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夫婦の剣

更新、及び一話ごとの長さは定まっておりません。

 地平線の向こう側から太陽が昇り始める。

 光が山の輪郭をくっきりと黒く映し出し、森が緑に染まっていく。

 太陽が沢の水を照らし輝かせる頃、城壁に囲まれ、静まり返っていた街が少しずつ目覚め始める。

 その街の、やがて煙突の高い一つの建物から少女が現れた。肩ほどまで伸びた茶色の髪に、薄い茶色の瞳。幼さを残しつつも、精悍(せいかん)さを感じる表情。薄い青色のツナギを着た小さな体躯の少女は、大きく伸びをすると軽く両肩を回した。

 足元においていた大きめの木桶を掴むと、裏手にある井戸に向かう。井戸から水を引き上げ、それを桶の中に汲み入れていく。

 桶の中を水が満たしたあとで、少女は事も無げに軽々とそれを持ち上げ、建物の中に入る。

 建物の中はひんやりとした空気と、炭の匂いに満ちていた。今は火を焚かれていない炉と、その前の金敷が仕事を求め待っている。

 傍らにある焼入れのための水入れに、桶の中身を開けていく。透明な水がなみなみと満たされる。

 今ここに鉄鉱石と火さえあれば、すぐにでも刃を打ち出すことができるだろう。

 少女は、ここ独立交易国家ハイノサイスの鍛冶師である。名をティカルといった。

 入り口の壁にかけてあった箒を手に、床に落ちた灰を集めていく。ひとまず散らばった灰を外に掃き出すと、床の掃除は終わる。

 次に仕事道具の手入れを行う。金槌に鍛冶屋箸は鉄を打つには必須の道具だ。錆びたり欠けたりしないよう、薄く薄く油を表面に走らせる。

 水の汲み上げと屋内の清掃、商売道具の手入れを終えると、最後に軽く体を動かしてティカルの朝の日課は終了する。


「おはようございます」

 建物の奥から、抑揚のない男の声が聞こえた。ティカルは振り向き、笑顔で応える。

「おはよう、ヴィカ」

 奥から現れたのは、麻色のローブを着たひょろりと背の高い黒い髪の男。髪は肩ほどまで伸ばされ、前髪の一部は彼の顔を縦に走り、顎下辺りまで続いている。肌は白く、その瞳は紅色を宿していた。

「昨日は料理屋のおじさんの包丁が終わったんだったよね。ということは、今日は何もないかな?」

「現状、今日の依頼は特にありません」

 口元に軽く笑みを浮かべるティカルに対し、ヴィカは無表情を貫く。そして、遅れてヴィカが呟いた。

「ですが、今日は行商人の一座が来る予定です。木炭を買っておいたほうがよいですね」

「そっか、ありがと」

 ティカルは鍛冶場の奥へと歩いていく。その後を、ヴィカが無言のまま付いていく。

 向かった先は調理場だ。洗い場の前には小さな窓があり、そこから薄く陽が差している。

 買い溜めておき日陰に保存していた黒パンを取り出す。細かな目のついたナイフで上から切っていく。パンくずがまな板の上に落ちた。

「ヴィカ。卵を取ってきてもらえる?」

「わかりました」

 あくまでも抑揚のない声を残して、ヴィカはふらりと調理場から消える。ティカルはパンを四つに切り分けて、マーマレードのジャムの瓶と一緒に皿に乗せて食堂へと持っていく。

