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 あれからと言うもの、私は日々、劇場での操演と自宅での練習、そしてセリーヌの見舞いを繰り返すという日々を送っていた。

 そう、彼女の検査入院が……いつの間にか本当の意味での入院へとすり替わって。

 その事実を知ったのは、バーンシュタイン城での演技披露を終えたちょうどその日だった――――。

 あの日、私はいつにも増して意気揚々と病室の扉を開けた。


「セリーヌ!!」

 女王陛下から賜ったものをいち早く彼女に見せ、そして一番に伝えたかったから。興奮を抑え、逸る気持ちを抑えはしたものの、やはりそれは行動に現れてしまうもので……。勢いよく開けすぎたために盛大な音を院内に響かせてしまった。

 後ろを通りがかった看護婦に頭を下げつつ、私は病室内へ足を踏み入れる。

 いつものように呼吸を整えることもなく、いきなり入ってきた私に彼女は微笑み返しながら言った。


「どうしたの、そんなに急いで?」

 上体を起こしてベッドに座り、少し驚きの混じった顔で、けれど幼い子供を見守る母親のような温かい眼差しが見つめる。

 息を切らしながらもベッドへ近づいていくと、セリーヌはゆっくりと私を見上げた。


「あ、いいことでもあったんでしょー」

 長いこと一緒にいる為それになんとなく気づいたのか、それとも表情から読み取ったのか……。顔には出していないつもりだったのだが、どうやら後者のようだ。


「よく分かったね」

「だって顔に書いてあるもん」

 やはりいつもと思考回路が違うようだ。普段なら紳士然とした風体を否が応でも取り繕おうとするのだが、どうやら今日はそれが旨く機能しないらしい。

 すると後ろ手に隠す“何か”に気づいたセリーヌは、小首を傾げながら訊いてきた。


「なあに、それ」

 なかなか目敏い……。いや、私が隠すのが下手なのか。

 コートの中にでも忍ばせておけばよかった、と今更ながらに気づいた時にはもう遅い。何もかもが旨いこと計画通りにいかないな、今日は。やはり、自分としても嬉しいのだろう。こんなにも名誉なことはない。

 おもむろに手を前へ移動させると、白いブランケットのかかるセリーヌの膝の上辺りに、“それ”をそっと置いた。

 彼女は置かれたものを静かに手に取ると、不思議そうにまじまじと見つめる。

 それは拳ほどの大きさで、十字の先がV字に切れ込んでいる。中心には人形らしきものが模られ、その四肢から銀糸が伸び、十字の下からコントローラーの形をしたプレートが裏打ちされていた。


「これ……勲章?」

 セリーヌの視線を背中に感じる。

 彼女の問いかけに、黒のコートを脱ぎ病室に備え付けられているポールハンガーへかけながら私は言葉を返す。


「ああ、女王陛下から賜ったんだ。というか聞いてくれセリーヌ!」

 自分でも驚くほど弾んだ声を発して勢いよく振り返ると、彼女はなんだか楽しそうに微笑んでみせた。

 近くにあった木製スツールをむんずと掴んでこちらへ引き寄せ、私はそれに腰掛ける。

 ここへ来るまで、言いたくて言いたくてずっとうずうずしていた。別に自慢をしたかったわけじゃない。でも彼女に伝えたかったんだ、この喜びを。


「女王陛下の前での操演は、大成功だったよ。以前からやろうと思っていた執事と令嬢の物語を演技したんだけどね、凄く興味を持ってくれたんだ。とても不思議そうな顔をしていたけれど、終わると同時に拍手喝采だった。僕の演技を見て感動してくれたんだよ!」

 彼女は目をキラキラさせて頷いた。


「そしたら急に真面目な顔付きになったんだ。僕はその意味を最初量りかねてね……、凄くドキドキした。まさか本当は面白くなかったんじゃないかって。でもそれは思い過ごしだったんだ。女王に玉座へ来るように言われてね……そして、ある称号を授与されたんだ」

