表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
桜田門ウィッチーズ  作者: しろいぬ
第四章 雑音〜ノイズ〜
32/46

4−6

「私……みんなに、隠していることがあります」


 小野倉さんの言葉には、普段の彼女からは感じられない緊張が滲んでいた。

 俺も宇田島さんも、言葉を挟まず、彼女の決心を静かに待つ。


 やがて、小野倉さんは小さく息を吸ってから言った。


「……私、彼女に会ったことがあるんです」


「彼女?」と、頭の中に疑問が浮かぶ。


 すぐに宇田島さんが確認するように問う。


「“始まりの魔法使い”のことか?」


 小野倉さんは小さく頷いた。


「……ずっと前の話です。私が、まだ小学生の時。彼女は高校生でした」


 過去を手繰るように、少しずつ言葉が紡がれていく。


「彼女は……私の義理の姉を殺しました」


 その瞬間、俺は言葉を失った。思わず目を見開く。

 だが宇田島さんは、淡々とした口調で言った。


「そうか。……あの事件の被害者の親族だったか。つまり、彼女は君の“敵”でもあるということだな」


 だが小野倉さんは、静かに首を振った。


「そんな感情は……ありません。いなくなって、むしろ……ホッとしたぐらいです。……義姉はひどい人でした。家では私をいじめていて……それも、“兄弟喧嘩”なんて言葉では片付けられないほど、酷いやつでした」


 声がわずかに震える。きっとその記憶は、今でも癒えない傷として残っているのだ。


「事件の後、警察の人たちに何度も事情を聞かれました。だけど、誰も私の話を信じてくれなかったんです。家はセキュリティがしっかりしていて、全部の窓や扉には鍵がかかっていた。外部の人間が侵入するなんて……『魔法でも使えなきゃ無理だ』って言われました」


「だが、魔法は存在していた」


 宇田島さんが重く呟く。


「はい。私の証言が認められたのは、世界中に魔法使いが現れ始めて……そして、姉の他に三人の同級生が殺されたからです。姉は、学校でも特定の生徒を執拗にいじめていたようで」


「……その、いじめられていた生徒が、“彼女”だったのか?」


「……たぶん」


 小野倉さんの視線が、どこか遠くを見ていた。


「公安に入ってから、何度も彼女のことを調べました。でも、彼女に関する資料は全て削除された形跡があって。名前も、経歴も、何もかも……なかった」


「よくあることだ。内部情報は、簡単には見られない。とくに公安の案件はな」


「そうだと思います。事件が報道されなかったのも、内容があまりに衝撃的すぎたからだと聞きました。当時は、警察も“魔法”という存在をまだ認めていなかったんです」


 俺は言葉を失っていた。

 その事件の一端が、小野倉さんの過去に繋がっていたなんて。


「……だから、私は知っているんです。いくら情報を隠匿しても、口を閉じさせても、当事者の記憶までは消せない。あの夜のことを、私はずっと覚えているから」


 小野倉さんの声には、芯のある静けさがあった。


「……私、当時は姉の部屋の隣に寝ていたんです。だから、異変にもすぐ気づきました。最初は、またヒステリーでも起こして暴れてるのかと思った。でも、少し開いたドアの隙間から見てしまったんです。姉がもがきながら……確かに、こう言ったのを」


