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俺の人生のピークは――たぶん、二十歳のときだった。
大学のサークルで知り合った仲間たちとお笑いトリオを組んで、初めて挑んだオーディションでコント部門の優勝を勝ち取った。
夢みたいな話だった。
名前を呼ばれた瞬間、スポットライトの下で拍手を浴びたあの光景。
あれは、まさしく“人生の頂点”だった。
そこからの一年は、まるでジェットコースターみたいだった。
バラエティ番組、旅番組、ラジオに雑誌――引っ張りだこってやつだ。
俺たちは確かに「チヤホヤ」されていた。
けれど、そんな光もすぐに陰る。
二年目に入る頃には、どこからともなく「飽きた」の声が聞こえ始めた。
最初のコントの完成度が高すぎたせいか、それ以降のネタは評価されなかった。
三年目には、仕事は激減し、俺たちは“コント界の一発屋”というありがたくない称号をもらった。
そして結成三年で、解散。
笑いながら手を振ったラストステージの裏で、俺は本気で泣いた。
他の二人はうまくやっている。
浩は俳優として連ドラの端役に出るようになり、仁は放送作家として引く手あまたらしい。
それに比べて俺はというと、残ったのは“何もない自分”だった。
演技も中途半端。アドリブも苦手。ネタを書いたこともない。
『イケメン担当』なんて言われてたけど、それも芸人界という特殊な土俵での話。
俳優に転身できるほど顔がいいわけでもなければ、キャラが立ってるわけでもない。
つまり、俺は凡人だった。
解散後、細々と事務所には残してもらえたけど、仕事の依頼なんてほとんどない。
今じゃコンビニでバイトして、その日暮らしの生活をしている。
「実家、帰ろうかな……」
ぽつりと漏らした声は、部屋の中にむなしく響くだけだった。
土下座でもすれば、親はきっと許してくれるだろう。
『芸人なんて無理だ』と、あのとき止めてくれた親の言葉は、今思えば正しかった。
けど、俺は意固地になってた。
『まだやれる』なんて根拠のない自信を振りかざして、ズルズルと夢の残骸を引きずっていた。
田舎では、もう噂になってるかもしれない。
『錫村さんとこの息子さん、最近テレビで見ないわねぇ』なんて、昼下がりの井戸端で。
情けないよな。
何もかもが中途半端で、みっともない俺の人生。
あのとき浴びた光は、結局俺の実力じゃなかったんだ。
気分が底まで落ち込んで、帰宅後、冷蔵庫から大事に取っておいた缶ビールを取り出した。
安い発泡酒じゃなくて、ちょっとだけ高いやつ。
今日は、少しくらい贅沢したってバチは当たらないだろう。
ゴロンと布団に転がって、天井に貼られたポスターと目が合った。
そこには、笑顔の天使――キキ・ランドがいた。
「……キキちゃん」
ポスターの彼女は、今日も麗しく、微笑んでいる。
ドジっ子で漢字も苦手。歌も踊りもいまいちだけど、いつだって全力で、明るく前を向いてる。
俺にとっては、完璧な存在だった。
「ねぇ、キキちゃん……俺、どうしたらいいと思う?」
誰にも言えない弱音を、俺は天井のアイドルに問いかける。
「東京にいても意味ないよね。ライブにも行けなくなるけど……俺が東京からいなくなったら、寂しい?」
もちろん返事なんてない。
でも、返事がなくてよかった。
黙って、ただ笑ってくれてるのが、今は一番救われる。
テレビ局ですれ違った時、ちゃんと声をかけておけばよかったな。
サイン、もらっておけばよかった。
後悔ばっかりが、あとからあとから押し寄せてくる。
きっともう、彼女と接点を持つことなんて二度とない。
それでいい。
推しってのは、恋じゃなくて信仰だ。
俺はただ、彼女の存在に救われたかったんだ。
俺は負け組だ。
誰かに負けたんじゃない、自分に負けたんだ。
深くため息をついた、その時だった。
スマホが震え、着信を告げる画面に一つの名前が浮かぶ。
「有坂さん?」
有坂史緒里。
元マネージャーで、今は別の部署に異動になった人。
たまに思い出したように、仕事の連絡をくれる。
でも、大抵は一瞬映るだけの番組か、セリフのないエキストラ。
交通費で赤字になりかねない仕事ばかりだ。
「どうせ、1秒も映らないやつだろ……」
最近はバイト先も人手が足りなくて、シフトを抜けるのも気を遣う。
かけ直そうか迷っているうちに、俺はそのまま意識を手放した。
◆◆◆
「んあー……?」
スマホの着信音で、けだるく目を覚ます。
薄手のカーテン越しに差し込む日差しが、部屋の空気をじわりと温めていた。
寝惚け眼でスマホを手に取り、画面に表示された名前を見て、一瞬で目が冴えた。
《店長》
「……もしもし?」
寝起きのせいで、喉の奥がかすれている。
『あ、良かった。錫村くん、出てくれて。……それがね、ちょっと、大変なことになったんだよ』
店長の声は、明らかにいつもと違っていた。
焦りと動揺が滲んでいて、こっちの胸までざわつく。
「どうしたんですか?」
『志麻さんがね……今朝、突然亡くなったんだ。交通事故らしいんだけど、詳しいことはまだ……娘さんから連絡があって』
「……志麻さんが?」
頭の奥がじん、と鈍く痛む。
まだ現実味が追いつかない。
あの志麻さんが? あの強烈で、厄介で、誰よりも声が大きかった志麻さんが?
