ガラスの剣
太陽がその顔を覗かせてから三刻ほど経過した。
太陽の下に照らし出されるのは人々の往来。
恰幅のいい紳士に、筋骨隆々たる若い作業員、痩せた老婆――。
ここ独立交易国家ハイノサイスでは、誰が商人であるかなど誰にもわからない。
屋台を組み品を並べ、道行く人々に号を投げる男は間違いなく商人である。
しかし、家に閉じこもり、夜にしか出歩かない女もまた商人なのだ。
自警団の把握しきれぬネットワークは数知れず。いや、その自警団員こそが何かの商人かもしれない。
金と労働に寄せられて出来上がった混沌が、分厚い城壁に囲まれていた。
そんなハイノサイスでも、鍛冶屋はどこかと問われれば、旅人以外は誰もが答える。
南門のすぐ近く。煙突の高い建物だ。
主は若い少女が、助手には背の高い黒髪の男が、それぞれ鍛冶屋を支えていると。
「駄目ですね」
「なぜですか!」
鍛冶屋の前で、二人の男が揉めていた。
片方は薄い金の髪を持つ中肉中背の青年で、それに応えるのは背の高く、痩せた枝のような男。
男の髪は黒く、前髪は顎に達するほどに長い。生気を感じない赤い瞳を瞬きもさせず、目の前の青年を見つめる。
「これほどの剣はどこに行っても買えませんよ!」
青年が手に握っているのは一振りの長剣。ただし、ただの鉄製の剣ではない。
少し刀身が揺れるだけで、虹色の光が辺りに散らばる。刀身は山間の湧き水のように見事に透き通り、わずかの曇りもなかった。
ガラスを特殊な工法で加工し、クリスタルのように性質を変えたもの。
目の眩むような輝きがその手間を物語っている。
「無価値ですね。引き取りたくありません」
それを突っぱねるのは鍛冶屋に住む助手のヴィカである。
主のいない鍛冶屋の応対は随分と乱暴で、青年は苛立つ。
「この剣を打つのにどれだけの手間と時間がかかったと――」
「聞きたくありません。剣を持ってお引き取りください」
とても客に対するものとは思えない態度に青年は歯噛みする。
彼にはこの見事な剣を売ってでも、今纏まった金が必要であった。
旅人としてやってきた彼だが、この地域の金貨を持っておらず、彼の持つ通貨は紙でできたものだった。
そのため、自らの最高傑作とも言えるこの剣を売りに来たのだが、よりにもよって無価値だ買い取れないだのと言われる。憤る道理だった。
「せめて買い取れない理由を言ってください!」
「聞いて何になると言うのです」
「言ってくれないとどきませんよ!」
もはや青年の意地だった。金にならないならせめてそれだけでも聞いていく、と。
そう聞かれるとヴィカはしばらく黙ったまま青年から視線を逸し、街道の方を見つめた。
「聞いてるんですか!」
青年がそう怒鳴ると、ようやくヴィカはゆっくりと青年に視線を戻す。そして、
「叩きつけただけで亀裂の入るようなガラスの剣などいりません。宝飾品店にでも売りに行ってください――」
と冷たい声で続ける。しかし何やら考え直して、さらに続けた。
「いや、この国で売らない方がいい。この国の貿易の対象、北の街道で売ったほうがよろしいでしょう」
「くっ……それは、なぜですか」
「この国では安く買われて、貿易の品として高く売られるだけです……それと、先ほどからその剣の光が目に入って仕方がないので、布かなにかで覆ってくれませんか」
「えっ……あ、あぁ……」
――それで最初から不機嫌だったのか? 青年は合点がいきながらも、やや不満が拭えないままだった。
「はやく行ってください。水や食料なら、今なら広間で多少は確保できますよ」
虫か獣を追い払うようなヴィカの手つきに、青年は彼を睨みつける。
しかしヴィカは何の反応も見せないままだ。青年は諦めて踵を返し、足を踏み鳴らして去っていった。
青年が去ったあとで、ヴィカは広間への街道から帰ってくる茶髪の少女を見た。買い出しに行っていた鍛冶屋の主、ティカルだ。
年頃の少女でありながら、その服装はドレスやジャケットの類でなく、機能性だけを重視したツナギである。
(危ないところだった)
笑顔で手を振り近づいてくるティカルに、ヴィカは変わらぬ無表情をぶつける。
「誰かお客さん来た?」
「……いいえ、誰も」
「そっか」
ティカルは何ら気にした様子もなく、買ってきた食料を鍛冶場に置いていく。
「たまには外国の武器とかも見てみたいね」
ぽつりと呟いたティカルの一言に、ヴィカは過去の記憶を想起していた。
――ティカルは優秀な鍛冶師であり、また重篤な蒐集家だった。
それは遠くから旅をしてきたという旅人から、石を削りだした石の剣を見せられた時である。
これを譲ってください、と――。
何としてでも手にしたいティカルの感情が透けて見えたらしく、相手は相場の数倍の値段で石の剣を売りつけていった。
しかし悲劇はそれだけでは収まらない。
加工技術を自分のものにしたかったティカルは、その剣を参考に自ら石の剣を作ろうと試行錯誤を繰り返した。
普段買いもしない石材ゆえに、仕入れのネットワークもなく高い値段で買う必要がある。
さらに、石の剣の作成に精を出している間、本業の鋼の加工は滞り、一時収入がなくなったのだ。
結局その騒動はヴィカが資金繰りをし、ティカルが剣を完成させたことで終結したが、当時のことは今でもはっきりと記憶していた。
もし、石よりも高価で手に入り辛く、遥かに加工の難しいあのガラスの剣をティカルが目に入れれば。
――ヴィカは何やら、背中に寒々しい物を感じた気がした。