に高まるとティカルは金敷の前に座る。

 レイピアの大きな特徴の一つに、曲がりくねった格子状の護拳(スウェプトヒルト)がある。

 これは護拳の美しさをアピールするためのものもあるが、字の如く拳を守るためでもあり、相手のレイピアの刃を護拳に挟み込み、折るためのものでもある。

 ティカルは長方形に加工された鉄鉱石を火にくべ、それを中心にタガネを入れ、二つの正方形の鉄鉱石にする。

 一方は自然冷却させてから放置し、もう一方は加工を開始した。

 熱して薄く叩きながら、形を丸くする。やや歪んだ円形が出来上がると、端の辺りにタガネでいくつかの切れ込みを入れる。

 切れ込み部をさらに叩き伸ばす。円形の鉄からいくつもの細長い四角が真っ直ぐに伸びる。

 次に伸びた棒の部分を滑らかに曲げ、部分的に交差させ、複雑な紋様を描く。

 護拳の基礎が完成する。これらを曲げ、刀身に鍔のように固定することでレイピアの出来上がりとなるのだ。

 刀身の幅の広さを計測し、護拳の中心にタガネで穴を開ける。

 穴にレイピアの刀身を突き通す。通した護拳を持ち手、刀身の両側からピンで留め固定した。

 持ち手の鉄から手に馴染むよう角を取る。上から革布を巻きつけ、レイピアの形が完成した。

「あとは研いで、仕掛けをするだけだね」

 ティカルは不敵に呟き、汗を拭った。

「仕掛け?」

「先端に加工をね」

 そう言って、ティカルは仕上げ台の上にレイピアと複数の砥石を置く。

「……その前に、お昼食べよう」

 気付けばすでに、太陽は高く登っていた。


 一本目と同様の時間をかけ、二本目のレイピアの製作が終わると、ベングドとコージモの手にそれぞれレイピアが渡った。

 レイピアを受け取る二人の表情はどこかぎこちなく、レイピアを見つめる目も曇っていた。

 だがすでに二人の決闘は大きな騒ぎになっており、煽る者、諭す者様々だったという。

 そしてある日の正午、広場で二人の決闘が始まることとなった。

 決闘の場にはティカルとヴィカも来ていた。

 二人を囲むように多くの民衆が集まっている。

 どうやら決闘にかこつけた飲み物や食べ物の商売、賭け事も行われているらしい。

「さて、覚悟はいいなベングド!」

「の、望むところだ。我が妻を侮辱したこと後悔するがいい!」

「それはお前だろう! お前が先に言ってきたんだ!」

「何言ってやがる! お前がいきなり怒ってたんだろうが!」

「ええい黙れ! やはりお前とは話が通じん! 田舎者め!」

「あぁ!? 上等じゃないか! 今こそお上品な剣術を見せてみろ! 行くぞ!」

「来い!」

 口汚い罵り合いからついに二人の決闘が始まった。

 互いに片手にはティカルの作ったレイピア、もう片方の手にはパリーイングダガーと呼ばれる小さな剣を持つ。

 互いにしばし睨み合ったあと、コージモが仕掛ける。

 首の辺りに突き出されたコージモのレイピアを、ベングドは辛くもダガーで逸らす。

 対してベングドはその隙に、コージモの胸めがけてレイピアを突き出した。

 だがレイピアの切っ先が迫るより先に、コージモも自らの得物を手元に引き寄せ相手の剣先とぶつける。互いのレイピアの先から、銀色に光る欠片がポロリと落ちた。

 迫力を増す二人の戦いに、二人の妻も不安そうに見つめる。

 決定打を打てぬまま二人に疲れの色が見え始める。それに伴い、観客たちも盛り上がりを失い、むしろ二人のいずれかが喪われた時の損失などを見つめ始める。


 だが、一瞬の判断の迷いがあったか、レイピアはベングドの胸に突き刺さった。

「!」

「ベ、ベングドさん!」

 ベングドが倒れる。突かれた部分のジャケットが破れ、黒い生地が暗く染まる。

 だがこれは決闘。辺りのものが助けに入ることはできず、コージモはその場に膝を落とした。

「ああ……こんなはずでは」

 踏みとどまるタイミングはどこにでもあったはずだったが、結局この結末に至ってしまった。

 コージモはベングドの死体を直視できず、辺りに視線を泳がせる。

「すまない、ベングド――!」

 謝罪の声も届いてはいないだろう。コージモは後悔に身を揺らした。

 視線は未だ定まらない。草が飛び出しているレンガの畳、ベングドの手、落ちた銀色の欠片。

 その二つの転がった銀色の欠片は尖って見える。光を鈍く吸収し、黒くも見えた。

(ん?)

