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 降誕祭を二人で祝い、ついでに彼女の誕生日を祝った。

 ぜんぜん気にもしていなかったが、セリーヌのバースデーが降誕祭その当日だったのだ。

「抜けてるね」と彼女に笑われたが、これからは忘れない。毎年、その日を二人で祝うことが出来るんだ。

 嬉しさが余韻を引きながら、そして、間もなく年が明けた。


 ……だが、危惧していることがある。

 あれから彼女の容態は回復するどころか、徐々に悪い方向へと向かっていっている気がするのだ。

 病室で会話している時、よく咳をするようになった。それに血が混じることもたまにある。熱を出して寝込むことも、鼻血を出したりすることすらあった。

 面会時間は大幅に削られ、二人の時間は必然的に少なくなっていた。

 そんなある日のことだった。「話がしたい」と担当医に呼ばれ、私は個室で話を聞くことになったのだ。内容は彼女の病のことだった。

 セリーヌが私に話すことを頑なに拒んでいた真実だ。それを彼女が医師や看護婦たちにも釘を刺すように口止めしていたらしいことを、その時初めて聞かされた。

 沈痛な面持ちの医師は固い口を開いた。私はその内容に驚愕する。

 聞けば彼女の病は「白血病」と言うらしい。近年に見つかったばかりの珍しい奇病だそうだ。なんでも血液が白くなる病で、未だ治療法が確立されていないらしい。

 目の前が真っ白になった。本当にそんなことが現実なのか……。悪い夢なら覚めてほしい。けれど続けられた言葉に、私はふと我に返る。


「セリーヌさんを、特別病棟に移します」

 何度も耳に木霊する言葉。その音が、私に希望を抱かせることはない。

 いや、私だけじゃない……セリーヌも…………。


 医者から事実を聞いたこと、それは彼女には黙っていて欲しいと願われた。そのことを知った上で、今まで通りに接して欲しいと。

 今度は私がセリーヌに対して嘘をつくのか、初めはそんな罪悪感で一杯だった。

 けれど、私に心配をかけないように、仕事に集中出来るようにと彼女はずっとそれを押し通してきたんだ。その辛さが、今なら解る。嘘をつき続けることの痛みは、そうなってみないと決して解らなかっただろう。それでも彼女は嘘をつき続けた。あの笑顔の裏で、どれだけの葛藤や痛み、苦しみや悲しみに絶え続けてきたのか。それに比べれば、私の感情なんてものは瑣末なものに過ぎない。

 人形作り、演技の練習、人形の手入れ、そして彼女の見舞い……。

 もはや日課のようになったそれらを、当然の如く幾度も繰り返した。

 セリーヌと一緒に外へ出ることは、もうなくなった……。



   ◇



 冬を越え、春を楽しみ、夏を感じて、秋を祝う。

 そうしてまた、寒い冬がやってきた――。

 一年。この一年で、私はなにか変わっただろうか。

 彼女についた初めての嘘、をつき続けることに対しての痛みは、はっきりと自覚できるほどに薄れてきている。それは感じている。罪悪感を感じていたあの頃と違い、今では普通に接することが出来るようになった。

 けれど代わりと言ってはなんだが、セリーヌへの思いは日を増すごとに強くなる。離れたくない、消えてほしくない。

 特別病棟へと移された意味。それは私のみならず、セリーヌも理解しているはずだ。なのに彼女はあの日、笑っていた。自らの人生を達観した風にも見えるが、諦念ではないと思う。

 病棟を移されてからというもの、彼女たっての希望とあって、私は病室でも人形を操った。彼女が笑顔になるのなら、私はなんだって出来ただろう。

 その甲斐あってか、女王の聖誕祭を最後に、セリーヌが涙を見せることはなくなった。

 闘っているんだ、自身を蝕んでいく病と、そして挫けそうになる己の心と……。

 けれど、日を重ねるごとに、セリーヌの病状は悪化の一途を辿っていく。手の施し様のない病。

 その病体は、こちらが辛くなるほど目に見える変化を呈していた。


 ドールマスターを受勲してからというもの、私は今まで以上に忙しい日々を送っていた。

 特に最近は劇場への出入りが激しく、日に三本以上公演に出向くなど、ろくに休みも取れないでいたのだ。もちろんセリーヌを見舞うことは忘れていない。が、それは気持ちだけとなることが多くなった。

