2−1 新生活開始
藤城課長が俺に用意してくれた部屋は、公安部フロアの一番奥にあった。
「……ここの隣か」
隣のドアには「公安七課 医療観測室」のプレートが貼られている。つまり――。
「お隣さんね。うふふ」
出た。さっそく現れたのは、七課の相葉先生だった。
相変わらず、大きな胸元をこれでもかと強調した服だ。
「相葉、内線で伝えた通り、ここはしばらく錫村に使ってもらう」
藤城課長が部屋のロックを解除した。
「ここって……病人が休む部屋じゃ?」
「仮眠室よ。その中でも一番上等な個室。わからないことがあったら、なんでも聞いてね。でも、体調に異変があったら即報告。いい?」
相葉先生に顔を覗き込まれた。目のやり場に困り、空中に視線を彷徨わせる。
若干、実験台にされそうな気配もあるが……背に腹は代えられない。他に行く場所もない。
部屋は四畳半ほどで、無駄な家具は一切なし。けれどベッドにテーブル、テレビまでついてる。想像以上に快適そうだ。
「ここのフロアにはシャワールームもあるし、食堂も売店も完備よ」
「……至れり尽くせりですね」
「錫村君、これを」
藤城課長が黒いカードを差し出す。クレカに見えるが、違うらしい。
「これは君のIDカード。これがないと、エレベーターも使えない」
「了解です。絶対なくしません」
「このフロアは特にセキュリティが厳しい。エリアごとに電子ロックがかかっていて、出入りにはそのカードが必須だ」
「なるほど……だからさっき、何度も“ピッ”てしてたんですね」
課長は軽く頷くと、相葉先生に任せると言って去っていった。
「じゃ、あとは私が案内してあげる。色々教えてあげるわ」
「よろしくお願いします……」
「そうそう、もう言われてるかもしれないけど、当面一人での行動は禁止よ」
「宇田島さんに言われました。外出も必ず誰かと一緒にって」
「外だけじゃなく、このフロア内もよ。ここには一課から五課の人間もいるから、六課の人間がウロウロしてたら警戒されるわ」
「えっ、同じ公安なのに?」
「六課と七課は特殊だからね」
「相葉先生は七課の方ですよね。六課と七課って、どう違うんですか?」
「六課は対魔法使いの捜査が専門。七課は……研究とか特殊任務とか、まあ“いろいろ”」
「ざっくりですね」
「全員魔法使いではあるけど、私以外のメンバーがどこにいるのかも分からない。課長なんて、ここ数年見た記憶もないわ」
「そんなに謎なんですか」
「ええ。でも、七課にいる人は例外なく、かなり特異な能力者よ」
どこか誇らしげな顔でそう言う相葉先生の表情に、ふと真剣さがにじんだ。
「私の“魔法解除”の能力だって、国に登録されてるのは私ひとり」
「やっぱり、すごい人なんですね……」
「君に言われると複雑だけど、ありがと」
不思議な距離感のある人だ。でも、なんとなく信用できる。
「魔法使いの多くは攻撃系と支援系。補助系の能力はかなりレア。雑音にはその全部が揃ってる。攻撃、支援、補助……バランスの取れた構成って、まるで公安みたいでしょ?」
「……公安の構成って、ちゃんと考えられてるんですね」
「当然でしょ。生き残るためにはね」
そこで、ふと気になっていた疑問をぶつけてみた。
「あの……ひとつだけ聞いてもいいですか?」
「なに?」
「錫村A――つまり俺と入れ替わる前の俺、彼ってセーフハウスをいくつも持ってるらしいんですけど……公務員でそんなこと、できます?」
「……もしかして、お金の心配?」
「めちゃくちゃ心配してますよ。俺、オンボロアパート住まいでも、月15万の稼ぎで生きるのに必死だったんですよ」
「15万……」
「手取りです。ちょっと盛りましたけど」
「……桁が違うわよ」
「まさか……15万じゃなくて、150万とか……?」
「たぶん、それ以上もらってるわね」
