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001

 カーテンの隙間から光が射し込み、微かに聞こえるのは小鳥たちの囀り。


「ん、う~ん……もう朝か」

 薄ぼんやりとした視界の中、呟く声が耳にこもる。

 目覚まし時計というものが嫌いな私――クリストファー・ドールズ――は、いつも鳥たちの鳴き声を目覚まし代わりに起床する。

 掛け時計を見やると、現在時刻は七時二十分を回ったところだ。

 眠気眼を擦りながら、私はゆっくりと起き上がりカーテンを開いた。

 窓の外には、いつもと変わらない風景が広がっている。

 敷地内を囲う高い塀。芝生の敷き詰められた広い庭。その外には木々が青々と生い茂り、それらは風に揺れ、互いに擦れ合っては美しい音色を奏でていた。

 ここは都会から少しばかり離れた森の中。そこに私は、大きくはないが屋敷を建て、一人で暮らしている。

 ――――都会の喧騒は聞こえない。聴こえるのは、自然の声だけ――――。


「今日の予定は、と」

 いつも枕元には、一か月分の予定を書き込んだ手帳と懐中時計を置いている。

 手帳を手に取ると、パラパラとめくり本日のページへ。

 ――四月二十一日 日曜日。午後五時からハンメル劇場――


「今日は小劇場での公演か」

 どうやら夕方からのようだ。それまでどのように時間を潰すか……。

 外の景色を眺めながらしばらく思案した末、私は結論へと至った。

 そう、とてもシンプルな。


「……散歩、でもするかな」

 こんなに天気がいいのだから、散歩もしたくなるというものだ。光を見たくないほどに心を病んでいなければ、の話だが。

 しかし、午後からの用事の準備は先に済ませておこう。後々で時間に間に合わなくなったりしたら、迷惑をかけてしまうからな。

 手帳を再度見て、演目を確認する。だがそこに内容は記入されていなかった。

 いつもは時間と場所と共にメモに書き残しておくのだが。本日の日付欄には予定している演目が記されてはいなかったのだ。

 ――ふと、そういえば今日の内容を決めていなかったことに気付いた。


「どうしたものか……」

 腕を組み、何かアイデアが浮かばないかと思い私は窓の外へと視線を向けた。すると一匹の猫が目の前を横切ろうとしている最中だった。

 猫も私の視線に気付いたようで――――しかし、特に気にする風でもなく歩き去っていった。

 マイペースなものだな、猫というものは。まあ、私も似たようなものだが。


「……そうだ、演目は少女と猫、にしようか?」

 今しがたの猫で閃いた。これはまだやったことのない内容のはずだ。

 たしか猫は前に作ったことがあったから、屋敷を探せばあると思うのだが。

 問題は、少女だな。

 今まで作ってきた中に、イメージに合う子はいるだろうか? あとで探してみよう。とりあえず今は身支度が先だ。

 ベッドから下りると、その足で洗面所へと向かった。

 廊下を歩く途中、ドールたちへの挨拶を欠かさない。毎日の日課だ。

 声かけしながら廊下を歩き、やがて洗面所へ着いた。

 パジャマの袖を捲り、洗面台の水を出す。数回水で顔を流した後、石鹸で顔を洗いそのついでに薄く伸びた髭を剃った。泡を流し、タオルで顔を拭き終えると、寝癖の付いた栗色の髪を櫛で梳いて整髪する。


「……よし」

 短髪とまではいかないまでも、清潔感のある適度な長さに整えられた猫っ毛の髪は、今日も変わらず空気感を纏いふわふわとしている。

 洗面所を出ると、天井から吊るされ、また棚に置かれた廊下のドールたちを一体一体確認しながら寝室へと戻った。


「廊下にはいないみたいだな」

 内容に合いそうな少女のドールは残念ながら見当たらない。

 やがて寝室まで戻ってくると、木目調の美しいシンプルなクローゼットを開けて服を選ぶ。

 今日は少しシックな感じにするか。自分が少女の父親で、とかそんな隠し設定にしておこう。

 中からそれらしい服を取り出して、それに着替えた。スタンドミラーの前に立ち見てみると……ふむ、まあ悪くはない。

 あんまり黒々しすぎていてもダメだろう、ということで濃紺あたりのストライプ地のスーツを選んだ。しかし、今までスーツを着てやったことがないから分からないが、これはこれで動きにくそうだ。

 まあ、そこまで激しい動きのある演技でもないから、今回はよしとしようか。


「そろそろ探さないと」

 両開きのクローゼットをパタと閉め、私は寝室を後にした。

 そうしてまず向かった先は、リビングだ。


「……そういえば朝食がまだだった」

 朝っぱらからバタバタしていたから食べることを忘れていたよ。

 それに、ここにも沢山のドールたちがいる。もしかしたらこの部屋にいるのかも。

 朝食を食べながら目的も果たせるかもしれないし、まさに一石二鳥だ。


「たしか一昨日に買ったバゲットがまだ残っていたはずだが……」

 言いながらキッチンに立ち、置かれていたバスケットからパンを取り出すと、ナイフで厚さ三センチの計三枚に切り分ける。そしてそれらをオーブンで軽く焼いた。

 一枚はプレーン、二枚目はラズベリージャムを、そして三枚目はカリカリに焼き上げた後にたっぷりの蜂蜜をかける。


「あ、紅茶淹れるのを忘れた」

 まあ、面倒臭いから今日はミルクでいいか。

 パンを皿にのせ、冷蔵庫から牛乳瓶を取り出しティーカップにミルクを注ぐ。皿とカップを両手に持ち、テーブルまで運んでいるその間にも選定の目は休めない。

 椅子に腰を下ろし、一先ず食事にする。

 時刻はすでに十時を回っていた。


「さて……。全ての命に感謝して……頂きます」

 私の実家は敬虔とはいかないまでも、熱心な宗教信者だった。だから、食事の前後には必ず十字を切り、神への祈りを捧げていた。家を出た今でも、十字を切ることだけは続いている。祈ることはやめてしまったがね。

