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桜田門ウィッチーズ  作者: しろいぬ
第六章 偶像
43/46

6−3

 篠原浩の警護は交代制だ。

 今、この部屋にいるのは、俺と真野さん、そして石巻君。

 宇田島さん、小野倉さん、本間さん、久我さん、山下さんは別室で待機している。


 警備部からは五人のSPが常時同行し、ホテルの周囲では私服を着た公安の人間が不審者に目を光らせている。

  厳重な警備体制。……にも関わらず。


「ねえ、君。恋人、いる?」


 唐突な質問に、耳を疑った。

 この状況で、恋バナ?


「いません……けど」


 答えながら、真野さんの表情を横目で確認する。

 視線をまっすぐ前に向けたまま、何も言わず首を横に振った。

 雑談に付き合うなという、無言のサインかもしれない。


「へぇ。いないんだ。可哀想に」


 浩はスマホをいじりながら、軽い口調で続ける。


「顔はまあまあなのに。変な趣味でもあるんじゃない?」


 ……失礼にもほどがある。

 言い返そうと口を開きかけたが、言葉が出てこなかった。

 代わりに、喉の奥が重くなる。


「ドルオタってさ、バカだよね。キモいし」


 浩はまるで、食後の雑談でもしてるかのように言った。


「“ガチ恋勢”とかさ、本気で結婚できると思ってるんだよ? マナカが本気で相手するわけないのに。とんだ逆恨みだよ。僕みたいな恵まれた人間と張り合えるわけがないのにさ」


 ひとつ、深呼吸する。

 返す言葉が見つからない。どこまで本気なのかも分からない。けれど――本気なんだろう。


「僕だって、別にマナカと結婚する気なんてないんだよ? それなのに、結婚を迫ってるなんて動画で言っちゃってさ」


  浩はふっと鼻で笑い、スマホをまた指で弾いた。


「……あのキモオタ、早く死ねばいいのに」


 その言葉を聞いた瞬間、真野さんが、ごくわずかに目線を上げた。

 声は出していない。けれど、明らかに“聞いた”という反応だった。

 俺は唇を引き結び、何も言えなかった。




 ◆◆◆



 浩が再びスマホに目を落とし、ふいに表情を変えた。


「……あ、来た」

「何がですか?」

「マナカ。今、ロビーにいるって」


 一瞬、室内の空気が凍りついた。

 「え?」と俺が聞き返す前に、浩は立ち上がっていた。


「下にいるんだって。ほら、メッセージも来てる」


 画面をこちらに突きつけてくる。確かに「もうロビーに来てるよ」という一文が表示されていた。


「篠原さん。今すぐ座ってください。状況が確認できるまで、勝手な行動は厳禁です」


 真野さんが即座に制止する。口調は冷静だが、視線は鋭い。


「何それ。なんでそんなに偉そうなの?」


 浩はムッとした表情で反論する。


「僕、全員クビにする権限だって持ってるんだよ?だってさ、僕の警護にあたってるんでしょ? なら、僕の命令が最優先でしょ? マナカが来てるのに会えないとか、意味わかんないんだけど」


 呆れるほどの傲慢さ。

 だが、それが“篠原浩”という存在そのものなのだ。


「……確認を取ります。篠原さんは着席してください」


 真野さんが淡々と告げる。

 浩は鼻で笑いながらも渋々ソファに腰を下ろした。


 数分後、警備部からの報告が届く。

 ロビーに“本人と思われる”マナカの姿が確認された。

  ただし、ボディチェックや身分証明は拒否しており、現場の判断では「五分以内の限定接触」が妥当とされた。


「五分間。ロビーでの面会を許可します」

  

 真野さんが冷ややかに告げた。


「やった。やっぱり僕が動かないと話になんないんだよね」


 浩はご満悦な様子で立ち上がると、襟を正しながら言った。


「じゃ、行こっか。ま、あんまり怒らせないようにね?」


 その言葉に、俺も真野さんも返事はしなかった。




 ◆◆◆




 ロビーは、まるで映画のセットのようにきらびやかだった。

  大理石の床。高い天井。柔らかい照明に照らされた空間に、篠原浩とマナカが立っていた。

 マナカは、黒のワンピースに薄いベージュのカーディガンという落ち着いた装いで、目立たないようにマスクと帽子を被っていたが、それでも隠しきれないオーラがあった。


「……久しぶり」


 少しはにかんだようなマナカの声に、浩は満足げに頷いた。


「やっと会えたね。よく来てくれたよ」

「そっちが呼んだんじゃん」

「まあまあ」


 浩は笑いながら、マナカの手を取ろうとしたが、彼女は自然にかわした。

  だが、嫌悪感のようなものはなく、むしろ“距離を保つプロ”の動きだった。

 俺と真野さんは、数メートル後方でロビー全体を警戒しながら様子を見守っていた。


(問題なさそう、か……?)

