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桜田門ウィッチーズ  作者: しろいぬ
第四章 雑音〜ノイズ〜
30/46

4−4

 今年も、残すところ五日となった。

 ちなみに――クリスマスは来なかった。俺のもとには。


 雑音による襲撃事件が一段落したあとは、ほとんど外出もせず、訓練場に引きこもっていた。

 何かを誤魔化すように、ただ、ひたすらに身体を動かしていた。


 射撃訓練に加えて、魔力の扱い方に関するトレーニングも始めた。

 魔力を自在に扱えるようになれば、身体能力が飛躍的に向上する――そう教えられたからだ。


 B3があり得ない高さから平然と飛び降りたのも、宇田島さんが足を撃たれても普通に歩いていたのも、魔力操作によるものだった。


 だったら、俺にもできるはずだ。

 錫村Aができていたのなら、理屈の上では俺にだってできないわけがない。


 訓練場に設置された監視カメラの映像を、俺は何度も見返した。

 そこには、自分と同じ顔をした“怪物”がいた。

 迷いのない身のこなし。鋭く制御された筋肉の動き。

 魔具を出す速さも、狙ってから撃つまでの一連の動作も、何もかもが完璧だった。


 ――自分はこの人間の“代わり”を務められるのか?


 自問する間もなく、訓練に没頭する時間が流れていった。


 集中の中、五時を知らせるアラームが鳴る。

 スピーカーから流れる電子音が、現実に引き戻す。


「もうこんな時間か……」


 汗で重たくなった服を脱ぎ、訓練場併設のシャワールームへ向かう。

 熱い湯で体を洗い流し、ロッカー室で私服に着替えると、気持ちも少し軽くなった。


 今夜は、公安六課の飲み会だ。

 石巻君と久我さんの歓迎会、本間さんの退院祝い、そして年末の忘年会――全部を一度に詰め込んだ盛りだくさんな会らしい。


 会場は、警視庁から徒歩五分のところにある居酒屋だ。

 渡された地図を頼りに歩くと、意外にもあっさりとたどり着けた。


 雑居ビルが立ち並ぶ一角、そこだけ時間が止まったような、昔ながらの構え。

 年季の入った木造の二階建て。赤ちょうちんがぶら下がり、表には「営業中」の札。


 横開きの戸を引くと、わずかに油とタレの匂いが鼻をくすぐった。

 鼻孔を刺激する懐かしい匂い――この世界でも、居酒屋の空気は変わらないらしい。


 中をのぞくと、まだ七時前だというのに、すでに出来上がっている酔っ払いが一人。


「おー、錫村ぁ〜! ちこう寄れ!」


 お座敷の中央で、大ジョッキを片手に掲げていたのは、相葉先生だった。


「……なぜ、相葉先生が……」

「細かいこと言うな! あそこがちっさい男はモテないぞ〜!」


(……いきなり下ネタから入る?)


 今日も例のニット姿で、少し動けば胸がこぼれそうな勢いだ。

 確認したくはないが、お座敷でも例のごとく、ミニスカートを履いているのだろう。冬だというのに、この人の服装は季節感を一切無視している。


「それじゃー、錫村が来たということで、もう一度乾杯しようか!」


 宇田島さんのテンションも、いつもより明らかに高い。

 黒のTシャツに迷彩柄のパンツという出で立ち。……いや、今は12月だ。せめて上着を着てきてくれ、頼むから。


「ちょっと待って!」


 手を上げて割って入ったのは、久我さんだ。

 すでに酒が入っているらしく、ふんわりとした雰囲気になっていた。垂れ目がますます垂れて、頬もほんのりと赤い。


「錫村さん、その超ダサい私服はなんなんですか!」

「……うっ」


 痛恨の一撃。


 俺は、すこぶる私服センスがない。

 芸人時代は浩が衣装を用意してくれていたし、テレビに出る時はスタイリストがついていた。

 だから今まではバレなかったが、一部のファンの間では“トーヤの私服ダサい説”がわりと真面目に語られていたらしい。


「通販で買ったんですけど……ダメですか?」

「よくわかんない白トレーナーに、センスゼロのジーパンに、安っぽいスニーカーって……もう全部ダメ! 錫村Aさんが知ったら、ショックで卒倒するぐらいダメ!」


 確かに、周囲を見るとレベルの差が一目瞭然だ。

 石巻君はシンプルな白ニットに、若者向けのファッション誌に載ってそうなコーデ。

 真野さんは、センスの良いジャケットに身を包んでいて、まるでドラマから出てきたような雰囲気を醸している。


 俺はというと……。


「サイズが合えばいいかなって。買う基準、それだけで……」

「確かに、テレビに出てたとは思えねぇよな。ダッセー」


 ……さらに追い打ちをかけてきたのは本間さんだった。

 まさかこの人にも言われるとは。


 本間さんも、紺のトレーナーに黄色いパンツという派手コーデ。まったくもってオシャレな小学生だ。

 俺の仲間かと思ってたのに……!


