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あやし奇譚  作者: 鶴田巡
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伍.彼岸に落ちる

人の気配が一瞬で消えた。

 そして残されたのは、闇夜と白昼、此岸と彼岸の狭間の不安定な世界。

 この世でもなく、あの世でもない。

 そこは此岸と彼岸を繋ぐ場所。

 時折現れてはすぐに消えてしまう、双方への出入口。そんな場所を「逢魔ヶ時」と呼ぶ。

 逢魔ヶ時はいろいろな場所の狭間に現れる。それは大抵、すぐに消えてしまうが、こうして人間を巻き込むことが希にある。巻き込まれた人間はうまくすればそこから出られるが、そのまま、彼岸に連れて行かれることもあった。

 此岸は此岸側から入り込んだモノにとって近く、彼岸は彼岸側から入ったモノにとって近い出入り口となる。だが、ひとつ間違えばどちら側へも行けなくなり、逢魔ヶ時の中をずっと彷徨うこともある。昔から神隠しと呼ばれる現象は、逢魔ヶ時に迷い込んだ人がそのまま帰れなくなってしまったことを指した。

 神社は此岸と彼岸を隔てる言わば「境界」だ。夕方や、明け方と言った時間帯は逢魔ヶ時に繋がることが多い。しかし、こうして人を巻き込むことは本当に希だった。麻紀は体質と言うか、気質が彼岸と繋がり易いから、こうして逢魔ヶ時に迷い込むことは珍しくない。だが、迷い込んだとしても出口は分かっているので、彼岸に行ってしまうことはなかった。

 だが、今回は一人ではない。

(俺の傍に居たせいか……?)

 麻紀は、ちらりと隣に座った由良をのぞき見た。

 状況は理解していないようだけれど、この場所が異様であることを感じ取っている様子だった。引き寄せた体が少し震えている。

「……変です、何の音も聞こえない。さっきまであんなにざわついていたのに」

 由良は麻紀の視線に気づいたのか、こちらに顔を向けるとこわばった表情のままそう言った。

「大丈夫、すぐに帰れるから心配しないで」

 麻紀は由良に落ち着いた口調で語りかけた。

「帰れるって……ここは磯崎神社でしょう? 帰るも何も」

 ひどく混乱しているのか、忙しなく視線を動かして辺りの様子を確認している。そうだ、普通の子からすれば、ここは先ほどまで居た『磯崎神社』の境内なのだ。自分のような気質がなければ、全く縁遠い世界に連れ込んでしまった。偶然とはいえ、とんでもないことに巻き込んでしまったことをひどく申し訳ないと思った。

 一体、この状況をどうやって説明すればいいと言うのだ。

「うん、磯崎神社ではあるんだけど、ここは少しさっきまでいた場所とは違うところで」

 上手く説明できなくとも、なんとか落ち着かせようと試みたその時、由良の視線が一点に釘付けのなっていることに気づいた。

 吸い寄せられるように麻紀も由良の視線の先に目を転じた。

 あれは急須だ。

 良く見る朱茶色の急須。

 だけど、横っ腹が欠けてしまっていて、急須として役目は果たさない。

 それがころんと掃き捨てられて転がっていただけなら、由良の目を引くことはなかっただろう。

 青白い質感のそれと、古ぼけて欠けたそれ。

 月の銀色の光に照らされて、それは一層生々しくするりと伸びてぺたぺたと冷たい地面をゆっくりと這っていた。

 それが急須からにょきと双つ生えていた。生白く骨張った一対それは明らかに人間の腕だ。ふたつの腕は器用に掌で全体を支えながら、ぺたっぺたっ…とゆっくりとした動きで移動している。

(付喪か……)

 付喪とは、長く生きた道具や生き物がウツロモノに転じる手前の状態のモノを総称しているとされる。此岸で生きたモノが長い年月生かされると、それが「付喪」と呼ばれるモノに変わり、やがてはウツロモノになるのだと言う。そして、逢魔ヶ時に群れをなして彼岸へと練り歩いて行く……それは百鬼夜行と呼ばれていた。

