第16話 獣狩り(2)
市警のBFの分隊が繁華街の入口の角に着いたとき、獣還りは止まった車の横で車体の片側を持ち上げかけていた。
分隊長のマイク・ドーランは、面当ての覗き穴から角を見渡した。
警備会社の車の一台は屋根が潰れ、もう一台は扉が内側へめり込んで、その扉に警官が一人挟まったまま動かない。
街灯の柱の根元に一人、散弾銃を抱えたまま首のねじれた者が一人、車の陰にもう一人。
角の向こうの暗がりからは、仰向けの脚が二本、街灯の光の中へはみ出している。
止まったタクシーの脇では制服でない男が背中を踏み抜かれてうつ伏せになり、角から二十歩ほど先の石畳には、市警の巡回の制服が三つ転がっている。
その一つの顔に、ドーランは見覚えがあった。
本部の食堂でいつも豆のスープにパンを浸していた、ハガティという気のいい男だ。
その向こうで路面電車が灯りをつけたまま横倒しになっていて、上を向いた窓の縁から人の腕がいくつも垂れている。
ドーランは数えかけて、やめた。数えていたら足が止まる。
生き残った警官は三人しかいない。
喉を押さえて石畳に転がった年嵩の男と、車の陰で散弾を込める古株と、三十過ぎの警官が一人。
その三十過ぎの警官が青い装甲の分隊を見て、泣きそうな顔で腕を振り回した。
「車の下だ! アッシュクロフトの若様が、あの車の下にいる!」
アッシュクロフト、と聞いてドーランは腹立たしさに奥歯を噛んだ。
よりによってそういう家の者が、そういう所にいるのか。しくじれば署長の首が飛び、その前に分隊長の首が飛ぶ。
三晩かけた問題集が、これで紙屑だ。
「散開!」
六着が車の列の間に広がると、それが車から手を離して、こちらへ首を巡らせる。動く物に向かうのが獣還りの習いだ。
開ききった目が六つの青い装甲を、一つずつ数えるように撫でていく。
次の瞬間、それはもう目の前にいた。跳んだのではなく、走ったのだ。
低く前へ倒れ込むように石畳を蹴り割りながら、三歩で十歩ぶんの間を詰めてきた。
一番端にいたオルセンは、散弾銃を構える暇も無かった。
膨れた右腕がオルセンの胴を横から払う。
青い装甲の割れる音がして、オルセンの体が装甲ごと宙に浮き上がり、止まった車の屋根を二台ぶん越えて向こう側の歩道に落ちた。
二度跳ねてそれきり動かなくなった体の、ついさっきまでトランプを切っていた手が、歩道の縁からだらりと垂れている。
「撃て!」
ドーランは怖さで悲鳴の漏れそうな喉を締めて、機関銃を腰だめに構え、引き金を引いた。
太鼓を乱れ打つような銃声が続いて、〈ラトラー〉の腕でも跳ね上がる銃身を押さえきれない。
弾の列はそれの横を流れて止まった車の扉に穴を並べ、それから、それの脇腹を肉ごと削り取った。
肉と外套の切れ端が石畳に飛び散る。
それは倒れない。削られた脇腹など無いもののように、首だけをこちらへ巡らせる。
脇腹から溢れていた血が、みるみるうちに滲む程度まで減っていくのを、ドーランはぞっとしながら見た。
化け物め。
三つの散弾銃が続けて吠えた。一粒弾がそれの肩を、腿を、背中を叩き、そのたびに肉が弾ける。
それは弾の当たる拍子に体を揺らすだけで、少しも痛がる様子を見せずに、一歩も退かない。
「頭だ! 頭を狙え!」
怒鳴りながらドーランは銃身を振ったが、それは速すぎて、弾の列が追いつく前に、もう止まった車の屋根を蹴って別の場所にいる。
首の後ろの神経だ。噂は本当だった。
追いかけて撃てば、弾は止まった車の列に、その向こうの歩道に逃げ遅れた野次馬の頭の上に飛んでいく。
引き金を引く指がどうしても途中で止まる。悔しくて気が狂いそうだった。
それが次にマッコイに向かった。
分隊で一番の古株のマッコイは、機関銃を撃つ間も無いと見るや銃を捨てて、両腕を広げて組みに行く。
二倍の力で正面から、それの右腕を抱え込む。
「三人で押さえろ!」
ドーランの声より先に、ブレナンとカーヴァーが締め具を鳴らして飛びついていた。分隊長が言う前に体が動く連中なのだ。
左右からそれの左腕と、右の脚に組みつく。
三着の〈ラトラー〉が一人の男の手足に、それぞれ全身でぶら下がった格好になる。
締め具が一斉に鳴り、筋肉の束が軋んだ。
止まった、とドーランは思ったが、それも一呼吸だけだった。
それが体をひねると、右腕を抱え込んでいたマッコイの体が腕ごと宙に持ち上げられる。
人の四倍の力がマッコイの二倍の力を、片腕で振り回す。
振り回されたマッコイの体が左腕のブレナンに横からぶつかり、ブレナンは兜から先に止まった車の扉へ叩きつけられた。
扉と一緒に青い兜がひしゃげて、扉から剥がれ落ちたブレナンの体はもう手も足も動かさない。
右の脚に組みついていたカーヴァーが蹴り上げられた。膨れた脛が青い装甲ごと、カーヴァーの腹にめり込む。
胸当てと腹当ての合わせ目が裂ける音がして、カーヴァーはくの字に折れたまま宙を飛び、市警の巡回の三つの制服の脇まで転がって、それきり起きなかった。
面当ての濾し缶の隙間から、黒い物が石畳へ流れ出している。
押さえ込んでいた三着が、瞬く間にばらばらに外れた。
外れて、そのうち二着はもう起き上がらない。
オルセン、ブレナン、カーヴァー。
ドーランが二度目の引き金を引けないうちに、三着だ。
一着で五万ダルを超える〈ラトラー〉が、中の男ごと潰れていく。
値段のほうが先に頭に浮かんだ自分に、ドーランは面当ての中で吐き気がした。
ブレナンの書く書きつけの字を、もう誰も読むことは無い。
「下がれ! 間を空けろ!」
ドーランは機関銃を構えたまま、引き金を引けなかった。悔しさで目の奥が熱くなる。
倒れた部下が足元に転がり、マッコイが車の扉の下で片脚を抱えてもがいているのに、ドーランには何もしてやれない。
この弾はそれの体を抜けて、後ろの部下まで抜けてしまう!
