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 後日。

 セリーヌは以前話していた人形を持って、屋敷へとやって来た。

 互いに時間はあったものの、屋敷の整理やら片づけやらでそんなことも忘れてしまっていたのだ。

 大事そうに布で包まれた人形を受け取ると、彼女を連れて工房へ入る。


「適当に腰掛けてくれ」

 奥の作業机へ向かいながら声を掛けると、


「うん」

 と、明るく弾むような声で返事が返ってきた。

 椅子に座り、私は横目でその様子を窺った。

 しょっちゅう屋敷へ遊びに来ては、ドールを食い入るように眺めているにもかかわらず、まるで飽きた風もなく、その瞳は初めて見た時の輝きを宿していた。

 部屋の中央から、バレエでも踊るかのように回転しながら見渡す彼女を他所に、私は机上の包みへと視線を戻す。

 だいたい三十センチほどだろうか。普段作るビスクドールと然程変わらない大きさだ。

 しかしこうして外から眺めていてもなにも始まらない。人形の状態が分からないため、私は慎重に慎重を期して包みを剥がしにかかる。

 ゆっくりと取り払われる布。

 はらり、と覆っていた白布が落ちた――――瞬間。目に飛び込んできた物体に私は目を瞠った。


「これは――」

 思わず口から洩れ出た声。

 美しいものを見た、というよりはむしろ、古きを懐かしむような感嘆の息だった。

 そしてそこに“在る”のは、見間違うはずもない。十年前、ジャックの弟子になることが出来た、私が初めて作り、売ったドール『シルフ』だったのだ。


「どう、驚いた?」

 不意に聞こえた声。振り返るとすぐ傍に、セリーヌが佇んでいた。


「ああ……。というか、君が買ってくれたのか」

 言いながらシルフへと視線を戻す。


「そう。あの日あなたの話を聞いて、もしかしたらって思ったの。両親に買ってもらったお人形は、オーナーのお弟子さんが作ったもの。そしてその子の名前は“シルフ”。偶然にしては出来すぎてるよね」

 彼女はくすりと笑う。

 左腕が捥げた人形。白いワンピースは時の経過とともに薄黄色に煤け、紫の薄羽は擦れて裂けている箇所があった。

 声を発しそうな表情の造形も、今にも動き出しそうな躍動感すら何も感じられない。

 いま見てみても、あの頃の自分の未熟さしか際立っていない、空っぽの人形。

 だが、あの時の思いはこの中に、現在でもずっと詰まっている気がした。


「ふふっ」

 知らず私は笑っていた。


「どうしたの?」

「いや、あの頃は名前を入れられなかったんだなと、いま思い出したんだ。まだ人形師じゃなかったからな」

「ああ、そう言えばクリスの名前が彫られてないね」

「幼い頃は、とにかく情熱に溢れていた気がするよ。いや、今でもそれは変わらないとは思うが。しかしあの頃の私は、ただ人形が作りたかった、それだけだったんだ」

 ある男に言われた一言が、弾丸の如く脳裏を掠めた。

 しかしその一言で、その存在があった故に、私は立ち直ることが出来た。と言っても過言ではないだろう。同じくらいの挫折も同時に味わったが、今となっては、「いい思い出」だと言える。


「でもこれを作った時、オーナーさんの反応はどうだったの? 前に言ってたよね、オーナーの反応が見てみたかったって」

 半鐘のように木霊していた男の声に重なって、セリーヌの声がそれらを掻き消した。


「ジャックの反応、か……。案の定、思っていた通りだったよ。彼は終始眉間に皺を寄せていた。小難しい顔をして、自らが作り上げた傑作に似ても似つかぬ贋作を、ただ黙って見極めていたよ」

「いい反応じゃなかったんだね」

「それはそうだろう。ジャックのシルフは、彼の作品の中でも五指に入るほどの逸品だ。以前読んだ雑誌で取り上げられていたよ。彼のドール中、傑作ナンバーの二番目に数えられている。そんな名作を、まだ半年やそこら齧った程度の子供に真似されて……。今の私でも、恐らく同じ反応をしただろう。その心中は察するに余りある」

 改めて見ても荒さしか目立たない私のシルフ。風の精霊とは名ばかりの、空の器だ。

 網膜に焼き付いて離れない、鮮烈な印象を与えた思い出の中のシルフとは、まるで住む世界が違う。

 それは実際に見比べなくても分かるほどの雲泥の差だ。

 繊細で緻密な絵画のようなシルフと、言い方は悪いが幼児が作った泥人形のようなシルフ。そのくらいの差異が、両者間に深いクレバスを作って隔てている。


「だけど半年でこれだけ作れれば、わたしは凄いと思うけど?」

「そうかな。半年も携われば、これくらいは出来るようになるだろう。私は自分が特別だなんて思ったことはない。ドールたちは我が子。それを心情としてやってきた。誰かに媚びへつらう為に作ってきたわけでもない。たまたま作ったこの子を、たまたま君が買ってくれた、だからたまたま弟子になることが出来た。そういった偶然がただ重なっただけ、それだけなんだ」