 何かに気付いたコージモは、自らのレイピアの先を見た。

 コージモの思った通り、そのレイピアの先は「研がれていなかった」。

 すべて理解した。あの欠片はティカルの行った細工だ。

 おそらく砥いでいない剣先を誤魔化すために脆い溶接でも行ったのだろう。つまり、コージモは刃のない剣でベングドを突いたことになり――

「ゴホッ、ゴホッ」

 咳が聞こえる。観客がどよめく。ベングドが息を吹き返した。いや、おそらくは最初から意識を失ってなどいなかっただろう。

「ベングド!」

 コージモがベングドに駆け寄る。

「すまなかった、もう少しで取り返しのつかないことに!」

 コージモはこれまでのいがみ合いも忘れたように懺悔した。

「……いや、お前のせいじゃない。俺だってお前を殺そうとしてたんだ。お互い様だ」

 対するベングドも、今までの諍いよりも過去の交友を見つめているようである。

「ああ、ベングド!」

 こうして、些細な謝罪だけを求めて命のやり取りにまで発展した男たちの喧嘩は和解に終わった。

 予想もつかぬ幕切れを迎えた決闘を前に、賞賛を送る者、安堵する者、期待外れだと煽る者、そして踵を返す者。周りの人だかりは薄くなっていった。

 コージモは少なくなった観客の中から鍛冶屋の姿を見つけ、無言で頭を下げた。

 それに応じてティカルもぎこちなく頭を下げると、ヴィカとともに広場を後にした。


 後日のこと。

 仕事もなく、金槌と鍛冶屋はし、金敷の手入れをしながらティカルは何となしに話を振る。

「結局、あの二人はどうして喧嘩になったんだろうね。奥さんも気づかないうちになんて、変だよね?」

「それについて、決闘の場の観客から情報を集めてみましたが」

「そんなことしてたんだ」

「集めた情報によれば、どうやらあの二人はいつも過激な喧嘩をしていたとのことです」

「えぇ!?」

 驚くティカルに構わずヴィカは続ける。

「殴り合い、掴み合い、怒鳴り合い。そういった喧嘩が日常茶飯事であり、いつもはその場で終わり、周りも見慣れていたとか。彼らの妻が決闘に気付かなかったのも、おそらくいつもの喧嘩だと思ったからなのでしょう」

 そんな馬鹿な、とティカルは考えたが、否定もしきれない。自分が聞いたのは噂だけだ。

 仲が良い、境遇が似ている。喧嘩をしないという話を具体的に聞いたわけではない。

「じゃあ、二人の証言が食い違ってたのは何だったんだろう」

「コージモ氏が怒りだしたのか、ベングド氏が暴言を吐いたのかという話ですか」

「そうそう」

「ベングド氏の出身地とコージモ氏の出身地の違いでしょうか。どちらもハイノサイスから離れていますが、言語体系はさほど変わりません」

 ですが、と続けるヴィカを見つめながらティカルは何度も頷く。

「地方ごとの言葉の違いはあります。例えばベングド氏の出身地で『利発』を意味する言葉は、コージモ氏の地域では『臆病者』を意味するとか」

「えっ、それって……」

「ティカル君はいるかな?」

 店先からの呼び声に赴くと、立っていたのは話の的であるコージモだった。

 その表情は苦虫を噛み潰したようで、手は落ち着きなく髪を弄っている。

「何かご用ですか?」

「ベングドの奴がまたしても侮辱を! やはり決闘が必要だ、レイピアを研いでくれ!」

「ああ! お前も来ていやがったか!」

 頭痛を覚えるティカルに耳の痛みを加えつつ現れたのはベングド。

「ベングド貴様!」

「俺も依頼だ! あの時はレイピアがおかしかったらしいな!? きちんと殺れるようにきちんと研いでおいてくれよ!」

「上等だ、また今度こそ死にたいらしい!」

 店先で掴み合い、騒ぎ散らかす二人の男。

 少なくとも二人がいる間は客は訪れないだろう。ティカルは頭を抱えた。

「コイントスでもしててください……」

 呟いた店主の苦悩は、二人に拾われることはなかった。

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