 彼女は一拍置いて、言葉を口にした。


「――『まのの分際で……』と」


「まの……の、ぶんざい……?」


「当時は意味が分からなかった。でも、大人になってから思ったんです。“まの”って苗字なんじゃないかって」


「……真野」


 宇田島さんが低く呟いた。


「もちろん、他にも“真野”って苗字の人はいます。でも私は……この間、“彼女”を念写したとき――」


 そう。あの護送中の襲撃事件の時。

 小野倉さんが“彼女”をカメラで念写していたという報告は聞いている。

 だが、その写った姿は、能力に分類できないほど“曖昧”だったとされていた。


「……一瞬だけ、真野主任の姿が映りました。今の姿ではありません。あれはたぶん……高校生の時の真野主任でした」


 沈黙が、夜の道に落ちた。

 誰もが、その言葉の意味を飲み込もうとしていた。


「よく話してくれたな、小野倉。……黙っているのは、ずっと辛かっただろう」


 宇田島さんの声は静かだったが、そこには確かな労りがあった。


 小野倉さんは、ほんの少しだけ表情を緩めた。けれど、すぐにまた硬い色を取り戻す。


「……でも、私は……真野主任のことを疑っているわけじゃないんです」


「わかってる」


 宇田島さんは断言するようにそう言った。そして、ちらりと俺の方を見る。


「……錫村。実は、公安の中に“雑音”に情報を流している者がいる」


「公安の人が……!?」


 反射的に声が出てしまう。そんなこと、現実にあるはずがない――そう思いたかった。


「お前はどう思う? 司法で裁けない凶悪犯がいたら……どうする?」


 まるで問いかけるように、宇田島さんは俺を見つめていた。


 思い浮かんだのは、かつて見たドラマのワンシーンだ。

 正義の名のもとに法を超える者。裁けない悪に、誰かが手を下す――フィクションの中の出来事。


「……そんなの、あってはならないことだと思います。だけど……」


 でも、そう呟いてから言葉を止めた。

 この世界では、“魔法”という現実が、それを非現実で済ませてはくれない。


「けれど、それが“真野主任”ではないことは、俺が保証する」


 宇田島さんの瞳が、一瞬だけ鋭くなった。

 そして、手を軽く掲げて、低く呟いた。


「《起動》」


 空気が震えた。


 その瞬間、彼の周囲に淡く光る魔法陣が浮かび上がる。

 赤と青が交錯し、複雑な模様を描いた魔法陣はやがて一つの形をとった。


 それは――おもちゃの聴診器だった。


 けれど、ただのおもちゃではない。

 まるで心の奥を“聞く”ために存在するような、異質で、それでいて洗練された造形。


「こいつの名は……《共鳴(レゾナンス・)聴診(リスナー)》」


 宇田島さんは静かに言う。


「俺の魔具だ。思考の振動を拾い、感情の揺らぎを“音”として聞き取る」


 言葉が、夜気の中に染み込んでいく。


「もし、彼が不審な行動をしたなら――俺は迷わず、こいつで聞き出す。……たとえ、誰であろうと」


 その眼差しは冷静で、しかし強く熱を帯びていた。


 それが、公安としての“覚悟”の現れであることは、誰にでも分かった。




 ◆◆◆




 警視庁の部屋に戻ると、部屋の中はしんと静まり返っていた。


 テレビをつけると、どのチャンネルも年末特番ばかりが映っていた。

 派手な照明に照らされた歌謡ショー。

 豪華キャストのスペシャルドラマ。

 賞金をかけたお笑いコンテストに、食レポだらけのグルメ旅。


 どれも、騒がしすぎて、今の自分には合わなかった。


 リモコンで音を消して、ベッドに寝転ぶ。

 そのまま、天井をぼうっと見つめる。


(……俺でよかったのか)


 小野倉さんが、あんな大事な話を、俺に打ち明けてくれたこと。

 その重さが、今になってずしりと心にのしかかってくる。


 あの人は、まだ誰にも話せていなかったのだろう。

 真野主任のこと。幼少期の記憶。

 そして、「彼女」が自分の人生に深く関わっていたという事実。


(……俺なんかが、ちゃんと受け止められたのか)


 そして、宇田島さんの魔具。《共鳴(レゾナンス・)聴診(リスナー)》。


 もっと物理的な、破壊力のある魔法を想像していた。

 ビル一棟を吹き飛ばすとか、敵を一瞬で消し飛ばすような……そんな“派手な”やつ。


 でも彼の魔具は、まったく逆だった。

 静かに、確かに、人の「心の音」を聞き取るもの。


 嘘をついた時の微かな動揺。

 悲しみのざわめき。

 怒りの弾けるような心拍。

 後悔の、しとしとと降る雨音のようなリズム。


 心の震えを、音で知る魔法。


(人の中身を、見透かされるって……それが一番、怖いことかもしれないな)


 ピコン、とスマホが震えた。


 メッセージだ。


【明日、洋服買いに行こう。真野主任には承諾を貰ったから。護衛に私と宇田島さんと石巻君がつくなら外出してもいいって。12時に迎えに行きます】


 ……久我さんからだ。


 文体が乱れている。

 誤字もあるし、改行も変だ。たぶん、酔ったまま送ってきたのだろう。


(……洋服か)


 浩はブランド好きで、仁は都会的で洗練されたファッションを好んでいた。

 俺はというと……適当だった。

 似たようなトレーナーにジーパンばっかりで。

 浩にも仁にも、「もうちょい服に気を使え」って、よく怒られたっけ。


 ……そういえば久我さん、あんなに飲んでたのに、元気すぎないか?

 俺なんて今にも寝落ちしそうなのに。


 そんなことを考えながら、体を横に倒す。


 久我さんにダメ出しされた白いトレーナーのまま、靴下も脱がず、

 俺はベッドに沈み込んでいった。


 意識が、ゆっくりと闇に沈んでいく。

 夢も見ない、深くて静かな眠りだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