罠の剣
広がるひび割れた干ばつの地平の向こうから、太陽の光が漏れる。
城壁に影を落とし、黒く染めながら、日光が国に差し込んでいく。
その国では、ある者はうんざりしたように朝日に目を細める。
またある者は、城壁の上から美しい地平を眺める。
ここは、独立交易国家ハイノサイス。どの国の統治下にもなく、貿易と金で回る国である。
国の南門のすぐ近くにある高い煙突を持つ煉瓦造りの建物の中から、一人の少女が姿を現す。
少女はセミロングの茶色の髪、茶色の瞳を持ち、幼さを残す精悍な顔立ちをしている。小柄な体格を包むのはコルセットとドレスではなく、薄い青色のツナギである。服の表面にはいくつも黒い汚れや焦げがあった。
少女は軽く肩を回し、首を回す。足下に置いていた二つの木桶を両手に掴む。
建物の裏手をしばらく歩いたところに、大きな井戸があった。滑車にかかったロープを手繰り、木桶を水で満たす。
木桶の容量はなかなかのものだが、少女はそれを簡単そうに持ち上げ、建物の中へ帰る。
そこは空気がやや冷たく、そして炭と鉄の匂いに満ちていた。
金敷と炉が静かに仕事の時を待つ。ここは少女、ティカルの営む鍛冶屋であった。
ティカルは木桶のうち一つの中身を焼き入れ用の冷却水入れに移す。
もう一つは生活用水である。厨房には雨水を濾過する装置もあり、場合により井戸水と使いわける。
水汲みを終えたティカルは、壁にかけてある箒を手に取り、床の灰や埃を外に掃き出す。
入り口は客を迎える場所である。汚いままにしておく訳にはいかない。
そうした心意気ですっかり床を綺麗にしたあとで、ティカルは鍛冶場のほうに向き直る。
鍛冶場の隅には、山と積まれたロングソードがあった。
「はぁ……」
その光景にティカルは深いため息を吐く。
ハイノサイスに、鍛冶屋はたった一つしかない。そのため、ティカルは機会があれば自分以外の剣を入手することにしている。
普段自分の剣以外を目にすることがないため、行商人が持ち込む外国の剣は貴重な勉強材料だ。
しかし、買いすぎた。つい彼らのペースに乗せられ、不必要に買い取ってしまった。
ティカルは自分でも自覚するほど世間知らずの面があるため、普段は助手のヴィカが下手な売買を止めるのだが……その時は彼は席を外していた。
その結果が部屋の隅にある剣の山である。
彼は普段と変わらぬ様子だったが、金勘定の余計な仕事を増やしてしまったことに変わりはない。
「おはようございます」
抑揚のない声を背後から浴び、ティカルは身体を強張らせた。
「お、おはようヴィカ」
気まずい思いで振り返る。だが、彼はいたって普段通りだ。顎ほどまで無造作に伸びた黒い髪、赤い瞳、全身ローブ姿。表情はない。
「どうかしたのですか」
「う、ううん、なんでも。えへへ」
ぎこちなく誤魔化す。ヴィカはそれを気に留めた様子もなく、厨房に入っていった。
(まぁ、そうか。ヴィカは感情がないって言ってたし)
安堵したような、落ち着かないような気分で、ティカルは手持ち無沙汰に立ち尽くした。
しばらくやることもなく鍛冶場をぐるぐる歩いていると、厨房のほうから音が聞こえた。
「ヴィカ?」
ガタガタと音が聞こえる。何か運ぼうとしているのだろうか。
「ヴィカ? 何か運ぶなら手伝――」
ティカルは厨房に向かおうとしたが、それより先にヴィカが出てきた。
ヴィカは俵を担ぐように、四角い鉄の塊を持ち上げて歩いていた。
「わあああ!? 何してるの!?」
「何、とは? グリルを運んでいるのですが」
グリルとは以前ティカルが他国の商人から買い取った調理器具だった。
火を入れることにより鉄板を熱し、肉や卵を自宅で調理できる代物である。