 と思った、その時だった。


 ――カンッ。

 硬質な音が、床を叩いた。

 タイルの隙間に弾かれるように、赤い球体が跳ねる。

 光を反射しながら、視界の端をぴょん、と飛んでいった。


「……スーパーボール?」


 誰かが呟いた、ほんの一瞬の静寂。


 ――ドンッ!!

 爆風が、世界を裏返した。

 床がめくれ上がり、炎が噴き出す。

 炸裂音と同時に、ロビーの一角が火と煙に包まれた。

 衝撃で吹き飛んだ観葉植物が天井近くまで跳ね上がり、ガラス片が雨のように降ってくる。

 刹那、空気が焼け焦げるような臭いを放った。


「きゃあああああああっ!!」

「何!? 爆発!? 嘘でしょ!?」


 叫びと悲鳴が交錯し、ロビー中にエコーのように響き渡る。


 直後――もうひとつ、赤い球体が跳ねた。

 今度は、吹き抜けの天井まで跳ね上がり、

 光の中で不気味に回転しながら、ゆっくりと――落ちてきた。


 ――ドンッ!!

 爆音。白煙。熱風。床が抉れる。

 今度は近くの案内カウンターが吹き飛び、破片が周囲に散った。


 逃げ惑う人々。

 スーツケースを投げ出して転倒する観光客。

 床にしがみついて泣き叫ぶ子ども。


 警備員の制止を振り切り、出口に殺到する客たちが互いに押し合い、悲鳴をあげている。


「伏せて!! 伏せろ!!」


 誰かが叫んでいる。だが、誰の声か判別できない。

 警備員が一人、爆風で吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた。

 動かない。そのまま沈黙が落ちた――が、騒音は止まらない。


 まるでロビー全体が、“破裂する玩具箱”に変わったかのようだった。

 煙の向こうから、三つ目の赤いスーパーボールが姿を現した。

 ぴょん、と軽やかに跳ねながら、どこに落ちるのか予測できない軌道で――。


「篠原さん、伏せて!」


 真野さんの叫びが、混乱の中で鋭く響いた。

 即座に、五人のSPが篠原とマナカの周囲に走り寄る。

 黒いスーツが盾となり、二人の身体を庇うように囲む。

 マナカは悲鳴を上げながら、浩にしがみついていた。


「爆発物は跳ねています! 跳弾型です! 撃ち落として!」


 石巻の声が無線越しに飛ぶ。

 俺は反射的に銃を構え、飛び散る破片の中で周囲を見回す。

 だが、肝心の犯人の姿はどこにもない。


 煙と閃光で視界は悪く、耳鳴りが断続的に続いている。

 ――床に転がる、赤いスーパーボール。三つ。

 それぞれが不規則に跳ねながら、まるで自我を持つかのように、狙いすましたタイミングで爆発していた。

 軌道は予測不能。次にどこに跳ねるかも、いつ爆発するかも、まるで読めない。


「な、なにこれ……嫌ぁっ! 助けて! ヒロちん!」


 マナカが悲鳴をあげて浩にしがみつく。

 顔は恐怖に引きつり、涙で崩れたメイクが頬を伝っている。


「早くなんとかしろよっ!」


 浩が俺たちに怒鳴る。

 だが、魔法使いの姿がない以上、どうにもできない。

 突如、無線から怒号が響いた。


『魔法使いを確認! 不和です! ――あッ!!』


 悲鳴とともに、再び爆発音。

 それはホテル正面、玄関の外からだった。

 音の方向を向いた瞬間、硝煙を帯びた炎がガラス越しに揺らめいた。


「ここは私たちが押さえます! 六課は外へ!」


 SPの一人が叫び、すぐに防弾シールドを広げる。


「錫村さん、行こう!」


 いつの間にか合流していた久我さんと頷き合い、俺たちはロビーを駆け出した。

 ホテルの玄関前。


 警備部のSPたちが倒れている。何人もが爆風で地面に転がされ、呻き声をあげていた。

 その中央に――立っていた。


 不和正隆。

 黒いジャケットを羽織り、顔は引きつった笑みを貼り付けたまま。

 そしてその頭上には、直径30センチはある特大のスーパーボールが、ふわふわと浮かんでいた。


「うわあああああああッ!!!」


 不和が叫ぶたびに、彼の背後から湧き上がるように無数の赤い球体が生まれ、空中でビリビリと震える。

 次の瞬間、それらは一斉に四方八方へ弾け飛んだ。

 宙を跳ね、建物の壁に当たって跳ね返り、地面で弾んだその瞬間――


 ――ドンッ! ドンッ! ドンッ!!

 連続する爆発。煙と炎。空気が引き裂かれるような轟音が、現場を支配した。

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