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 夏は長い。

 初夏から秋にかけてまで、まるで地球に熱したベルトでも巻いているかのように季節を跨いでいる。

 それは十月に入っても、残暑という形でいつまでもしぶとく停滞していた。


「ねえ、これどこ置くの?」

 清流のせせらぎにも似た女性の声に振り返る。

 すると彼女――――セリーヌはロココ調ドレスを着た、貴族風の出で立ちの女性の人形を抱えて立っていた。


「ああ、それはリビングのチェストだから、後でいいかな」

 私たちは今、屋敷の整理をしている。

 本来なら、自分一人でやるべきことだし、やるつもりだったのだが。セリーヌはその様子を見たいと言い出し、やっぱり見るだけじゃ面白くないからと、結局手伝わせてしまう羽目になった。


「それにしても凄い数だよね。いったい何人いるの?」

 書斎兼工房を見渡し感嘆の息とともに彼女は訊ねる。


「そうだな、正確に数えたことがないから、確かなことは言えないが……。屋敷全体で覚えてるのまでなら、少なくとも三百近くはいるかな?」

「さ、三百っ!?」

 ああ、と私は頷き返す。

 大層驚いた様子で口をあける彼女を尻目に、自分の作業を急ぐべく私は視線を手元へ落とした。

 ドールたちの衣替え。

 比較的操演で使う頻度の高い人形は、その時節に合った衣装を着せるようにしている。

 それはドールを思ってのことだけではなく、見に来てくれる人々に、物語と季節を少しでも深く感じて欲しいからに他ならない。

 見に来てくれる人たちがいるからこそ、私は人形師として、パフォーマーとして生きていけるのだ。皆が楽しんでくれるよう、こうした陰の努力は怠らないようにしている。


「でも凄いよね」

 セリーヌはさも当然のように発声した。


「ん?」

 感心した風な音質にも、私は視線を逸らさず返事をする。


「だって、今度女王様の前で演技するんでしょ?」

「――――え?」

 彼女の言葉に思考が唐突に暗幕を下ろす。

 どうして知ってるんだ? まだ伝えていないはずなのに……。

 振り向き、


「なん――」

「なんででしょー」

 なんでと問おうとした私の言葉を遮り、セリーヌは間髪入れずにその先まで引き継いだ。

 口の端を吊り上げて悪戯な笑みを浮かべると、ふふふ、とこの上なく楽しそうに声を上げる。

 訝しむ私を余所に、彼女は白い薄手の上着のポケットへと徐に手を入れた。

 そしてゆっくりと引き出すと、その手には一通の手紙らしき封筒が。

 朱色の封蝋には見覚えのある印が押されている。


「これなーんだ?」

 そう言ってこれ見よがしにひらひらと手を閃かせる彼女。

 セリーヌは私を馬鹿にしているのだろうか。そんなものは見れば分かる。


「手紙、だろう?」

「正解」

 弾んだ声で回答すると、左腕に抱えた人形の頭を撫でながらこちらへ歩み寄ってくる。

 それをまるで自分の頭を撫でられているように錯覚し、うなじの辺りにむず痒さを覚えた。

 そうしてこちらまで来ると、セリーヌは手にした封筒をそっと差し出す。


「……これは、ヴァン=クライク市警の印だな」

 やはりそうか。これを彼女に渡したのは間違いなく――。


「うん。グレン君がね、教えてくれたんだ」

 やっぱり。


「はぁー。まったく」

 ため息をつきながら頭に手をやり、軽く首を振った。


「怒らないであげて。彼、こんなこと書いてたよ。どうせクリスのことだから、わたしにぎりぎりまで教えないつもりだろうから、って」

「いや、別に隠してたわけじゃない。そろそろ言おうと思ってたんだけどね」

「ほんとに~?」

「本当さ」

 自分でも夢か現か分からない状況だった――――。

 いつも通り郵便受けに手紙を取りにいくと、見慣れない封筒が一通混じっていたんだ。それは他とは明らかに紙質が違う、高級シルクみたいな白い封筒だった。

 封蝋にはこれまた見慣れない印契。差出人の名に目を移すと、『ロシュフォール』の文字が。

 それだけでどこから送られてきたのか一目瞭然だった。

 この辺りで“ロシュフォール”の名を使っているのは、王室だけだ。

 封を開けて中身に目を通す。予定の日付と、人形の美しさを賞賛する言葉。そして突然の手紙を詫びる文と、よかったら城へ招待したいという、王室にしては中々腰の低い言葉が達筆な文字で綴られていた。

