巫女として召喚された少女、神に捧げられるはずが“悪魔”に攫われ溺愛される
冷たい石の床に、白雪雪乃は縛られていた。
――気づいたときには、もうこの世界だった。
学校の帰り道、突然光に包まれ、
気づけば黒い法衣の男たちに囲まれていて。
「召喚成功だ」「器として使える」
そんな物騒な声が聞こえて――
そのまま祭壇へ運ばれた。
雪乃は震える指先で、胸の痛みを押さえる。
「や、やめて……これ以上は……っ」
天井に浮かぶ青白い紋章が、
雪乃の胸へ祈力を吸い上げ続けていた。
身体の中から、自分という存在が削がれていく。
そのたび視界が暗くなる。
「雪乃よ、祈れ。もっと祈れ。器が壊れても構わぬ」
神官が淡々と告げる。
「わ、私……死んじゃう……」
「心配するな。神のために死ねるのだ。
異界の人間は“代用品”だ。それだけの価値はある」
――異世界。
雪乃は本当に召喚されてしまったのだ。
絶望が胸を締めつけたその瞬間。
――爆ぜた。
祭壇の壁が吹き飛び、
石片が弾け、冷気が流れ込む。
「な、何事だ!?」
煙の中から、ひとりの青年が現れた。
氷の刃を思わせる白銀の髪。
夜空の氷のような青眼。
肩には巨大な剣。
纏う気配は荒々しく、しかし絶対零度の静けさを持っていた。
「悪魔……!? 氷結の悪魔が来たぞ!」
(……悪魔?)
雪乃は朦朧としながらも、その青年から目を離せなかった。
白銀髪の悪魔――氷結の悪魔は、
祭壇で縛られた雪乃を見た瞬間、表情をゆがめる。
「……は? 召喚しておいてこれかよ」
怒りが青い瞳に宿る。
「異界から呼び出した人間を“器”扱い?
どんだけ腐った連中だよ、お前ら」
神官が震えながら叫ぶ。
「貴様こそ何を――がっ!?」
グレルが剣を軽く振っただけで、
地面が凍り、神官の足元から霜が走った。
「雪乃、だっけな」
彼は祭壇に手を伸ばし、
雪乃を縛る光の鎖に触れる。
一瞬で凍りつき、
次の瞬間――砕け散った。
「きゃっ……!」
崩れ落ちる雪乃を、グレルが支えた。
氷のように冷たい腕。
けれど、不思議と安心した。
「立てるか。異界の子」
「わ、わたし……どうして助け……?」
「ムカつくからだよ。
召喚して、祈力搾って、器扱い? ふざけてんのはどっちだ」
グレルは雪乃を抱え上げ、
神官たちへ冷たい視線を向けた。
「邪魔すんなよ。
こいつは俺が連れていく」
「な、何を――!」
「悪魔に逆らう気かよ。やめとけ」
足元の霜が爆ぜ、
神官の手にした杖が凍りつく。
「行くぞ、雪乃」
その名を呼ばれ、雪乃は思わず顔を上げた。
「……私の、名前……?」
「さっき叫んでただろ。聞こえてんだよ」
彼は軽やかに雪乃を抱えたまま、
崩れた壁の外へ跳んだ。
冷たい夜風。
深い森の匂い。
雪乃の心臓はずっと速く脈打ち続けていた。
――その時。
森の奥で、“光”が彼女を見つめていた。
冷たく、整った光。
歪みを嫌う、完全な秩序の輝き。
それが雪乃を“観察するように”揺れた。
(……誰……?)
