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ピースが足りない  作者: 白い黒猫
分かれ道
19/24

凹と凸の形

 世間一般の人はどのくらいの期間、家出をするものなのだろうか? 私は一年と数ヶ月で家出状態を脱する事にした。世間からいうとあらゆる意味で路を踏み外してしまったという時間だったものの、私には色々と考えるにはそれくらいの時間が必要だった。

 私はその冬、実家で両親と年越し蕎麦を食べて除夜の鐘を聞き、元旦には食べ慣れたお雑煮を頂きながら同じお節をつつく。そんな、いかにもな一家団欒の時間を過ごす。そして話し合いの結果、私は一月の終わりに借りていたアパートの契約を解約して、実家に戻ることにした。まだまだぎこちない関係ではあるものの、もう逃げることを止めた。まだまだ悩んでいていろんな意味で中途半端な私であるが、そんな私を両親にあえて晒して一緒に生きていく道を、家族で選んだ。お店の方も相変わらず続けているので、その時だけ女性らしい格好で化粧して出かけることになる。そんな私の姿を両親はやはり複雑な表情をするが、何も言わずに見送ってくれた。


 そして、私は改めて性同一性障害である自分が世間とどう向き合うべきかという問題について考えるようになる。両親と、同じGIDである友達らと相談し色々話し合う。

 父のいう所の、私が人としてやりたい事は何なのか? 私に何が出来るのか? そしてそれを世間に認めてもらえるものなのか? 選んだ道によっては世間といらぬ衝突をする事も多いだろう。


 私のような人間を受け入れてくれる業種はかなり限られる。いくら就職する前に女性としての戸籍をもっていたとしても、『性同一性障害=変態』もしくは『精神障害=危ない』というイメージもあるので、倦厭する会社も少なくはない。GIDである事を会社に伝えたら首になったなどいった、信じられない事も平気で起こっている。

 私のようにまだ社会に出ていない人間は、直接はそれが理由といわれ弾かれることはないだろうが、面倒なもの、ややこしいものは最初から避けるという意図で、就職もかなり難しいものになるようだ。

 

 芸術家や、メイクアップアーチストや、美容師の業界にそういうGIDやゲイの人が多いのは、そういう人間が人とは違った感性を持つ事から美的感覚が優れているからとかいう人もいるけれど、それは違う。私はファッションに人並みに興味はあるし美術館とかに行くのも好きなものの、そういう素養があるかというと首を横にふるしかない。絵は下手ではないものの、人に誇れるレベルなんかではないし、手先は器用でもない。

 それは器用な人が多いというよりも、手に職をもつということが、生きていくということに有効だからだ。


 私に何が出来るのか? 自分と改めて向きあってみると得意な事は勉強だけという、結構つまらない人間だということに気が付いた。

 医大のシラバスを改めて見直し、大学を訪れ、学部や就職課などの職員等とも相談する。大学の職員は流石に私という人間に接してあからさまに嫌悪感をみせて来た人はいないが、大抵の人はまず驚き、それから腫れ物に触るようにかなり気を遣っている分かる対応をしてくきた。


『就職となると、今普通の学生でも厳しい状態だし、同じ能力をもった人物なら、障害のない人を選ぶそれが会社というものだ』 といった否定的な意見。


『別に君の場合は健康だし、能力に問題があるわけではない。要はやる気の問題だ。君は性同一性障害だから就職出来ないというのは、障害を理由に言い訳を作ろうとしているだけだ』という人もいる。『障害』という言葉を聞くたびに、自分が世間から思われているイメージというものを再確認してしまう。


 相談すればした相手の数だけ様々な意見が返ってきて、それがさらに私を迷わせる。どの意見も世間というある一面を表現していて、間違えてはいない。

 医大だけに医者をこのまま目指しても、それは就職へと繋がるものなのだろうか? でなければ資格をとってMRを目指すのか? 企業の顔となる人物に態々GIDの人間を選ぶのだろうか? GIDを個性として受け入れてくれる所か、能力だけを見てくれる場所ということになる。


 結論が今日も出ないまま大学を出て私は溜息をつく。勤め先である新宿のお店に向かう。いつものように仕事仲間に元気に挨拶して、化粧を直し、店に出て、常連客と楽しく話して盛り上がり、いつものように一日が終わると思っていたときに、珍しい客がお店を訊ねてくる。草臥れた親父とか、冴えないサラリーマン、愚痴をいいたいOLといった感じの客の多いこの店には珍しい、スーツをキッチリ着こなした二枚目の男、鈴木賢治である。

 

 ドアを開けゆっくり店内を見渡し、私の顔を見て手をあげ爽やかな笑みを寄こしてくる。ホステス仲間は、賢治の登場に色めき立つ。たしかにこうして見ると格好よいから、それも仕方がないかと思う。


