表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/29

 ようやく残暑が癇癪を沈め、涼しくなりだした十月中旬。

 紅葉の季節となり、屋敷周辺の木々たちも、秋のそれへと緩やかに装いを改めていた。


「綺麗だね」

 爽やかな秋晴れの下、心地よい涼やかな風のようにセリーヌの声が耳を撫でる。

 一瞬木々がそよいだのかと思ったが、それも気のせいではない。先ほどまで凪いでいた風は、彼女の声とともに微風へと変化していた。


「ああ。それに、ここは暖かいだろう?」

 切り株に腰掛けながら、背を向けて眼前に立つ彼女に声をかけた。


「そうだね。この広場は、いつ来ても暖かいよ」

 森の香りを吸い、肺いっぱいに取り込んだ彼女に、


「冬はさすがに寒いけどな」

 苦笑を浮かべながらぼやく。


「ふふっ。楽しみにしてるね」

 言ってスカートの裾をひるがえし、振り向いたセリーヌの顔は驚くほど晴れやかだった。

 暖かな陽光のように輝いて見えた笑顔に、私はしばしの間見惚れていた。


「あ、またボーっとして」

「え? あ、いや、別に見惚れてたわけじゃない」

 ポカポカとした陽気のせいだろうか。確かにボーっとしていると自覚はあるけれど……。


「クリス、自分で白状しちゃってるよ?」

「うぇ!? いや、違うって。僕は見惚れてなんかない!」

 反論しようと咄嗟に立ち上が――ったところで、なんと切り株の出っ張りに踵を引っ掛け、そのまま前のめりに倒れこんでしまった。


「きゃっ!」

 もちろんすぐ目の前にいたセリーヌも巻き込んで、二人仲良く芝生にダイブ。

 ここが岩肌むき出しの大地じゃなくて、内心、本当に安堵している。


「今度はクリスが押し倒す番?」

 頬をほんのりピンク色に染めて、見返す彼女は笑う。

 その言葉に蘇った記憶――――。

 だが瞬時に、刹那的な速さで書き消えた脳内の映像は、セリーヌが初めて屋敷へ来た時のこと。

 あの時は、セリーヌに押し倒された形だったが。思い出すだけで、まだ顔が熱くなる。


「番って……。これは事故だよ。“故意”ではなく偶然、偶発的に起こってしまった不慮の事故だ」

「“恋”でもなくて、そんなに必然であることを否定されると、わたしとしては少し悲しいんだけど」

 ……あれ? なんか言葉を取り違えてる気が。


「いや、別に押し倒したくないわけじゃない。って、私は何を言っているんだ」

 言葉に出して後悔した。セリーヌはしたり顔でこちらを見上げている。

 思わず視線を外した私の頬に、温かくやわらかい何かが触れた。途端、そむけた顔が元の位置まで戻される。両手で優しく頬を包まれた私は、再びセリーヌと見つめ合う。


「クリス、顔、真っ赤だよ」

 くすくすと笑う彼女。それに対し、


「う、うるさいな、そんなことはないよ。それにそうだったとしても何も問題はないだろう、それにセリーヌだって顔が真っ赤じゃないか、人のことは言えないぞ」

 ついムキになって反論してしまう。

 彼女の前だと、どうしても自分という名の仮面が、仮面の役割を果たしてくれない。押し隠そうとしても、それが表層まで押しあがり、結果、小さな亀裂から顔を覗かせ露出してしまう。

