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夜の静寂を敲くのはクラウスの蹄鉄だ。一定間隔でそのリズムを刻み、軽快に並木道を通り抜ける。
そんな中、車内は沈黙に包まれていた。
屋敷内にいた時とは打って変わったように、彼女は黙りこくったまま。ルームミラーで後部座席を見やると、流れる景色をずっと眺めているようだった。
沈黙は別段、嫌いというわけじゃない。
もともと話すのはあまり得意な方ではないからだ。それは幼少期からの体験で、自分の意思は伝わらないが、話さなければ相手を傷付けることも自分が傷付くこともないと知ったから。
それが今でも身に染み付き、必要最低限のことしか喋らない自分という『モノ』を構成している一部分になっていた。
だが彼女の場合は何か違う。嫌いでないはずの沈黙が苦しい。胸を圧迫されたような息苦しさを感じる。しかしかける言葉も見つからず、そんな沈黙はなかったかのように、やがてセリーヌの店へ到着した。
気を取り直して扉を開け、彼女を馬車から降ろす。地に降り立った彼女は徐に空を見上げた。
その横顔はとても寂しげで、とても、儚げだった。
「ありがとう、クリス」
寂寞とした夜空に、彼女の声が馴染むように消えた。
「ああ。……どうしたんだい? 急に元気がなくなったみたいだ」
「……わたしね、時々思うの。いつか死んじゃうのに、なんで人は生きるんだろうって。苦しい思いをして、辛い思いをしてまで……。わたしね、両親が死んだ時、自分も死のうと思ったことがあるんだ」
突然の告白に驚きはしたものの、その言葉に私は反応を示さない。
ただ黙って、セリーヌの話に耳を傾けた。
「一人ぼっちなんだって思ったら、急に寂しくなって、怖くなって……震えが止まらなかった。孤独の中で生きていく自信がなかった。でもそんな時に、あなたのことを知ったの。クリスの人形劇が見たい、クリスに会いたい。それが、わたしの生きる目標になった」
「そうか」
「人は夢があるから、生きていけるんだよね。小さな幸せでもいい、目標の向こう側にある大きな夢でもいい。そうした曖昧だけど確かなものを持ってれば、人は生きていけるんだな、って」
「ああ、私もそう思うよ」
同感の意を頷きで返すと同時に、セリーヌが勢いよく振り返った。
その時、瞳から零れた涙が、中空に一筋の線を描く。月明かりに照らされた雫は流星の如く、静かに掠れるように、夜闇の中へと溶けていった。
人は一人では生きていけない。社会的面から見てもそうだが、なによりも、人は心の拠り所を欲するものだ。耐えられるからと孤独に身を置いても、やがて心は磨耗し精神の糸は擦り切れるだろう。
本当の意味での孤独に耐えられる人間など、この世には存在しないのだから。
故に人は皆、心の家を探して生きている。私もそうだったのだと、今の話で気付いた。セリーヌという名の、還りたいと思う心の家を、私は見つけたのだ。
月明かりを背にして彼女は最後に微笑むと、囁くように言った。
「今日はありがとう。じゃあ、また今度」
セリーヌは踵を返して歩き出す。ああ、と小さく頷いた私に、得体の知れない棘を残して。
それは不安だろうか、それとも期待だろうか。そのどちらでもありどちらでもない。
そんな不確かで不透明な、でも確かな疼きを残す、幽微な棘だった。
◇◇◇
なぜ、あんなことを話したんだろう。
自分でもよく分からない。焦り? それとも不安? ……でもいったい何に?
わたしは至って普通だと思う。いつもと変わらないメンタルにコンディション、化粧乗りだって変わらない。でもなぜか、心がチクチクと悲鳴を上げる。急いているような焦燥感。
クリスと出会えて本当に嬉しいと感じている。でも、満たされ切らないのはなぜ?
こんなにも幸福感に溢れているのに、まだ足りないの?
こんなにも彼の愛情で包まれているのに、すきま風のように入り込んでくる冷たい気持ちはなに?
考えても分からない。不安の種なんか何もない。ないはずなのに、心が苦しい。