 別に教徒だったから、と言うんではなくて。ただ単純に、命に感謝することは大切だと思うからだ。人間はもっと謙虚に生きるべきだと、私は思う。他の生命を犠牲にして生きているのだから。ただ食べられるために一生懸命に育てられて……彼らだって、死ぬために生きているわけではないだろう。

 ――とは言うものの、やはり食べなくては人間だって死んでしまう。悲しいことだが、それが現実なのだ。もちろん、自然界でも似たような営みが行われているのも分かってはいる。自然の世界は弱肉強食なのだから。

 しかし、人間には理性というものがある。善悪だって自らが判断できる。感謝をすることだって……。だからせめて、糧となってくれている命に対し感謝の心だけは忘れまいと、そう思っている。


「うむ、今日もうまく焼けたな」

 パンを齧りそんなことを考えながらも、私は部屋の中をくまなく見渡す。

 一体一体注視していくが、それの雰囲気に合った子は見つからない。


「……そういえば猫はどこだ?」

 ふと気付いたが、先ほどから猫のドールが見当たらない。一体どこに置いたのか。まあ、今はさっさと朝食を済ませる方が先なのだが。

 とうとう最後の一枚。蜂蜜をたっぷりかけたパンの欠片を口に放り込み、その甘さと旨味を堪能しミルクを一口。

 この瞬間がまた堪らない……が、今日は紅茶ではないのが少々惜しい。


「ほっ。……と和んでる場合じゃなかったな、早くしなければ散歩の時間がなくなってしまう」

 食後の十字を切り終えると、食器をシンクに置き次の場所へと急ぐ。

 ドールが一番集まる場所、書斎だ。

 リビングを出て薄暗い廊下を左へと進むと、突き当たりを右へ曲がる。

 重厚な造りの書斎の扉を押し開けると、部屋の中央まで歩いた。

 そこから周囲を見渡すと、様々なドールが目につく。

 ビスクドールや球体関節人形、マリオネットなどが所狭しと並べられている。チェストの上や、整然と立ち並ぶ背丈の倍はあろうかという書架の段、さらには天井から吊るされている者など様々だ。

 一体ずつ見ていくと、部屋の隅、大きな作業机の上に一際光を放っているドールを見つけた。

 近付いていき、私は女の子と視線を交わす。


「……うん、今日はこの子に決まりだな」

 一目見ただけで、この少女のドールに決まった。

 大きさは約三十センチ。長く美しいブロンドの髪、瞳は深海のように深みのあるブルーをしている。どこか寂しげな表情に見えなくもないような、複雑な感情を表しているこの子なら今日の演目にもきっと合うだろう。


「あとは猫だが――――ん?」

 なにやら気配がしたので振り返り、本棚を見上げた。

 するとそこには、俯瞰から見下ろすように頭を垂れる、猫のドールがいたのだ。


「おぉ! 猫」

 しかし、あんな高い所に置いたかな? 脚立がなけりゃ降ろせないじゃないか。

 まったく、あんな所に置くとはな。私もなにを考えているのやら。後先のことを考えないからこうな――――。いやいやちょっと待て、こんな所に置いた覚えはないぞ。もしかしてもうボケでも始まったのか? まだ二十三なのに? さすがにそれはないだろう。

 ……それとも、まさかドールが自分であそこまで登った、とか言うんじゃないだろうな。

 いや、それこそ、「まさか」だな。まあ何はともあれ、猫ドールが見つかってよかった。

 安堵のため息を一つ。壁際に立て掛けてある脚立を移動させ一番上まで登ると、猫ドールをそっと抱いて降ろす。

 唯一の動物ということもあり、灰色のベルベット地で滑らかな体毛を表現している。製作には多少お金がかかったものだ。


「これで役者は揃ったな」

 あとは移動用の鞄に入れるだけだ。鞄は寝室に置いてあるので、一度二体を寝室まで運ぶ。

 廊下を歩く途中、もう一度他のドールたちを見てみたが、やはり何かが違うようだ。


「でも、なぜこの子は光っているように見えたのだろう……」

 抱えている少女を見つめ、静かに呟いた。

 見返す瞳は深い青。ずっと見つめていると吸い込まれそうな錯覚に陥る。

 ――――おっと、寝室を通り過ぎるところだった。

 時間のロスはなるべくなら省きたい。あまり無駄にしていられないからな。

 寝室へ入ると、クローゼットの脇に積まれたいくつもの黒色の鞄から二つを引っ張り出す。そして留め金を外して開けた。両方とも中は、それぞれのドールの形に窪んでいる。その窪みに人形を納めると、その上に紫のクロスを被せた。

 ここまで準備しておけば大丈夫だろう。

 革製の鞄を静かに閉じると、椅子に掛けておいた上着を羽織り、枕元の懐中時計を内ポケットに忍ばせた。外の馬車に鞄を積み込むため、二つの鞄を重ねて玄関まで持っていく。

 そういえば役者はいるが、肝心の内容がまだ決まっていない。漠然としたものは頭の中にあるのだが……。


「散歩しながらでも考えるか」

 時計の針は十二時十五分を過ぎたところだった。



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