表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
桜田門ウィッチーズ  作者: しろいぬ
第三章 死神と魔女
25/46

3−9

「うわあああああああっ! やめてくれ!!」


 首がゴロンと切り離された刑事を見て、真帆場がみっともない悲鳴をあげた。

 まんじゅうのように地面に身を丸め、泥に顔を押しつけながら全身を震わせている。

 冷たい冬の風が吹き抜けるたび、くぐもった嗚咽が漏れた。


「すまなかった! でも俺は潮見坂に脅されてたんだ! 俺は言われた通りにやっただけだ! 全部、あの男が悪いんだ! 殺さないでくれ!!」


 ひと息に吐き出すと、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔をこちらに向けた。

 目は泳いでいる。

 土を跳ね上げるように唾を飛ばしながら、必死で命乞いを続ける。


「娘が……娘が病気で、仕方なかったんだ! 入院費を肩代わりしてもらう代わりに、汚い仕事を押し付けられたんだ!」


 声が裏返り、喉が枯れるまで言い訳が続いた。

 だがその声を、誰も聞いていなかった。

 耳を貸す余裕など誰にもなかった。

 否応なく戦いは続いていた。


 フードの下から覗いたB3の横顔に、青筋が浮かぶ。

 目は血走り、口元はひきつっていた。


「服が汚れたんだけど」


 極限まで引き絞られた釣り竿が、ひゅうっと唸るような風切り音を立てる。

 砕けた護送車の残骸が、鉄の塊のように宙に浮き上がった。


 巨大な鉄の塊が、本間さんのいる橋をめがけて放られる。

 次の瞬間、護送車の破片が追尾車両と衝突し、爆ぜるような爆音が橋を揺らした。

 破片が飛散し、炎と黒煙が吹き上がる。


「本間さん!」


 鼻の奥に、焦げたゴムの匂いが刺さった。

 あの車両には、小野倉さんも乗っていたはずだ。


「本間さん、小野倉さん、無事ですか?!」


 通信機に呼びかけると、一拍遅れてゴホゴホと煙に咳き込む小野倉さんの声が聞こえた。


「こちらの心配は無用です。車内に残っている者はおりません」


 無事だとわかり安堵したが、B3の動きを警戒しなくてはならない。

 それに、新たに現れた少女にも。

 目を細め、奥歯を噛む。


(どうしたらいい……? どうすれば……!)


 心臓が痛いほど暴れていた。

 気を抜いたら膝が抜けて倒れそうだった。

 足が勝手に震え、呼吸が浅くなる。


『その女の子の目を見ないでください!!』


 通信機から、ひび割れた声が飛び込んできた。

 小野倉さんだ。

 いつもは落ち着いた彼女が、泣き声のように叫んでいた。

 念写して、能力を見たのだろう。


(目を……目を合わせたら捻られる……)


 目の端で、小さな影がゆらりと揺れる。

 小さな少女が、無邪気に首を傾げながらこちらを見ていた。

 黒い瞳は、冷たく透き通っていた。

 水底のように深く、何も映していなかった。


『錫村さんは、あの黒装束を。久我さんを援護してください』


 通信機から、透き通る声が届く。

 不思議なくらい、落ち着いた声だった。石巻君だ。


「わかった……」


 唇が乾いてひび割れた。




 ◆◆◆




 石巻は、少女に駆け寄っていた。

 その瞬間、彼の背にB3の釣り竿が伸びる。

 月光のように淡い魔力の線が、彼の肩に絡みついた。


 けれど、石巻はぴくりとも動かなかった。

 釣り上げられるはずの体は、地面に根を張ったように揺るがない。


「無駄ですよ。僕、魔法、効かないんで」


 乾いた声で呟く。

 その背に、小さなおもちゃの白い羽が揺れた。


「そんな反則あり?」


 B3の目が、大きく見開かれる。

 一瞬、動揺の色が走った。


 宇田島は隙を逃さず、膝立ちで拳銃を構える。

 撃鉄が落ちる音がやけに大きく耳に響いた。


 弾丸が、真っ直ぐにB3の左肩を抉る。


「がっ……!」


 呻いた声と同時に、釣り竿が崩れ落ち、粉のように消えた。

 B3は肩を押さえ、よろめく。


 宇田島は二発目の銃弾を撃ち込んだ。

 B3の左太ももに貫通する。


「俺は優しいから、致命傷は外してやったぞ」


 笑顔の宇田島に、B3は死ぬよりも辛い未来を予感した。




 ◆◆◆




「こんにちは。お嬢さん」


 石巻は、ゆっくりと膝を折った。

 視線を下げ、両手で小さなステッキを抱えた少女と目を合わせる。


 声は不思議なくらい柔らかかった。

 まるで、幼い妹に話しかけるような声音だった。


「その魔法ステッキ、すごく可愛いね」


 少女は反応を示さなかった。

 白い頬も、赤い瞳も、微動だにしない。


「大丈夫。全然怖くないよ」


 その言葉に、少女の睫毛がほんのわずか揺れた。


「だから、もう……怖い遊びはやめよう」


 沈黙が落ちた。

 積もった灰のように、冷たい静寂が広がった。


 少女は何も言わない。

 ただ、短く呼吸を整え、ステッキを胸に抱いた。


 哀れな少女だ。

 殺人というものが、何なのかも理解していない幼い子供である。

 彼女にとって、それはうるさいハエや向かってくる蜂を殺すのとそう変わらないのだろう。


 生い立ちは知っている。

 調べによると、幼稚園にも小学校にも通っていない。

 アパートという狭い一室で、両親に疎まれながら育った少女だ。


 細い体と、服を着ててもわかる虐待の痕跡。

 表情が乏しいのは、笑ったことも悲しんだこともない表れだと石巻は思う。


 恵まれた人間に魔法は発現しない。

 魔法は、不平等な世界が少しだけ見せてくれる希望だと石巻は思っている。

 それでもーー、


「こんな子を殺人の道具にするなんて、許せないよね」


 石巻の呟きは、銃声でかき消された。




 ◆◆◆




 俺は乾いた喉を押し殺し、黒頭巾の少女に銃口を向けた。

 呼吸が浅く、指先がしびれていた。

 目の奥がじんじんと熱い。


(落ち着け……俺の魔具なら……)