「なんで運んでるの!? どこに運ぶの!?」
「資金繰りのために売るのです。昨日のうちに話をつけておきました」
「そんな! それは使うものだよ!」
「直近一ヶ月間使用されていません。そもそも、食事は外で取ればいいでしょう」
「でも! 家で料理屋みたいなことができるんだよ!」
「してどうするんです」
「…………」
「では僕は売約があるので」
「待って!」
ティカルは必死にヴィカを止めようとするが、ヴィカは無表情のまま聞く耳を持とうとしない。
かと言って、ヴィカは筋力はそう多くないため、グリルを抱えたままティカルを振り払うのは困難だった。
結局膠着状態となった二人。打ち破ったのは外からの客の声だった。
「ヴィカ。お客さんも呼んでることだし、一旦これを下ろそう」
「……仕方ありませんね」
ようやくグリルを床に下ろしたヴィカに、ティカルは胸を撫で下ろした。
鍛冶屋の前に来ていたのは複数人の男たちだった。女性も一人混じっている。
それぞれが引き締まった肉体にあまり高級でない衣服を身に着けていた。
「お待たせしました。なんのご用でしょうか?」
厳つい見た目に反した温和な声で、戦闘の髪質の悪い男がティカルと目線を合わせる。
「ああ、矢尻を作ってもらいたい。できれば二十個ほど」
「わかりました。使う矢は手元にございますか?」
「これだ」
男は一本の矢を差し出す。ティカルはそれを受け取り、ひとまず仕上げ台の上に置いた。
「矢尻の製作なら、二十個で銀貨四枚になります」
言いながら、ティカルは頭で計算した。
矢尻の製作にかかる鉄鉱石の値段や、今後仕入れるために必要な金額。
また、生活に必要な金などをいろいろと考える。
「どちらにせよ矢尻だけでは損失には間に合いませんね」
「うぅ……」
ヴィカはすでに計算を終え、ティカルに耳打ちした。その後、前に出る。
「何を狩る予定ですか?」
「ん? あぁ、鹿だ」
「なるほど。では、ベアトラップを買いませんか」
ヴィカは無表情のままでセールストークを開始した。男たちは少し困惑した様子である。
「ベアトラップ?」
「東洋ではトラバサミとも言いますが。バネの仕掛けで動物の足を挟み、機動力を削ぐ罠です」
「へぇ。使いやすそうじゃない?」
紅一点の女性が真っ先に食いついた。だが男たちはトラバサミの想像が付いていない様子である。
「うーん、それは幾らくらい?」
「約銀貨3枚です」
「ロングソード並の値段か」
「再利用も可能ですので」
「なるほどな。まぁいいだろう。買うよ。でき次第、西のクレイ団地の狩人ギルドに届けに来てほしい」
「わかりました」
ヴィカはトントン拍子で商談を取り付けると、呆然とするティカルを置いて客を送った。
しかし肝心の製作者であるはずのティカルはすっかりその商談に置いていかれている。
「ヴィカ、あの……わたし、ベアトラップ? なんて作ったことがないんだけど」
「こうしなければグリルを売って金にする他ありませんよ」
「うぐ……」
確かに、元はといえば自分が撒いた種である。ティカルは観念して、かんざしで髪をくくった。
「それでは、僕は売約の話を断りに行くので、しばらく矢尻を作っていてください」
「う、うん、わかった」
鉄鉱石を熱してから細かくタガネで分断し、一つ一つを矢尻に加工していく。
矢の先端に突き刺して固定するタイプの矢尻だ。その性質上、両端を尖らせる必要がある。
片方は獣に突き立てる刃。もう片方は矢に突き刺すための針のような刃を作る。
とはいえ、普段作っている剣とは大きさがまったく違う。
細かな作業と手先の技術が必要となっていた。
