聖女の慈愛が見たいのです!
一話完結の不定期連載、第二話です。
前作「真実の愛を見せてください!」の続きですが、この話だけでも読めると思います。
前作もシリーズ一覧からサクッと読めますので、よろしければ先にそちらもどうぞ。
「本日はお会いできてよかったですわ。それではまた。ごきげんよう」
私は淑女らしく微笑み、リュミエール侯爵家のご子息に別れを告げた。
相手の青年は名残惜しそうな笑みを浮かべ、丁寧に頭を下げる。悪い方ではなかった。言葉選びも穏やかで、こちらへの礼も失していない。家柄も申し分なく、縁談としては十分に整っている部類なのだろう。
実にくだらない。
馬車が門の向こうへ去っていくのを見届けると、小さくため息をついて屋敷に戻った。自室の扉が閉まった瞬間に、倒れ込むようにベッドに飛び込む。
「……はあ、疲れましたわ」
自室に控えていたオーウェンが静かに紅茶を淹れた。ティーポットから立ち昇る湯気を見て、ようやく自分の時間が帰ってきた実感が湧く。
「お疲れ様でした、お嬢様。先程のリュミエール侯爵家のご子息……まあ、お人柄は悪くないと思いましたが」
「どうでもいいです」
オーウェンは慣れた手つきで紅茶を置いた。ジャスミンの甘すぎない花の匂いが、部屋の空気を優しく包む。
「私は所詮は駒。レーヴェン家の利益が一番取れるところに置かれるだけよ。今日はその相手ではなかった。それだけの事ですわ」
「高貴な身分というのも、得てして窮屈なものでございますね」
「そんな事よりオーウェン、何か面白い話はありませんの?」
彼は子爵の息子であり、その整った容姿と歯に着せぬ物言いのためか、社交界でもそこそこ顔が広い。
いつも退屈そうにしている私の為……なのかどうかは知らないが、私の好きそうな噂話をいつもどこからともなく拾ってくる。
「そうですね……。そうそう、身分といえば。お嬢様は最近王都にいらした聖女様のお噂は聞きましたか?」
「さあ? なんですの、それ」
「辺境の村から鳴り物入りで神殿に召し抱えられた、慈愛の聖女だとか。神聖魔法……奇跡の力のみならず、そのお人柄も大変よろしくて、まさに神話の聖女そのものだと市井の間で噂になっておりますよ」
カップへ向かっていた指先が止まる。
「……詳しく聞かせてくれるかしら」
「ええ。聖女様といえば奇跡を行使するのに神殿を通じて大量の寄付を求めたり、式典の際しか顔を出さないものです。ただ、今回の聖女様は身分の上下に関係なく接して下さって、教会の寄付の呼びかけにも積極的に参加されるそうです。親しみやすいともっぱらの評判のようでございます」
「ほう……」
慈愛。
「それはそれは……実に興味深い話ですねえ」
「あっ、しまった」
オーウェンの目がわずかに泳いだ。
「慈愛とはつまり、『他者を慈しむ無償の愛』といったところでしょうか……。オーウェン、私急用を思い出しました。午後の予定は全てキャンセルしておくように」
「ダメに決まっているでしょう。公爵家の縁談を何だと思ってるんですか」
「あーあー! 聞こえなーい!」
私はすぐさま引き出しから転移の魔道具を取り出した。オーウェンが目を剥く。
「お嬢様! また勝手に!」
「さらばです! あははは! 楽しみですねえ!」
魔力を流し込むと、視界が白く滲んだ。
薄れていく景色の向こうで、オーウェンの悲しそうな声だけが小さく残る。
「……紅茶、まだ一口も召し上がっておりませんのに」
◇
足が触れたのは、屋敷の外れにある石畳だった。
予定外の外出なので、装いはほとんど普段着のままだ。けれど街へ出ると、妙に視線が集まった。
露店で若い男性と目が合うと、彼は顔を赤くして慌てて視線を逸らした。
「……はぁ、なんだか見られてますわね」
私は自分の袖を軽くつまむ。
「そんなに変かしら、この服」
普段着から夜会のドレスまで、私の装いはほとんどオーウェンの目を通して選ばれている。これは帰ったら彼のセンスについて改めて問いただす必要があるかもしれない。