 急須の付喪は、こちらの眼差しに気づいたかのように急に移動を止めた。そして、目などついているはずもないのに、視線を向けて来たように思えた。それは悪寒すら感じさせ、鋭く冷たい矢のように、二人を射る。

 ぶるりと由良の身体が震え、咄嗟にこちらにしがみついて顔を背けた。麻紀はその由良の背中に腕を回し、引き寄せる。

 麻紀は急須の付喪を見つめ返した。付喪は時折、人間を見ると悪戯めいたことを仕掛けて来て、脅かしてからかったりすることがある。だが、所詮は逢魔ヶ時に闊歩するような中途半端な存在だ。何かを仕掛けて来たり、ましてや襲いかかるほどのチカラを持つモノではない。

 麻紀と付喪はしばらくお互いに拮抗状態を続けた。付喪が去るまで、視線を外すことはできない。何もしないと言っても、何をするかは分からないからだ。

 先に動いたのは急須の方だった。何かを察したように、素早い動きで地面を蹴ってその場から姿を消した。

 しかし、ほっとしたのもつかの間だ。

 ゆらり、と、木立の影で何かが動いた。

 今のは付喪などではない。

 瞬時に麻紀は勘づいた。

 木立で揺れたモノは、風の中に影を溶かすようにしてすうっと社の方へと移動していく。麻紀は目でそれを追う。影は消えては現れ、現れては消え……と繰り返し、まるでこちらへ来いと誘っているようだった。

「……由良ちゃん」

 麻紀の懐に顔を埋めたまま、少し震えている由良の名前をゆっくりと呼んだ。

 由良はその声に、そっと顔を上げた。

「さっきの変なのはもう居ないから、大丈夫だよ」

 その言葉を確かめるように、由良は少し顔を横に向けて、先ほどまで付喪がいた場所に目を向けた。そして、何もないことにほっとしたような表情を浮かべて、麻紀から体を少し離した。

「あれは……何ですか?」

 ほっとするのも束の間という様子で、由良は麻紀を見上げて問い掛けた。

 うやむやにするのは簡単だ。だが、きっとこの子はそれを信じないだろう。だからと言って、本当の話などしてももっと信じては貰えないだろうけれど。

「少し、少しだけ、ここで待っていてくれない?」

 麻紀が腰を上げようとすると、由良はその体に勢いよく縋った。

「ひ……ひとりにしないでください!」

 由良の言いたいことは百も承知だ。こんな訳の分からないところに置いていかれるかもしれないなんて、怖くてたまらないだろう。

 麻紀は縋る由良の両腕を掴むと、静かにゆっくりと引きはがした。

「大丈夫。絶対ひとりにはしない。戻ってくるから、ここから動かないで」

「でもっ……怖い……」

「約束するよ。君をひとりにはしない」

 麻紀はそう言って、自分の左手首に掛かっていたブレスレットを外して、代わりに由良の右腕にはめた。

「それを君に預ける。それは俺の命と同じだから。俺は俺の命と、君の命を放り出したりはしない。それはその約束の証だ」

 そう言うと由良は浮かせた腰を再び縁台に落とし、右手のブレスレットをぎゅっと握った。

「ここから動いちゃダメだよ」

 麻紀は再度由良に念を押すと、由良は無言で頷いた。

 それを確認して、麻紀は足早に社の方に向かった。先ほどの影は間違いなく自分を誘っていると確信していたから。

 ただ、その影がアヤカシで、万が一にも襲いかかって来られても、今の麻紀には戦う術はない。しかし、襲ってくるか、来ないかは、行ってみないと分からないことだ。

 ひとつ言えるのは、あの影は麻紀に何かを伝えたがっていると言うことだけだ。

 社の裏手は低い樹木が立ち並んだ林のようになっていた。影は林の中を奥へと進んで行く。麻紀もそれについて行った。やがて、少し開けた場所に出て、影を見失う。辺りを見回していると足下を先ほどの急須の付喪がさっと横切った。

