4−4
今年も、残すところ五日となった。
ちなみに――クリスマスは来なかった。俺のもとには。
雑音による襲撃事件が一段落したあとは、ほとんど外出もせず、訓練場に引きこもっていた。
何かを誤魔化すように、ただ、ひたすらに身体を動かしていた。
射撃訓練に加えて、魔力の扱い方に関するトレーニングも始めた。
魔力を自在に扱えるようになれば、身体能力が飛躍的に向上する――そう教えられたからだ。
B3があり得ない高さから平然と飛び降りたのも、宇田島さんが足を撃たれても普通に歩いていたのも、魔力操作によるものだった。
だったら、俺にもできるはずだ。
錫村Aができていたのなら、理屈の上では俺にだってできないわけがない。
訓練場に設置された監視カメラの映像を、俺は何度も見返した。
そこには、自分と同じ顔をした“怪物”がいた。
迷いのない身のこなし。鋭く制御された筋肉の動き。
魔具を出す速さも、狙ってから撃つまでの一連の動作も、何もかもが完璧だった。
――自分はこの人間の“代わり”を務められるのか?
自問する間もなく、訓練に没頭する時間が流れていった。
集中の中、五時を知らせるアラームが鳴る。
スピーカーから流れる電子音が、現実に引き戻す。
「もうこんな時間か……」
汗で重たくなった服を脱ぎ、訓練場併設のシャワールームへ向かう。
熱い湯で体を洗い流し、ロッカー室で私服に着替えると、気持ちも少し軽くなった。
今夜は、公安六課の飲み会だ。
石巻君と久我さんの歓迎会、本間さんの退院祝い、そして年末の忘年会――全部を一度に詰め込んだ盛りだくさんな会らしい。
会場は、警視庁から徒歩五分のところにある居酒屋だ。
渡された地図を頼りに歩くと、意外にもあっさりとたどり着けた。
雑居ビルが立ち並ぶ一角、そこだけ時間が止まったような、昔ながらの構え。
年季の入った木造の二階建て。赤ちょうちんがぶら下がり、表には「営業中」の札。
横開きの戸を引くと、わずかに油とタレの匂いが鼻をくすぐった。
鼻孔を刺激する懐かしい匂い――この世界でも、居酒屋の空気は変わらないらしい。
中をのぞくと、まだ七時前だというのに、すでに出来上がっている酔っ払いが一人。
「おー、錫村ぁ〜! ちこう寄れ!」
お座敷の中央で、大ジョッキを片手に掲げていたのは、相葉先生だった。
「……なぜ、相葉先生が……」
「細かいこと言うな! あそこがちっさい男はモテないぞ〜!」
(……いきなり下ネタから入る?)
今日も例のニット姿で、少し動けば胸がこぼれそうな勢いだ。
確認したくはないが、お座敷でも例のごとく、ミニスカートを履いているのだろう。冬だというのに、この人の服装は季節感を一切無視している。
「それじゃー、錫村が来たということで、もう一度乾杯しようか!」
宇田島さんのテンションも、いつもより明らかに高い。
黒のTシャツに迷彩柄のパンツという出で立ち。……いや、今は12月だ。せめて上着を着てきてくれ、頼むから。
「ちょっと待って!」
手を上げて割って入ったのは、久我さんだ。
すでに酒が入っているらしく、ふんわりとした雰囲気になっていた。垂れ目がますます垂れて、頬もほんのりと赤い。
「錫村さん、その超ダサい私服はなんなんですか!」
「……うっ」
痛恨の一撃。
俺は、すこぶる私服センスがない。
芸人時代は浩が衣装を用意してくれていたし、テレビに出る時はスタイリストがついていた。
だから今まではバレなかったが、一部のファンの間では“トーヤの私服ダサい説”がわりと真面目に語られていたらしい。
「通販で買ったんですけど……ダメですか?」
「よくわかんない白トレーナーに、センスゼロのジーパンに、安っぽいスニーカーって……もう全部ダメ! 錫村Aさんが知ったら、ショックで卒倒するぐらいダメ!」
確かに、周囲を見るとレベルの差が一目瞭然だ。
石巻君はシンプルな白ニットに、若者向けのファッション誌に載ってそうなコーデ。
真野さんは、センスの良いジャケットに身を包んでいて、まるでドラマから出てきたような雰囲気を醸している。
俺はというと……。
「サイズが合えばいいかなって。買う基準、それだけで……」
「確かに、テレビに出てたとは思えねぇよな。ダッセー」
……さらに追い打ちをかけてきたのは本間さんだった。
まさかこの人にも言われるとは。
本間さんも、紺のトレーナーに黄色いパンツという派手コーデ。まったくもってオシャレな小学生だ。
俺の仲間かと思ってたのに……!
