大人になるための靴はボクには小さくて。
「いつまで子どもな気分でいるつもり?」
そんな幻覚が聞こえるぐらいじゃ、まだ子どもなんだと思う。
図体ばっかりでかくなってしまった、高校二年生な俺。身長百八十オーバー、ただしひょろい。インドア派ですから。
クラスでのポジションは、ほぼ空気。
ただし文化祭の一部分でのみ活躍。なんせ美術部ですから。
放課後、美術室の端っこで。ほかの部員の女子たちが華々しく喋っているのを横目に俺は筆を動かす。風景画。青のグラデーションで描く空、薄い青を幾重にも重ねていく。白い薄雲、透ける青と重い水を含んだ僅かな灰色。下はお花畑、キャンパスのさらに上で輝く太陽に向けてその花弁を大きく開いている。かわいいね、なんて下書きの段階で言われて少し気恥ずかしかったけれど、これはあいつに奉げる絵なんだ。だから、気恥かしいなんてのはどこかへと飛んで行った。
絵を描くのは好きだ。
空想の世界でもいい、現実世界でもいい。自分の好きな瞬間を切り取って、自分の手で固定化する作業が好きだ。他人の好きな一瞬というのも勉強にもなるし、なにより感動できる。このときは、僕は僕であり、社会的な期待も何もかも取っ払って、自由に歩いている感じがする。
分かってはいる。
僕らはいろいろな圧力を受けながら立っている。圧力、ってのは社会からの期待とか、そんなのだ。
「大人になんかなりたくない」
そうはいっても時間は平等に過ぎていく。体は無駄に大きくなっていく。あのころは高かった天井も、うっかりすると頭を打つ。心も同じだ。周りの状況、いじめとか雰囲気とか、そんなのとかから自分を守ろうと本能を発揮すれば自然と育つ。じゃないかな。
よく言われていたのは、大人びてるね。だからと言って厄介事を押しつけられた。大人びているからって何でもできると思ってるんですかね。大人でもできない人なんてザラにいるでしょうに。
諦念。
諦めて社会の期待に応えられれば、社会に溶け込める。諦めて流されればいいんですよ。諦念は浮き輪代わりになってくれる。でもそのせいで膨れ上がった僕の足に、ガラスの靴は入らない。
大人の階段登る、君はまだシンデレラさ。
邪気眼もった魔女の子こそが思春期のようだ。見えないものが見えるのだろうか。被害妄想、過大評価、見えないもののが見えるせいなんだろうか。
むくんだ足をガラスの靴に入れるには、ナイフで削ぎ落すしかないのかな。
諦めがあるからといって大人になれない。大人と呼んでもらうには、それ相応の経験や人格や資格が必要となるんだ。そこへいくには、むくんだ足ではいけないな、靴を履かなきゃ、いばらの道は歩けないな。
「でもさ、継斗。悟ったふりして悟れてないのが、俺たちだろ?」
夢樹のずいぶんと簡単な一言は僕の足に針となって刺さった。浮き輪の足、空気が、抜けていく。
白い、日にさらしていない、足。
それはすんなりと、ガラスの靴に収まった。
ああ、僕はまだ、子ども。
――――大人になるための靴はボクには小さくて。
どうも、玖月あじさいです。
もうそろそろ設定に矛盾がでてくるころで焦っています。
というか、すいません、矛盾があったのでこっそりと修正しました。
彼らは全員同じクラス。
それではー