良き友情の形
友情というのは不思議なものである。大体において、気の合う人、趣味が合う、価値観が合う、話しが合うだから友達になる。そういうものではあるものの、一番大切なのはそこにいることが心地よいかという問題になる。
その心地良さというのは、なかなかのくせ者で、話が面白い、相手の気性が優しいという他に、自分を傷つけない、コンプレックスを刺激しない、一緒にいる事で得する、自尊心が満足出来るという事も含まれる。なので相手がいくら素晴らしい人格の持ち主で容姿もよく、お金ももっていて、気前が良いという相手であっても、その恩恵をうける事に満足出来ているうちはいいが、その相手がもっていて、自分が持ってないものを意識しだすと嫌になってしまう事もありえる。
香織は、可愛らしいし、最高のパートナーをもち、まさに理想の幸せな姿を体現したような女性である。GIDを意識してからかなりひがみっぽくなってきた私からしてみたら、まさにコンプレックスを刺激されまくるはずの相手。何故私は二人を嫌にならずに寧ろ慕って付き合ってこられていたのか? それは二人が私と同様に痛みをもった人間だからだ。そしてその痛み部分が、私の抱える痛みと微妙にズレている所も良かったのだ。あまりにも同じだと、それはそれでコンプレックスを刺激して辛いものがある。その点その欠けている部分のズレの位置が絶妙で、互いに支え合えるよい関係。
しかし、賢治にとって自分ってどれ程、苦々しい存在だったのかというのを今さらのように気が付かされた。賢治がまさかその事に気が付いているとは思っていなかったから。
私は、呆然と去って行く鈴木賢治の車を見つめるしか出来ない。動揺していたとはいえ、最悪な事を仕出かしてしまった。慌ててタクシーを拾い二人のマンションがある町名を指示する。
チョット考えてみたら分かる事だった。何故、賢治が私に対してあそこまで毛嫌いしてきていたのか? 私の進もうとしている道が、どれ程賢治にとって不快なものだったのか? 彼が喉から手が出るほど欲しいものを、私は目的の為に捨てようとしていたのだ。別に私もそれを簡単な気持ちで捨てようとしているわけではない。悩んで苦しんだ上での決断である。だからといって、それが賢治にとって暖かく見守れる物ではないだろう。
そんな事も気が付かず散々甘え、私は彼の隣で彼の感情を逆撫でするような悩みを吐露して、苦しめ続けたのだ。
そう、二人の抱える問題を知った上で、私はソコに心地よさを覚えていた。自分が求める理想の夫婦でありながら、子供を作れず求めている幸せを手に入れられない。それは女性になることを羨望しながら、完全に女性になれない私に通じる痛みを知る相手という意味と、同時にどこかその相手がもつ痛みが私のコンプレックスを絶妙に刺激せずに自尊心を満足させるモノだったから。
まったく同じような悩みを抱える、GIDとの関係はどこか傷の舐めあいになり、痛すぎて時々辛くなる。だけどこの夫婦だとその傷の位置が微妙に違うことで上手くいっていたのだと思い込んでいた。
『お前がソレを、捨てるというなら、よこせ!』 そう思って当然である。
頭の中でこの後起こりうる悪い事ばかりが浮かびさらに怖くなる。賢治の電話番号なんて最初からしらない。たしか名刺はもらったことあるが、あれは仕事用のものなので今かけても繋がらないだろう。それに車の運転をしている最中であろう相手にかけるというのも怖いものがある。香織ちゃんに電話しようとするが何と告げれば良いのかわからず戸惑ってしまい、ただスマフォを握りしめてジッと見つめる。そうしている間にマンションにたどり付く。私はお釣りも受け取らず、タクシーを降り、マンションに入る。恐々と部屋番号を押すと、穏やかな香織の声が返ってきて少しホッとする。
こんな遅くにいきなり訪ねてきた私を香織は、驚きながらも部屋に招き入れてくれた。
部屋に入ってみると、温かみのある暖色系の明かりに満ちた、いつもと変わらない安らぎの空間が広がっている。香織はまた私の身に何かが起こったのではと思ったようで、心配そうにコチラを見つめている。
「賢治さんは」
キョロキョロと部屋を見渡し聞いてみる。私が一番この時、気になっている存在がいない。
「ケンちゃんに相談したい事あったの? さっき帰るって電話があったから、もう帰ってくるわよ」
「電話? いつ頃?」
余裕もなく、切羽詰まった感じで聞いてしまう私を、香織は不思議そうな感じで見つめている。
「十分ほど前だけど」
『十分程前』ということは、私と別れた後の事。取りあえず、賢治が無事である事が分かり胸をなで下ろす。
「薫ちゃん、どうしたの? 何かあった?」
心配そうに聞いてくる香織に、どう返事を返すか悩む。今の自分がかなり怪しい行動をしているのを自覚はしている。でも私がややこしい事態を引き起こしているとはいえ、夫婦の問題に口出ししていいものでもない。
「いや、あの賢治さん、最近忙しいのよね? 電話でどんな感じだった?」
とりあえず、当たり障りのない感じで探ってみる。香織は『ウーン』と首をかしげ答えようとした所で、玄関の方から音がする。
「ただいま、香織」
賢治が、先程までの表情が嘘のように柔らかい笑顔でリビングに入ってくる。しかしその表情が香織の横に立つ私の姿を見て急変する。
「貴様、此所でなにやっている!」
うなるような低い声で賢治がそう言いながら、ズンズン近づいてくる。乱暴に私の腕を掴む。そのまま引きずられるように違う部屋に連れていかれ、壁へと突き飛ばされた。
背中に衝撃がおきガシャンと何かが壊れる音がした。痛む背中を気にする余裕もなく、鬼のような形相でコチラに迫る賢治を、私は防御の姿勢で見つめ返すしかできなかった。