それはドーランのほうを見ない。倒れた部下たちのほうも見ない。
開ききった目がまたあの車のほうへ向いた。
車の下で何かが動いたのだ。動く物に向かう、あの習いのとおりに。
「リース! 車だ!」
リースが一番近くにいた。分隊で一番若い者が一番近くにいるのが、ドーランには嫌でたまらない。
面当ての中で荒い息を鳴らしながら散弾銃を構えて、訓練どおり二着で挟む位置へ、車の脇を回り込む。
ドーランも機関銃を抱えて、反対側へ走った。
それが車の横で身を沈める。また車の下へ腕を差し込むつもりだ。
だがリースの足音に首が跳ね上がり、体が起き上がった。
外套の裂けた胸は、ドーランの胸当てより一回り厚い。
倍に膨れた脛と、裂けたズボンの間から覗く筋肉と、膝の下に残る人の肌と作り物の肉との古い繋ぎ目。
その上に白髪まじりの頭と、開ききって光を返す目がある。
右手の指の付け根から伸びた三本の爪には、黒く乾きかけた物がこびりついている。
その手は空で、車の下の若様は掴まれていない。
リースの散弾銃の筒先は、それの頭から三歩と離れていない。
外しようの無い距離だ。撃ってよい一瞬だった。
「リース、撃て!」
ドーランがありったけの声で怒鳴ったのと、ほとんど同じときだった。
車の下から甲高い声が上がった。
「撃つな! 僕がいるんだぞ!」
リースの筒先が揺れた。揺れたのは半拍だった。
足元に人がいるところへ下向きに撃つな。市警に入った日から、何十回も叩き込まれた決まりだ。
一粒弾が石畳で跳ねれば、車の下まで飛び込むかもしれない。
この春に入ったばかりの若い警官の体には、その決まりがまだ骨の髄まで染み込んでいた。
その半拍で、それの右腕が動いた。
腕の動きはドーランの目では追えない。
次に見えたときには、膨れ上がった右手がリースの首を、首を守る青い装甲ごと掴んでいた。
装甲が割れる乾いた音と、もっと湿った音が一つに重なった。
技ではなく、速さと力がただ違ったのだ。
リースの体が膝から崩れて石畳に落ちる。散弾銃が車の腹に当たって跳ね、溝へ転がり込んだ。
「リース!」
ドーランは怒りとも悲鳴ともつかない声を上げて、機関銃を投げ捨てて組み付いた。
BFの両腕でそれの右腕を肘の上から抱え込み、人の二倍の力と自分の体の重みのすべてをかけて締め上げる。
締め具が悲鳴を上げ、背中の筋肉の束が一斉に縮んで軋む。
それでも抱え込んだ腕はじりじりと開いていく。人の四倍の力がドーランの二倍を、内側から押し広げていく。
それの右手の指が、ドーランの左の前腕を掴んだ。
拳銃の弾を弾く青い鋼の装甲が、指の形にへこんで留め金ごと弾け飛ぶ。
装甲の下の古い走鳥の筋肉の束と鎧蟹の骨が、指の形に裂けていく。
去年から替えを頼んで、とうとう届かなかった束だ。
その下のドーラン自身の腕の肉まで、指が食い込んで来る。
筋液と血が混ざって、外套の袖から噴き出した。
痛みで目の前が白くなる。
離すな、とドーランは自分に言い聞かせた。
離したら次は車の下の若様だ。その次は倒れている部下たちだ。
離さなかった。左腕の感覚が肘から先でだんだん消えていくのが、他人の腕のことのように分かる。
消えた腕で、それでも抱え込んだ腕を離さなかった!
