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きおくぶく

作者: 伊吹まるお

 九番ホームに北斗星がゆっくりと入ってくる。電光掲示板には「寝台特急」「札幌」の赤字。いかにもな人がいかにもなカメラで何枚も写真を撮った。ドアが開いたが誰も降りてこないし、誰も乗り込まなかった。北斗星はその古臭い青色をした身体を小刻みに震わせながら、出発を待っていた。

 乗っちまおうかな、といつも考える。詳しくは知らないけど、券なんて中でどうとでもなるんだろう。乗れば札幌に行けるのだ。きっとたくさん雪が降ってるんだ。こっちとは比べ物にならないくらい寒いんだ。普段から使っているホームから札幌行きの電車が出るというのはなんとも不思議な感じがした。乗っちまおうかな、とまた考えるけど、考えるだけだ。結局一歩も動かないままドアは閉まり、ゆっくりゆっくりと北斗星は加速を始める。半分くらいまで下ろしたカーテンの隙間から小学一年生くらいの男の子が手を振っている。小さく振り返すとお母さんが困ったような笑顔で会釈をしてくれた。目だけで会釈を返す。北斗星は速度を増す。どんどん見えなくなっていく。二人と出会って、別れた。

 北斗星は行ってしまった。残ったのはいつもの寒々しいホームだけだった。僕はまだ、時計台くらいしか知らない札幌のことを考えている。いくら丼でも食べてみたいな、とか。

 しばらくして進入してきた通勤快速の窓、真っ白に濁っていて中が見えない。僕はなんとなく理科で使った石灰水を思い出す。それと一緒に中学校の理科室、授業中に熱した試験管に水を入れて割ってしまったことも浮かんでくる。僕はわざと試験管を割ってしまったわけではなかったし、班員も先生もそれは分かっていた。だから特に責められるようなことはなかったけど、なんだか自分がもう二度と取り返しのつかないことをしてしまったような、大切な何かを駅のベンチに置き忘れてきたような、正体のない焦りが、後悔が、苦さが、なぜかこの思い出にはある。

 こんなふうに記憶のあぶくはいつだって急に意識の底から浮かんできてははじけて、ふんわりとした匂いをその場に残して消えていく。お風呂でするオナラみたいに。

 そういえばその日の給食にはプリンが出たんだった。じゃんけんに勝って、試験管割ったくせにと悪気なくチクリと刺されながらも二つ食べたからよく覚えている。あの蓋は開けるとき、ビビーッと独特な音がする。電車のドアが開く。今日はプリンを買ってきて早く眠ろう。そう思った。

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