 だがこの子に愛情がないわけじゃない。皆と同じように愛着があるし、我が子同然に思っている。結果がどうであれ、私はこの子に感謝していただろう。

 すると突然、肩を掴まれ私は無理やり振り向かせられた。

 目線の先には不機嫌そうなセリーヌの顔。こんな表情でも絵になるのだから、余計に始末が悪い。


「なんでクリスはそう――――悲観的なのッ!」

 言って頬を両手で抓ってくる彼女。久しぶりに見た、セリーヌの説教モード。妙に年上ぶろうとするのが特徴だ。が、その様子も可愛らしいから困り者だな。


「いひゃいよ」

「痛くないんだよ~、お姉さんは優しいからねー」

 私の苦情をさらりと流し、楽しそうに口角を吊り上げ手を引いては戻し、また引いては戻しと、何往復も伸ばされる頬。だんだんとひりひりしてきたが、それでもセリーヌは止めてくれない。

 実に楽しそうで……いい笑顔だ。


「なんでわひゃひが怒られなきゃいけひゃいんだ」

「クリスがネガティブだからでしょ! もう少し前向きに考えられないの」

 そうは言われても、これでも前向きなつもりなんだ。潰れていた時に比べれば、こんなのはネガティブの『ネ』の字にも当てはまらない。


「分かっひゃ、分かっひゃから手を離してくれ。修繕がまだひゃんだ」

 それから二度、三度と引き伸ばされた後――、


「ぱっ」

 と効果音までつけて手を離してくれた。

 おもむろに手を頬に当て、労わるように撫で擦る。


「セリーヌ、年上ぶるのはいいが、頬を抓るのは止めてくれないか」

 少し涙目になりながらもささやかな文句を口にする。


「なに言ってるの。わたしの方が年上だよ?」

 それに対し彼女は唖然とし、「もう忘れたの?」と哀れむような視線を投げつけてきた。

 まったくもって失礼な、私はまだボケてなどいないというのに……。

 その表情が悔しくて、「二つだけじゃないか」と、喉奥から言葉が洩れそうになったが、そういったぼやきは丁重にお帰り願った。これ以上頬を抓られては敵わない。それに今はやるべきことがあるはずだ。

 小さく息を吐き、擦る手を下ろす。そして今一度、視線をシルフに戻した。


「……しかし、見事になくなってるな、左腕」

 風と戯れるように伸ばされた右腕。対し、若干後ろに伸ばされ下ろされているはずの左腕は完全に肩の部分から消失していた。


「うん。小さい頃、運んでる最中に扉にぶつけちゃってね……。治る?」

 肩口からひょっこりと顔を出し、セリーヌは覗き込んでくる。

 金色のカーテン越しの瞳が心配そうに揺れている。


「これは素のまま売られていたからな……。ガラスケースなんてものは用意してくれなかったし。しょうがないさ。確か昔作った人形のパーツに、同じようなのがある。だから心配しなくていい」

 言いながら椅子から立ち上がり、書斎の中で一番大きな書架へと歩いていく。そして一番下の収納扉を開けると、中から人形が十体は入りそうな大きな木箱を取り出した。


「なあに、それ」

「これは――」

 そこまで口にし私は蓋に手を添えた。そして静かにそれを押し上げた。

 ――キィー、と蝶番が奇声を発し、奇怪なあり様を露出する。


「…………すごい」

 セリーヌは前屈みになりながら、箱の中身へ好奇心に満ちた目を向ける。

 中に詰まっていたのは、設けられた仕切りに収められた、溢れんばかりの人形の各パーツだ。

 今まで作ってきた体の部位は、その時に使わなかったものも多い。イメージ通りにいかなかったもの、改めて考えアイデアを保留にしたもの。そういった体のパーツは、いざという時の為の予備としてとってある。この箱は、それらの収納箱というわけだ。


「ええと……どれがいいかな」

 左腕のパーツをあさり、それに見合う腕を探す。

 この中には、屋敷を構えてからすぐに製造したものも数多く含まれる。さすがに同じ年代のものはないにしても、近しいものなら作っているはずだ。

 シルフと左腕を交互に見やり、らしいものを見繕う。

 そうしてしばらく悩んだ末、多少の違和感は残るものの、なんとか許容範囲のパーツを探し出した。

 さっそく作業机に戻り、穴の開いたシルフの肩にそれを当ててみる。


「……うん、ぴったりだ」

「――ねえ」

 不意に後ろから声がしたので振り返る。

 膝立ちするセリーヌは、まるで品定めするかのように熱心に箱の中身を見入っていた。


「ん? どうした」

「ずいぶん古いのも混じってるけど、これってもしかして今までの?」

「ああ、そうだよ。そこにあるのはビスクの予備としてとってあるものだ。操りは操り用で別の箱。それに……いままでに壊してしまった子達も、別の箱にちゃんととってある」

 言いながら私は別の書架に視線を移した。


「そうなんだ」

 そう呟いた彼女の小さな背中は、どこか嬉しそうに震えていた。



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