「ただいま戻りました」
「おかえりなさい」
「作業の進みはいかがですか」
「矢尻が一個できただけだよ」
ティカルはうんざりした様子で小さな鉄を打つ。
「そうですか。ベアトラップの製作は明日からになりそうですね」
「そうなるね。ところで、どんな道具なの?」
「動物や人間が踏むと、バネ仕掛けが作動して足を挟みます。威力の強いものになると、骨を砕き、肉を断つほどになります」
「……なんか、嫌な道具だなぁ」
ティカルは眉根を寄せ、作業を再開した。
矢尻を二十個作り上げたところで、その日の作業は完了した。
仕事を終えたティカルに、ヴィカは木製のコップに満たした水を差し入れる。
「それにしても、作業が早いですね」
「そう、なのかな? わたし、他の国の鍛治屋の作業を知らないから、わからないんだ」
「他国と比べても、作業はかなり早いほうだと言えるでしょう」
「よかった」
ティカルは得意げに笑ったあと、なぜかすぐに肩を落とす。
「まぁ、お父さんには全然及ばないけど……」
「そういえば、ティカルの父ですか。あまり詳しく聞いたことはありませんね」
ティカルは薄く笑って、椅子に座る。一口水を飲み喉を鳴らしたあと、手元に視線を落とした。
「お父さんはね、ハイノサイスで最高の鍛治屋だったんだよ。昔はこの国にも他の鍛冶屋があったらしいんだけど、お父さんの力が強すぎて他の鍛冶屋はやめちゃったらしいよ」
ハイノサイスはそう広い国ではないが、鍛治屋一つで回るほど狭くはない。
その国から他の鍛冶屋の仕事を奪うほどの仕事量。なかなか想像は難しかった。
「わたしもお父さんに習って鍛冶仕事を始めたんだ。最初は金槌が重くて振れなかったくらいだったけど、そのうちだんだん鉄が打てるようになって」
昔を懐かしみながら笑顔で語っていたティカルだったが、その表情がやや曇る。
「だけど、ある日ね。お父さんは『銃』を作らないと鍛冶屋に未来はないって言って、その銃っていう武器の作り方を探す旅に出た。
作り方を見つけたらすぐ帰るって言ってたんだけど、結局帰ってこなくて。留守番のはずだったのに、わたしがこの鍛冶屋を継ぐ形になっちゃってね……」
自嘲気味にティカルは苦笑した。ヴィカはその表情の中に寂しさの色を見た。
父が姿を消してから二年だと、かつて彼女は言っていた。どう言葉をかけるべきか、ヴィカは思案する。
「父上は……生きているのでしょうか」
質問を誤っただろうか、とヴィカは思った。だが、それ以外に良い言葉も浮かばない。
「生きてるよ」さも当然のようにティカルは即答した。
「わたしだけじゃなくて、お父さんを知ってる人なら誰でもそう言うと思う」
ティカルの父がどれだけの人物であったのか、出会ったことのないヴィカには想像が及ばない。
結局彼はただ、ティカルの言葉に相槌を打つだけに留めることとした。
「さて、ベアトラップの作成に移ります」
「はいっ」
ティカルは椅子に座り、学校の生徒のように返事をした。
「まずベアトラップの機構を説明します。これが図面です」
「……うん」
しかしヴィカからのリアクションが特になかったため、すぐにやめた。
ヴィカが仕上げ台の上に広げた羊毛紙には、薄い鉛筆で非常に正確な設計図が書き込まれていた。
「これを見ればわかる通り、ベアトラップは二つのパーツからなっています」
動物が踏むことを想定した、ペダルのような形のスイッチと、それに連動する留め具が一体化したパーツ。
もう一つは、バネを中心として二つの鉄の板が側面に付いているパーツ。
スイッチを押すとバネを抑えている留め具が外れ、鉄の板に足を挟まれる仕組みだ。
