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「あの、もしかして……それって、不和が“雑音”に依頼したって可能性はないんですか?」
俺の一言に、室内の空気がピタリと止まった。
全員が一斉に俺を見た。驚きというより――呆れの色が濃い。
コイツ、何を言ってるんだ? みたいな視線が、刺さる。
「お前なぁ……雑音の仕事だったら、とっくに篠原は死んでるわ!」
本間さんがやれやれと肩をすくめるように言った。
「なるほど……っす」
俺も思わず肩をすくめ返す。
たしかに、あの暗殺集団が関わっていたなら、今ごろ篠原浩はこの世にいないだろう。
もちろん、政府が管理している魔法使いのデータベースに、不和正隆の名前は載っていない。
登録されていないということは――つまり、彼は“魔具が発現したばかりの一般人”である可能性が高い。
そして、もしそれが事実なら、
何の前触れもなく、ある日突然“魔法が使えるようになった”ということになる。
……だが、憶測で話を進めるわけにはいかない。
現時点で優先されるべきは、あくまで不和の身柄確保だ。
「不和の足取りを追う捜査は刑事部が、篠原の警護は警備部と六課が行う。不測の事態に備え、今日から二十四時間体制でいく」
藤城課長の言葉で、会議は締めくくられた。
会議が終わり、各自が資料を持って部屋を出ていく中、俺は小走りで宇田島さんの背中を追った。
「宇田島さん、ちょっといいですか」
足を止めた彼に、俺はずっと気になっていたことを訊ねた。
「あの……今回の殺害予告って、日時や場所を指定されたわけじゃないんですよね。それなら、警護っていつまで続けるつもりなんですか? やっぱり、不和が逮捕されるまでですか?」
宇田島さんは一拍置いてから答えた。
「現状では、そういう判断になるな。ただし、魔法が絡んでいる以上、一概には言えない。予告も手段も、常識が通じるとは限らないからな」
「だったら……六課の保護施設で預かることはできないんですか?たとえば勝井琉斗君がいる場所なら、篠原も安全に――」
「その提案はすでに警備部の間でも検討されたらしい。だが、篠原本人が“外部施設での保護”を拒否したそうだ。いくら身の危険があっても、御曹司が“動かない”と言えば、警備部としてもそれ以上は踏み込めない」
「……やっぱり、“御曹司”ってだけで、それが許されるんですね」
苦い皮肉をこぼすと、宇田島さんはわずかに口角を上げた。
「そういうことだな。だが、そういう人間ほど、狙われたときは派手にやられる。……油断するなよ、錫村」
◆◆◆
「え? マナカ? 今日、会うけど?」
ラウンジのソファにふんぞり返ったまま、篠原浩は当然のように言った。
高級ホテルの最上階。
警護の都合で確保されたVIPルームの一角。窓からは都心の夜景が広がっている。
その煌びやかさとは裏腹に、部屋の片隅には公安と警備部の人間が立ち、厳しい目で浩を見守っていた。
「……篠原さん。状況はご理解いただけていますよね? あなたには今、“殺害予告”が届いているんです。無断で誰かと接触すること自体が、非常に危険です」
「わかってるって。でも大丈夫。どうせまた、あれでしょ? “魔法使いの仕業かも”とかいうやつ」
浩はスマホを手のひらで回しながら、軽く鼻で笑った。
「魔法なんて、所詮人間のイタい願望をこじらせた結果でしょ? せいぜい、打ち上げ花火をちょっと派手にした程度ってイメージ。でっかく吹っ飛ぶとか、ビルが崩れるとか、そんなの見たこともないしさ」
警護官がわずかに視線を鋭くする。
「マンションの爆破は、偶然だったとでも?」
「うん、偶然だったんじゃない? っていうか、俺、あの日いなかったし。偶然のガス漏れとか、地盤とか、いろいろあるでしょ? そういうのってさ」
そう言って、浩はふわりと笑う。
他人事にもほどがある――そんな空気が部屋全体を覆った。
ホテルの窓の向こうには、事故で割れたマンションのニュースを報じるヘリが飛んでいるというのに。
彼はその現実から、どこまでも遠い。
「それにさ、マナカが元気ないって、俺わかるんだよね。インスタの写真も少し加工が強くなってて、表情が前より作り笑いっぽいし。そういうの、俺、気づけちゃうタイプだからさ」
「会うのは、許可できません」
「なんで? ただの食事だよ。俺が誘ったっていうより、向こうが“会いたい”って言ってきたし」
何もかも軽く、何もかも自分中心。
どこか“王子様気取り”で、「自分だけが気づける優しさ」みたいな雰囲気をまとっている。
「篠原さん。あなたは、いま“公に狙われている立場”です。ご自身が思っているより、状況は深刻です」
「ふぅん……まあ、じゃあホテルのロビーに呼ぼうかな。それなら、ここにいたままでいいんでしょ?」
浩は“譲歩してやった”というような態度で、もう一度スマホを手に取る。
彼の顔からは、恐怖や不安の影すら見えなかった。
◆◆◆
だらしなくソファに座り、スマホをいじっている浩の姿を見た瞬間、
胸の奥がスッと冷えた。
ここまで違うと、もう笑える。
こいつは確かに“篠原浩”だ。でも、俺の知ってる浩じゃない。
今回ははっきりと――他人だと割り切れそうだった。
俺の知ってる浩は、カッコよかった。
顔は並み以下。お世辞にも整ってるとは言えなかったけど、それでも、どこか絵になる奴だった。
センスのいいブランド服を自然に着こなし、独特の空気をまとっていた。
芸人としては鳴かず飛ばずだったけど、俳優に転向してからは、すぐに結果を出した。
演技力、表現の幅、頭の回転――どれも本物だった。
ふざけてるようで、役作りにはとことん真面目だった。
……あの浩が、いま俺の目の前で。
「公安ってさ、家族にも所属内緒なんだっけ? じゃあさ、この部屋の写真アップしたら、まずい系?」
――と、ほざいていた。
言葉が出なかった。
「場所の特定をされますので、SNSの投稿はお控えください」
警備部の隊員が、落ち着いた声でそう返す。
プロの対応ってこういうのを言うんだろうな。
内心、ぶん殴りたいと思ってるだろうに――眉ひとつ動かさず、丁寧に。
こっちは浩のために、命の危険を背負って警護してるってのに。
“警護されてますなう”の写真投稿なんかされたら、何の意味もない。
……あのな、居場所が特定されないように、わざわざホテルを転々としてんだぞ。
お前はその手間の意味を、少しでも考えたことあるのか。
初対面の挨拶もろくに交わさなかったけど、それで正解だった。
この仕事が終わったら、もう二度と会うことはない。
いや――会いたくもない。




