5−5
警察病院の特別病棟。
ここに、B11――南川修星が入院している。
俺は厳重なセキュリティチェックを通過し、三階の特別隔離フロアへと向かった。
廊下には監視カメラが張り巡らされ、所々に分厚い扉が設置されている。
まるで病院というより、地下の留置所のようだった。
ナースステーションで許可証と面会カードを提示すると、無言で警備員が頷いた。
「308号室です」
番号を確認し、指定された部屋の前に立つ。
カードキーを差し込むと、電子ロックの重たい音が廊下に響いた。
中には消毒液の匂いが立ち込めていた。
鉄格子の嵌められた窓、四隅に設置された監視カメラ。
その中心に、特製の拘束具でベッドに固定された南川修星がいた。
「……今度は、死神かよ。いくら聞かれても、お前らに話すことなんてねぇぞ」
うんざりした目で、南川がこちらを見る。
「……捜査に協力してくれ。そうしないとお前も……」
続きを言いかけて、俺は言葉を飲み込んだ。
「……お前もって、なんだよ?」
少し間を置いて、俺はようやく口を開く。
「……田仲恵一と、同じ末路を辿ることになる」
南川の目が、わずかに揺れた。
真野さんから聞いた、魔法による尋問。
それは人の心と身体を壊す。
生きていても、生きているとは言えない――死よりも残酷な終わり方だ。
「……ああ。あいつもここにいるんだっけか。忘れてたわ」
肩をすくめ、冗談めかして笑う南川。
「死ぬのは、もう覚悟してんだ。俺たちみたいなはみ出し者が、寿命を全うして死ねるわけない」
どこか他人事のように、吐き出すように呟く。
「野垂れ死ぬか、公安に殺されるかの違いだろ?」
俺は反射的に首を振った。
「違う。少なくとも、俺の中では違うと思ってる」
「どこが違うんだよ」
「……ごめん。どうしても、上手く言えないんだ」
しばし、重い沈黙が流れる。
俺の中の“正しさ”は、いまだ言葉にならず、のたうちまわっていた。
「ふーん……」
南川は俺を一瞥し、鼻を鳴らす。
「やっぱ、お前変だわ」
「変……?」
「なあ、どうなってんだよ。まさか、二重人格ですとか言わないよな?」
その目は冗談めいていたが、どこか鋭かった。
俺の体のことは、こいつには言えない。
でも、たしかに今の俺は“変”なのかもしれない。
「……ごめん。君には言えない。けど、菜美のことは――残念だった」
その名前を出した瞬間、南川の表情が変わった。
「残念……?」
噛みつくような声音だった。
「さんざ、俺達の仲間殺しといて、残念だとか言ってんじゃねーよ」
言葉に詰まる俺を見て、南川はあきれたように息を吐いた。
「よくわかんねぇけどよ。そんな気持ちで刑事やってんなら、辞めたほうがいいんじゃね?」
胸に、ぐさりと刺さる。
その通りだ。
この世界では、命の重さは現実の重さと結びついている。
「かわいそうだから」で見逃した先に、何人が死ぬかなんて、わかりきってる。
「俺に向いてないことぐらいわかってるよ。けど……」
「だったら、何なんだよ」
南川が、俺の顔をじっと見た。
「どうしたら、救えるのか。考えてしまうんだ」
そう言うと、南川は「なんだそれ」と呆れたような声を出す。
「救ってくれるって言うなら、今すぐ俺を殺せよ」
その声は、まっすぐだった。
「俺さ、もうわかってんだよ」
南川は、鉄格子の窓を見上げた。
その瞳には、うっすらと涙が滲んでいた。
「……俺は、あそこから戻れねえ。もう、普通の道なんて歩けねぇんだよ。戻れない場所にいるんだ、俺たちは」
自嘲気味に笑い、俺に正面から向き直る。
「だったら、悦男のところに、俺を連れてってくれよ。あいつ、一人で泣きながら待ってんだろ」
角川悦男。
彼の元相棒。
錫村Aが撃ち殺し、俺がこの世界にくるきっかけとなった男。
「すげー、バカなやつでさ。もしも俺達が普通の家庭に生まれて、普通の両親に育てられて、普通に学校とか行ってたら、俺達は普通にコンビニのアルバイトとかしてたのかな。とか、いきなり言い出した事があって」
俺には想像できる。
南川と悦男が、普通に笑ってコンビニで働いている姿を。
「カッコつけて、ありえねーわ。って返したけど、俺だって、そうだったら良かったなぐらい思うっつーの」
「……俺は、お前を救えるのか?」
「ああ。実はさ、すげー体が痛いんだ。わざとじゃね? ってぐらい。どうせ死ぬなら、楽に逝きてーわ」
俺は、ゆっくりと手を挙げる。
そして魔具を起動する。
「《起動》」
空気が凍ったように、ひんやりと張り詰める。
銃口が、彼の心臓を捉える。
「……やっぱ、お前、優しすぎるわ」
――一発。
小さな銃声とともに、南川の命は静かに絶たれた。
苦しまないように。
ただ、静かに。
安らかに。
彼の顔には、どこか救われたような、穏やかな表情が浮かんでいた。
すぐに病室の扉が開き、数人の警備官が飛び込んでくる。
俺は抵抗せず、魔具を消して両手を上げる。
拘束されながらも、俺の視線はベッドの上から離れなかった。
(ようやく……迷いが消えた気がする)
世界が濁っていても。
その中で選び取った、自分の“優しさ”が彼を救えたのなら――
それで、いい。