雪乃が見つめ返すより早く、
光は音もなく消えた。
彼女も、グレルも、まだ知らない。
異界の少女を救い出した瞬間、
“神”による裁きが動き出したことを――。
夜の森は深く、静寂だけが広がっていた。
白銀髪の悪魔――グレルは、雪乃を支えながら木々の間を進む。
その歩調は速いのに、なぜか揺れが少なくて優しい。
「……離してしてください、少しは歩けます……」
「無理すんな。召喚のあとの祈力搾りだ。普通なら死んでる」
「し、死んで……」
「まぁおれが助けたから死ななかったんだよ。感謝しろ」
軽口なのに、どこか安心する声。
雪乃は胸の奥がほんの少しだけ温かくなるのを感じた。
やがて、開けた場所に出た。
月の光が差し込み、湖が鏡のように光っている。
森の冷気をまとった風が髪を揺らした。
「ここならしばらく追手も来ない。座っとけ」
「ありがとうございます……」
雪乃が腰を下ろすと、
グレルがしゃがんで彼女の顔を覗き込んだ。
青い瞳が近い。
「……顔色悪いな。吐き気とかすんだろ」
「あ……はい、少し……」
「祈力ほとんど抜かれたんだ。無理ないよ」
「……どうして、助けてくれたんですか?」
雪乃は前から聞きたかったことを、ようやく口にした。
グレルは一瞬だけ黙り込んだ。
静かな湖面の向こうで、風が木々を揺らしている。
「召喚された異界の子を、
“器”だの“代用品”だの言ってる連中がムカついた」
「……」
「あと――」
言いにくそうに、視線を少し外す。
「お前みたいな子を、泣かせたままにすんの嫌なんだよ」
雪乃は思わず息をのんだ。
(……悪魔なのに……そんなふうに言うんだ……)
胸が少しだけ熱くなる。
「わ、私……怖かったんです……召喚されて、
知らない場所で、勝手に“器”って言われて……」
「もう大丈夫だ」
グレルがそっと雪乃の頭に手を置いた。
その手は冷たいはずなのに、不思議と温かく感じた。
「ここから先は、おれが守る」
「……っ」
涙がこぼれそうになる。
けれど――その瞬間。
湖面が、淡い光に揺れた。
風ではない。
月でもない。
“光の輪”。
薄く、揺らめきながら、雪乃を中心に回っているようだった。
「……グレルさん。今の……」
「っ、下がれ雪乃!」
グレルは雪乃を抱えて距離を取る。
青い瞳が鋭く光った。
「ちっ……来やがったか」
「えっ……?」
「この光――神気だ」
雪乃の背筋が凍る。
湖の中央に、光の粒が集まり始めた。
静かに、優雅に、
水面を撫でるように漂う光。
それは“誰かの姿”を形づくっていく。
(……誰か……いる……)
「来るぞ、雪乃。絶対に離れんな」
グレルの声が低く震えた。
光がひとつに収束した瞬間、
湖全体が昼のように輝いた。
そして――
白金の髪が現れた。
静かに、穏やかに、しかし絶対的な威圧をまといながら。
紫の瞳を開き、こちらを見つめていた。
光律の神――ルーミア。
「……やっと見つけたわ、グレル」
神は、夜に降り立った。
湖に立つ少女は、神殿の彫像のようだった。
白金の髪が風にたゆたい、
紫の瞳は静かで冷たく、
その足元には光の輪が淡く輝いている。
まるで世界が彼女だけを中心に回っているかのように。
「……光律の神《ルーミア》……」
グレルが低く唸った。
「来るとは思ってたが、よりによって今かよ」
「その言い方、失礼ね。
……会いたかったのに」
ルーミアは氷のように整った微笑を浮かべた。
けれどその笑みは、
“誰かに向けた好意”というより――
“自分の所有物を確認したときの笑み”に近かった。
紫の瞳が雪乃へ向く。
静かに、しかし確実に。
「あなた……異界の子ね?」
雪乃はびくりと肩を震わせた。
「は、はい……」
「どうしてグレルと一緒にいるの?」
「……助けて、いただいて……」
「助けた?」
ルーミアはグレルへ視線を戻す。
「あなたが? 人間を?」
「悪いかよ」
「悪いわ。
悪魔は人間と関わるべきではない。
あなたは“秩序外”の存在。
世界に混乱をもたらす可能性がある」
「それを言うために来たのか?」
「それだけじゃないわ」
ルーミアは湖面に降り立ち、
歩くたびに波紋が光となって広がった。
「――あなたを迎えに来たの。グレル」
「却下だ」
即答。
ルーミアの眉がわずかに動く。
「……返事が早いわね」
「お前の下に戻る気はない」
「どうして?
