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ピースが足りない  作者: 白い黒猫
どちらにしても足りない
6/24

一つの愛の形

 懐かしい夢を見た。楽しい高校時代の風景、大人でもなく、かといってまるっきり無邪気なだけの子供でもなく、男も女も同じ紺色の制服で染め上げて、全てが曖昧で未熟なその状態に甘える亊が許されていたあの時代の。

 そこで私は笑っていた、セーラー服に身を包み、じゃれるように小さいあの子を抱きしめる。男の姿の時は傷ついたような顔でみていた友人も、笑ってみている。夢の中で、私と彼女がじゃれあっていても、女同士なら嫉妬なんてする必要もない状況なんだろう。


 久しぶりに楽しい気持ちで目を覚まし、汚れた病院の天井が目に入りなんとも言えないほど切ない気持ちになる。

 今日は、日曜日という亊で、リハビリも休み。午前中はカーテンでパーソナルスペースを保持し、本でも読んで過ごそうかと思っていたら、意外な見舞い客が訪れてきた。

 昨日出会ったばかりの人物、鈴木賢治である。

 大きな百合の花束を持って颯爽と現れて、スマートにそれを私に手渡す。こういった一連の動作をキザに見せず自然にやって見せるところは流石である。元彼もそれなりに二枚目であったが、この男を見ていると分かる、役者がぜんぜん違う。いや、あんな自己中心的で傲慢な最低男と比較するほうが間違えているか。 知的で冷静、自分が何を求めていて、自分に何を求められているかも理解し、その両方を泰然と叶えてみせる亊が出来る、大人の男である。

 私が(Gende)(Identity)(Disorder)でなかったら、多分理想として、こういう男になることを目指していたと思う。


「もしかして、百合あまりお好きではなかったですか?」


 戸惑いながら、百合の花束を見つめている私に、苦笑しながら賢治は聞いてくる。


「いえ、百合は大好きな花。嬉しくてどう反応返して良いのか分からなくて……ありがとうございます」


 私は素直にお礼を言う。


「ただ、慣れてなくてこういうの。すいません、可愛く『有難う』ってはしゃいで喜ぶ事が性格的になんか出来なくて。本当に嬉しいです」


 私は素晴らしい芳香を放つその花束を優しく抱きしめる。


 賢治は、フッと笑う。その笑いは嘲りの意味ではなく、好意的なもので、穏やかで優しい色を帯びていた。思わずハッとするほど魅力的な笑みに思わず見惚れてしまう。


「その嬉しそうな表情が見られて、良かった。百合を選んだ甲斐があった。それにその花は貴方によく似合っている」


 こういう言葉をサラリと言ってくるなんて、なんて女殺しなのだろうか。私は苦笑する。


「お世辞でも嬉しいですよ。ところで今日はどういう理由でこの部屋に?」


 賢治は肩をすくめ、『お世辞ではないですがね』といった事を言ってくる。


「妻の事でちゃんとお礼をしたかっただけです」


 私はニッコリとした笑みで、先に続く言葉を待つ。お礼は昨日のうちにされている。でも妻の見舞いの前に、態々花束もって私の元を訪ねてきたという事は、何か直接話したいことがあったからだろう。


「ところで、怪我の方は如何ですか?」


「腫れも退いてきて、来週には退院出来そうです」


 松葉杖も使えるようになってきたし、医者曰く経過は順調ならしい。あとは通院により経過をみつつ、リハビリをしていくことになりそうだ。私もいつまでもこんな所でウダウダしているわけにもいかない。生活費も稼がないといけない。


「それは良かった。あっ私、こういうことやっているので、交通事故の処理とかで困った事あったら相談のります」


 そういって、賢治はポケットからケースを出し名刺を差し出してくる。見ると、弁護士となっている。


「ありがとうございます。まあ私の場合交通事故でなく傷害事件なのですけどね。知人から弁護士を紹介してもらって今色々やってもらっている所です。でも、弁護士ってこうやって営業活動しなきゃならないって、結構大変ですね」


 しまった、素直に思った事を口にしてしまった。かなり失礼な事を言ったような気がする。賢治は苦笑し、イヤイヤと首を振る。


「なんか下手な接し方すると、私は残念な人に想われそうだ。貴方は頭の良い人だから、あまり遠回しな形で話しをするのは止め、これからは単刀直入にお話をする事にします。私はここに来たのは、貴方の怪我の理由がチョット気になったからです」


 私はその言葉の意味が分からず、怪訝な顔で見上げてしまう。


「貴方が交通事故で怪我されたのとばかりに思ったので、一言お願いに来たのですが、その必要はなかったようです」


 何が言いたいのだろう? 良く分からず私は首を傾げてしまう。


「交通事故だと何か問題があったのですか?」


 賢治は、やや悩んだような顔をしたが、小さく溜息をつき口を開く。


「妻は、過去に交通事故を経験していまして、貴方がそのつもりはなくても、話した事が彼女の精神状態にいらぬ刺激を与えることがあるのではと、懸念していた訳です」


 なるほど彼は、私が交通事故でこうなったと勘違いしていて心配していたというわけか。もしかしてその交通事故がきっかけで二人は出会ったのだろうか?


