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ピースが足りない  作者: 白い黒猫
分かれ道
22/24

裏路地の風景

 人生において、ここまで自分を失う程に動揺したという事は初めてなのかもしれない。俺は目の前にいる相手を怒鳴りちらし、車から無理矢理降ろさせる。せめてそうしたのは、俺の中に僅かばかりに残った理性によるものだったのかもしれない。これ以上顔を合わせていたら、鈴木薫に何をしていたか分からなかった。俺は車を降りて呆然としている鈴木薫の視線を感じながら、そのまま車を発進させる。そして姿が見えなくなったあたりで、路地に車をすべらせ止めてそのまま、抑えきれなかった感情をはき出すように言葉にならない声をあげハンドルに俯しそのままジッとする。


 結婚生活当初は、子作りといった事も気にせず思う存分愛し合っていた。寧ろ子供が生まれてしまったら、こういった甘い時間もとりにくくなるだろうと、その二人っきりの時間を楽しんでいた。二年目を超えたあたりから香織は基礎体温を付け始め、排卵日にはより張り切って子作りをするようになる。そして三年目から香織は産婦人科を頼るようになった。そして医師の指導の下に、排卵を確認した上で性行為を行うというなんとも空疎な状況を繰り返す事になる。

 子供を作るために必死になってしまっている香織を宥めながら、裏で俺は自分も泌尿科に検査へといく。一人で香織を悩ませないためにも俺なりに一緒に頑張るつもりの行動だった。しかしそこで俺は衝撃的な診断をうける。


 『精子無力症』


 喫煙が原因なのか? それとも大学時代にかかってしまったおたふく風邪が原因なのか? 仕事のストレス? 女性不妊に比べ男性不妊は原因が不明な部分が多く、煙草も止め漢方薬治療などをおこなってみたが改善がまったく見られなく俺は絶望する。そしてその事実を香織に伝えることすらも怖くて出来なかった。


 香織が最も求めている夢を、壊しているのが俺自身だと何故言える? 苦しんでいる香織に『ストレスを溜めるのはよくない』『のんびりいこう』といった言葉をかけ、抱きしめるしか出来なかった。香織の前では完璧な頼れる男でいたかった。実質はどうであれ、彼女の前ではヒーローでありたかった。


 しかし、鈴木薫は、こう言った。『香織は不妊の原因を察している』と、そしてあの提案をした時、鈴木薫は『俺と香織で人工授精を何故しないのか?』とは聞いてこなかった。

 

 クククククク


 その二つの事が意味する事に俺は、笑うしかない。一人で暗い路地で不気味に笑う俺は、端からみたらかなり異様な状況だったと思うが、そんな事も気にする余裕すら、今の俺にはない。


 冷静に考えてみたら、香織が気付いて当然のこと。病院の検査で香織には何の問題も無い事は分かっている。となると残される可能性を考えてみたら分かるものなのかもしれない。

 しかし、香織は何故俺に何も言ってこなかった? それは俺のプライドを壊さない為。二人とも気付いていながら、互いにその事を気付いていない演技を続けていた。


 どうすれば良い? 俺は。

 香織はまだ二十八歳。これから別の相手と結婚すれば、彼女が求める子供のいる家族というものを作り出すことが出来る。しかし俺は香織を今更手放したくなんてない。俺は香織がいないと駄目なのだ。

 香織には自分がいないと駄目なんだ。そう思い続けていたが、実は逆。守るつもりが、俺がずっと守られていた。


 とんだヒーローだ。何が自慢の旦那様だ。


『欲しいモノを全てを手に入れられるなんて甘い事は考えていませんので』


 鈴木薫が先程言っていた言葉を思い出す。俺も全てを手にいれられるなんて考えていたわけではない。ただ、何に変えてもコレだけは叶えてやると思っていた夢を、自分が原因で叶わないという事実をどう受け入れたらいいというのだろうか?

 しばらく、ハンドルに凭れ俯したままの格好でどれほどいたのだろうか? 目の端に車のキーについたキーホルダーが見える。香織がクリスマスにプレゼントしてくれた、イタリアのデザイナーが作ったというシャープな犬のデザインのモノ。互いに好みを知り尽くしているだけに、確実に俺の喜ぶモノを香織は与えてくれる。疲れているときには、胃に優しくて元気が出るものを、甘えたいときには優しさを。


 俺は大きく深呼吸してバックミラーに映る自分の顔を見る。やや髪の毛が乱れた俺の姿がそこにある。俺は手櫛でその乱れを直し、もう一度深呼吸をする。


 もう、大丈夫、落ち着いた。 帰ろう! 家に。愛しい我が家に。


 そして、家で待っている香織に帰るコールをする。穏やかに電話をうける香織の声にホッとする。そこにはいつもと同じ日常がある。

 ギアをドライブに戻し車を発進させた。

 いつものようにリモコンで駐車場のシャッターを開け、車を内部に侵入して駐車スペースに車を滑らせる。そしていつものように駐車場のエレベーターから自分の住む階へと向かい、廊下を歩き、鍵を開け『ただいま』といつものように挨拶をして部屋に入る。


 リビングでは、香織がいつものように微笑んで俺を迎えてくれた、鈴木薫の隣で。俺はその瞬間にせっかく抑えてきた先程の感情が吹き上がってくる。すぐに鈴木薫の手をつかみそのまま寝室に連れ込み荒く突き飛ばす。鈴木薫は引きずられるように移動させられた事もあり体勢が整ってなかったので、激しく壁に背中をぶつける。


 俺は後ろ手で鍵を閉め、鈴木薫に詰め寄る。胸ぐらを掴んで揺さぶる俺を、鈴木薫は必死で俺の胸に手を伸ばし抵抗する。


「貴様、何しにここにきた!」


「あ、あんたの事が心配できたの!」


 鈴木薫は俺に気圧された様子でそう叫ぶ。こんな子供にまで心配されているとは、と余計に苛立ちが増す。


「はっ、心配! 偉くなったものだな。しかし俺達夫婦の問題に、お前は関係ない。介入してくるな!」


 その言葉に、鈴木薫の顔がキッと俺を見上げる。


「こっちだって、介入する気も、邪魔する気もない! あんたが勝手に巻き込んでいるだけだろ!」


 考えてみたら正論ではあるが、俺は思わず彼女の顔を殴る。そのまま鈴木薫は吹き飛び後ろの棚にぶつかり、崩れ落ちる。この攻撃の所為か、それとも俺の言い分に対して彼女もむかついてきたのか、ゆっくり立ち上がりコチラを睨んでくる。


「香織に何を言った?」


 鈴木薫はフンと笑う。


「何も」


「本当か!?」

 

 俺は、疑うようにゆっくりと彼女に近づき低い声でもう意一度聞く。彼女が口を開いた瞬間に、肩を叩かれ俺は後ろを向く。その瞬間に頬の激しい痛みを感じた。香織がキツイ視線コチラを真っ直ぐ見上げ、立っていた。香織に俺はひっぱたかれたという事実に気が付く。


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