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002

 月曜日の昼。残念な事に、今日は生憎の雨だ。

 湿気をたっぷり含んだ雨天独特の薫りは、森と土の香りを纏って幻想世界を想起させる。

 まあ彼女との約束の日ではないから、雨でもよしとしようか。

 今日は中央都市にちょっとした用事がある。

 まずは食料を買出しに行かなければならない。それと、新しいドールの材料となる粘土やアクセサリー用の金属なども買わねばならない。

 手早く身支度を整えると、屋敷内を回り大切な家族に挨拶をしていった。

 そしてそのまま外へ出て、厩舎へと向かう。

 クラウスに馬専用のレインコートを着せ、深い森の香りに包まれながら並木道を横目に、雨音の弾ける中央都市を目指した。

 空は灰一色に染まっている。

 中央都市へ向かう途中、ラフェドレーヴが目に付いた。

 雨だというのに馬車が何台か停まっており、数人の客が店内で花を選んでいた。

 彼女は今、お客に花束を作っているようだ。

「忙しそうだな」


 彼女との約束の日は明日だ。明日になればまた会える。逸る気持ちを抑え私は先を急いだ。

 やがて中央都市へ入ると、その様相は一気に賑わいを見せる。やはり雨でもここの人間には関係ないようだ。馬車が行き交い、たくさんの人々が傘を差して往来している。

 街一番の大型店で、手早く食料の買い物を済ませた私は、今日の目的の場所へと向かっていた。


「さて、次はドールの材料か」

 今日はいろいろ忙しい。

 これから向かうドール関連の専門店は中央都市の西側に位置していて、なんと三百年近い歴史がある老舗だ。自分ではなかなか出すことが出来ないドールアイの色彩なども、要望を出せば限りなくそれに近い形で製作してくれる。

 私の初期の作品のドールアイには、大半がその店で依頼したグラスアイが使われている。

ドールアイだけではなく、体の各パーツからその素材や髪、マリオネットを動かす際に使用するコントローラーと糸。衣装用の布やアクセサリー、各種金属なども揃っている。

 最近は衣装以外のほぼ全てを自分で作っているため、金属や粘土くらいしか買わなくなったが。私が人形を作るようになってからずっと世話になっている店だ。

 中央都市をしばらく西に進むと、やがて専門店の看板が見えてきた。

『オールドリーフ』

 数十分かけやっと着いた。ここに来るのも久しぶりだな。

 古いレンガ造りでさほど大きくはないが、人形を扱っていると一目で思わせる、ウインドウ越しに飾られた数々のアンティークドール。完成度は軒並み高く、配置の仕方やポージングから店主のセンスの良さを覗わせる。

 店の前で馬車を停め、降車し扉の前へ。そしてゆっくりと開き戸を押し開けた。

 店内へ足を踏み入れると、まるで外とは違う雰囲気。

 例えるならそう、不思議の国にでも迷い込んだかのような錯覚すら覚える。

 古めかしい調度品が所狭しと並べられており、頭と大きな字で書かれたパネルの下の棚には、ドールの頭が。他に胸、腕、手、腰、脚、足とそれぞれのパーツに分けられ、更に性別分けされた状態で陳列されていた。