 汗が頬をつたい、顎から冷たい雫が落ちた。

 それでも視線だけは逸らさず、肩越しに少女を捉えた。


「……!」


 引き金を絞る。

 わずかな抵抗の後、銃口から透明の弾丸が迸った。

 水の弾は一直線に伸び、空気を裂く。

 だが次の瞬間、白い刀身が一閃した。

 金属のような鋭い衝撃音を立て、弾丸が起動を反れる。


(くそ……!)


 心臓が跳ねる。

 呼吸が荒くなる。

 本間さんの言っていた通りだった。

 魔力の調整が、まだ甘い。

 軌道も速度も、全て読み切られている。


「はっ……はっ……!」


 視界がぐらつく。

 だが、久我さんの積み木が再び宙へ立ち上がった。

 色とりどりのブロックが舞い、厚い壁となって少女を押し返す。

 爆風に髪が踊った。


「錫村さん、この刀は魔具を防ぐことしかできないようです」


 俺は、どういうことだ? という視線を向ける。


「車や人は斬れても、魔具は斬れない(・・・・・・・)んです」


 だが積み木は、攻撃することができないという。

 この場で撃ち抜けるのは――俺しかいない。


 小野倉さんから通信が入る。


『刀を持った少女を念写しました。彼女は犯罪者コードA9です』


 俺はごくりと唾を飲み込んだ。


 砂埃にまみれた少女の輪郭が、薄い夕陽に滲む。

 白い刀を構え、一歩ずつ積み木の間を縫うように進んでくる。

 柔らかな髪が、フードの影からわずかにのぞいた。


 その瞳に、一片の迷いもなかった。


 彼女は復讐しようとしているのだ。自分の両親を殺したやつを。

 そして、その標的の男はーー、


(たぶん、殺されても仕方ないクズだ……)


 頭に浮かんでしまう。

 資料に目を通した。

 この男に、妻も娘もいない。

 全部、命乞いのための嘘だ。


 だが、それでも――

 目の前で人が殺されるのを、何もしないまま見過ごすわけにはいかなかった。


 胸の奥に、何かがざらりと逆立った。

 怖い。

 息をするのもやっとだ。

 それでも、手を下げたら本当に終わる気がした。


「……っ!」


 息を吸う。

 痛いほど肺が軋んだ。

 すべての意識を、魔具の先に集める。


(俺が撃つ……!)


 指が震えた。

 握りしめた銃身が、汗で滑る。

 引き金を絞る感覚すら、遠く感じた。


(外すな……絶対に……)


 喉が張りつくほど乾いていた。

 視界の端で、倒れた真帆場が泥にまみれて呻いている。

 胸を押さえ、泣きながら助けを求めている。

 だがA9の足は止まらない。

 もう二歩で、その喉元に刀が届く。


 土埃の中、二人の視線が交錯した。


 今度こそ――外さない。


 心臓の音が、やけに遠くに聞こえた。

 喉の奥で、何かがひりひりと焼けるようだった。


「……!」


 引き金を引く。

 世界が一瞬、白く弾けた。


 水の弾が、真っ直ぐに空間を切り裂いた。

 白い刀が、わずかに遅れて持ち上がる。


 その刹那、弾がA9の細い肩を貫通した。


「――っ!」


 短く、息が漏れた。

 刀が指から零れ落ち、乾いた音を立てて地面に転がった。


 黒頭巾がずるりと滑り落ちる。


 冬の淡い光が、その下に隠されていた色を照らす。

 柔らかなピンク色の髪が、ゆっくりと肩に落ちた。

 血に染まった布地が、赤い斑に揺れる。


(え……?)


 少女が、ゆっくりと振り向いた。


 肩から血が流れ、細い首筋を赤く濡らしていく。

 その視線が、真っ直ぐにこちらを捉えた。


 小さな顎と白い頬。

 切れ長で、どこか寂しげな瞳。


 そこには、確かに見覚えのある顔があった。


 間違いなかった。


 俺がずっと推していたアイドル。

 画面の向こうで何度も笑っていた。

 ステージで輝く姿を、夢みたいに追いかけていた。


「キキ……ちゃん……?」


 声が、勝手にこぼれた。

 喉がひりつき、言葉が震えた。


 少女は、わずかに瞳を揺らした。

 目が、迷うように伏せられる。

 唇が、小さく動いた。


 土煙の向こうで、誰かが叫んでいた。

 それなのに、何も耳に入らなかった。


 世界が遠ざかる。

 爆炎の音も、悲鳴も、消えていく。


 目の前にいるのは、夢にまで見た人だった。


 血に濡れた肩を押さえながらA9、いやキキが一歩、こちらへ踏み出す。

 まるで、本当にステージから降りてきたみたいに。


 でも、その足元には、倒れた真帆場の影が伸びていた。

 おもちゃの刀から、赤いしずくが零れていた。


 震えが止まらなかった。


「……なんで……」


 自分でも、誰に向けて言っているのかわからなかった。


 少女の瞳が、淡く揺れた。

 一瞬、あのステージの笑顔が重なった気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