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桜田門ウィッチーズ  作者: しろいぬ
第三章 死神と魔女
23/46

3−7

 冷たい風に、体を震わせた。

 あと二週間で今年も終わる。


 今までなら、クリスマスケーキの予約を取るのに必死になっていた頃だ。

 けれど、今年の俺にはクリスマスも年末も正月もないらしい。


 一般客を立ち入り禁止にした空港は、張り詰めた緊張で満ちていた。

 飛行機の到着まで、もう一時間を切っている。


 魔法使いによる襲撃を想定し、滑走路には完全武装の機動隊が並んでいた。

 警察官の姿がどこを見ても目に入る。


「錫村。この前みたいに飛ばすなよ」


 宇田島さんにやんわりと釘を刺され、俺は肩をすくめる。


「分かってます。慎重に動きます」


 山下さんの予想では、襲撃があるなら移送中だという。

 確かに、こんなに警官が詰めている空港にのこのこ現れるほど甘くはないだろう。


「そろそろだ」


 真野さんの合図で、一斉に魔具を展開する。


「《起動》」


 滑走路に様々な魔法陣が浮かび上がる。

 光の紋様が波紋のように震え、空気がひやりと冷えた。

 魔力が満ちていく。


 これだけの魔法使いが同時に魔具を出すのは、滅多にない。

 圧巻、という言葉では足りない光景だった。


 今日は六課だけでなく、七課や警備課からも応援が来ている。

 その中の一人、久我美子さんと目が合った。

 長い柔らかな髪に、垂れ目の優しい笑顔が似合う女性だ。


「錫村さん、今日はよろしくお願いします」


 天使のように微笑まれて、胸が少し痛む。

 彼女は警備課だから、俺の事情を知らないのだろう。

 向けられる視線があまりにまっすぐで、少しだけ後ろめたくなる。


「こちらこそ。よろしくお願いします」


 久我さんの周囲には、色とりどりの積み木が浮かんでいた。

 銃弾もバズーカも、あのフリスビーさえ防ぐという防御特化の魔具だと聞いている。


 それでも、潮見坂を警護していた魔法使いたちでさえ何もできなかった。

 きっと彼女も、その現実を分かってここに立っている。

 覚悟の重さに、頭が下がる思いがした。


 七課からは石巻君も来ていた。

 緊迫した空気の中でも、飄々とした顔で立っている。

 その姿が、どこか心強い。


「錫村さん、無理しないでくださいよ」


 耳元でそっと囁かれ、俺はうんうんと頷いた。

 この人は事情を知っているからこそ、気遣ってくれるのだろう。


 やがて、空に小型ジェット機の影が見えた。

 公安が用意した特別専用機だ。


 白い機体が唸りを上げて、滑走路へ降りる。

 空気がさらに張り詰めた。


 階段が接続され、最初に現れたのは公安の職員たちだった。

 黒いスーツの男たちが一斉に周囲を確認する。


 その中央に、手錠をかけられた男がゆっくりとタラップを降りてきた。


 グレーのスウェットにサンダル。

 ぼさぼさの髪、無精ひげ。

 中肉の体を縮めるように、落ち着かない視線を泳がせている。


(……あいつか)


 資料写真よりもずっと日焼けして、顔は黒ずんでいた。

 下がった瞼と長い鼻の下が、妙に気持ち悪い。

 目つきの悪い子熊みたいな顔だ。


 それでも、この男が。

 SNSで人を集め、強盗殺人を指揮した主犯だ。


 あの事件は、たった二ヶ月で十八人の死傷者を出した。

 日給百万円に釣られて集まった実行犯は全員逮捕か死亡。

 真帆場は海外から指示を出し、誰一人報酬を払わないまま、全てをやり遂げた。


 護送車へ連行されていく後ろ姿を見ていると、寒気が這い上がった。

 これで最も危険だった乗り換え作業は終わる。


 だが、まだ終わりではない。

 ここから警視庁まで、この男を無事に移送しなければならない。


 俺と宇田島さん、久我さんは真帆場と同じ護送車に乗り込む。

 真野さんと石巻君は先導車両。

 本間さんと小野倉さんは後方の追尾車両だ。


 今日は危険度の高い任務だ。

 山下さんと佐々木さんは本庁で待機している。


 ルートには交通規制が敷かれ、一般車両は一切通行できない。


 ガラガラの高速道路に入ると、張り詰めていた緊張が急に現実味を増した。

 息が詰まりそうだった。


 山下さんに教わった襲撃ポイントを思い返す。

 それでも――


(結局、何が起こるか分からない)


