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翌週、十二月二十日。
セリーヌと約束していた、ヴァン=クライク女王生誕祭に二人で赴いた。
もしかしたら行けないのではないか、と危惧していたが、何のこともなく外出の許しが出た。もしかすると本当にただの風邪なのかもしれない。ただ拗らせて長引いているだけなのかも、そんな安易な考えが多少頭を過ぎる。
私は過保護すぎるのだろうか……。
「あ、クリス、来たよパレード!」
その日は朝も早くから、各小都市から中央都市へ向けての盛大なパレードが行われていた。
天気は晴れだ。去年は曇っていたから凍えたが、今年はまだ暖かい。さすがにコートは手放せないけれど……。
セリーヌも楽しみにしていたのだろう。ごった返す通りにいながらも、少し丈の長いロングコートの袖を出来うる限り目一杯振り、パレードの到来を私に全身で伝えてくる。とても愛らしく微笑ましい光景で、つい破顔する。
グレンが先導するのは東のフォルクスから出る隊だ。
私たちは彼の勇士を見ようと、ヴァン=クライク中央よりの東側メインストリートに並んでいた。
本当は凱旋門付近に並びたかったが、あそこは一番人気な観賞位置のため場所取りが難しい。
各小都市から合流したパレードが最後の直線を歩く一番の見所だから、毎年大勢の人が身動き出来ないほど詰めかける。そのぎゅうぎゅう詰めな様はまさに、屋敷に所狭しと飾ってある人形たちのようだ。それに人込みで息苦しさを感じるため、セリーヌには少し辛いかもしれないと思ったから。そんな所にわざわざ行かなくてもパレードは見られるし、彼女が少しでも楽ならその方がいい。
そうしてようやく見えてきた騎馬と鼓笛隊。
先導する騎手たちが五人一列で並ぶその隊列の、三列目左から三番目にグレンはいた。
羽の付いた騎馬隊独特の帽子に、豪華な装飾のあしらわれた制服に身を包み、堂々とした面持ちで臨んでいた。
あれから相当な練習をしたのだろう。あの日見た彼の姿からは想像も出来ないほど、まさに威風堂々といった雰囲気を醸し出している。
するとパレードが進むにつれ、街の様相は一変した。
突如視界に入ってきた落葉のように閃く物体。立ち並ぶ建物の屋上から紙吹雪が降ってきたのだ。
それらは色鮮やかな原色の紙切れで、街のシンボルカラーである赤、青、白のトリコロールはまるで雪のように降ってくる。
途端に湧く歓声。鼓笛の音色と人々の声が織り成すオーケストラが、祭りをさらに盛り上げる。
「きれい……」
そんな中、私の隣にいるセリーヌだけは空を見上げてそう呟いた。
閃く鮮やかな人工の雪に、彼女は触れようと一生懸命に手を伸ばす。けれど掴むこと叶わず、手に触れる瞬間にそれらはスルリと掌から抜けていく。
「むぅ~~」
少し悔しそうに唇を尖らすその姿は、幼い少女のように無邪気だった。
……トリコロールの雪舞う中で佇む君は、誰よりも綺麗で輝いて見えた。
パレードが終わると私たちは、中央広場へと移動した。
案の定そこは大勢の人で賑わい、カラフルな露天の屋根しか見えない状態だ。
「すごい人だね……」
「本当だな」
セリーヌははぐれないように、私のコートの袖をちょんと摘んでいる。その仕草が可愛くて、ついつい頬が緩んでしまう。けれどそんなのじゃ満足できない私は、「セリーヌ……」と一言断りをいれて、おもむろに彼女の手を取った。
一瞬驚いた顔をしたが、彼女もその意図を汲んでくれたようで、ゆっくりと指を絡ませてくれた。
少し恥ずかしいがはぐれないようにする為なら、こちらの方が断然効果的だろう。と、効率の話に持っていきたいが、要は照れ隠しなわけで……。心の内は覗かれたくはないな。
セリーヌをふと見やると、口元に笑みを浮かべていた。手を繋いだことが嬉しいのか、それとも照れ隠しを見抜いたことに笑っているのかは判らない。たぶん前者だと思う、いやそうだと思いたい。
様々な人でごった返す広場を、私たちは滞る川に流されるように進んでいく。
思い通りに動けないのは多少不愉快だが、セリーヌといられればそんなことも気にならなくなる。
私たちはいくつかの露天を見て回った後、小休止に中央噴水広場で休むことになった。
やはり少しきつかったようだ。セリーヌは、はぁはぁと肩で息をしている。
……こんなにも体力が落ちていたのか。
以前の、私の手を引いて店舗を梯子していた元気な時を知っているために、今の姿は見ていて心苦しい。