「称号?」

 話の続きが気になるのか、セリーヌは少し前のめりになって訊いてきた。

 念願叶った、私の夢の一つである称号。人形師なら誰しもが憧れる、最高の栄誉――――。


「ドールマスターだよ」

「……ふわぁぁ」

 言葉の響きが気に入ったのか、セリーヌは、休日に大好きな父親に遊びへ連れて行ってもらった時の少女のように目を輝かせ、驚き交じりの嬉々とした顔をしてため息を吐いた。

 こういう素直に喜んでくれてるところは私よりも子供っぽい。


「すごいじゃんクリス!」

「まあね」

 まるで自分のことのように喜んでくれる彼女に、知らず得意げになって胸を張る。

 なんだろう、セリーヌに褒められるのが凄く嬉しい。

 勲章を頂いた時にはそれはもう天にも昇る気持ちだった。だが今はまるで違う、異質の充足感に満たされている。心が歓喜に溢れかえり、賛美歌でも奏でそうだ。

 すると突然、ぷっ、と彼女は噴き出した。

 鼻っ面を掻いていた手を止めて、なにかと思い視線を戻す。

 何がそこまで受けたのか、くすくすと笑うセリーヌの顔を訝しみながら眺めていると、「気づいてる?」そう言ってまるで喜劇でも見ているように笑いを堪える彼女。

 指摘されていることの意味が判らず、私は首を傾げて疑問を表す。

 乱れた息を整えてセリーヌは小さく深呼吸をすると、笑い涙を拭いながら口を開いた。


「クリスって、たまーに“僕”って言うよね?」

「うぇ!? ……あ、ああ、そういうことも、ある、気がする」

 意外な指摘につい声が裏返り、その事実をつい認めてしまった。


「それで、いつもは気づいたように言い直してる」

「……よく、見てるな」

「まあね」

 今しがたしたばかりの私の行動を真似るように、彼女も鼻っ面を撫でた。

 やはり気づかれてたのか。自分では旨く誤魔化せていたと思っていたし、セリーヌもそれに関して何も言ってこなかったから、てっきりばれていないものだと思っていたのに。

 まあ半年近くも一緒にいれば気づかれてもおかしくはないか。……ん? 待てよ。“いつもは”ということは、今は――。


「どうして?」

 自らの思考に被さるように、彼女の問う声が重なった。微笑み佇む姿は美しく、どこぞの神殿の女神像を髣髴とさせる。いや、むしろ聖母か。慈愛に満ちた温和な笑みは、教会の聖母像そのものだ。

 だが今度はその言葉の意味がよく理解出来るために、私は少し気まずくなった。話したらどう思われるだろう、と浅くも深い思慮を繰り返す。

 すると言い渋る私に対し、「ま、言いたくなかったらいいんだけど……」と彼女は付け足し、少し残念そうに項垂れた。

 別に隠したいわけじゃない。ただ、話して、それでどう思われるのか、そのことが心配なだけだ。

 逡巡の後、私は少し重たい口を無理やりこじ開けた。

 隠していても仕方のないことだ。彼女にくらい話してもいいだろう、いつまでも秘密というわけにはいかない。


「以前、私が家を出てからの話をしただろう?」

 訊ねる声にセリーヌは顔を上げ、そして静かに頷いた。


「……ジャックの下を離れ独り立ちしたわけだが。いくら一流の人形師の弟子で、その師事から卒業したといってもまだ十四歳だ。世間は私を一人前とは認めなかった。挙句子供扱いされる始末……。どれだけ精巧に人に似せて作ろうが、それを作ったのが子供だと分かると大人たちは目の色を変え態度を変えたんだ。『まだ子供なのに』『これを子供が作ったのか』『子供には無理だろう』、子供、子供、子供……。誰も私を一人前の大人とは見てくれなかった」

 過去の悔しさが蘇り、言葉たちが脳裏を掠め、知らず拳を強く握っていた。今にも骨が軋み、悲鳴を上げ、肉に血が滲むほどの勢いで。

 そんな静かな怒りに震える拳に、彼女はそっと手を重ねてきた。優しく、柔らかく包み込まれた手に、一瞬ドキリと心臓が跳ねる。おかげで少し頭が冷えたようだ。固く握りこまれた拳は自然に力を失い解けた。

 もう過ぎ去った過去、そう心に言い聞かせて私は気持ちを落ち着かせる。


「それからだよ。少しでも大人に近づけるように言葉を、仕草を、立ち居振る舞いを変えて紳士であろうと心がけるようになったのは」

 告白し終え、その心の拠り所を求めるように、私は顔を下げてセリーヌの手を見つめる。

 こんな話を他人にしたのは初めてだ。

 今までずっと自分を偽って生きてきた。大人であろうと、紳士であろうと、人一倍気を遣い取り繕ってきた。大人になめられないために、未成年ながらに飲んだこともなかった酒を無理やり飲んだこともある。

 そうしてずっと、背伸びして生きてきたんだ。

 ――――不意に手を握られる力が強くなったのに気づく。

 顔を上げると、切なげな顔をしてこちらを見返す彼女と目が合った。


「わたしの前では、本当のクリスを見せてくれてもいいのに……。本当のあなたで、いてもいいのに」

 その言葉に、再び胸が熱くなった。怒りに震えているんじゃない。今度は嬉しいんだ。

 セリーヌの優しい一言が、いつも私に勇気をくれる、温もりを、安らぎを与えてくれる。孤独だった心に、そっと手を差し伸べてくれる。

 ……いけない。このままではまた彼女の前で泣いてしまう。私はこんなにも涙腺が緩かったのか。


「泣きたかったら、泣いてもいいんだよ」

 それはいつものように年上ぶった口調じゃなく、なだめ諭すような優しい声だった。

 心情を察したのかセリーヌはそう言ってくれるが、しかしこれ以上弱いところは見せたくない。というのが本音だったりする。染み付いてしまった習慣はなかなか抜けることはなく……私はいつも通りの紳士然とした風体を取り繕った。


「なに言ってるんだ、泣くわけ、ないだろう。それに、長年かぶってきた仮面だからな……いきなり元に戻れと言われても、難しいだろう?」

「う~ん。まあ、そうは思うけどね……」

「――時間がかかりそうだよ」

「でも……」

 否定しようとしたのか、一言そう呟いて、けれどセリーヌは逡巡の後に、


「――うん、待ってるね。わたし、あなたを待ってるから」

 何かを言いかけて、しかし彼女は頷いた。

 その言葉の真意が解らずに、私は逆に訊き返す。


「なに言ってるんだ。私ならここにいるだろう?」

「……そうだね」

 数瞬の沈黙の後、セリーヌは微笑を湛えた。

 その表情はどこか切なさを感じさせる、寂しさを隠しているような、そんな顔だった。

 ――――彼女は何を、言いたかったんだろう。



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