 その内容が内容なだけに――――例えば狭い箱の中に脳だけを押し込めたかのように――――しばし思考は硬直した。

 しかしふと我に返った瞬間、私は迷わず決意した。

 女王であれ一観客なんだ、と。楽しんでいただけるのなら、ぜひ披露をしたい。


「――ただ、心の準備が出来なかっただけだよ」

 グレンからという封筒を受け取り、手紙を出して中に目を通す。


「しかし、彼はよく知っていたな。そんな情報まで警察に……しかも末端にまで伝わるのか?」

 どう考えてもおかしな点が残る。

 そもそも王室の話題が、しかも個人的な内容が警察に伝わること自体どうかしてる。もしかして警備等について、とかだろうか。

 眉間に皺を寄せて考え込むが、セリーヌはその不信感を払拭するような一言を発した。


「グレン君はね、クリスの人形に魅せられた一人なんだよ」

「そうなのか?」

 そんなことただの一度も聞いたこと――――。

 ああ、そういえば。以前関所で話した時に言っていたな。『忙しくなければ見に行きたいんですけどね』と。


「だからクリスの情報は欠かさずチェックしてるんだって」

「……それはそれで怖いな」

 納得はしたが、言いながら頬を掻く。それは照れ隠しであったかもしれない。

 だが、熱心なファンがいてくれるということは喜ばしい。単純に人形を好いてくれるというだけで、私としてはとても嬉しい限りだ。

 しかしセリーヌに書簡として送るとは、彼もなかなか凝った事をするものだな。


「ところで、いつなの?」

 唐突に彼女は切り出した。


「なにが?」

「なにがって、今の話の流れからして、操演の日時に決まってるでしょ」

 唖然とした表情で私を見返し、嘆息するセリーヌ。肩を竦める仕草をし、多少呆れているようだ。

 言葉の端々に先の丸い棘のようなものを感じるのは気のせいだろうか。尖っていないだけまだマシだが、逆にそれがもどかしい。黙っていたことに気を悪くしたのかもしれない。


「日にちは来月の十五日だよ」

「十一月ね。って、もう一ヶ月切ってるじゃない」

「だが聞いても仕方ないだろう? 今回のは一般公開されるものじゃない。謁見の間で女王と、恐らく付き人数人くらいが相手だろうからね。来たくても来られないよ」

「分かってる。ただね、クリスの用事は把握しておきたいの」

 言いながら彼女は寄り添ってきた。

 作業机に抱えていた人形を座らせると、自身は私の膝の上に座り、そして首に手を回す。そうして見つめ合うこと数瞬。やがてどちらからともなく顔を近づけ、互いに口付け合う。番いの鳥が啄ばみ合うように、幾度となく触れ合う唇と唇。

 甘美な夢のひと時に、脳髄まで蕩けるような熱にうなされた。


「――っと、こんなことしてる場合じゃないぞ、セリーヌ」

 大事な用事がまだ半分も済んでいないことに気づいた私は、さっと顔を引き少し見上げながら言うと、


「む、こんなことー? それはちょっと酷くない?」

 彼女はむくれた顔をしていじける。


「いや、そう言うんじゃなくてだな」

「クリスはわたしとキスがしたくない、と」

 口を尖らせ子供のように拗ねてみせる彼女に、少しだけ切なさがこみ上げた。


「だから、そうじゃなくて……いや、むしろしたいよ――」

「――あ、したいんだ」

 つい本音を吐いてしまうと、セリーヌは頬を赤く染めて視線を流した。

 あまりの気恥ずかしさに鼻筋を撫でつけ、私は明後日の方向を見やるが、


「いや、だから、早くしないとみんなが待ってるぞ。ただでさえ数が多いんだ。キスなら後でもいつでもしてやるから今はとにかく衣替えを急ごう」

 半ば捲くし立てるような勢いでそう言うと、そんな私の照れ隠しを見抜いたように微笑し、セリーヌはうんうんと何度も頷いた。



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