 調理場の横に伸びる食堂の中心は、決して大きくない長方形の木のテーブルだ。格子状の窓があるが、この季節は鍛冶場の裏の木に葉が茂っていて、日当たりはあまり良くない。

 テーブルにパンとジャムを置く。調理場へと戻ると、ヴィカが手に卵を持って立っていた。ティカルを視界に収めるとすぐに、

「取ってきました」

 と見ればわかる当たり前の報告をした。

「うん、ありがとう」

 手渡しで卵を受け取ると、底の厚い木の皿の縁で卵にヒビを入れる。

 皿の中に両手で卵を割り入れ、箸でかき混ぜる。白身と黄身が混ざり合い、全体的に滑らかなオレンジ色になった。

 洗い場に吊るしてある火打石二つを手に取り、グリルの下に火を入れる。熱された鉄板がチリチリと鳴り始める。

 混ぜられた卵を、グリルの上に流す。鉄板の熱で固まり始める卵を、箸でかき混ぜながら徐々にまとめていく。

 それをグリルの端に寄せ、一気に皿の中に盛り付ける。スクランブルエッグのようなものが出来上がり、ティカルは満足そうに笑う。

「このグリルですが、薪では炎が弱く熱伝導効率がよくありません。これを譲られてから薪の消費が多いです」

 その後ろから、ヴィカが無表情のままでケチをつけた。水を刺されたティカルは唇を尖らせる。

「で、でもこれ凄いんだよ? まるで料理屋さんみたいな料理が作れるんだから!」

「まぁ、あなたがそうしたいのであれば僕は止めはしません」

「む〜……」

 眉根を寄せていたティカルだったが、やがて諦めたように笑った。

「食べよっか」

「はい」

 スクランブルエッグを持って食堂へと歩いた。


「おーい、すまない!」

 店先で男の声がした。

 粗方食事を済ませていたティカルは席を立ち、店先へと小走りで向かう。

 入り口に立っていたのはカーキ色のコートを着た無精髭の男。腰には鞘に入った剣を吊っている。

「はい、ご用でしょうか?」

 男は、中から小柄な少女が出てきた事に面食らっている様子で目を剥いている。男は子どもを扱うように、前屈みになりティカルと目線を合わせた。

「ハイノサイスに腕のいい鍛冶屋がいると聞いてきたんだ。いるかい?」

 これが初めてではない反応に、ティカルは苦笑して返す。

「わたしの記憶が正しければ、ハイノサイスの鍛冶師はわたしだけです」

「なに?」

 呆れと怒りが混じったような表情で、男は屈むのをやめた。ティカルからは見上げ、男からは見下ろす形になる。

「君が鍛冶師? ……冗談だろう。そもそも、鍛冶師は男しかなれないものじゃないか?」

「そうでもありません」

 返事をしたのはティカルではなく、奥から出てきたヴィカだった。意外な登場に、ティカルは止めることなく見守る。

「君は?」

「ここで住み込みをしているヴィカです」

 極めて簡素な自己紹介。またしても現れた若すぎる人間に、男は少しずつ不機嫌になり始める。

「そうでもないとは何だね? 古来より鉄は男が打つもので、女が打ってはならないとされている。それに、体力的にも腕力的にも、男のものに劣るだろう?」

 凝り固まった偏見といえばそれまでだが、確かにそういった風潮は未だに強い。特にこの国、及び周辺の国においては宗教的な観点も加わる。

 ヴィカは淡々と男に反論していく。

「彼女の父は相当な鍛冶師であったため、彼に鍛えられた彼女の体力と技術は達人の男性のものに引けを取りません。

 また、確かに古来より鉄を打つのは男とされて来ましたが」

 うんうん、とティカルは傍らで小さく頷く。

「――――しかし、鍛冶師として火の神に純潔を捧げた者……すなわち男性との性行為を経験していない処女であれば、構わないともされています」

 思いもよらない暴露を食らったティカルは、片手で顔を覆って片手でヴィカの背中をバシバシと叩いた。その最中であっても、彼はずっと表情を変えなかった。


「まぁ、ともかく。腕は確かなんだな?」

「は、はい……」

 話をややこしくするヴィカを奥に押しやり、再びティカルが応対する。男はたっぷりと念を押してから、懐から白い布にくるまれた棒状のものを取り出した。

「これを、直してもらえないか」

 丁寧に布に包まれたそれを、拝見します、と言って丁寧に受け取る。

 布を取ると、それは手元の部分に美しい装飾の施された短刀だった。波を思わせる段になった部分を辿ると、水瓶の紋様が見える。今は取り外されているようだが、本来は鞘のあるものであろう。