けれど、今更引き返す気にはならなかった。
慈愛の聖女。
なんて甘美な響きだろう。無償の愛。他者を慈しむ心。神話に出てくる聖女そのもの。つまり、愛の完成形のひとつと言ってもよいのではないか。
もしそれが本物なら、ぜひこの目で見なければならない。
やがて、白い尖塔を持つ正教会が見えてきた。門の前には修道女たちが並び、通行人に向けて募金を呼びかけている。恵まれない子供たちのための慈善活動らしい。
その一団の中に、ひときわ目を引く女性がいた。
淡い青の髪が光を受けて、やわらかく揺れている。修道服は質素なものだが、不思議と彼女が立つ場所だけ空気が澄んで見えた。美しい、というより、触れれば崩れてしまいそうな清らかさがある。
私は足を止め、彼女たちの前へ進み出た。
「ごきげんよう。いいお天気ですわね。募金をしたいのだけど、よろしいかしら?」
「えっ?」
青髪の女性がこちらを向いた。
その瞬間、彼女は目を丸くしたまま固まる。
「わぁ……凄い綺麗な人……って、わわ、すみません、すみません! ぼ、募金ですね! こちらからお願いします!」
「え、ええ……ありがとう……?」
新人なのだろうか。妙に反応が辿々しい。
困惑していると、隣にいた年嵩の修道女が苦笑した。
「アリシア、相変わらずねぇ。そんなに緊張しなくても大丈夫よ。あら? 貴女、貴族様かしら? はあ……やっぱり近くで見るとお綺麗ねぇ」
「どういたしまして。それで? 寄付はどれくらいすればよろしいのかしら?」
私は持ってきた金貨の袋を取り出した。
修道女たちの視線が一斉に袋へ落ちる。
「お、お、お金持ちだ……!」
アリシアと呼ばれた女性が目を丸くして食い入るように袋を見つめる。
年嵩の修道女が慌てて私の手元を押さえた。
「あなた、これ金貨じゃないの! 気持ちはありがたいけど、ほんの気持ちで良いんだよ。もっとお金は大事にしなさい」
「いえいえ、先程から聞こえていましたわ。恵まれない子供達のためなのでしょう? それも一つの愛。金銭ごときで表現できるなら安いものですわ」
私は袋ごと募金箱に入れようとした。
「あわわわ……す、凄い! 本物の聖女様だ……!」
「こらアリシア! 気をしっかり! ……どこの世間知らずのお嬢様か知らないけど、ダメよ、こういうのは。せめて数枚までにしておきなさい」
「ふむ。承知しました。難しいものですね」
どうやら慈善にも作法があるらしい。大人しく数枚の金貨を取り出して募金箱に置く。
その様子を見て年嵩の修道女は呆れたように笑った。面倒見の良さが全身から伝わってくるようだ。
「ありがとうね。こらアリシア、いつまで惚けてんだい! はぁ……聖女はあんただろうに」
「……は? 聖女?」
私は青髪の女性を見た。
神話の聖女……と言われるイメージとはかなり違って見える。
「貴女が聖女様なのですか?」
「え? は、はい、一応……アリシアといいますぅ……」
彼女は両手を胸の前で握りしめ、小さく会釈した。
言われてみれば……なるほど。
たしかにどこか神々しい気がする。改めて見れば、修道女たちの中でも一際輝いて見える。心なしか後光も差しているような……。いえ、間違いありませんわ。どこからどう見ても神話の聖女様です。
「アリシア様、お初にお目にかかります。私、レーヴェン公爵家の娘、セレスティア・レーヴェンと申します」
「セレスティアさん……?」
「そうですか、貴女があの『慈愛の聖女』様ですか。……言われてみれば、立ち振る舞いにもどこか神秘性を感じますねぇ…… やはりこの金貨は全て教会に、いえ、貴女に差し上げたく——」
「うぇ!? い、いきなり? な、なんで!?」
「ちょっとアンタ達、うるさいからそっちに寄ってなさい! あと、金貨はダメ!」
「解釈違いですねぇ……」
私は渋々、金貨の袋をしまった。聖女への初手の供物としては悪くないと思ったのだけれど、受け取り側に拒まれては仕方がない。
募金の邪魔にならないよう門の脇へ移動すると、アリシア様はまだ落ち着かない様子で私と目が合うたびに肩を跳ねさせている。