「あ、今、俺の服もダサいって思っただろ? 殺すぞ」
「いえ! そんなこと、滅相もない! むしろ子供服って可愛いなって……」
「うるせぇ! これはお袋がノリノリで買ってきたんだ! 仕方なく着てやってんだよ!」
……お母さん、孫ができたという感覚なのか?
山下さんが、両手を合わせて申し訳なさそうに拝むポーズをした。
「ごめんねぇ。驚いたでしょう? うちの課って、予約時間の一時間前集合が暗黙のルールみたいになってて……」
「それ、お店にとっては迷惑なんじゃ……」
さすがに藤城課長はいなかった。
あの人は、こういう場よりホテルのバーが似合いそうだ。
「錫村君、こっちこっち」
端の席から声がかかる。
声の主は佐々木さん。六課の解析班所属で、七十代くらいの品のある年配男性だ。
相葉先生のテーブルはちょっと怖かったので、俺はありがたく誘いに応じて、誕生日席に腰を下ろす。
左に佐々木さん。正面には、レモンサワーをちびちび飲んでいる小野倉さんの姿があった。
いつもの黒スーツではなく、淡いピンク色のカーディガンを着ていてなんだか新鮮だ。首からさげられているピンクのポラロイドカメラ以外はーー。
そう言えば、小野倉さんて常に魔具を出しっぱなしだよな。
「君、お酒はいける口?」
「強くはないですが、ビールは好きです」
佐々木さんが軽く店員に手をあげ、俺の目の前に大ジョッキが届いた。
「ここの人たち、かなり飲むから覚悟しておいたほうがいいよ」
「……そのようですね」
確かに、本間さんの前にはオレンジジュースが置かれていたが、他のメンバーは全員ガバガバ飲んでいる。
「そういえば、世界Bでも美加ちゃんと知り合いだったそうだね」
「はい。だから余計に混乱しました。あ、小野倉さんが悪いわけじゃないです!」
小野倉さんが少し俯いたので、慌ててフォローを入れる。
「皆さんが戸惑う気持ちもよく分かります。小野倉さんが別人みたいな印象になっているのと同じで、俺と錫村Aもまったく違う人間なんだと……」
「そうだねぇ。忘年会に参加してる時点で、もう別人だよ。前の錫村君は、こういうの好きじゃなかったから」
……協調性ゼロってやつだな。うん、なさそうだ。
「六課の飲み会って、よくやるんですか?」
「一年に一回かな。さすがに新年会まではやったことないねぇ」
賑やかな空間。
笑い声と酔いがまじりあった空気の中で、俺は少しずつ、この場所に馴染めている気がした。
「そうだ、小野倉さん」
不意に話しかけると、小野倉さんはグラスを持ったまま驚いたように体をこわばらせた。
「は……はい」
「俺がこんなことになってるのは、小野倉さんのせいじゃないですから」
言いながら、自分でもうまく説明できてない自覚があって、思わず頭を掻いた。
「……変なこと言いますけど、俺、自分に起きたことって全部、意味があると思ってて。いや、違うな……起きた出来事に“意味を持たせる”のは、自分自身だって、そう思ってるんです」
言葉がぐるぐるとまとまらない。
きっと酒のせいだ。頭の芯がぼんやりしていて、言葉がうまく出てこない。
「だから……この世界に来たのにも、意味がある。俺が意味を見つけて、意味を作るんです。……って、何言ってるかわかんないかもしれないけど」
視線を向けると、小野倉さんはぽかんと目を見開いていた。
……やっぱり伝わってないかも。
「だいたい、言いたいことはわかるよ」
そう言ってくれたのは、佐々木さんだった。グラスを軽く傾けながら、ゆったりと笑っている。
「悲しいことも、楽しいことも、辛いことも、喜びも。全部に“意味”を見出すのは、自分自身。……そういうことだろう?」
「そうです、それが言いたくて!」
俺は少し身を乗り出してうなずいた。
「だから、小野倉さんは、責任とか感じなくていいです。案外、錫村Aだって、魔法のない世界で人生満喫してるかもしれないですし」
沈黙が数秒、空気に浮かんだ。
「そうだね。私も、そう思うよ」
佐々木さんの言葉に、小野倉さんがふっと目を伏せながら微笑んだ。
その笑顔には、どこか救われたような柔らかさがあった。
「人間なんて、いつも最善の選択ができるわけじゃない。むしろ間違えるのが人間さ」
ぽつりとこぼされたその言葉は、どこか自分に言い聞かせているようでもあった。
佐々木さんが静かにグラスを掲げる。
「錫村君。いい考え方だと思うよ。それが君の強さなんだ」
ほんのりと温かくなる心。
この世界に来てから、たくさん悩んで、たくさん苦しんだけどーー
こうして笑い合える時間が、少しだけ救いになってくれる。
俺はグラスを持ち上げて、小さく乾杯した。