 来客に気付いたのか、奥のカウンターから人影がこちらへと近付いてくる。


「あ、いらっしゃいませ! クリストファーさん」

 と暗がりから姿を現し、元気な声で接客するのは十代の青年。

 赤毛とそばかすが特徴的なアルフレッドは、溌剌とした笑顔で挨拶をした。

 どうやら今日は孫が店番らしい。


「あれ、今日はじいさんどうしたんだ、アル」

 あのおよそ人形師とは思えない風貌の厳ついオーナーが、店を休むなんてそうない事だ。

 それを青年に訊ねると、


「おじいちゃんは今、上で寝てますよ」

 どうにも体調が優れないらしくて、とアルは続けた。


「そうか……。まあ、年だからな」

 呟くと、アルは「間違いないですね」と苦笑を浮かべて頷く。

 いつもの品を受け取りに来たという旨を伝えると、


「あ、少々お待ちください」

 と、青年はカウンター奥へと戻り何かを取りにいく。

 そうして持ってきたのは、宝箱みたいな形をした六十センチほどの木箱だった。


「あれ、いつもと違うみたいだが、これは……?」

「開けてみてください」

 アルに促され、私は器用に掘り込まれた唐草模様の箱の蓋を開けた。

 入っていたのはまず粘土。これはビスクドールを作る時に必要だ。ここの粘土は上質で、焼いた時にひび割れしにくく、色を乗せた時の発色も良い。

 そして金、銀、銅、真鍮。これはドールたちが身につけるアクセサリー用の金属だ。もちろん金は高価なため、殆ど注文はしないのだが。ストックが無くなってきたので買っておこうと思っていた。