私と一緒なら、“正しく生きられる”のよ?」
それは命令ではなく、
冷たい優しさを装った支配。
雪乃は、言いようのない寒気を感じていた。
(この人……怖い……
でも……綺麗で、完璧で……何も乱れがない……)
まるで“秩序そのもの”。
ルーミアはゆっくりと雪乃を見つめた。
「異界の少女。
あなた、祈力を搾り取られていたでしょう?」
「……はい」
「では理解して。
あなたの存在は、この世界にとって“誤差”よ。
歪んでいるの」
「……歪んで、いる……?」
「ええ。
だから――排除するわ」
その瞬間。
ルーミアの背後に“光輪”がいくつも開いた。
「雪乃、下がれッ!!」
グレルが彼女を抱き寄せた瞬間、
光輪が一斉に飛んだ。
風景が、整列しながら斬り裂かれる。
木々は寸分違わず真っ二つに。
石は同じ角度で切断され。
世界が“几帳面な誰か”に切り分けられていく。
「あ、あれ全部……攻撃……?」
「ルーミアの裁きの光だ。触れたら終わりだぞ!」
光輪が森を奔り、地面を削る。
「どうして……どうして私を……」
「グレルと一緒にいるからよ」
ルーミアは静かに告げた。
「――あなたを壊すのは、私の役目」
その瞬間、
ルーミアの形の良い唇が、ほんのわずかに歪んだ。
「“邪魔”だから」
雪乃は息を呑んだ。
この神は――嫉妬している。
グレルを奪われたように感じて。
「行くぞ、雪乃!」
「は、はいっ!」
グレルは雪乃を抱き上げ、湖畔を離れて走り出した。
背後では、光律の神が、優雅に、冷静に、彼らを追う。
「逃げても無駄よ、グレル。
あなたは必ず……光の下へ戻るのだから」
夜の森に、神と悪魔の追走が始まった。
夜の森を、青白い光が無数に駆け抜けていく。
追ってくるのは――光律の神、ルーミア。
彼女の背後に広がる光輪は十、二十、いやそれ以上。
視界の端すべてが光の軌跡で埋まるほどだった。
「雪乃、肩に掴まっとけ!」
「は、はいっ!」
グレルは雪乃を片腕で抱き、木々を縫うように走る。
そのたび白銀髪が揺れ、青い瞳が周囲を鋭く走査していた。
「どうしてここまで……!」
「アイツは“秩序バカ”だからな。
おれとお前の距離が気に入らないんだよ」
「気、気に入らないって……」
「嫉妬してんだよ」
「えっ……」
雪乃の顔が赤く染まったが、
照れている場合ではなかった。
背後の森が――几帳面に一直線に切断されていく。
「グレル、逃げても無駄よ」
ルーミアの声が、風のように届く。
「あなたは悪魔。世界の秩序外の存在。
そして――その人間は“もっと外側”。
どちらも、消さなくてはならない歪み」
「うるせぇよ!
誰が世界に許可とって生きんだよ!」
グレルが叫び、空へ剣を振り上げた。
青白い氷の斬撃が夜空を走り、
迫る光輪と激突する。
轟音。
光と氷が四散し、夜の木々が震えた。
だが。
光輪は一瞬止まっただけ。
すぐに形を整え、再び回転し始める。
「ふ、復元されて……!?」
「言ったろ。秩序バカだって」
グレルは舌打ちした。
「アイツは“世界はこうあるべき”って固定観念を持ってる。
壊れても直しやがる。氷じゃ押し切れない」
「その通りよ、グレル」
ルーミアがふわりと降り立つ。
白金の髪が光を受けて揺れた。
「あなたの氷は綺麗。でも……脆い。
対して私の光は“正しい”。
どちらが強いか、明白でしょう?」
光輪がさらに展開された。
「雪乃、しっかり掴まってろ!!」
「っ……はい!」
グレルが跳んだ。
光輪が地面を抉り、木々を整形して斬り裂く。
雪乃は腕の中で震えた。
「こ、怖い……!」
「怖がっていい。
でも――おれから離れんなよ」
その低い声に、雪乃の肺が震えた。
(……どうして……こんなに……)
胸が痛い。
怖いのに、心が熱い。
その時だった。
雪乃の胸の奥――
“あの時、祭壇で吸われた光”とは違う何かが、微かに灯る。
「……えっ……?」
胸に手を当てると、指先が温かかった。
光が、淡く滲んでいる。
(なに……これ……?)
ルーミアの紫の瞳が、すぐに反応した。
「――その光、何?」
雪乃はびくりと肩を揺らした。
ルーミアの瞳が細まる。
「祈力の残滓……だけじゃない。
“異界の光”……? 混ざっている……誰の力?」
「ちっ、気づきやがった」
グレルが雪乃を庇うように前へ出た。
「雪乃に触れんじゃねぇよ」
「触れなくても分かるわ。
その光……危険ね」
「危険って……!」
「あら、気づいてないの?