骨組みの合わせ目が一つ、また一つと、ぱきん、ぱきんと外れていく音を、ドーランは自分の体の外の音のように聞いていた。
「撃て! 脚だ、脚の繋ぎ目を撃て!」
誰かが声を嗄らして、半泣きで叫んだ。
通りの西から別の足音が駆けてくる。
小銃を抱えた市警の応援の警官が四人、止まった車の列の間から飛び出してきて、ばらばらと片膝をついて構えた。
銃声が四つそろって鳴る。それの膝の下の古い繋ぎ目が弾け、膨れた脛が内側へ折れた。
それががくりと片膝をつき、組み付いたドーランの体ごと石畳に沈む。
ドーランの面当てのすぐ横に、それの顔がある。
開ききった目がまっすぐドーランに向いていたが、その目の奥にはもう、人の考えなどひとかけらも残っていなかった。
視界の端で誰かが石畳を這っている。
マッコイだ。振り回されて石畳に落ちたときに脚を痛めたらしく、片脚を引きずっている。
その腕がさっき捨てた機関銃を、石畳から抱え上げた。
筒先がそれの頭を探して揺れる。その頭のすぐ横にドーランの頭がある。
覗き穴の硝子の奥で、マッコイの目がドーランを見た。
撃てない、と言っている目だ。
「撃て!」
ドーランは潰れかけた喉から叫んだ。
不思議と少しも怖くない。
「俺ごとでいい! 撃て、マッコイ! 早く!」
マッコイの面当ての奥から、くぐもった呻きが一つ漏れた。
それから筒先がぴたりと止まった。
◇
車の下から見えるのは、石畳と長靴と脚だけだ。
青い脛当てが何足も、車のまわりを駆け回っている。
銃声が鳴るたびに車の腹が震え、何かが車の扉にぶつかって、硝子の粉が車の下の僕の髪にまで降ってくる。
そして僕のすぐ目の前の石畳に、青い装甲に身を包まれた兵が一人倒れていた。
車の腹と石畳の隙間のすぐ向こうだ。
青い兜の面当てが留め金ごと外れかけていて、そこから僕と幾つも違わないような若い顔がこちらを向いている。
目が開いている。開いた目が車の下の僕を、まっすぐに見ている。
首がおかしな向きに曲がっていた。
首を守る青い装甲が内側へひしゃげて、そのひしゃげた装甲の縁から、黒い物がじわじわと石畳に広がってくる。
広がって溝の水に混ざって、僕の手のほうへ流れてくる。
慌てて手を引っ込めたが、引っ込めた手の甲にはもう黒い物がべっとりとついていた。
汚い。
兜の額に、市警の番号が黒く刷ってある。
青い装甲を着ているのはうちの私兵ではなく、市の警官だった。
近くで見ると青い塗りの下に叩き出した凹みの跡がいくつも浮いていて、父の書斎の模型と同じ十年も前の型だと分かった。
撃つな、と叫んだのは、僕だった!
撃てば、弾が車の下まで跳ねてくると思ったのだ。
思ったから叫んで、叫んだ途端に、この兵が倒れた。
どういうことなのか、頭が考えるのを嫌がっている。
見るな。こっちを見るな!
開いたままの目に向かって、僕は腹の中で何度もそう繰り返した。
車の下には僕がいたのだ。僕の頭に当たったら、誰が責任を取るんだ!
お前か。叔父さんか。それとも父さんか。
だいたい首の装甲がもっと厚ければ、こいつは死なずに済んだ。
十年も前の型を着せて寄越したのは市の連中で、けちな予算しか出さない市役所のマヌケどもが悪いのであって、僕じゃない。
そうだ。僕は悪くない。歯の根の震えが少しだけ収まった。
考えないように、僕は兵の目から自分の目を逸らした。
胃がひっくり返りそうで、喉の奥が酸っぱい。
車の向こうで誰かが叫んでいる。脚だ、脚の繋ぎ目を撃て、と。
銃声が四つそろって鳴った。重たい物が石畳に沈む音がした。
誰の足ももう車のほうを向いていなくて、車の下の僕のことなど、この通りの誰ひとり覚えていないようだ。
心細くて、情けなくて、泣きそうだった。
そのときだった。
僕の背中のほう、車の反対側の溝のほうから、何かが靴の無い右の足首を掴んだ。
悲鳴を上げる暇さえ、僕には無かった。
あの膨れた手ではない。
あの手は車の向こうで、青い装甲の兵たちと揉み合っている筈だ。
僕の足首を掴んでいるのは細い手だった。
細くて指が長くて、人の手とは思えないほど冷たい手だ。
靴下越しにでも、その冷たさが骨まで染みた。恐ろしさで体じゅうの毛が逆立つ。
冷たい手が引いた。
僕の体は紙でも引き抜くように車の下から溝の側へ引きずり出されて、上着の背中が車の腹にこすれ、溝の水が顔にかかった。
濡れた石畳が体の下を滑っていく。
頭の上で機関銃の短い連射が、通りじゅうの窓硝子を震わせた。
その音を最後に、僕の目に見えていた街灯の光が急に遠くなった。
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