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桜田門ウィッチーズ  作者: しろいぬ
第四章 雑音〜ノイズ〜
28/46

4−2

 小会議室は、薄暗く、机と椅子があるだけの簡素な空間だった。

 壁際のガラス窓は曇り、光も射さない。

 重い扉が閉まる音がやけに響く。


 俺と真野さんの二人きり。

 先ほどまでのブリーフィングのざわめきが、まるで嘘みたいに遠くなった。


「君の言いたいことはわかるよ」


 沈黙を破ったのは、真野さんの穏やかな声だった。


「今回の我々の、一番の功績は――雑音の“ボス”の情報だった。それなのに、なぜ会議でその話が出なかったのか。……だろ?」


 俺は何も言わず、頷いた。


「彼女についての情報は、まだ庁内にも公表しないと決まった。最終的には警視総監の判断になる……とだけ言っておこう」


 机の上に置かれたファイルに、真野さんの指先が軽く触れる。


「警察では、よくあることだ。ここは縦社会でね。横の連携は意外なほど取れていない。……理由は、どこに“敵”が紛れているかわからないからさ」


 静かな口調だけど、その言葉には確かな現実がにじんでいた。


「でも、君は“直接彼女を見た”わけだからね。一つ、情報を開示しておくよ」


 真野さんが一拍おいて、言った。


「彼女は――“始まりの魔法使い”だ」


 俺は、思わず息を呑んだ。


 “始まりの魔法使い”。


 資料に小さく載っていた、魔法使いの始祖とも起源とも呼べる存在。

 だがそこには、性別も年齢も名前も載っていなかった。

 まるで、その存在を隠すかのようにーー。


「約二十年前、彼女が最初に“現れた”ことで、世界中に魔法使いが出現し始めた。その影響は、今も続いている。……彼女の存在が、すべての“起点”だ」


「……それじゃあ、彼女は“生みの親”みたいなものなんですか?」


「そうとも言えるし、そうでないとも言える。“始まりの魔法使い”について、我々が知っていることは……何一つ、確かなものがない」


 真野さんは、視線を落としたまま、淡々と続けた。


「なぜ彼女が生まれたのか。なぜ“雑音”を率いたのか。そして、彼女の魔具の能力すら、いまだに解析できていない」


「……それで、報告されなかったんですね」


「そうだろうな。あの場で出すには、まだ不確定すぎる」


 ふと、真野さんは俺の方に視線を向けた。


「彼女も、君のいた世界では……普通に暮らしていたりするんだろうかね」


「え……?」


「気にしないでくれ。ただの独り言だよ」


 俺は、ほんの一瞬、迷った。

 でも、伝えなければならない気がして――口を開いた。


「……実は、真野さんならもう気づいているかもしれませんけど、俺……この世界のA9、つまり“水谷キキ”のことを知ってるんです」


 真野さんは、何も言わず、俺の目を見つめていた。


「俺のいた世界では……彼女は、アイドルのセンターでした。キキちゃんって呼ばれてて……俺の“推し”だったんです。ライブに行って、天井にポスター貼って、グッズも全部集めて。今でも――本当に、大好きなんです」


 声が震えるのを、なんとか抑えた。


「だから……いくら“別人”だと割り切ろうとしても……どうしても、引き金を引くことができませんでした」


 その言葉に、真野さんは目を伏せ、少しだけ考える素振りを見せた。


「君の世界には、死刑になるような凶悪犯って……いなかったのか?」


「いましたよ。幼女を何人も誘拐して殺したやつとか……コンサート会場で毒ガスを撒いた奴とか……」


「じゃあ、その犯人が死刑になったとき、どう思った?」


「……まあ、妥当だなって。シャバに出てきたら怖いし、当然のことをしただけだって……」


 真野さんは、微かに笑った。


「でも、その殺人犯が、もし“世界A”では善人だったとしたら?」


「……」


「逆に言えば、君がこの世界では“凶悪な犯罪者”だとして――“でも、別世界では良いやつだから”って理由で、許されると思うか?」


 俺は、何も返せなかった。

 それは……ぐうの音も出ない、正論だった。


「言いたいのはね――君のいた世界と、この世界を切り離して考えなければいけないということだよ。仮に、“死”がリンクしていたとしても、別の人間なんだ。錫村刀矢AとBの中身が、まったくの別人だったようにね」