 実際、もう二週間以上も彼女の顔を見ていない。寂しくないようにと、グレンにも顔を見せてやってほしいという旨は伝えていた。仕事が忙しいにもかかわらず、彼もそんな無理を快く承諾してくれたんだ。

 久しぶりに取れた休みの日。

 この日私は、次の公演のための練習を屋敷で行っていた。場所は書斎兼工房だ。

 多くの人形たちに囲まれながら、操り糸に繋がれた老執事のドールを巧みに動かし、生きているかのような滑らかさで操っていく。豊かに蓄えた髭を触らせようと、コントロールし右腕を上げさせた瞬間……。

 ――――プツンッ。

 なんの前触れもなく、弾けるように腕とコントローラーとを繋げていた糸が切れた。だらんと力なく落ちる老執事の右腕は、ぶらぶらと揺れながら脱臼したように垂れ下がる。

 糸が老朽化したのか、とも思ったが、操り糸は最近新しい物に変えたばかりだ。そんなはずはない。

 なにやら言い知れぬ不安が胸を掠めた。だが万が一にも、そんなことはあってはならない。そう思えば思うほど、心の澱んだ暗い感情は沸々と沸き起こってくる。

 孤独への不安、別離への焦燥、喪失への恐怖。

 ――――ソノ知ラセハ、突然ヤッテキタ――――

 呼び起こされる負の感情を払拭するように、私は思いっきり頭を振った。こんなことを考えては駄目だ。

 すると突然、――――ガンガンガンッ――――と、まるで私の思考を計ったように玄関のノッカーが鳴らされた。嫌な予感がした。それは音が、心なしか乱暴に聞こえたからだ。急ぐような、焦るような。いま出て行って、訃報だったらどうしよう。と私の思考がとうとう正位置に戻ることはなかった。

 軒先に立っているであろう人物は、待ちきれないのかついに声を上げた。


「クリストファーさん! 早く出てくださいっ!」

 声の主を聞いて、私の思考は硬直した。脳を冷たい手で触れられているような、徐々に冷えてくる感覚を覚える。

 震える足は、けれど着実に一歩、また一歩と玄関へ向かい進んでいく。

 ようやく辿り着いた鉄の扉は、いつもより重々しく感じられた。凍えるようにガタガタと震う手を伸ばし、私はその扉の取っ手を掴んだ。そしてゆっくりと開けた――。

 目の前には、切迫した様子で息を切らせるグレンの姿があった。見ればその目は涙で濡れていた、頬にはそれが乾いた痕がある。

 私はその半泣きの表情を見て、自ずとなにかを悟った。見開いた目に合わせるように、グレンがそっと右手を差し出してくる。視線を落とせば一通の手紙。私はそれを奪うような勢いで強引に受け取ると、ナイフも使わず手で封を破いた。

 切れ端を乱暴に投げ捨て、中の書面に目を通す。力の入れすぎでクシャクシャになった紙面にはセリーヌの病態について書かれていた。


「……セリーヌが……危篤……」

 全身から力が抜けた。目の前がチカチカする。思考が上手く働かず、脳髄まで氷漬けされたようにひどく頭が痛い。口にしたくもない事実を口にして、知らずの内に目に涙が浮かんでくる。不幸なことに、不安は気のせいではなかったのだ。