 それと特注で作ってもらった、マリオネットの銀のコントローラー三つ。

 ――ん。あと、ドールアイ? にしては大型だ。人のそれほどもあるが。


「これは……」

 双眼の内の一つを手にとって、アルに訊ねた。

 注文した覚えのないものだ、間違って入れたのだろうか。だとしたら返さなくてはならない。

 けれどアルは温和な顔つきでこちらを見返すと、


「このドールアイは、祖父の最高傑作だそうですよ。あいつに渡してくれ、と言われたので……。ぜひ、貰ってあげてください」

 と、笑顔を浮かべながら答えた。堅物のジャックとは大違いだ。

 しかし、オールドリーフオーナーの最高傑作のドールアイか。

 手にした人口眼球をまじまじと見つめる。

 それは人形のものとは思えないほどの彩光を発し、磨き上げられたサファイアのように美しい瞳をしていた。人間のそれと比べてもまるで遜色がないくらいの精妙さ。

 ありがたく使わせて頂こう。


「アル、ありがとうとじいさんに伝えてくれ。それと、また来るから息災でな、と」

 青年に代金を支払い、ジャックによろしく言って店を後にする。

 外に出てみると、先ほどよりも雨の勢いは弱まり、小雨となっていた。


「さて、そろそろ帰るか」

 しかし雨は時折止んだり、また激しく降ったりと、ころころと天候を変える。

 けれどしばらくして、ヴァン=クライクを抜ける頃には、雲に晴れ間が覗いていた。

 南の空には天使の梯子が下り、うっすらと虹が架かっている。

 気付くともうすぐラフェドレーヴだ。

 どうしようか、明日会えるのだが……。


「――そうだ! 部屋に飾る花を買いに来た、と会いに行けば良いのではないか?」

 これは名案だ! 理由があるのだから、まったく不自然ではないだろう。

 私は、やはり逸る気持ちを抑えることが出来ず、結局彼女に会いに行くことにした。

 ほどなく、店の前に人が立っているのが見えた。確認できる位置まで来て、ようやくその人が誰だか分かった。セリーヌだ。どうやら空を眺めているようだった。

 馬車が近付き停車すると、彼女は気付きこちらへと駆け寄ってくる。


「クリストファーさん、どうしたんですか?」

 少し驚いた様子のセリーヌ。


「いや、明日君が来るから、飾り気のない屋敷に少しでも華を持たせるための花でも飾ろうかと思ってね」

 かなり棒読みになってしまったが、違和感は感じてはいないと思う。

 けど実際、屋敷にはオシャレな置物もなければ、絵画や彫刻といった美術品もない。

 花なんてのも、もちろん飾ったことはない。居るのは大量のドールたちくらいだ。


「あっ! でも勘違いしないでもらいたいのだが、決して君に会いたくなって会いに来たわけでは……。明日会えるんだし、その、えと……あの……」

 苦し紛れな私の言い訳を見抜いているかのように、彼女はくすくすと笑っている。

 気恥ずかしくなり、私は無理やり話題を変えることにした。


「……。ところで君は、空を見るのが好きなのか?」

「え? あ、はい! 空っていろんな表情を見せてくれるんです。毎日違う空。同じような空でも、色彩が微妙に違ったりして。見ていて飽きないですね」

 言いながらセリーヌは空を見上げた。


「なるほど。私も空はよく眺めるんだ。屋敷の近くに良い場所がある。明日案内してあげよう。きっと君も気に入ると思う」

 こちらへ視線を戻した彼女は笑顔で頷いた。

 本当に好きなんだな、空が。

 幸せそうな彼女の顔に、私もつられて頬が緩む。しかしそれもほんの一瞬。私はふと思い出す。

 忘れるところだった。そう言えば、花を買いに来たんだったな。

 当初の目的を忘れかけながらもそれに気付き、話題を元に戻した。

 ――まあ、実際それは口実なのだが。


「ところでなにかオススメの花はあるかい? もしくは、君の好きな花でもいいんだが」

「好きな花、ですか……。あ、じゃああれなんかどうですか?」

 そう言ってセリーヌは店内へと走った。そうして奥に見える、階段近くのプランター棚から鉢を一つ手に取ると、足早に戻ってくる。

 少しでも走る距離が縮むよう私も彼女へ歩み寄る。

 店内で相対すると、その手に持つ鉢に植えられた植物が目についた。

 小ぶりな鉢に植えられていたのは、薄紫色の稲穂のような形をした植物だった。

 私にはあまり植物の知識はない。見たことのない植物を疑問に思い、彼女に訊ねた。


「これは?」

「ラベンダーです」

 ラベンダーと呼ばれたその鉢植えは、まだつぼみの状態だった。この花からだろう、微かに香る甘い独特な芳香が漂ってくる。


「なかなかいい香りだね」

「花が咲くともっと香りがたちますよ。すごく可愛い花なんです。リラックス効果もありますし、あとひと月もしない内に咲きますから、どうですか?」

「そうか、それは楽しみだな。でも、これは売り物じゃないみたいだけど?」

 商品として並んでいるオシャレな鉢に比べ、目の前にある鉢はいたってシンプルな普通の鉢。飾り気もない上に、ラベンダー自体も小振りだった。


「これはわたしが個人的に育てていたものです。いつかラベンダーの花畑をどこかに作りたいな~、なんて夢見てるんですよ」

 土地なんてないですけど、と彼女は続けてはにかんだ。

 少し照れながらも自分の夢について語ってくれた。その笑顔はとても輝いていて、すごく綺麗だと思った。


「いいのかい?」

 言ってみれば、この鉢は彼女の夢の欠片だ。そんな大切なものを私が受け取っても良いのだろうか。少し申し訳なく思いセリーヌに訊ねた。


「まだ上に二鉢あるので大丈夫ですよ」

 そう言って清々しい顔をして鉢を差し出す彼女。

 力になれるかもしれない。ほんの少しだけ、夢の手伝いが出来るかも……。

 少し思量した後、私は頷きを返して鉢を受け取った。


「ありがとう。大切にするよ」

 礼を言った直後、客の来店を知らせるベルが、チリンと小さく音をたてた。新しい客が店内へと入ってきたのだ。

「いらっしゃいませ!」とよく通る明るい声を上げ、セリーヌは応対に行き客からの注文を承る。そして花束の準備をし始めた。


 忙しそうだな。

 一言彼女に声を掛け、私はそのまま外へ出た。雨はもうすっかりと上がり、心地いい風が吹いている。たっぷりと湿気を含んだ独特な匂いが肺を満たす。

 ふとヴァン=クライクの方を見てみると、また一台の馬車がこちらへと向かってくるのが見えた。今回はかなりの大型だ。納品だろうか。

 店の中に視線を戻すと、忙しなくせっせと動き回るセリーヌの姿があった。


「これから忙しくなりそうだ」

 向こうからまた一台とやってくる馬車を見て、私はそう呟いた。

 そろそろ帰ろう。そう思い、店内に向かって手を上げると、それに気付いた彼女は軽く会釈を返す。馬車に乗り込み、貰い受けたラベンダーの鉢を大事に膝の上に置き、私は帰路に就いた――。



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