「事情は分かりました。言って下さって助かります。不用意な事で香織さんを傷つけるのは私も嫌ですから」


 賢治は『ありがとう』と言いながら穏やかに笑った。彼なりに、脆いところをもった香織を守ろうと必死なのだ。それだけ彼女を愛しているのだろう。なんて頼もしいナイトを香織は持っているのだろうか? こうして自分だけのナイトをもつ、本当に女の子らしい生き方だ。愛されて、守られる。私にはやりたくても出来ない生き方、この先治療を進め、手術して身体を変え、戸籍も変える事ができたとしても、完璧に女になれるわけではない。だから本当に女の子らしい人生というのは私にはあり得ない。


「ところで、傷害事件って、誰に暴行をうけたのですか?」


「三階から突き落とされたんですよ。恋人だった人に」


 私があえて笑顔でいった言葉に、賢治は眉を顰める。


「酷いな、それは。逆によくそれで済みましたね。相手は捕まりました?」

 

 私は頷く。そう今相手は拘留中だ。そして弁護士を通して私に示談を申し入れ、なんとしても不起訴に持ち込もうとしている。単なる痴話げんかで済ませたいのが本音だろう。


「しかし、まだ拘留されたままというと、かなり警察が問題を重くおいているということですね。第三者行為災害届はもう出されていますよね? 相手は損害賠償責任をちゃんと負えるような人物ですか?」

 

 私のかいつまんだ経緯を賢治は頷きながら聞き、そういった言葉を返してくる。

なるほど、こういった所なのね、香織が言っていた突っ込んだ話をしてくるというのは。しかし逆に仕事モードに入っているほうが、不思議と話しやすく感じた。この男とは、これくらいの距離感が気楽なのだろう。


「相手はそれなりの会社に勤めていた人なので、私の治療代くらいは払える能力はありますので。今互いに、弁護士を通じて、損害賠償について争っている所です」


「なるほど、目撃者なしの密室で起こったことですよね? そこが辛いな、相手は出来る限り罪を軽くしてくるために、貴方に不利な事を言ってこようとするはずだ。あなたが被害者という事を出来る限り有利に働かせて賢く上手く動くべきですね」


「幸いな事に目撃者もいて、何故か私に有利な証言をしてくれているので」


 目撃者とは、そう、鉢合わせた元彼の婚約者。私は騙されていたという事で頭が真っ白になり実はあの部屋での事をあまり覚えていない。でも、私は何もせずに呆然としている所を彼が一方的に暴行をふるって私をベランダから突き落としたわけではないのは何となく分かる。多分私もキレてかなり暴れたと思う。

 しかし彼の婚約者、いや元婚約者は態と彼を陥れるような、そういった内容の証言をしてきている。そして、彼が彼女に、自分の都合の良いような証言するように頼み込んだけど、婚約者の行ったあまりの残酷な行動が怖くなり本当の話を証言することにしたと涙ながらに警察に語ったらしい。だからこそ、元彼が保釈されずにまだ留置されている事情である。私が言うのも何だけど、女って怖いと思った。

 彼女にとっても、許し難い裏切りをしていた婚約者であった彼を、彼女はさっさと切り捨てたのだ。そして婚約破棄し、彼女も慰謝料を受け取るつもりなのだろう。多めに取る為により有利な状況を作り上げたと、私の弁護士がそう語っていた。私からあれだけ、貢がせておきながら、彼の実家はそれなりの資産家で、しかも結構な高給とりだったらしい。まああの男の金遣いの荒さから、彼自身の貯金がどの程度あるかは分からないが――。しかし、彼女のその行動は本当に、お金の為だけなのだろうか? 愛していた男への復讐も少しはあるのか? ほんの一瞬というくらいの時間しか顔を合わせることのなかった私には、何も分からない。


「もし、納得出来ない状況や、困った事があったら、私に連絡してください。いくらでも相談にのりますから」


 落ち着いた表情で私の肩に手をやり、力強くそんな事をいってくる。同じ弁護士でも、私の禿げあがった小太りの弁護士とはえらい違いだ。この男のこの表情を見れば、殆どの顧客は大船に乗った気分でこの人に任せようと思ってしまうのだろう。私は曖昧な笑みをそんな賢治に返した。

 確かに格好良い男な事は確か。昔から私は、男性の好みはかなりベタ。つまりはメンクイ。しかし賢治に対して、そういった心のトキメキとか、一度も感じる事はなかった。まあ香織の夫にそんな感情を抱いたところで意味はないけど。どこかこの男を退いて冷めて見ている自分を感じる。もう、すっかり切り替えたと思っていても、失恋の痛手が思いの外、重く残っているのかもしれない。

 そう最初は思っていた。でも違う、純粋にこの男が怖かったのだ。その事に私はもう少し後になって気付くことになる。


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