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ピースが足りない  作者: 白い黒猫
埋まらないパズル
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どこか違和感のある風景

 弁護士の仕事というのは、ドラマにあるように法律を熟知した正義と弱いモノの味方という格好良い仕事ではない。法律は穴だらけだし、正義なんて立場によってバラバラであってないようなこの世の中において、俺達弁護士の仕事は正義でも弱き人でもなく、守るのは顧客の利益。顧客の悩みに対して、カウンセリングのように話を聞いている時間や、資料を集め書類を作成している時間の方が、法廷にいる時間より長い。いるのは熱い正義感ではなく、幅広い知識に裏付けされた冷静な判断力。


 俺は午前中に一件の顧客との打ち合わせをすまし、裁判所に資料を提出して、国立図書館で資料を集め事務所に戻ってきたら、十四時を超えていた。

 香織の作った弁当を広げながら、スマフォのメールをチェックすると香織から一件入っていた。

 俺の仕事の邪魔はしたくないという想いから、彼女の方からメールを出す事は殆どない。このメールも、出かけに説得し病院にいった香織の、診察結果の報告だろう。逃げずに病院には行ったみたいではあったのだが、こんなに返事が遅くなった事に一抹の不安を感じる。

  

 『お仕事、お疲れさまです。突発性難聴という診断を受けました。なんか一週間程入院しなきゃならないみたいですが、あまりにも急な話だったので、チョット保留にしました』 


 香織からのメールの内容に、俺は思わず固まるが、我にかえり、即座に通話ボタンを押す。


「香織? 大丈夫か? 入院ってそんな、保留にして良い問題か?」


「心配しないで、点滴治療を一週間行わないとダメな為に、入院の必要があるらしいの。 でもね、急にそんな事言われても、ケンちゃんにも迷惑かけるし家の事もあるし何の準備もしてないし……」


 おずおずと言い訳してくる香織に、俺は思わず怒鳴ってしまう。


「あのな、身体が一番大事だろ! 俺の事や家の事なんて二の次でいいんだよ」


 『でも』と、入院することに尻込みしている香織を叱り、明日午前中、予約してちゃんと治療を続けるように指示を出す。


「俺も一緒に行ってやるから」


「そんな、一人でも大丈夫よ、忙しいのに」


 俺の事よりも、自分の事を気にしなさいと妻に言い電話を切る。

 隣で同僚の佐伯が心配そうに俺の顔を見ていた。


「奥さん、どうかされたんですか?」


 俺は、佐伯に状況を説明する。佐伯はストレートで司法試験を突破した俺とは異なり四浪していることで、この事務所では俺の後輩となっている。年下の俺の指示を受けて仕事するのは嫌じゃないのかとも思うが、陽気で穏やかなこの男にはそういった下らない嫉妬というのは似合わないのかもしれない。俺の事を気遣うように声をかけてくる。


「突発性難聴なんて大変じゃないですか、早めに治療しにゃきゃダメですよ! 俺の友達が昔やって、治療なんてする暇ないなんて言ってたら、そのまま聴力が固まってしまったんですよね。なんかすぐに治療するのが完治のさせる何よりもの方法らしいですから。あっ仕事の事は俺達でちゃんとフォローしますから奥さんに付いてやってください」


 佐伯は軫憂の表情を浮かべ、コチラがお願いする前に申し出てくれた。俺はそんな佐伯に感謝しつつ、上司にも事情を説明しスケジュールを調整する。

 一息つき、パソコンで『突発性難聴』について調べてみる。


 原因不明となっているが、一般的に有力とされている説の一つにストレスが入っているのに激しい動揺を覚える。香織は俺にはいつも笑っているけれど、悲しみ苛立ちといった感情を必死で抑え、限界に近づいてきていたのは分かっていた。俺はそんな彼女に何も出来ず、相変わらず見つめ続けていただけ。自分の無力さに嫌気がさし、大きくため息をつく。


 水曜日、仕事を午前中に半休した俺を香織は、酷く申し訳ながった。しかし香織を通してではなく、直接医者とも話したかった。医者の話だと、香織は突発性難聴の症状として多く起きやすいめまいといったものはないものの、難聴を起こしている音程の範囲は軽度とは言い難い事があるので錠剤による治療でなく点滴による治療を最良としたという事らしい。幸いな事に発症してすぐに病院にかかったこともあり、治癒率は高いらしいという事にチョットホッとする。