 しかし、鋼製の刃は中のあたりから二つに折れていた。乱暴な扱いをしたか、どこかに強くぶつけたようだ。

「継ぐのにどれだけかかる?」

 ティカルは片目を瞑ったり、持ち上げてみたり、様々な角度から短刀の断面を見た。

「折れた短刀を繋いでもまたすぐに折れてしまいますよ。多分、同じものを作ることならできます」

「作り直し? やはり……そうなるのか。そうなると何日かかる?」

 ティカルは短刀の持ち手と、刃のつなぎ目をしげしげと眺める。どうやら、刃と一体化した構造ではないようだ。

「これなら刃を作るだけで済むので、おそらく一日ほどでできます」

「一日? 本当か? 本当だな!?」

 掴みかからんばかりの男の剣幕にティカルは一歩退く。目だけはしっかりと見据えてはい、と頷く。

「そうかそうか! 俺は今日の夕方までは噴水広場にいる。夜は五丁目の宿だ! 出来次第すぐに俺のところに来てくれ!」

 男は先ほどの不機嫌はどこに行ったのかという上機嫌で店を後にした。入り口の外から一度振り返って、

「俺だけに知らせてくれよ!」

 だけ、を強調したその言葉に何かただならぬ裏事情を感じたが、とにかく仕事は仕事である。ティカルは再び短刀に目を落とした。

 短刀の素材は鉄鉱石を打った普通の鋼だ。材料のストックはあるため、作ることは簡単にできる。

 手元の彫刻については修復の必要は感じない。むしろ、これを修復しろと言われたら二日掛かっていただろう。

「彼、今日来た行商人ですね」

 再び唐突にティカルの隣に現れたヴィカが低く呟いた。

「行商の? 見たことない人だったけど」

「前々回の行商の時から彼は一団に加わっていますが、そのどちらも、買い出しは僕が行きましたから。ティカルが彼を知らなくても無理はありません」

 そっか、と再び短刀を眺める。行商人の男が持つにはあまりにも不似合いな繊細な彫刻だ。

 また、ティカルにはこの短刀の実用性のなさがわかっていた。刃自体はそう悪くない。しかし、手元にゴテゴテと施されたこの彫刻が問題なのだ。

 ロングソードや大剣の類ならば、握る部分と鍔までの間にこういった彫刻を施すのも悪くはない。

 だが、これは短刀なのだ。握り込めば、必然的にこの彫刻が手に当たって邪魔になる。おそらく、これを作った本人は祭器用や芸術品として作成したのだろう。

「行商の商品……なのかな?」

「彼は比較的新人です。商品をうっかり破壊してしまい、一団に発覚するより前に直してもらおうというのもわからないではありませんが」

 が? 引っかかる言い方にティカルは首を傾げた。

「まぁ、説明のついでです。噴水広場に買い出しに行きましょう」

 ヴィカは無表情のまま先に出ていった。慌ててティカルも後を追う。


 国の中心である噴水広場は人混みで賑わっていた。

 円形に作られた広場のあちらこちらで簡易的な出店が作られ、威勢のいい声が聞こえる。その中心では、巨大な石造りの塔が天に向けて水を噴き上げる。

 ハイノサイスは独立交易国家である。隣国からの行商や旅商人を通じて主な利益を得ている。

 異国人との交流が盛んなため、広く世界を相手にしたい商売人などがこの国に構えることも珍しくない。ティカルの父もその一人であったようだ。

「鉱石を仕入れなきゃね」

 鉄鉱石は剣を打つことにおいて、決して欠かすことのできない素材だ。鉄鉱石を熱して打ち、それを冷やして再び熱して打つ。そうして不純物を叩き出された鉄は鋼となり、良い剣となる。

 突然、すっとヴィカが指を指す。

「先ほどの男です」

 指の先を追うと、確かに出店の中に先ほどの男がいた。売っているのはいくつかの野菜だ。その隣には、商売を手伝う黒髪の女性が立っている。

「あの二人は夫婦です」

 そうなの? と振り向くティカルに、ろくに説明もしないままでまたヴィカは歩いていく。

 そして、広場をぐるりと回る形で、鉄鉱石と木炭に干し肉、レーズンとジャムをたっぷりと買い込んだ。

 近くを通ればまた催促をされかねない、とヴィカの助言で夫婦の店には寄らなかったものの、とりあえずすべての出店を巡ったことになる。

「ねぇヴィカ。わざわざ全部の店に行ったのと、さっきの説明って何か関係ある?」

 帰り道。ティカルは荷物を詰めた紙袋を両手で抱え、隣に並んで歩くヴィカに尋ねる。

「ええ。あの出店の中に、刃物を扱っている店はなかったでしょう」

「そういえば、そうだね」

 ということは、あの短刀は間違いなく誰かの私物ということになる。

 国の中は比較的安全であるものの、城壁の外もそうとは限らない。特に、行商など荷物を運んでいる人間は野党に狙われやすい。その上、野生動物に襲われることも少なくない。行商人が短刀を持っていても何もおかしくはない。