「……天文学的数字すぎて想像つきません」
「命がけだからよ。力を封印して普通に生きることもできたのに、それを選ばず、現場に立ち続けた。国家としても、彼に金をかける価値があると判断してたってこと」
……そうか、命の代償か。
まったく別世界の“俺”は、そんな過酷な現実を背負って生きていたらしい。
「実は……変なアルバイトでもしてたんじゃないかって、ちょっと疑ってました。でも、これでスッキリです」
俺はいたって真面目に言ったつもりだった。
だが、なぜか相葉先生は吹き出していた。
「ごめっ……ごめん……!」
肩を震わせて、手を口に当てるけど、どうにも笑いが止まらないらしい。
「え? なんでですか?」
「いやだって……あのね、錫村刀矢の顔で真顔でそう言うの、ずるいって」
今度は声を出して笑い始めた。涙を滲ませながら腹を押さえている。
「俺、面白いこと言ったつもりはないんですけど……」
「わかってる。わかってるけど……はぁ……ダメだ、もう……ちょっと無理」
笑いのツボに完全に入ってしまったらしい。
俺はその様子を見ながら、少し呆れつつも……正直、ホッとしていた。
この世界に来てからずっと、緊張と困惑の連続だったけど、今は少しだけ“日常”が戻ってきたような気がする
誰かと笑い合うって、こんなにも救われるものなんだな。
「ふぅ……ちょっとスッキリしたわ。ありがと」
「いえ、どういたしまして」
「そうね……あんまり頑張りすぎないこと。こっちの世界の“錫村刀矢”とは違って、君は君なんだから」
「それ、ちゃんと周りの人にも言っておいてくれません?」
「無理ね。だって、見た目は同じなんだもの。比べられるのは仕方ないわ」
苦笑いしながら、先生は俺の肩を軽く叩いた。
「でも、あんまり抱え込みすぎないこと。壊れたら、元も子もないんだから」
「壊れたら……か。そうですね。気をつけます」
「じゃ、私はそろそろ行くわね。明日から訓練本番よ。せいぜい気張って」
そう言って、相葉先生は軽やかに部屋を後にした。
静かになった仮眠室の中に、ふと余韻が残る。
“壊れたら、元も子もない”
冗談めいた言葉の奥に、なにか現実味のような重みを感じて、俺はそっと深呼吸した。
そして、ひとり呟く。
「さて……どこまで、やれるかな」
◆◆◆
部屋に静けさが戻った。
さっきまでの相葉先生の笑い声が嘘みたいに、今は空調のかすかな音だけが、壁の向こうでくぐもって響いていた。
ベッドの端に腰を下ろす。沈むマットの感触が、じわじわと現実感を連れてくる。
目の前にある小さなテーブル、壁に取り付けられたテレビ、薄いカーテンで仕切られた窓。
どれも新品じゃないし、豪華ってほどでもない。けれど、なんだろう……。
妙に、温かい。
この部屋はたぶん、“本物の錫村刀矢”が、これまで何度も逃げ込んできた場所なんだ。
命を狙われながら、息を潜めて。ほんのわずかな安らぎを得るためだけに。
「……重いな、なんか」
ポツリと漏れた言葉に、自分で苦笑した。
俺は、ただの売れない芸人だった。たまに営業で子ども向けのイベントに出て、ウケたりスベったりしながら、どうにか飯を食ってた。
あの頃は、何者にもなれない焦燥感が常にどこかにあって。
けど、命を狙われるような重さなんて、背負ってなかった。
ここでは違う。
俺は“錫村刀矢”として見られている。
強くて、優秀で、恐れられて、そして――憎まれてる。
「俺に……できるのかよ」
天井を見上げてみたけれど、何も答えは返ってこなかった。
ただ、目の奥にうっすらと滲むものを拭って、俺はそっとつぶやいた。
「……笑われても、馬鹿にされても、いいからさ。誰かを守れるくらいには、なりたいな」
それが、この世界に突然放り込まれた“俺”にできる、最初の目標だった。