「あんた、イツバの人間だね」

 足下の付喪に気を取られていると、急にそんな声が聞こえて来た。

「さすがは御巫神の犬だね、よく鼻が利くこと」

 くすくすと笑い声がすぐ側で聞こえた。麻紀は咄嗟に身を翻して距離を取る。先ほどまで自分が立っていた場所に何かが悠然とゆらめいていた。

 顔は見えない。だが、月明かりに溶けるような白銀の長い髪と、着物の裾に描かれた鮮やかな絵柄が、風にはためく。そのたびに影絵のように、ちらりとその姿を映し出した。

「……手を引いてくれないか?」

 麻紀の言葉に影は小首を傾げた。そして少し間をおいて、また、くすくすと笑い声が響いた。

「駄目だね。アレはアタシのモノよ」

 予想通りの答えが返って来て、月の光に作られたその曖昧な輪郭をぐっと睨んだ。交渉があっという間の決裂したことに、麻紀は苛立ちを隠せない。

「ふふ、随分怖い顔をするのね。そんなにあの娘に入れ込んでいるのかしら? そんなに渡したくないのなら、今ここでやりあったでいいのよ」

 影は全部見透かしたように言った。

 そうだ。出来るものなら、この場を借りて影と……アヤカシと対決したって構わない。そうすれば、あの娘ことを、もう何も心配などせずに済むようになるのだ。心から笑って、別れることが出来る。

 だが、しかし。この手にアヤカシと戦う術がない。

 アヤカシを倒す為には、自分の力と、そして妖刀覇王がなければ成し遂げることは出来ない。

 まさかこんなことになるとは予想もしていなかったし、人混みの中であれを持ち歩くのは憚られる。全長が一メートルほどの刀を、例え刀袋に入れて持ち歩いたとしても、祭など人がたくさん出入りするような場所では目立ち過ぎてしまう。それどころか、要らない騒ぎを起こして、周囲を混乱させるだけだ。人々の楽しい時間を無碍にする資格など、個人にはありはしない。

「あら、ごめんなさいね。そんななりじゃ無理よねぇ……」

 アヤカシは分かっていてそうして挑発している。その挑発に乗ってはいけないと分かっていても、麻紀の心は強く揺さぶられた。ざわざわと心が激しく波立つ。握った拳をさらに強く握ることでしか、自制を保つしかできない。それが尚更悔しかった。

 麻紀は一度、深く息を吸って、そして再び言った。

「手を引いてくれ」

 その言葉に、月明かりの逆光で表情など見えないはずなのに、アヤカシの顔が引き攣ったように見えた。

「五月蠅い犬だね! 何度も言わせるな、あれはアタシの獲物だ!」

「何故そこまで、あの子にこだわる?」

「それはこっちの台詞だ。アヤカシに憑かれたヒトなど、あの娘だけではないだろうに!」

「憑かれた人を放っておくことが出来ないからだ。自分の目の前に現れて、その人に身の危険が迫っているのに、見て見ぬ振りができるかっ」

 ひとしきり、互いに応酬し合うと、束の間の沈黙が流れた。

「……なら、守ってみせなよ。アタシは必ず奪うよ。あの娘の中に眠る白磁の欠片をね」

「ハクジの欠片?」

 目の前のアヤカシは不思議な言葉を吐いた。一体、何の話だ。目の前のアヤカシは、彼女の命を奪おうとしているのではないのか?

 もしかして、命を狙っているだけじゃない?

 アヤカシの言ったことを頭の中で考えているうちに、アヤカシは身を翻した。

 消える……!

「待て! ハクジとは何だ? 彼女の命が欲しいだけじゃないのか?」

 麻紀は月の光の中へ消えて行くアヤカシの、美しい模様の入った長い裾を掴もうと一歩走り出した。

 だが、掴んだと思った手の中には何もなかった。アヤカシは音もなく光の中へ消え失ていた。

「くそっ!!」

 訳が分からなくなって来た。先ほどの物言い、明らかに彼女の、由良の命を狙っているだけではないようだ。

 ハクジ……聞いたことのない言葉だった。しかも、その欠片と言った。欠片と言うことは、複数存在していて、あのアヤカシはその欠片を蒐集しているのか?