「なんであの人があんなに急いでたのかとか、少し気になるところはあるけど。とにかくあれだけ急いでるなら、できるだけ早く届けてあげよう」

 ティカルの決定に、ヴィカは無言で肯定した。

 しかししばらくして、意気揚々と歩いていたティカルの足が止まる。何事かと視線を辿れば、その先は小料理屋だ。

「…………」

 三十秒ほどそこで停止したあと、ティカルはふらふらと料理屋の匂いに寄せられていった。


 鍛冶場に帰ってきたティカルは手に持った紙袋を増やしていた。大きな袋は噴水広場の出店で、中から少し湯気を出している小さな袋は料理店で購入したものだ。

「これから刃を打つし、昼食が必要だからね」

「僕は何も言っていませんが」

 咳払いをして、ティカルは長い髪を(かんざし)で纏める。

 受け取った短刀を金敷の上に乗せる。折れた刃を取り出すため、一度持ち手を固定するピンを外して分解する。

 持ち手を分解することで、中で刃を固定しているパーツが露わになる。同様に分解し、折れた刃を取り外した。

「…………」

 いつも金敷の近くに備えられた大きな袋から巻き尺を取る。二つに折れた刃の長さを正確に計測し、記憶しておく。

 分解された持ち手の各パーツは、まとめて金敷の下の小さな袋に入れておく。あとで再び組み直すため、紛失を避けなければならない。

 片目を瞑って、折れた刃をあらゆる角度から観察する。新しく打ち直すならば、大きな違いが生まれてはならない。

 一通り短剣の観察を終え、いよいよ刃を打つ工程に入る。ツナギのポケットに入ったままの手袋を取り出し、両手にはめた。

 買い込んだ紙袋から木炭を炉に入れていく。炉の近くに吊った火打石を取り、カチカチと二回ほど鳴らし、木炭に火をつけた。

 火が波紋のように広がっていく。金敷の前の椅子に座り、大きな木製のふいごで火の強さを調節する。

 鍛冶屋はしを使って、鉄鉱石を掴み炉にくべる。十分に熱された鉄は赤く染まり、柔らかくなる。

 左手に握った金槌で、鉄を殴る。カン、と小気味よい音が響く。

 カンカンと、何度も繰り返す。熱し、叩く。そしてそれが冷えるとまた熱して叩く。鉄鉱石に含まれる不純物が叩き出され、徐々に形を変えていく。

 刃がある程度の薄さになると、ティカルは刃を金敷の端に固定しながら半分ほどを外に出し、叩く。

 刃が折り返され、直角の形となる。それを鍛冶屋はしで掴んで再び炉にくべると、また金槌でそれを叩き、完全に折り返した。

 半分に折られて重なった刃にホウ砂(鉄と鉄をくっつける作用を強めるもの)をパラパラと撒き、再び熱する。

 左の袖で額の汗を拭う。炉の前に座り続ける鍛冶師の仕事は、常に熱に晒され続けることである。

 加えて、一心不乱に金槌を振り続ける。持った感覚が軽くとも、先端に重りのついたそれを振るい続けるうちに、腕は痺れ疲労が溜まる。

「ふぅ……!」

 一旦鍛冶屋はしから手を離し、手探りで料理屋から買った袋の中身を手に取る。焼き目のついたクラブハウスサンドイッチだ。

 それを一口で半分ほど口に押し込むと、それをくわえたまま再び鍛冶屋はしを手にして作業を再開した。

 四回、再び鉄を叩く。口を一旦開け、落ちそうになるサンドイッチを全部食べた。


 四時間の間、小さな主人の営む鍛冶屋は、煙突から煙を吐き続けた。

「これで……ひとまずの形は出来上がったかな?」

 金敷の上で刃が光っていた。だがこのままでは、ただの硬い鋼の棒に過ぎない。より短刀に形を近付け、研磨して、刃を作らなければ。

 鍛冶屋の外では太陽が高く昇って、沈み始めていた。ティカルは金敷の上のそれを持って仕上げ台の前に座る。

「お疲れ様です」

 ヴィカが木製のコップを持ってティカルの隣に寄った。その中には水が注がれている。