 頭では理解している。

 でも、心はついてこなかった。


「それでも……」


 真野さんが、ふと窓の外を見る。


「俺も思ってしまうんだよ。もしかしたら、“始まりの魔法使い”だって……普通に笑って、普通に暮らしてる世界があるのかもしれないってな」


 窓の向こうは、すっかり夕暮れだった。

 遠くで、カラスの鳴く声がかすかに聞こえる。


 俺は、真野さんの言葉の続きを待っていた。

 でも――その続きを、彼は口にしなかった。




 ◆◆◆



 カバンを取りに六課の部屋へ戻ると、デスクの前に人影があった。


 久我さんが一人、俺の席の近くに立っていた。

 ブラインド越しの夕日が背後から差し込み、輪郭を柔らかく染めている。


「あ、戻ってきた」


 彼女は小さく微笑んだ。

 その表情に、わずかな照れと、張り詰めた何かが同居していた。

 俺のことを――待ってくれていたのだと気づく。


「ちゃんと挨拶しておこうと思ったのに、いなくなるから。ここで待ってたんですよ」


「すみません、ちょっと……真野主任と話してて……」


 俺が視線を逸らすと、彼女はあえてそれを追いかけるように、言葉を重ねてきた。


「それで? 私に言うことはない?」


 その声音は、笑っているようで、どこか寂しげだった。


「あー……ありすぎて、何から言えばいいのか……」


 言葉に詰まりながら、俺はゆっくりと頭を下げた。

 肩の力が自然に抜けていくように、深く――直角になるほどに。


「この間は、すみませんでした。俺……俺が不甲斐ないばかりに、みなさんにご迷惑を……」


 久我さんはわずかに顎を引き、まっすぐに俺を見た。


「その件なら解決してる。全部、藤城課長に聞いた。おかしいと思ったのよ。前から」


「前から……?」


 俺は驚いて、仰け反った。


「警備課の女子たちの間では、噂になってたの。廊下で会うと、やたらビクビクしてるし、歩き方も違うし。“もしかして中身、違う人なんじゃないの?”ってね」


 額につーと汗が垂れ落ちる。背中がぞわっとした。

 女子の観察眼、こわすぎる。


「じゃあ、もしかしてもう……本庁中の噂になってたり……?」


「まさか。公安内の噂を他部署にまで流すなんて、そんなことしたら即・公安首よ」


 その言葉に混じる声音に、少しだけ棘があった。

 怒っている、というよりも――悲しさをまぎらわせるような口調だった。


 久我さんは、静かに机の端に指を添えた。


「……あのね、私、錫村さんに会うの、初めてじゃなかったの」


 彼女の目が、ほんの少しだけ過去を見ていた。


「私が警護してる要人が雑音に狙われたとき、応援に来てくれたのよ、あなた。で――秒で敵を殺していったの」


 彼女の目元がわずかに揺れた。


「その時、なんて言われたと思う?」


「お疲れ様……?」


「『あんたの積み木、邪魔だった』って。めちゃくちゃ嫌な顔で、冷たい声で」


 ……もうやめてくれ、錫村A。

 心の中で、何度も土下座した。


「でもね、そんな毒舌でも、公安の女子たちの間じゃすっごく人気あったのよ。クールで、冷静で、カッコいいって。もちろん私も、憧れてた。だから、あんなこと言われたけど、それでも“錫村さんと仕事ができる”って知った時、浮かれたの。……私って、バカだよね」


 彼女の笑顔は、今度こそ冗談めいていたが――その奥には、きっと本気の感情があった。


「……黙っていてすみませんでした」


「そこは、気にしてない。公安なんて、隠し事だらけなんだから」


 それから、少し間を置いて俺は尋ねた。


「でも移動して……警備部の方は大丈夫だったんですか? 久我さん、エースだったって聞いてます」


「もちろん揉めたわよ。でもね、藤城課長……たぶん最初からそのつもりだったんじゃない?」


「最初から……?」


「六課に引き入れようとして、私を応援に呼んだってこと。

 いきなり異動ってのは無理でも、“六課の機密”を知ってしまったって理由があれば、話は別でしょう?」


「その機密って……俺のことじゃ……。俺のせいで久我さんが六課に……」


 久我さんはふっと肩をすくめて、少し俺に近づいてきた。

 目の奥が、ほんの少し優しく揺れていた。


「そうなるかな。でも、最終的に決めたのは私だから」


 久我さんはふっと肩をすくめて、少し近づいてきた。


「そ・れ・よ・り・も。ちゃんと挨拶、終わってないんだけど?」


 俺は一瞬戸惑ってから、右手を差し出す。

 手のひらにじんわり汗が滲んでいるのがわかる。……これで、合ってるのか?


「これから、よろしく」


「よろしく。あなたのことは、私が守るから」


 言葉の強さとは裏腹に、その手は温かくて、優しかった。


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