 ギギギ、と壊れかけの自動人形のようなぎこちない動きでグレンへと顔を戻すと、彼はぼろぼろと涙を流していた。


「早く……早く、行ってあげてください!」

 まるで叱るように、怒るように、グレンは震える声を振り絞り私を叱咤する。

 声に促されるまま、私は手紙を投げ捨て弾かれるように、書斎へと駆けた。背中の方で驚いた声が聞こえたが、これだけは、持っていかなくてはならない。

 グッと涙を堪え、人形たちの見守る廊下を疾走する。流れていく彼らの顔は、薄ぼんやりとした視界の中、悲しげに歪んでいるかに見えた。

 やがて到着した書斎の扉を、蹴破るかのごとく勢いで開けると、私は作業机の二段目の引き出しを開けた。そして中から大きさの違う指輪を二つ取り出す。

 二人のためだけの指輪……。特別な意味を含んだ、未来を約束するための大切な誓約の証――――。

 椅子に掛けておいたコートを掴んで羽織ると、そのポケットの中へ指輪を収めた。

 玄関へと走り、「行くよ」そう一言だけ告げて、泣きじゃくるグレンとすれ違う。厩舎へ急ぐと私はクラウスの背に鞍を装着した。

 馬車なんて出していられない。そうしている時間すら惜しい。

 私は、焦っていた。危篤だと書面にて知らされた。見舞いにいけなかった間に、彼女の容態が急変したそうだ。調子が悪かったのは解っていたのに、長くはないことは、前もって知らされていたのに。

 なぜ、私は忙しくてもセリーヌに顔を見せに行こうとしなかったのか。そのことがとても悔やまれる。

 並木通りを颯爽と駆ける愛馬。クラウスも私の思いに同調しているかのように、その足はいつも以上に早く感じられた。

 自宅の門を出てからは一気に森を駆け抜ける。

 何年振りだろうか。直接馬に乗るのは。馬車を手に入れる前までは、馬に直接騎乗していたな。だからもう七年位になるのか。

 森を抜けて少しして、彼女の店が見えてきた。横切った店の扉には「CLOSED」の掛札がかけられている。

 セリーヌが入院してから、掛けておいて欲しいと彼女から頼まれて私が掛けたものだ。

 店主のいない花屋。花たちもさぞ寂しいことだろう。カーテンが掛かっており、中の様子を覗い知ることなど出来はしないが、あれから私も店には入っていない。だからもう既に花たちは萎れ、大半が枯れているだろう。

 セリーヌのいる病院は、ヴァンクライク中央病院。中央都市で最も大きい病院だ。

 医療設備が他より圧倒的に整っているためか、小都市や近隣の国々からも患者が大勢やってくる。だが医療設備が整っているからといって、全ての病を治せるわけでもなく――――。

 以前主治医から、もう長くはないと聞かされてから、私はセリーヌに何をしてやれるのか、何をすべきなのかをずっと考えていた。少しでもセリーヌが幸せを感じてくれるのなら、笑ってくれるのであれば……そう思い、私は決意したことがある。

 セリーヌ、私は君に、伝えなければならないことがあるんだ。

 間に合ってくれ……。



   ◇◇◇



 朧げな意識の向こう、誰かの声が聞こえた。

 ああ、この声は先生と看護婦さんだ。

 なにか話しているけれど、自分の呼吸音でよく聞こえない。でも緊迫した状況なのは肌で感じる。今にも裂けんばかりに、空気が張り詰めているから。

 沈みゆく意識の中、死期はすぐそこまで近づいていることを、わたしは自ずと悟った。

 鼻を突く異臭はわたしから発せられているものなのだろうか。だとしたら少し恥ずかしい。

 こんなわたしを、彼は愛でてくれるだろうか。好きだと言って、くれるだろうか。抱きしめて……くれるかな。

 空気を吸おうにも浅い呼吸しか出来ない。身体の節々が痛い。苦しい。

 ……もう、限界かもしれない。

 誰かに意識ごと持ち上げられるような浮遊感を、私は残された意思で強く堪える。

 糸を吐くような細い息を吐いた。ヒュー、という音が聞こえた。

 まだ、まだ逝くわけにはいかないの。彼に……彼の、顔を見たい。

 遠のいていく意識の中、わたしは彼の名を必死に叫んだ。声にならない声で、心の中で、これ以上ないくらいの思いを込めて……わたしは、叫んだ。



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