「ありがと、ヴィカ」

 笑顔でそれを受け取ると、喉を鳴らしてゴクゴクと飲んだ。一口で一気に飲み切ると、コップをそのままヴィカへと返し、仕上げ台に注目する。

 両刃の短剣。根本には穴。三種類の砥石を駆使して、徐々に形が整い、刃の切れ味が増していく。

 製鋼よりは幾分か気を抜くことのできる作業だ。ティカルは、目線は依然として刃に向けられたままでヴィカに話しかける。

「ねぇヴィカ、そんなにずっと見てて楽しい?」

「いいえ」

 無表情のままで即答する。

「そっか……。そういえば、そうだったね。ごめん」

「謝る必要はありません」

 陽が、傾き始める。


「……ふぅ。こんなものかな?」

 大きく伸びをして、次に仕上げ台の上に上半身を寝そべらせた。視界に入った短剣の刃先を軽く指でつつく。

「指は切れないのですか?」

「本来この短剣はあんまり鋭くないからね。剣も鋭ければいいってものじゃない、適材適所だから。この短剣はそんなに研いでないんだ」

 そんなものですか、と小さく呟く。ヴィカは金敷に掛けられた小さな袋を持ってティカルに無言で渡した。

 笑顔でそれを受け取ると、ティカルは袋の中身を仕上げ台に丁寧に出していく。

 あとは分解した時と同じ要領で組み直していく。出来上がった刃を挟み込んで固定し、外から更に固定する。

 最後に、湿らせた布で全体を磨く。刃の部分には薄く油を引き、錆を防ぐ。

 室内で軽く短剣を振る。ヒュッと空を切る音がした。振った感覚は軽く、刃がずれる様子もない。上々の出来にティカルは笑みを浮かべた。

 キラキラと光る刃に、夕陽が写っていた。一日が暮れていく。簪を解き仕上げ台に置くと、受け取った時と同じ白い布に短剣を包み、外に出た。

 自分の後ろにヴィカが付いて来ないのに気付き、店を振り返る。入口付近で、無表情のまま手を振っていた。

「それじゃ、店番はよろしくね!」

 ヴィカは小さく頷いた。



「おお……おお! すごい! 完璧じゃないか!」

 宿屋の一室で、男は興奮気味に短剣を見つめた。隅々までそれを眺め、修復の完璧さに唸る。

「いやぁありがたい! これはお代だ。どうもありがとう!」

 髭面に笑顔を浮かべる男に、ティカルもまた釣られて微笑む。受け取った銀貨の枚数を数え、確認するとツナギのポケットに入れた。

「ところで、どうしてあの短剣を直そうとしたんですか? それも、あんなに急いで」

 すっかり上機嫌の男は、突っ込んだ質問にも気前よく答える。

「実は、この短剣はかつて私から妻に送ったものなんだ。彼女が行商に参加すると言った時、きっと護身用として必要だろうとね」

 感慨深げに短剣を見つめながら、男は続ける。

「妻も喜んでくれて、度々使う機会もあった。だが、以前猪を追い払った時に折れてしまったんだ。

 妻も、私からのプレゼントを失って悲しかったようでな……悲しむ妻を見るのは辛かった。だから、これを修復して驚かせようと思っていたんだ」

 ティカルの脳裏に、朝に噴水広場で男の隣に立っていた女性の姿が浮かぶ。

「それで、いつ渡すおつもりですか?」

「ああ、今妻は出かけているようだから、帰ってきたらすぐにでも渡すつもりだ」

 そうですか、と笑顔で呟く。

「それでは、頑張ってくださいね」

「ああ。本当にありがとう! これからも贔屓にさせてもらうよ!」

 男の声に最後に笑みで答え、宿を後にする。廊下には、行商人の一行のものと思われる楽しげな声がいくつもの扉から漏れていた。

 相当に腹が減っていた。ティカルは今日食べたものを回想する。朝に黒パンとスクランブルエッグ。昼にサンドイッチ二つ。その最中、ずっと重労働。当然の空腹だ。

 窓から外を見ると、夕陽が沈んでいる最中だ。黒いシルエットになったいくつもの建物が芸術的に見える。