 何度も修復してはかぶり直しても、例えば震える大地の如く突き上げるその衝動で、仮面と言う名の大地が隆起し地が露呈してしまうようなものだ。

 これが、「恋人」という関係なのだろうか。

 自分の『今』を形作ってる殻の中まで曝け出せる、心許せる唯一の存在。――とは言うものの、やはり長年かぶってきた仮面は、顔の特徴を知らずの内に記憶するもので。

 馴染んでしまっては、今さらのように元には戻せない。

 ふとした瞬間に出てしまっている、という自覚はあるのだが。


「セリーヌ――」

「ん?」

 囁くように発した声に、丸い蒼玉を向けて返事する。その表情にはクエスチョンマークが浮かんでいる。


「並木通りを、歩かないか?」

 私の提案に、セリーヌは数瞬の思案ののち、「うん」と小さく頷いた。

 もみじで色鮮やかに彩られた並木道のアーチを、二人歩幅を合わせて歩く。

 ちなみに私は脚立持参だ。

 目に映る紅は波間を揺蕩う木の葉のように、優しく吹き抜ける風に煽られ、さらさらと音を立てる。

 途中、ただ一本だけ仲間外れの樹木までやってくると、揃ってそれを見上げた。

 毎年恒例、例に違わず二つしか実をつけていないリンゴの木。この季節まではそこまでおかしいとは思わないが。……こうして見てみると、やはりリンゴは目立つ。

 紅の中にある赤二つ。しかもそれは球に近しい形をしているのだ。

 樹葉に埋もれることなく存在を主張する赤色は、意地になりムキになっているようにも見える。

 ここを整備したのは、以前屋敷に住んでいた人物なのだろうが。どういった意図があって、ここにリンゴを植えたのか……。今となっては知る由もないが、多少気にはなるところだ。


「本当に二つしか生らないんだ」

 感心した風に呟くセリーヌは、でもどこか不思議そうに首を傾げた。


「私も不思議に思っているんだ。毎年のように見に来ては確認するんだが、三つ生ってるところを見たことがない」

 そう答えると、彼女はこちらへと振り向き、


「怪奇現象だね!」

 言って好奇心溢れる眼差しを向けてきた。


「いや、そこまでの事象じゃないと思うが……。でも、確かに不思議だな」

 再び見上げたリンゴの木は、秋風に吹かれ枝葉を揺らし、どことなく寂しげに泣いているようにも見えた。それは音でそう感じたのかもしれない。

 故にこれから起こる運命に抗えないと、嘆いているように見えたのだろう。


「このリンゴ、すごく美味しいんだ。二人で一つずつ、分けて食べようか」

 一歩踏み出し、庭から持ってきた脚立を掛け、上ろうとしたその時――、


「ダメだよ、クリス」

 制止する声が聞こえた。音には、戒めるような棘は含まれていない。

 一先ず脚立から下り、私はセリーヌに振り返った。


「どうしてだ? 生っているんだ、私たちで分け合ってもいいだろう?」

 その問いに、彼女は首を振って答える。


「この森には、たくさんの命があるんだよ。見て」

 促すように向けた視線の先々を、私も目で追従する。

 そこには、木の実を頬張る小さなリスや、番仲良く樹枝にとまり羽を休める小鳥たち。

 この森に住み、生命を営み育むものたちの姿があった。


「だから、一つだけにしよう」

 辺りを見渡し、気づけば、この並木通りにたくさんの生き物たちが集っていた。

 ゆっくりと彼女に振り返り、


「なんだ、てっきり、「全部残しておこう」と言うのかと思ったよ」

 言いながら歩み寄る。

 するとセリーヌは、視線をほんの少しだけ逸らして、


「だって……。あなたとリンゴの味、共感したかったんだもん」

 手をもじもじさせながらそう呟いた。

 ……嬉しいことを言ってくれる。

 もとからそのつもりだったのだが、森に住む生き物への配慮は完全に忘れていた。今までも、そうして動物たちの貴重な食料を奪ってしまっていたんだ、と思うと心が痛い。

 これから季節は寒さを増していく一方だ。その冬支度にも、食料は必要なのだから。


「解った、一つを二人で分け合おう。残りの一つはこのままだ」

「うん」

 と頷き返す彼女に背を向け、私は脚立に足を掛けた。

 中段まで上り、手を伸ばし、小さい方のリンゴを掴むと、それを捻じ切った。

 手にしたリンゴを落とさぬよう注意を払い脚立を下りる。地に足を着け、振り返るとそこには、満足そうに頷くセリーヌの顔。その表情だけで、何を言いたいのかがよく解る。

 私も口端に微笑を浮かべ、見返しながら、


「さあ、帰ってリンゴを食べようか」

 セリーヌに左手を差し出すと、


「そうだね」

 弾けるような清々しい笑顔で頷き、彼女はそっと右手を重ねた。

 指を絡ませ繋いだ手の温もりは、少し肌寒く感じる秋風の中、切なさと甘い安らぎとを私の胸中に運び入れる。

 じきに木枯らしへと変わる風に想いを馳せ、二人寄り添いながら屋敷へ帰った。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