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ピースが足りない  作者: 白い黒猫
未来への路
16/24

父と子の形

 『閑静な住宅街』 私が育った街はまさにそんな言葉がピッタリの場所。花に満ちた庭のあるお洒落な住宅が建ち並び、公園などの緑も多く、商店街には美味しいと評判のパン屋さんやケーキ屋さんなどが軒を連ね、住民は上品で穏やか、子供を育てるにも最適な環境。

 私もそんな街が大好きだった。家への帰り道、お洒落な雑貨屋さんで文房具を見たり、花屋さんの前で季節の花を楽しんだり、パンやコロッケを買って食べながら帰ったりと、その街での生活は楽しかった。しかし今は十二月という季節の所為だけでなく、どこか寒い空気に私は震えながら歩いている。いや、街自体は冬だとはいえ花壇には花が植えられ、早くもクリスマスを思わせる飾りがされ、家庭的な暖かい幸せそうな雰囲気に満ちている。

 もっとクリスマスに近づけば、この近所ではTV取材までくるくらいのクリスマスイルミネーションをした通りもあり、より賑やかに目出度い感じになるのだろう。

 私にはそれがもう遠い世界の事のように思え、疎外感を早くも覚えていた。重い足取りで再びこの町を歩いている。化粧もあえてせず、ジーンズに皮のブーツ、そして紺のダッフルコートに、赤と白のボーダーのマフラーを深く巻いている。寒いというよりも、顔を隠すために。街ゆく人が、私を見ているわけでもないのに、その視線を気にしながら、通い慣れた筈の道を重い足取りで進んでいく。


 母と私は、あれからはかなりぎこちないながらも、対話は出来ている。理解してもらえたとは思えないけれど、メールや電話のやりとりもあり、かなり良好になったというべきだろう。人間って不思議なもので、どんなに違和感があるモノでも慣れていく。母も少しずつ、今の私への拒否反応も少なくなったように見える。香織が母とマメに連絡をとっているようで、前みたいに一人で悩まなくてもよくなった所も大きいのかもしれない。


 そして今『良かったら、今週末でも家に帰ってこない? 薫の好きな物を作るわよ』と母に言われ、かなり敷居の高くなってしまった実家へと向かっている。

 久しぶりに家に帰れること事態は嬉しい。でも久しぶりすぎて緊張する。しかも家には母だけでなく、父もいることが私の心をさらに重くしている。母はカウンセリングを一緒に受けていることもあり、性同一性障害についてはそれなりの知識もついてきて、私を受け入れるまではいかなくても、理解はしてくれるようになってきた。

 しかし父は? 大学教授をしていることもあり、厳格でしつけにも厳しい人だった。曲がった事が大嫌いで、それが子供からしてみたら他愛ない悪戯であってもこっぴどく怒られた記憶がある。純粋に尊敬をしていた、だからこそ失望させてしまったであろう事が辛い。

 今の父との繋がりは、銀行口座に毎月振り込まれている生活費。家出した直後、それまで相談にのってもらっていたお店のママの家でお世話になりつつ、今後の生活をどうしようかと、銀行カードを使い預金の残高を調べて、私は記憶よりも明らかに多い残高に驚く。

 銀行で苦しい言い訳をして新しい通帳を手に入れその記載から父からのものだと気付く。私は最初の賃貸契約の時にその一部を使わせてもらったものの、自分の給料が出るようになってからその分を戻し、手紙で無事であること、仕事を見つけ新生活を始めた事と、お金のお礼に加え、落ち着いたときに返却をする旨を伝えておいたが、毎月きっちりと十五万というお金が振り込まれ続けていた。それに手を付けることもできず、私は毎月の通帳記入の度にその数字を見つめなんとも言えない気持ちになっていた。


『お父さんも、薫の事すごく心配しているのよ。薫と会いたがっている』


 母はそう言う。それは本当なのだろうが、今の私の事を父は今どう思っているのかが薫にはまったく読めない。元々、それほど会話してきた訳ではない、テストで満点とった、運動会でこんな事があったという報告をして、それに対して父は『えらいな』『頑張ったな』といった簡単な言葉を返すだけで会話が終わった。