「偶々、近所まできたので」


 スーツ姿の賢治は、なんていうか男の色気というのか? ストイックさの裏にある男臭さが滲みでていて、格好よく見えた。


「なに? 薫ちゃんの彼氏?」


 興味ありげに、皆が聞いてくるのを慌てて否定する。賢治もその言葉に苦笑いをしている。当たり前だが、その左薬指にはプラチナの指輪が光っている。

 なんとなく、目立たない奥の席に案内する。この男がこのお店にきて騒ぎにきたとは思えないし、キャピキャピしたホステスに囲まれることも嬉しいと思えなかったので。

 このお店で、賢治と向かい会うというのもなんか不思議な気持ちである。親とか親戚がお店にきたのと近い感覚なのだろうか? とりあえず営業スマイルをつくる。


「何か飲まれます?」


 賢治は首を横にふる。


「いえ、車で来ているので、申し訳ないけれどウーロン茶を。あと、少しつまめるものがあれば」


 時計をチラリとみると、今十時過ぎ。なんか心の奥がザワザワする。この男は何しにきたのだろうか? と。


「何か夜ご飯は食べられました?」


 賢治はその言葉にフッと笑い頷く。


「先程、事務所で店屋物だけどね」


 最近は仕事が忙しいらしく、『いつも帰りが十二時前後になる』といった話を香織がしていたのを思い出す。

 しかし、そんな忙しい男が何故この店に来たのか? お酒を飲みに来たわけでもない、お腹を満たしにきたわけでもないようだ。しかも香織が家で待っているというのに態々ここに寄ってきた意図が分からない。ホステスの心得『コチラからヘタに探りの言葉をいれては駄目。相手のタイミングで話をさせろ!』というママの言葉を思い出し私はあえて余計な事を言わないことにした。


「そういえば、ご馳走様でした」


 店の様子を眺めていた賢治は、私の言葉にポカンとした表情を返す。


「温泉土産、香織さんから頂きました」


 賢治は『ああ』と納得したような顔をし、その後何故か片頬だけで笑う。


「もしかして、香織さんと喧嘩されました?」


 言ったあとに、余計な事を口にしてしまった事に気付き慌てる。賢治はフッと笑い首を横にふる。


「いや、喧嘩なんてしてないし。いつも通り夫婦仲は良好だけど何故?」


 その言葉にホッとしながらも、おずおずと理由を話すことにする。


「いえ、貴方が態々このお店にきた理由が分からなくて、ここに来るくらいなら家に帰って休みたいと思うものだと」


 賢治はその言葉を聞き、クククと笑う。


「いや、君にチョット渡したいモノがあってそれだけで寄っただけだから。君が将来について色々今考えていると聞いてね」


 そういって手にもっていた書類袋を私に差し出す。


「コレは?」


 此所で開けていいものか分からず、私は受け取った袋の表面をしげしげ眺める。


「GIDの人間が関わった裁判の記録だ。今後社会に出たときにトラブルに巻き込まれたとしても、どう対応すればよいのかの参考になるかと思って」


「あ、ありがとうございます」


 私は戸惑いながらもお礼を述べる。確かに役立つ資料ではあるかもしれない、読んで楽しいモノではないが。私と香織はかなりの頻度で逢っているので、香織経由で届ける方法もある。にも関わらず、忙しい人が時間をわざわざ作って私に会いにきた理由が分からなかった。


「ところで君は、もうホルモン治療は始めたの?」


 私は首を横に振る。あれは精神的にも不安定になるので、まず大学の問題、目指す道を決めてからと考えている。今、男でも女でもないこの私を両親は受け入れてはくれているという安心感もあり、今という状況を、前程嫌悪感を抱かずに過ごせるようになっていた。 賢治はシニカルな笑みを浮かへている。私を蔑んだというものではないが、その表情に嫌なモノを感じた。


「そうか、でも、おめでとう! 前と違ってスッカリ吹っ切れた表情をしている」


 一見し人好きのする、爽やかな笑顔に優しい言葉、でも、私の心にいつものように染みてこない。


「お陰様で、賢治さんに色々相談にものってもらいましたし」


 その言葉に賢治はまた嫌な感じの笑みを返す。


「しかし君の両親も、随分苦しい決断をしたモノだ」


 私の心にその言葉がチクリと突き刺さる。言葉に詰まる私に、一見穏やかに見える笑顔を賢治は向けてくる。


「そして君は、もう未練はないのか? 自分の子供を作るという事に」


 正直言えば、愛する人に出会い恋愛し結婚して、その人との間に子供が欲しい。それに親にも申し訳ない気持ちも大きい。しかし女になる為には、生殖機能を諦めなければならない。


「欲しいモノを全てを手に入れられるなんて甘い事は考えていませんので」


 私は、何とも言えない苦々しい気持ちをはき出すようにそう答える。賢治はというと、そんな私を変わらぬ穏やかな笑みを浮かべ見ている。薄暗いお店の照明でも、その目が笑っておらずコチラを観察するように見ているのが何か分かった。

 前々から何となく気が付いていた事だが、私はこの男に嫌われている。いや、何故か憎まれている。私はこの距離で賢治と向き合っている事がだんだん怖くなってくる。


「でも、君は全てを手にいれられる方法があるよ。香織とね」


 私は、思わず目の前の男を睨み付ける。この男はまだそんな事を気にして、こだわっていたのか。私を女性として扱いながら、香織の近くにいる男性の機能をもった存在を警戒していたのか。


「私は前にも言いましたけど、女性は抱けません! そういう間違いはありえない」


 お店の中ということもあって、私は怒りながらもかなりトーンを抑えてそう答えた。その言葉を受けた賢治の表情に私は恐怖を感じることになる。賢治の顔はニヤリと笑っているけれど、そこにあるのはどす黒い怒りの感情。生まれて初めて殺気という現象を、身をもって体験する。


「香織にそんなつもりで近づいていたのなら、とっくに排除している」


 『排除』という物騒な言葉をサラリと言ってくる賢治に、私の背中に冷たい汗が流れる。

 

「君に、一つ良い提案をもってきた。どちらにとっても悪くない。香織にとっても」


 賢治は幾分毒気を抑えた感じでニッコリと笑ってきた。


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