流行なんて曖昧なものに支配されて
その男は、食べログの星を信じすぎる。
「ここ、4.1あるから美味いに決まってる」
そう言って席に着くと、口にする前から「当たり」と決めつけていた。箸の先がまだ器に届いていないのに、彼の脳はもう満足しているようだった。
「出汁が深い」「余韻がいい」
どこかの誰かが書いたレビューの言葉を並べるその口調には、自分の言葉がない。
俺はその対面で、味噌汁をひと口すすった。
ちょっと熱すぎた。舌の上にふわっと塩気が広がる。悪くない、けど、「最高」とも思わない。
ただ、それだけの感想を持って「普通だな」と呟いたら、彼が眉をひそめた。
「これで普通はないわ」
それがまるで、俺の味覚が狂ってるかのような反応だった。
いつからだろう、味の感じ方すら「正解」が決められるようになったのは。
テレビで誰かが絶賛した瞬間、その店は聖地になる。
SNSで誰かが「エモい」って書けば、行列ができる。
何も考えず、その列に並んで「やっぱ良いよね」って言ってるのは、自分の舌か? それとも評価のコピーか?
別の日、彼はチーズケーキ専門店に誘ってきた。
「今、これが来てる」
そう言って渡されたのは、白くて丸くて、どれも同じ形をしたケーキだった。
「空気みたいに軽いんだよ」
食べた後でそう言う。
でも、実際には甘さが中途半端で、舌に残る脂っぽさだけが記憶に残った。
「これ、重たくない?」
と聞いてみると、彼は「いや、それが濃厚ってこと」と訂正してきた。
ああ、彼にとっての味覚は、味じゃない。言葉だ。
食感も、香りも、どこかで読んだ言葉のパズルの一部でしかない。
俺はべつにグルメでもなんでもない。
ただ、子どもの頃から好きだった焼きそばパンとか、スーパーで売ってる100円のバニラアイスとか、そういうもんが「美味い」と思える自分の感性を持っていたいだけだ。
誰が何と言おうが、うまいもんはうまいし、まずいもんはまずい。
「じゃあお前、味の違いわかんのかよ」
そう言われたら、正直、全然自信なんかない。
でも、俺は「これは好き」ってはっきり言えるし、誰かが「それはだめ」と言ったからって、急に嫌いになったりはしない。
その日、彼はインスタのストーリーで例のケーキの写真を載せ、「至高」って一言だけ書いた。
いいねが100件くらい付いてた。
その中に、彼自身の本音はあるのか?
あるいは、それを確かめる術なんて、もう誰も持ってないのかもしれない。
俺は、今日もまた、自分の舌で決める。
他人の言葉じゃなく、自分の言葉で「うまい」と言いたい。
流行の波に背を向けて、たとえ一人だけでも、それを「好き」と言える感性を信じていたい。
誰にわかってもらえなくても、それでいい。
だってこれは俺の味覚であり、俺の人生なんだから。