「あ、今、俺の服もダサいって思っただろ? 殺すぞ」

「いえ! そんなこと、滅相もない! むしろ子供服って可愛いなって……」

「うるせぇ! これはお袋がノリノリで買ってきたんだ! 仕方なく着てやってんだよ!」


 ……お母さん、孫ができたという感覚なのか?


 山下さんが、両手を合わせて申し訳なさそうに拝むポーズをした。


「ごめんねぇ。驚いたでしょう? うちの課って、予約時間の一時間前集合が暗黙のルールみたいになってて……」

「それ、お店にとっては迷惑なんじゃ……」


 さすがに藤城課長はいなかった。

 あの人は、こういう場よりホテルのバーが似合いそうだ。


「錫村君、こっちこっち」


 端の席から声がかかる。

 声の主は佐々木さん。六課の解析班所属で、七十代くらいの品のある年配男性だ。


 相葉先生のテーブルはちょっと怖かったので、俺はありがたく誘いに応じて、誕生日席に腰を下ろす。

 左に佐々木さん。正面には、レモンサワーをちびちび飲んでいる小野倉さんの姿があった。

 いつもの黒スーツではなく、淡いピンク色のカーディガンを着ていてなんだか新鮮だ。首からさげられているピンクのポラロイドカメラ以外はーー。


 そう言えば、小野倉さんて常に魔具を出しっぱなしだよな。


「君、お酒はいける口?」

「強くはないですが、ビールは好きです」


 佐々木さんが軽く店員に手をあげ、俺の目の前に大ジョッキが届いた。


「ここの人たち、かなり飲むから覚悟しておいたほうがいいよ」

「……そのようですね」


 確かに、本間さんの前にはオレンジジュースが置かれていたが、他のメンバーは全員ガバガバ飲んでいる。


「そういえば、世界Bでも美加ちゃんと知り合いだったそうだね」

「はい。だから余計に混乱しました。あ、小野倉さんが悪いわけじゃないです!」


 小野倉さんが少し俯いたので、慌ててフォローを入れる。


「皆さんが戸惑う気持ちもよく分かります。小野倉さんが別人みたいな印象になっているのと同じで、俺と錫村Aもまったく違う人間なんだと……」

「そうだねぇ。忘年会に参加してる時点で、もう別人だよ。前の錫村君は、こういうの好きじゃなかったから」


 ……協調性ゼロってやつだな。うん、なさそうだ。


「六課の飲み会って、よくやるんですか?」

「一年に一回かな。さすがに新年会まではやったことないねぇ」


 賑やかな空間。

 笑い声と酔いがまじりあった空気の中で、俺は少しずつ、この場所に馴染めている気がした。


「そうだ、小野倉さん」


 不意に話しかけると、小野倉さんはグラスを持ったまま驚いたように体をこわばらせた。


「は……はい」


「俺がこんなことになってるのは、小野倉さんのせいじゃないですから」


 言いながら、自分でもうまく説明できてない自覚があって、思わず頭を掻いた。


「……変なこと言いますけど、俺、自分に起きたことって全部、意味があると思ってて。いや、違うな……起きた出来事に“意味を持たせる”のは、自分自身だって、そう思ってるんです」


 言葉がぐるぐるとまとまらない。

 きっと酒のせいだ。頭の芯がぼんやりしていて、言葉がうまく出てこない。


「だから……この世界に来たのにも、意味がある。俺が意味を見つけて、意味を作るんです。……って、何言ってるかわかんないかもしれないけど」


 視線を向けると、小野倉さんはぽかんと目を見開いていた。

 ……やっぱり伝わってないかも。


「だいたい、言いたいことはわかるよ」


 そう言ってくれたのは、佐々木さんだった。グラスを軽く傾けながら、ゆったりと笑っている。


「悲しいことも、楽しいことも、辛いことも、喜びも。全部に“意味”を見出すのは、自分自身。……そういうことだろう?」


「そうです、それが言いたくて!」


 俺は少し身を乗り出してうなずいた。


「だから、小野倉さんは、責任とか感じなくていいです。案外、錫村Aだって、魔法のない世界で人生満喫してるかもしれないですし」


 沈黙が数秒、空気に浮かんだ。


「そうだね。私も、そう思うよ」


 佐々木さんの言葉に、小野倉さんがふっと目を伏せながら微笑んだ。

 その笑顔には、どこか救われたような柔らかさがあった。


「人間なんて、いつも最善の選択ができるわけじゃない。むしろ間違えるのが人間さ」


 ぽつりとこぼされたその言葉は、どこか自分に言い聞かせているようでもあった。


 佐々木さんが静かにグラスを掲げる。


「錫村君。いい考え方だと思うよ。それが君の強さなんだ」


 ほんのりと温かくなる心。

 この世界に来てから、たくさん悩んで、たくさん苦しんだけどーー

 こうして笑い合える時間が、少しだけ救いになってくれる。


 俺はグラスを持ち上げて、小さく乾杯した。



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