『それでね、急なんだけど、今日シフトに穴が空いちゃってさ。もし今から来れたら、助かるんだけど……』
「……わかりました。準備して、すぐ向かいます」
通話を終えたあとも、俺はしばらく動けなかった。
何もかもが、あまりにも突然すぎて。
ついさっきまで、脳内では「志麻さん、ちょっと苦手かも」なんて愚痴っていた気がする。
それがもう、この世にいないなんて。
「うざいって思ったことはあったけど……死んでくれなんて、一度も思ったことないよ」
小声でつぶやく自分の声が、静かな部屋に浮かんで消えていく。
――彼女は口うるさかったけど、発注も、清掃も、在庫整理も全部やってくれていた。
鬼のように怒鳴ってきたけど、俺たちに代わって面倒な作業を黙々と片づけていた。
指導が厳しかったのも、仕事を回す責任感ゆえだったのかもしれない。
そう思うと、胸の奥がずきりと痛んだ。
でも、悲しみに浸っている暇はない。
とりあえず、今は店長を助けに行かなくちゃ。
歯を磨いて、顔を洗い、くたびれた白いトレーナーに袖を通す。
小さなコンビニでも、人手が一人欠けるだけでまわらないことなんてよくある。
鬼シフトが続く未来も見えるけど、それはそれとして、今この瞬間を動かなきゃ始まらない。
玄関で靴を履き、ドアノブに手をかける。
気を引き締めるように深く息を吸って――
そして、扉を開けた。
その瞬間だった。
「な、なんだ?」
目の前が、真っ白になった。
信じられないほどの光が視界を覆い、肌に刺すような熱が走る。
まるで、巨大なフラッシュが至近距離で焚かれたような、凄まじい光量。
テレビ局のスポットライトなんて比じゃない。
反射的に目を細めても、焼けつくような眩しさが視界に染みる。
こんな光、普通じゃない。
普通じゃ――ない。
「ど、どうなって……」
世界が、白で塗りつぶされていく。
いつも聞こえていた都会の雑音が――一斉に、消えた。
無音。
限りなく、完璧な静寂。
まるで、音のない宇宙に放り込まれたような錯覚。
足の裏の感覚が抜け落ち、体がふわりと浮いた――ような気がした。
「まさか……俺、死ぬのか?」
本当にそう思った。
でも、恐怖すらぼんやりするほどの、現実感のなさ。
頭の芯が痺れ、キーーーーンという高音が耳を貫いた。
体が動かない。手足を動かしたくても、命令が届かない。
まるで夢の中にいるみたいな感覚だけど、夢にしては空気が重すぎる。
視界が揺れる。心臓の鼓動だけが、異様に大きく響いていた。
やがて、眩しさの向こう側に――何かの“影”が浮かび上がった。
誰かが、こちらを見ているような気がする。
世界の形が崩れ始め、全てがぐにゃりとねじれた。
耳の奥で、何かが“ひび割れる”ような音がした。
それは、自分の世界のガラスが砕けていくような――
……あるいは、“誰かの願い”が引き金になったような、そんな音。
ジーンズを履く描写はくどいので抜きました。大丈夫です。履いてます。