「これは、また随分痛そうな……」
「痛くない罠はありません」
ティカルは渋々といった様子で髪をくくり、作業に取り掛かった。
まず作るのはペダルと留め具のパーツだ。バネを先に作ると制御できなくなってしまう。
とはいえ、最初のパーツは剣などの鉄製品の延長線上にある。製作はそう難しくない。
鉄を伸ばす。薄くして、曲げて加工する。剣のように何度も折り返す必要がないため、むしろ楽ですらある。
それでも疲労は溜まる。炉の前に座り込むため、常に体は暑い。
ティカルは額の汗を拭った。そして、すぐに作業を再開させる。
形を作り終わったティカル。作業を続けようとする彼女をヴィカが制止する。
「焼き入れはしなくて結構です。こちらは単なるパーツですので」
「そうなの? なんか、落ち着かないけど」
「次の作業がありますので。次は肝心の鉄板とバネです」
まずはじめに、ティカルは板を作った。単なる長方形の板である。
それを中心から二つに割り、弓なりに曲げて歪ませた。
足を挟む板は、あとは細かな加工をするだけで完成する。次はバネの製作である。
バネを作るにあたり、ティカルは四角の鉄鉱石を丸く細長い形にする必要があった。
鉄鉱石を赤く熱し、叩き伸ばす。飛沫のように火花が散る。
「こう、長い間鉄を叩いてて喉が渇いてると、この火花が水に見えてきてね」
「飲めばまず間違いなくひどい目に遭いますが……水は要りますか?」
「うん、お願い」
水を一口で一気に飲んだあと、さらに鋼を叩く。
四角の鉄鉱石は、やがて叩き伸ばされ、丸い一直線の鋼線となった。
鋼線の全体を炉の中に入れる。赤く染まった鉄を、暫定的に太いタガネに巻きつける。
螺旋状になったバネの間隔を調整する。そのうちに空気で鉄が冷えると、タガネを引き抜く。
露出したバネはこのままではなんの役にも立たないままである。
焼き入れ、焼きなましを経なければ弾力を持たず、期待された働きをしないのだ。
「まず、バネと板を溶接してから焼き入れをしましょう」
「わかった」
バネの両端と、罠の中心となる鉄の板の一部を研磨する。
その間にホウ砂という、金属をくっつける効果を持つ粉を撒く。その上で、それらをくっつけたまま火に入れた。
それらが溶接されれば、焼き入れで罠のパーツを千度の火にかけて硬化させ、次に焼きなましで弾力を持たせる。
完成は目前だと、ティカルはそれらを火に入れた。
「ヴィ、ヴィカ。なんか、閉じちゃったよ」
焼き入れ、焼きなましをしているうちにややバネの力が強くなり始めたことはわかっていた。
それらが終わった頃、罠のパーツは板と板がピッタリと閉じてしまっていた。そのうえ、離れない。
「どうなってるのこれ!?」
「それはそうでしょう。留め具を付けていませんから、バネが最大限働いています。罠が動けばこれだけの力になるということですね」
「それはわかったけど、これじゃ使えないよ……。留め具を付けられないし、もしかして工程間違えた?」
「いいえ」
ヴィカは無言で鍛冶屋の仕上げ台付近を指差した。
その先を追うと、鉄を固定するための万力がある。
「えっと?」
「万力でバネを固定し、力づくでバネを逆側に曲げ、留め具を付けてください」
「…………」
「なにか?」
「もっとこう、他のやり方とかは?」
「ありません」
翌日、完成したベアトラップは滞りなくヴィカによって届けられた。
実演を求められたヴィカはなんとか彼らを言いくるめ、先に代金を受け取り帰ったという。
その後彼らがベアトラップを無事に狩りの場に持ち込めたかは定かではない。だが、ティカルお気に入りの家具であるグリルはなんとか無事に守られたようである。