 それを蒐集することで、アヤカシは何らかの利益を与えるのだろうか?

 分からないことづくめになって来た。今回、偶然遭遇したことは、そう単純なことではないようだ。麻紀はそれだけは理解できた。

「八重樫さん……」

 消え入りそうな声が耳に届いて、麻紀は後ろを振り返った。

「!!」

 よろよろとしながら由良がこちらに向かって歩いて来るのが見えて、麻紀は急いで踵を返した。走り寄って由良の腕を掴む。

「動かないでって言ったのに」

 とがめるつもりはなかったけれど、思わずその言葉を口にしてしまっていた。由良は申し訳なさそうに頭を垂れる。

「一人じゃ……とても怖くて」

 麻紀は一度大きく息を吸い込んだ。そうだ、こんな訳の分からない場所に一人きりで放置されたら、誰だって怖いだろう。それがこんな女の子なら、尚更だ。先ほど責めるようなことを言った自分の方が反省しなければいけない。

「そう、だよね。一人にしてごめん。怖かったよね」

 由良はゆっくりと顔を上げて、一度麻紀の顔をまじまじと見つめ、そして何も言わずに首を振った。由良のその目が少しだけ潤んでいて、今にも泣き出しそうだった。

「帰ろう」

 麻紀はしっかりと由良の手を握ると、逢魔ヶ時を抜ける為の出口に向かった。

 出口は鳥居のある場所。鳥居の向こうが仄明るいところが逢魔ヶ時の出口だ。

 二人がゆっくりと神社の鳥居を潜ると、それに合わせるように徐々に周囲の音が耳に戻って来る。そして、いつの間にか、二人は磯崎神社の祭り会場に戻って来ていた。

「戻って来られたね」

 麻紀が言うと由良は本当にびっくりしたような顔をして周りを見回していた。

そして、足下にはいつの間にか左京が近づいて来ていた。

「ごめんな、左京。向こうに行ってたんだ。心配掛けたね」

 その言葉が分かるように、くうんと鳴く左京は体を何度も麻紀にすり寄せて来たので、その頭を優しく撫でてやった。

「八重樫さん」

 由良の声に麻紀は顔を上げた。その声に麻紀は由良が一体何を言いたいのか、すぐに分かった。

「きちんと説明しなければいけないね。例え、君が俺の言うことを信じなかったとしても、そのことを話さなきゃならない義務がある」

「……信じられるか、受け入れられるか分からないけど、さっき起きたことは確かに私自身に起こった出来事です」

 由良は麻紀の目を真っ直ぐ見つめて言った。その真摯な態度や、素直な言動に、麻紀は少しばかりホッとした。

 百人の人間が、実際に起きた出来事でも受け入れられるかと言えば、そうでない。完全に否定する人だっている、半信半疑な人だっている。その中で由良は、起きたことをどうにか自分で整理してみようと言う姿勢が見えていた。

「ありがとう。でも、今日はやめておこう。俺も君に説明するのに、少しだけ整理しておかなきゃいけないことがあるんだ」

 そう。先ほどのアヤカシが言っていた「ハクジの欠片」とは何か。全てを解くことは出来ないかもしれないが、少しでも理解しておきたい部分ではある。それじゃなければ、由良に分かって貰うことなんて出来るはずもないだろう。

「三日後に、もう一度会うことは出来る?」

「……三日後は磯崎神社のお祭りの最終日で、朝一番にお手伝いを頼まれているんです。だから、その後少しなら大丈夫です」

「じゃあ、それが終わる頃、ここで待ち合わせしようか」

「はい」

 三日間、彼女から離れなければならないのは少しばかり気がかりだが、それは仕方がない。ずっと彼女の側に張りついていることは到底無理な話だ。

「もし、何か困った事があったら、ここに連絡して」

 麻紀は財布に入っているメモ紙に自分の携帯の番号と、それから今お世話になっている所の住所を書いて渡した。

 そして彼女を家の近くまで送った。

 家の明かりに吸い込まれる由良の後ろ姿を確認して、麻紀も急いで宿泊しているところに戻った。

 あまり時間はないが、やれるだけのことはやってみよう。

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