姉との記憶
2014年9月5日修正。
基本ストーリーは変わっていません。描写と誤字脱字の修正です。
蒼い空と碧い海と青い草原。
吹き渡る風と潮の香りと葉擦れのざわめき。
轟音を立てるのは、遥か頭上――蒼い空を切り裂くように横切っていく二筋の白い雲。時折その銀翼が陽射しにきらりと輝く。
生まれ育った島の記憶。
本当は姉が好きだった場所の記憶。
忘れようとしても忘れられない記憶。
「わたし、いつかあれに乗るんだ」
全く脈絡も無く放たれた姉の一言。すらりと背が高く、長い黒髪を風にたなびかせながら近所でも評判のはずの美人さんが、茶色の澄んだ瞳を輝かせて子供のように屈託無く笑う。彼にとっては見慣れた光景。
「あれって?」
「空を舞う魔法の翼」
あれに乗る?確かに姉はそう言ったはずだ。
思わず空を見上げた。既に銀翼は目に見える範囲からは遠く離れていて、白い航跡だけが残されていた。
それほどに速いもの……。
あれは簡単に乗ることが出来るものではない。
あれは自由の証明。
あれは魔法使いにのみ許された翼。
子供でも分かる。いくら呑気が服を着ているような姉とはいえ、それが分からないはずは無いと幼い彼でも思っていた。
そんな酷評をされているとは知らない姉は、草原で舞うように軽いステップを踏み、黒髪に風をはらませ、淡い水色のスカートを翻しながら嬉しそうに語った。
「もう決めたんだ」
「ふうん」
適当な相槌。
姉は時々意味も無くステップを踏む。何かの踊りかと聞いたことがあったが本当に意味は無かった。ただ、心の赴くままに爪先を弾くのが好きだと彼女は言った。
そんな姉を見ていると、そのままどこかに飛び去ってしまいそうな感じがした。背中に真っ白な翼を生やして、彼や母親や、この島にいる友人知人の声の届かないどこか遠くへあっさりと行ってしまいそうな気がして、ステップを踏む姉を見る度にいつも何故か胸に痛みを感じていた。
「信じてないでしょ?」
「んなこと分かんないじゃん」
悪戯っぽい笑みを浮かべる姉の問いかけ。心に浮かんだ奇妙な感触をごまかすために、彼はそっぽを向いた。
そんな弟を、姉が笑顔で見守っていたことにも気付かず。
「でもさ……」
「ん?」
「なんで飛ぼうなんて思ったの?」
そう。空は危険に満ちている。
お伽噺の世界では人は空を自由に飛ぶ。
だが、幼い彼にだって分かるくらいに、今の空は人に厳しい世界だ。
「鳥人や龍だっているんでしょ。怖くないの?」
男のくせに弱気なことを言ってるんじゃない、と罵られるかもしれないと思ったのは、問いかけた後だった。そんな自分が恥ずかしくて、まともに姉の顔が見られなかった。
「すごいね、レクスは」
思いがけない肯定。驚きのあまり、指ひとつ動かせなかった彼。
「よく勉強しているね。そうだね。この国はまわりの人じゃない種族と戦争しているよね」
このときの彼には分からなかったが、その戦争こそが自分達の属する国家の国是と言って遜色なかった。それほど多くの戦いをしていたし、他の国の人もそれを願っていた。そういう話は、大人達の会話から垣間見えた。
「姉ちゃんは他人の話を聞いていないんだよ」
思わず口を突いて出た言葉。
いつもなら怒る姉はこの時は違った。あははと笑う。何がそんなに嬉しいのか、彼には分からなかった。
ただ、姉の感情がおかしいではなく、嬉しいなのだということだけは理解していた。
「確かにお姉ちゃんはひとの話、聞かない。だからドラゴンやバード、ワイルズの人達が怖いというよりも気になるんだ」
「気になる?」
相変わらず何を言っているのか分からない姉である。思わず、姉の横顔を覗き込んでいた彼。
失敗した。
「だって、どんなひと達か知るのって楽しみじゃない?」
晴ればれとした笑顔で、澄み切ったあおい不思議の世界を望む姉は、誰よりも美しいと思ってしまっていたから……。