「すみません、アリシア様。何だかお勤めの邪魔をしてしまったようで」
「い、いえ! そんな、お邪魔だなんて!」
「しかし実は、私は本日、貴女に会いに来たのです」
「わ、私ですか?」
「左様。『慈愛の聖女』と言われて市井で今評判の貴女と、是非交流を深めたく思いまして」
アリシア様が、ぱちりと瞬きをした。
私は一歩、身を乗り出す。
「そう……私に是非ご教示をいただきたいのです。慈愛の聖女と呼ばれる貴女の『愛』、その真髄を」
「……交流……」
彼女は私の言葉の一部だけを拾ったように、ぽつりと繰り返した。
「おや? アリシア様? どうかされましたか」
次の瞬間、アリシア様の顔がぱっと明るくなった。
「セレスティアさん、嬉しいです! 是非、お、お友達になりましょう! こ、こここちらこそよろしくお願いします!」
「え? あ、はい……よろしくお願いします」
予想外の反応に数度、瞬きをする。
アリシア様が私の腕を取ってブンブンと振った。
「ところで、あの、慈愛の方を……」
「慈愛? ……ですか?」
アリシア様は首をかしげた。
「確かに皆さん、そう仰られますけど……わ、私はよく分からないです……えへへ」
「へ?」
思わず声が漏れた。
「そ、そんなバカな……」
慈愛の聖女が、慈愛を分かっていない。
これは一体どういうことだろう。謙遜か。それとも、己の愛があまりに自然すぎて言語化できないのか。息をするように他者を慈しむがゆえに、その本質を問われても答えられない。そういう事なのだろうか。
困惑していると、彼女は不安そうに私を見上げていた。責められると思っているのか、指先が修道服の袖をきゅっと掴んでいる。
…………なるほど。
「……アリシア様。私は今、自分の浅慮を痛感いたしました」
「えっ?」
「やはり貴女は素晴らしい方のようです」
「ええっ!?」
分からないからこそ、本物であると。
その可能性に至らなかった自分はなんと愚かなのだろう。愛とは、必ずしも理屈で語られるものではない。時にそれは本人の理解を置き去りにして、周囲へ与えられるものなのかもしれない。
これはこれは、思った以上に観察のしがいがありそうですねえ……
「これからしばらくの間、貴女と一緒に教会の活動をお手伝いさせていただいても、よろしいでしょうか」
「えっ、ええーっ!? 一緒に!?」
アリシア様は両手を握りしめたまま、頬を赤らめた。
「……じゃ、じゃあもう私たち、し、親友ってことで良いんですかね? あ、す、すみませんすみません! 調子に乗ってすみません!」
「し、親友!?」
親友。
その言葉は何故か、思っていたよりも私の胸を打った。
……なるほど。これが聖女の持つ奇跡の一端、という事なのでしょう。
「アリシア様、お顔を上げてください。決して無礼などではございませんわ。それにその……私の方こそ、その、し、親友、という関係を持つのは何分、初めてなものですから……」
「は、初めて……」
「敬称も不要ですわ。あの、その……し、親友、ですものね。ですのでどうか、『セレス』と気軽にお呼びくださいまし」
「せ、セレスさん!」
「敬称は不要と申しましたが」
「あっ、す、すみません! じゃ、じゃあ……セレス」
アリシア様は恐る恐る私の名を呼んだ。
たったそれだけなのに、胸が少し落ち着かない。
「私のことも、アリシアって呼んでください。これから仲良くしましょうね!」
「ええ。よろしくお願いいたしますわ、アリシア」
アリシアは嬉しそうに笑った。
その笑顔は金貨を差し出した時より、ずっと確かなものに見えた。
ああ……
心が、暖かい。
何でしょう。
公爵家の私財を丸ごと寄付したくなってきましたわ。
これが慈愛の聖女の愛なのでしょうか。
実に…………興味深いです。
いつも読んでいただきありがとうございます。
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