優しさの形
退院し、私はその足で勤めていた店に顔を出すことにした。散々お世話にもなったし、迷惑をかけたママや仲間に挨拶をしたかったから。それに、治療費は全て加害者である元彼に支払ってもらったものの、僅かばかりの貯金だけでは、すぐにも尽きる。今の世の中、人間生きているだけでお金がかかるのだ。働き始めないと生活していけない。
ママは顔を出した私をやさしく抱きしめて迎えてくれた。そればかりか、店をあげての退院祝いパーティーまで開催してくれて、私はその暖かさと優しさに思わず泣いてしまう。やはり自分のいるべき場所に戻ってきたという事に安堵する。
松葉杖ではあるものの生活は元に戻ることができた。顔の痣は暫くの間残ったものの、元々この店にくる客は、女性としての美しさを求めてくるというより、気を遣わない会話を楽しんでくるという所があるので大きい問題もなかった。むしろ痣や骨折をネタに話題も盛り上がる。人生多少躓いたからって、そのまま這いつくばったままではいられない。すぐにでも起き上がり歩き出さないと前に進めない。
入院前と後で、私のファッションはかなり変わった。入院前はフェミニンなファッションを好んで着ていたが、退院後は化粧も薄くしマニッシュな洋服を着るようにしている。皮肉な事にそのほうが、男性であることを見破られることが少なくなった。
自分の顔だと、ガーリーな洋服を着ていると洋服が浮くのだ。
香織にその事を、指摘され一緒にショッピングにいき、そういう服を勧められて試着してみてその理由はよくわかった。
よく良い年齢の女性がピンクハウスの洋服を着て違和感を出しまくり、人から奇異の目で見られてしまうのと同じような現象を自分がひき起こしていたのだ。
シンプルな服に、帽子やアクセサリーでチョット可愛らしさを足すそれだけで充分、女性らしさを演出できるというのは、目から鱗だった。
そうして、松葉杖が必要であるとはいえ、元の日常とテンポを取り戻した。そんな時に弁護士の佐藤さんが、上機嫌で花束を持ってお店にやってくる。
「薫ちゃん、俺頑張ったよ~!
アイツからタップリぶんどってきてやったから。とりあえずコレお祝い」
華やかな可愛い花束と封筒を受け取る。その様子から無事元彼との闘争が終わった事を知りホッとする。私はその二つをお礼を言って受け取り松葉杖な事もあり隣のホステスにその二つを託し、まず佐藤さんをソファー席に案内する。
「えぇぇ、薫凄いじゃない!」
気になっていたのか、コッソリ先に封筒の中を見たホステス仲間が興奮したように、書類を手に近づいてきて隣に座る。佐藤さんもニコニコと笑っている。
私は彼女から書類を受け取り、その額に驚く。想定していたより明かに多い賠償金の額に私は佐藤さんに目をやる。
「ちなみに、ソレはアイツが薫ちゃんから騙しとった百三十六万円と、君が入院中働けなかった間の稼ぐはずだった給与分も別だから」
私は佐藤さんの言葉にも、歓喜に沸く店にいる人のお祝いの言葉にも、何もリアクションも返せずにいる。喜びと同じくらい動揺が大きくて思考が止まってしまった。
「コレで、女の子になれるね」
抱きついてくる、仲間の言葉にますます顔が強張るのを感じた。
「大丈夫? 薫ちゃん」
佐藤さんは、私の頭をポンポンと叩き顔をのぞき込んでくる。
「あ、大丈夫です。佐藤さん、ありがとうございます。本当に何とお礼を言っていいのか」
情けない事に、真っ先に言うべき言葉をやっと佐藤さんに言う事ができた。佐藤さんは、穏やかに笑って首をふる。
「あのさ、薫ちゃん。慌てる事は何もないんだよ。このお金はあくまでも、あの事件に対する一つの結果でしかないから。一つの出来事の結果だけて、単なるお金。すぐにどうこうしなきゃならないって事はないんだよ。君がゆっくり考えて君のテンポで人生を歩んでいけばいい」
女性になりたいというのは本心。その為に一生懸命にお金を貯めていたものの、その金額が貯まるまであと三年くらい時間がかかると思っていた。その時間をつかって覚悟というものも固めていくつもりだった。ところが今回のお金が一気に用意出来てしまったのは想定外過ぎた。親の事、これからの人生の事、様々な事が一気に頭によぎっていき、喜びより不安の方が膨れ上がっていく。
私は頭をやさしく撫でてくれる佐藤さんの手と心のぬくもりを感じながら、ゆっくり頷く。
「本当にありがとうございました。佐藤さんが闘って勝ち取ってきてくれたこのお金。良く考えて大切に使いますから」
「じゃ、お礼に、冴えないオジサンをハグしてくれ」
戯けたようにいう佐藤さんを、私は感謝を込めて抱きしめた。
「ま、あえてそのまま生きるという選択肢もあるからね。貴方はどんな身体でも、私の可愛い娘な事は変わりないから」
ママの言葉に私は嬉しさと同時にチクリとした痛みを覚える。
ここの世界は、本当に外の世界と違って優しすぎる。こんな私でも誰も傷つけてくることはないし、暖かく包み込みこんでくれる。ついついここの空気に甘えてしまう自分を感じる。
でもここで守られているだけじゃいけない。自分の意思で立ち上がり、そして歩いていかないと駄目だ。
私は、ジェンダークリニックへ予約の電話をする。傷害事件のゴタゴタで一ヶ月の間に何の連絡もせずにサボっていただけに、受付の人にもかなり心配された。ここにも、心配をさせてしまった人がいた事に気付き申し訳ない気持ちになる。
事情を説明し、前回の診療を連絡もせずキャンセルしてしまった事の非礼を詫び、次の週のお店の定休日に予約をいれた。
※ ※ ※
ジェンダークリニックに行くときはいつも緊張する。先生もスタッフも、コチラの気持ちをキチンとわかってくれる良い人ではあるから、不快な気持ちになるということはない。でもあそこは自分の事に向き合わざるを得ないからだ。
そんな事まで聞いてくるのか? という問診や、性分化疾患ではないかチェックするための血液検査、外性器検査などの時は、治療を続けるのを止めたくなるほどの苦痛を感じたものの、今は包み隠さず自分の悩みを晒せる場所となっていた。
とんだことでお金が用意できた事と、自分自身の戸惑いそんな事も含めて全てをここでぶつけるつもりで、私はいつも以上に化粧もシッカリして、香織と一緒に買った新しい洋服に身を包み、クリニックへと訪れた。
そして受付をすませ、待合室へといきベンチに座り本を取り出し、それを読みながら名前を呼ばれるまでの時間を待つ事にする。何故だろうか、人の視線を痛いほど感じる。私はその視線を感じる方に目をやり、そこにいる中年女性の姿を見て体が強張るのを感じた。
五十ちょっと前くらいの上品そうな女性が化け物を見るかのように顔を強張らせた状態でコチラをジッと見ている。そりゃそうだろう。自慢の息子だった人物が、堂々と女性の格好をして過ごしているのだから。
一年ぶりに会う母親は、別れた時よりもえらく老けて見えた。それだけ私は彼女を苦しめ悩ましてしまったという事なのだろう。
私達は、かなり長い時間無言で見つめ合った。