 父が自分の言った言葉を喜んでくれているのも分かったし、褒めてくれるのも嬉しかったので、ソレを寂しいと思った事はないけれど、このような事態になった時、どういった会話をすれば良いのかまったく分からない。

 

 カミングアウトしたとき、父は目を見開き驚いたのちに、私を睨み付けるような表情のまま何も言わなかった。『大変だったな』とも『信じられない』といった言葉も一切なく、その拳が細かく震えているのが分かった。失望が大きく、何か言葉を言う気にもなれなかったのかもしれない。

 半狂乱になった母に追い詰められるように家を出てその後の事は一切分からない。それだけに今日実家で、父と向き合う事が恐ろしかった。


 そういう事もあり、今日は流石に化粧してスカート姿で帰る勇気はなかった。しかも昔からここに暮らしているだけに女の姿を近所の人に見せて、両親が住みにくくなるというのも辛い。

 しかし、不思議なものでズッと女性の格好をしていた所為なのだろうか? 化粧なしでパンツルックの自分の姿はどこか中性的だった。自分は男でもなくなっているようだ。だとしたら、私という人間は何なのだろうか?

 

 様々な事を考えているうちに、家に辿り着いてしまう。久しぶりの実家は外観的には殆どかわりないものの、ガーデニングが趣味だった母の庭とは思えない程、庭の花が少なかった。最近植えたと思われるシクラメンが門の脇の花壇で咲いていて、玄関の前に申し訳程度にセインポチアが置かれているだけ。そして玄関には懐かしいサンタ帽子をかぶった雪だるまの置物が私を迎えてくれていた。


 私はそれを軽く撫でてから、深呼吸して玄関のベルを鳴らす。鍵はもっているものの、なんか鍵を使って入るのは躊躇われる。母の声がきこえ、玄関が開く。


「おかえりなさい」


 母は柔らかく笑う。それだけ見ると昔に戻ったような気分になるけれど、以前に比べてその顔は痩せていて、表情もどこか弱々しい。


「……ただいま」


 以前なら、そこから話題も色々広げられていたけれど、今の私にはそれ以上どう続けていいものか分からない。


「寒かったでしょ、今日は泊まっていくわよね? 部屋に荷物おいてくる?」


 私は黙って頷き、二階に上がると、二階のトイレのドアが開き、出てきた父と鉢合わせになる。私はただ何も言えず父の顔をまじまじと見つめてしまう。元々若々しいという顔ではないものの、父も少し痩せたように感じた。


「薫、帰ったのか、ならばちゃんと挨拶をしなさい」


「……ただ今、戻りました」


「……おかえり」


 父はそれを聞いて静かに頷き、書斎へと入っていった。

 私は動悸を感じながら、かつて自分の部屋であった筈の扉を開ける。そこには去年の秋からまったく時間が動いていない空間が広がっていた。

 綺麗に掃除はされているものの、青の落ち着いたシックなカーテンと、青と黒のストライプのベッドカバーで男の子らしいシンプルなインテリア。机の上にそろえて積まれている教科書や参考資料は、あのとき投げ出した課題に使っていたものだ。あの時抱え続けていた狂おしいまでの苦悩が、部屋にそのまま残っているようで私は軽いめまいを起こしそうになる。インテリアのクールな色と季節の所為もあるのかもしれないが、部屋が酷く寒く感じた。

 私はバックを床に落とすように置き、ふらつく身体を委ねるようにベッドに横になり自分を抱きしめる。どうしようもない恐怖と、帰ってきたという喜びがゴッチャになって、どういう表情をしていいのか分からない。少しずつベッドに私の体温が伝わり暖かさを帯びてくる。その暖かさに縋るように、私は目をつぶる。


 『おかえり』という両親の言葉を抱きしめつつ、まだまだ問題が山積みの親子関係で、この後どんな時間を過ごせば良いのかと不安で震える。


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