 隣で香織は、憂鬱そうにため息をつく。俺はそんな香織の肩に優しく手を沿える、そんな顔することはないからと安心させるように笑いかける。


「お婆ちゃんには、心配かけたくないから秘密にしていてね」


 チラリとコチラを見て、香織は俺にそっと囁いてくる。入院中に心細いであろう彼女に、高梨さんが駆けつけてくれたなら少しは彼女も心強いだろうなとは思うものの、高梨さんに伝わるということは、俺の両親にも筒抜け、結婚して五年目ということで、『新婚気分を楽しみたいのは分かるけど、そろそろ子供は作ったほうが良いわよ!』と無邪気に孫を求めてくる俺の両親に今の彼女を対面させるのも、チョット危険だとも思った。俺同様、両親も香織との付き合いが長い。その分、ストレートで遠慮もないのが困ったところである。俺が、必死で話題を反らしたら反らしたで『アンタが、仕事ばかりしているから! ちゃんと家に帰っているわよね? 高梨さんに早く曾孫を見せて上げたいと貴方も思うでしょ?』俺に対してはさらに遠慮なく、まくし立てられる。そういう両親には俺も頭が痛い。


「あっ! 今耳鼻科の病室が満床でして、別の科の病室でもかまいませんか?」


 俺は耳鼻科の入院患者がなんで、そこまで多い? とも思ったけど、突発性難聴の場合早く治療をする事の方が重要なので、その言葉に頷く。

 この時に、入院する病棟までちゃんと何故一緒に行って確認するまでしなかったのかと、後で後悔する。

 その為に香織が苦悩の三日間を過ごす事になるなんて知りもしなかった。


 俺は午後の予定が迫っていることもあり、入院する病室へ看護婦さんに案内され向かう香織を見送ってから病院を後にした。

 午後からの仕事だったこともあり、その日の帰宅はかなり遅めになり、家にたどり着いたのは日付が変わるか変わらないかというくらいの時間だった。

 誰もいない家に帰るのはなんとも侘びしい。家に香織がいるのといないのでこうも風景は変わってしまうものなのだろうか? 手作りのキルトが散りばめられた綺麗に片付けられた室内は変わらない筈なのに、風景から彩度が落ちてしまったようで、暗く冷たく感じる。


『今家に帰ったよ。お休み。ゆっくり療養するんだよ』


 俺はもう寝ているとは思うけれど、メールで帰るコールを送る。寂しさもあり、どこか香織と繋がっていたい気分だった。

 驚いた事に、すぐにメールが帰ってくる。


『お帰りなさい、遅くまでお疲れさま! 一回目の点滴無事終わりました。点滴後も血圧も変化なしで、取りあえずは順調みたいです。明日朝コーンフレークをちゃんと食べてね。あと冷蔵庫にヨーグルトとバナナ入っていますから! それも食べてね』


 病院にいてまで、俺の朝食の心配をしてくる香織に、俺の心は暖かくなる。 

 

 金曜日に大きな裁判が入っていた事もあり、なんとも慌ただしい忙しい週だった。メールで香織とやり取りはいつもより多めにしているものの、病院に行く暇もなく俺は仕事に集中していた。


『病院って何か落ち着かないね、早くお家に帰りたい』

 

 金曜日に珍しく甘えた言葉をメールしてくる香織。俺は読んで思わずにやけてしまい。


『俺も寂しいよ。明日は休みだから朝一で会いに行くよ、香織の好きなお菓子を沢山もってね!』


 速攻でメールを返す。そのメールを打つのを、隣で見ていた佐伯が、ニヤニヤとする。


「いつもクールな鈴木さんですが、奥さんにはメロメロなんですね~いいな! 結婚五年でまだそんなにラブラブってなかなかいませんよね」


 俺は、子供っぽく目を爛々とさせていう佐伯に、何も言えなかった。自分の顔は見えてないけど、赤くなっているのを感じた。冷静沈着というイメージで過ごしているだけに、同僚とはいえこういう部分を見せてしまうのは恥ずかしい物がある。そして、俺は香織がどういう心境でこのメールを出してきたかも気付いていないでいた。

 それどころか、土曜日に香織を見舞ったときには、妻を苦しめていた問題は、俺が動くまでもなく解決していた事にもショックを受けることになる。


 そして俺は今、香織を守り救ったとする鈴木薫という人物を前に、戸惑っている。

 鈴木薫も緊張した面持ちで、切れ上がった目を挑むように俺の方を見上げている。

 涼しげな目元、スッキリした鼻と口で整った顔立ちをしているともいえるその人物。クセのないミディアムヘアーで、雰囲気的にはバスケとかバレーとかやってきた女性のように見える。残念なのは彼女の右目を覆うように出来た青痣がその顔を無残なものにしている。事故かなにかあって、この病院にいるのだろう。車椅子に乗って片足をギブスで固めている。

 ボーイッシュなその顔立ちに反して、明るいピンクのフリルがヒラヒラした乙女ちっくなTシャツを身に付けている。それがお世辞にも似合っているとはいえない。香織はニコニコと親しみをもった瞳で鈴木薫を見つめている。そして自慢げに『友達の薫さん』と紹介する。

 なんだろう不思議な既視感と違和感を覚えつつ、俺は、鈴木薫に挨拶をする。


「香織の夫、賢治です。妻が色々とお世話になったようで」


「鈴木薫です。奥様と仲良くさせて頂いています」


 鈴木薫は、女性にしては低い声で挨拶を返してきた。

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