「大丈夫かい?」
そんな言葉しかかけられない自分が情けなかった。代われるものなら代わってやりたい。
けれど、そんなことを口にすれば、また彼女に余計な気を遣わせてしまうことになるだろう。だから言わない。言いたいけれど、やはり言えない。
ベンチに腰掛けるセリーヌを見ていて、私はあることを思いついた。
「セリーヌ、喉、乾かないか? ちょっとそこまで買いに行ってくるけど、何がいい……」
言いながら近寄り目の前で屈むと、彼女は弱々しく重そうな動きで手を差し出してきた。そして、私のコートの袖口を掴む。
「ここに、いて……」
雑踏の喧騒の中、具合の悪そうな青白い顔をしたセリーヌがぼそりと呟いた、途端――。
「ゴホッ、ゴホッ、ゴブッ!!」
口元を手で押さえながらした咳の中に、嫌な音が混じった。見れば指の隙間から赤い液体が少し漏れてきていた。パレードの紙吹雪よりも鮮やかな赤……吐血だ。
目を瞠った私に気づいたセリーヌは、咄嗟に体を反転させて顔を背ける。
「セリー、ヌ……血が――」
「違うの! はぁ、はぁ……これは……そう、咳のし過ぎでね、たまに、出ちゃうんだ……」
苦しげな息遣いで震える彼女は、持ってきた赤いポーチからハンカチを取り出すと、血のついた掌を丁寧に拭いていく。やがて綺麗になったところでハンカチを折り返し、口元を拭った。
こちらに振り返り、苦し紛れの言い訳のような微笑を浮かべるセリーヌ。口元には、完全には拭いきれていない血液が、取れかけのルージュのように付着していた。
……もう、我慢の限界かもしれない。
私はおもむろにコートを脱ぎ、それをセリーヌに無理やり着せた。
何してるの? といったきょとん顔で呆然とする彼女に背を向けてしゃがみ、「戻ろう……」熱のこもっていない声で一言だけ零す。
セリーヌからの返事はない。少しして、身体に圧し掛かる重み。知っている重さとは違った為少しだけ戸惑った。だが感じた花の香りに彼女だと確信する。少し痩せたようだ。
そうして無言のまま彼女は私におぶわれた。
人々の幸せそうな声と笑顔が溢れ賑わう広場を、私は縫うように掻き分けて進んだ。
人込みの中を進むのは思いのほか大変で。普段なら馬車があるし、広場から中央病院までは歩いてもそう時間はかからないはずなのだが……。
病院へ着いたのはあれから一時間も過ぎた正午だった。
道中、相変わらずセリーヌの呼吸は荒かった。歩いていた時よりは大分マシだったが。だからかおぶる彼女を一刻でも早く休ませたくて足を懸命に動かした。伝わる振動は相当なものだったと思う。
ようやく彼女をベッドまで運び、それから医師の診察を受けさせた。
私は部屋に残っていたかったが、セリーヌのみならず医師からも席を外すよう言われ、会話の内容までは知ることが出来なかった。
そして今、私は彼女と対面している。
場の空気は少し重いと思う。けれどセリーヌは笑顔を浮かべながら話しかけてきた。
「やっぱり、咳のし過ぎだって。もう、クリスは心配性なんだから」
「その話は本当かい……」
真意を問うため、私は真剣な顔をして彼女を見つめた。
「本当、だよ」
彼女は言葉を一瞬だけ切って答える。
その曇りない瞳を真っ直ぐに見つめ返し、しばらくの間視線を交わしていた。彼女の嘘を見破るために……。
けれど彼女の瞳は泳ぐことすらなく、私から一切視線が外れなかった。
セリーヌは嘘をつく時、瞳が左右に一度振れる癖がある。だが今まさに、それを確かめた私は肩透かしをくらったようだ。
嘘、じゃない?
「クリス、疑心暗鬼にならないでよ。ホントになんでもないんだから。わたしは大丈夫だよ」
いつも通りの彼女の様子に、不安の染みが胸に広がっていく。
けれど、そこまで言うんだ。これ以上の追究は無意味だろう。セリーヌはこう見えて意外と頑固なのだ。言い出したら聞かない時がままある。
だから私は、素直に首を縦に振った。
「分かった、もう何も言わない。だが約束してくれセリーヌ。早く病を治すと、そのことだけを考えると。心配だが、私は私のやるべきことに専念するよ。以前君が言ってくれた通りだ。私には楽しみに待っていてくれている人たちがいる。その人たちに、笑顔を届けるよ。だから君も、頑張ってほしい。また屋敷で、みんなと遊ぼう。君の帰りを待っているのは、私だけじゃないはずだ」
すると彼女は瞳を輝かせ、満面の笑みで頷いた。
自分の言っていることを理解してくれて嬉しい、そんな気持ちが溢れる、見ていて清々しい笑顔だった。