 その中に、自分の鍛冶屋が見えた。黒く細長い煙突のシルエット。煙は、もう吐いていない。

 手元には銀貨がある。鍛冶屋でヴィカを拾ったら一緒に夕食を食べに行こう。ティカルは宿を後にした。


 十分ほど歩き、鍛冶屋の前に差し掛かる。すると、店の前にヴィカともう一人、女性が話していた。

「ヴィカ!」

 ひとまず声を掛けて、小走りで近付く。

「ティカル。お客さんです」

 その女性が振り返る。黒い髪の、少し背の高い女性だ。彼女は、朝に見たことがある。短剣の持ち主、あの男の妻だ。

「ちょうど良かったわ、あなたが店主さん?」

 親しみやすそうな快活な声色。女性が温和に微笑みかけ、ティカルもそれを返した。

「はい、そうです」

「街の人に聞いたら、ここが唯一の鍛冶屋だって言うから。ここって、注文だけのお店? 作り置きしてる武器とかはないかしら?」

「ええと……今ならロングソードが一本に、ダガーナイフが二本。ツーハンデットソードが一本、ストックがあります」

「それはいいわね! ダガーを見せてもらえる?」

 何やら風向きがおかしくなってきた、とティカルはヴィカに目で訴える。

「こ、こちらです」

 だが客は客だ。ダガーナイフを二本、店奥から取り出してくる。片方はヒルト――手を滑らせて指を切らぬよう、刃と持ち手の間に取り付けられた金属――の幅が広い、全体的に黒色の抜き身のナイフ。

 もう一つは、グラディウスを思わせるすんなりとしたフォルムを持つ鞘に入ったナイフ。こちらもデザインは無骨で、手元は握り込みやすいようグリップが施されている。

「こっちの鞘付きをもらえる?」

「あっ、は、はい」

 慌てて代金を受け取る。そのまま世間話の一つもせずすぐに女性は去ろうとする。

 聞くべきか、聞かざるべきか。言うべきか、言わざるべきか。

 オロオロしているティカルを見て、何かを察したヴィカが女性の後ろ姿に話しかける。

「一つよろしいですか」

「あら、なに?」

「あなたは行商人の方ですね。職業柄、武具はすでに所持しているのでは?」

「ああ……ここに来る前に壊れたのよね」

 その返事がきっかけになり、女性は振り返って話し始める。

「元々、夫から送られたナイフ持ってたんだけど。でも、プレゼントも兼ねてたから、装飾がやたら豪華で実用性良くなかったのよね。

 で、ちょうどよく折れてくれたもんだから、こっちに着いたらもっと実用的なナイフを買おうと思ってたのよ」

 呆然とするティカルを尻目に、ヴィカは手早く礼を言って女性を見送る。後には、二人と静寂が残された。

「あの男の人……妻が悲しそうって言ってたんですけどね」

「悲しかったのでしょう。国に着く前に護身用の武器が折れて」

「……女の人って、心変わり早いなぁ」

「なぜ同性のあなたがそれを言うのですか」

 ヴィカの発言に、ティカルは乾いた笑いで答える。

「女心って奴なのかなぁ。ヴィカには、わかる?」

 いつも質問には即答するヴィカだが、今度の質問は難問だったのか。顎に手を当て、五秒ほど黙る。

「心というものは(すべか)らくわかりづらいものです。男であろうと女であろうと、わかる人はわかる、わからない人はわからない。精神性を大きく二分するには、男女という境は(いささ)か役不足でしょう」

「そ、そう」

 ティカルはやたらと長い返事に戸惑った。所在なさげに視線を落とすと、つい今女性から受け取った銀貨が目に入る。

「……ご飯、食べに行こっか」

「はい」

 鍛冶屋の入り口に掛かった木札をひっくり返す。「CLOSE」に変わった表札を残し、親子ほど身長差のある二人は、並んで広場へと歩いていった。

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