あなたの中には、異界の光と――“この世界の何か”が同時に宿っている」
雪乃は息をのむ。
「……っ……!」
「祈力を吸われても消えなかった。
むしろ今、目覚めかけてる。
稀に見る“異界干渉体”ね」
ルーミアは手を伸ばしかけ――
そして微笑んだ。
「危険なものは、排除しておかなくてはならないわ」
「雪乃には指一本触れさせない!!」
グレルが地面を蹴った。
「来いよ神様!!
おれがぶっ壊してやる!!」
氷と光が衝突した。
世界が震えた。
雪乃はその中心で、
自分の胸の中で光が脈打つのを感じていた。
(……嫌だ……このままじゃ……)
(……グレルさんが……!)
光が強まる。
雪乃の中で、何かが“目覚めようとしていた”。
夜の森に、氷と光がぶつかり合う轟音が響き渡る。
グレルの氷牙が閃き、
ルーミアの光輪が世界を切り裂く。
そのたび大地は凍り、
木々は整列したように断ち割れ、
夜は昼のように明滅する。
「グレル、あなたは変わったわね」
ルーミアは光輪を背に、静かに言った。
「人間を庇うなんて、悪魔らしくない」
「うるせぇよ。
おれはおれだ。悪魔だって、守りたいもんくらいある」
「では――その守りたいものごと、消してあげる」
光律の神の指先が、ゆっくりと雪乃を指した。
「やめろッ!!」
グレルが叫んだ瞬間、
ルーミアの背後で最大級の光輪が開いた。
直径は十数メートル。
光律の断罪――《天輪》。
「異界の光を宿す少女。
あなたは“歪み”。
この世界に存在させてはいけない」
「や……やめてください……!」
足が震える。
呼吸が浅くなる。
逃げられない。
その時――
胸の奥で、何かが脈打った。
(……グレルさんが……死んじゃう……
そんなの……イヤ……)
涙が溢れた瞬間、
雪乃の身体から淡い光が噴き出した。
「え……?」
「雪乃!?」
柔らかい光。
けれど――山を一つ焼き切れるほどの“質量”を感じる光。
ルーミアの瞳がわずかに揺れた。
「……これが……異界の光……?」
雪乃の足元に、円形の紋が輝く。
祈力ではない、別の何か。
光は雪乃の前に盾のように形をとり――
――《天輪》を受け止めた。
「な……っ!?」
ルーミアが初めて驚きの表情を見せた。
巨大な光輪は雪乃の光にぶつかり、砕け散る。
その隙を逃すグレルではなかった。
「雪乃、よくやった!!」
白銀髪が光をまとい、
青眼が鋭く光る。
「ルミアァァァッ!!!」
グレルは地面を蹴り、
氷結の剣を振り上げた。
氷霜が風となり、刃となり――
神の光輪へと襲い掛かる。
氷が光輪を噛み砕き、
霜がルミアの足元へ広がった。
ルーミアは咄嗟に後退し、空へ舞い上がる。
白金の髪が揺れ、紫の瞳が悔しげに細められた。
「……今日はここまでにしてあげる。
その“異界の光”の正体……必ず暴く」
風が吹き、ルミアの身体が光の粒となって消え去る。
夜の森に静寂が戻った。
雪乃はへたり込み、胸を押さえた。
(これ……何……?
私の力……? どうして……)
「雪乃!」
グレルが駆け寄る。
「怪我は!? どこか痛たいとこ――」
「ない、です……
でも……私……守れました……」
「……あぁ。マジで……驚いたわ」
グレルは雪乃の肩を支え、安堵の息をついた。
雪乃がその腕に手を添えると、
「……グレルさん。
私……あなたと一緒にいてもいいですか……?」
その問いに、グレルは一瞬だけ言葉を失い――
少し照れたように視線を逸らした。
「……ああ。
どこにも行くな。
離れたら……もう迎えに行くの面倒だしな」
「え……ふふ……」
雪乃は笑った。
胸の光はまだ微かに脈打っている。
「じゃあ、行くぞ」
「はい!」
ふたりは並んで森を歩き出す。
雪のように白い少女と、
氷結の悪魔。
その背後で――
光律の神ルミアが静かに残光を揺らしていた。
(……雪乃。
あなたの光……必ず解明してみせる)
その瞳は、嫉妬と使命と、
言いようのない感情を帯びていた。
夜風が揺れ、
白雪と銀氷の足跡が森へと続いていく。