 冷えた手のひらに、じっとりと汗が滲んだ。

 護送車はゆっくりと走り始める。




 ◆◆◆




「刑事さん、先生を殺した犯人は雑音であってるんですよねぇ? 迎えに来た警察の人たちは、まだ捜査中だって何も教えてくれないんですよ」


 向かいの席で真帆場が呟く。

 声は擦れていて、どこか芝居がかっていた。


 護送車の後部は特殊な内装になっている。

 長いシートが向かい合い、真帆場と宇田島さんが正面に座る。

 俺の隣には久我さんがいた。


「まだ雑音の仕業だとは断定できない。捜査中だ」


 宇田島さんが前を向いたまま、短く返した。


「俺は先生に頼まれて、仕事をしただけなのに……なんでこんな目に遭わなきゃならないんだよ」


 後悔とも愚痴ともつかない声が、車内に垂れ流される。

 久我さんが小さく顔をしかめた。


 責任は取りたくない。

 けれど、恐怖は隠しきれない。

 そんな風に見えた。


 飛行機の中で付き添った刑事が、苦笑していた。

「捜査に協力したら、どのくらい減刑されるか聞かれたよ」と。


 真帆場は膝に肘をついて、頭を抱えた。

 ボサボサの髪がさらに乱れ、顔が見えなくなる。


 後悔はしているのかもしれない。

 だが、反省はきっとしていないのだろう。


「俺を保護する施設って、本当に安全なんですよね? 俺、もうこんな目に遭いたくないんですよ」


「核弾頭でも落とされたら死ぬかもしれないな。あとは日本が沈没したら、恐らく助からん。……俺は“絶対”って言葉が嫌いでね」


 普段は穏やかな宇田島さんが、一度も目を合わせずに言った。

 真帆場は返す言葉を失い、しばらく唸るだけだった。


「どうしてあなたは、狙ってるのが雑音だと思ったんです?」


 俺の疑問に、真帆場は目を彷徨わせる。

 そして何かを決意したかのように口を開いた。


「先生から……聞いたんです。俺が雇った実行犯の三人は魔法使いに殺されたって……」


 それは警察署の資料でも見た。

 だが反撃をした魔法使いについては、”不明”となっている。


「公安の知り合いから聞いた話だと、A9じゃないかって話で……」


 初めて聞いた話だ。

 宇田島さんは頭を抱えている。

 真帆場の話が本当だとすると、公安の中にべらべらと情報を流した者がいるということだからだ。


「宇田島さん、A9って……」

「被害者家族の中に、一人連絡の取れない行方不明者がいる。A9の活動記録は、その事件後からだ。つまり、強盗事件がきっかけで魔具が発現した可能性がある」

「そのA9が、雑音のメンバーなんですね」


 宇田島さんは返事をしない。肯定と受け取ってもいいのだろうか。


 雑音のメンバーは、確認されただけでも30人を超える組織だ。

 錫村Aは、その中の15人を殺している。

 そのリストの中に、A9はいなかった。


 実際の所、雑音の組織は不明な点が多い。

 ”ボス”と呼ばれる人物も、資料では”不明”となっている。

 逮捕されたメンバーはたった二人で、彼らが持っている情報は少なかった。


 わかっているのは、都内各所に組織が保有するアジトがあり、分散して潜伏をしているということ。

 組んだ相方以外の仲間は、よく知らないということ。

 それくらい。


 だから魔法使いが関係している事件、イコール雑音の仕業だと断定できないケースもある。

 捜査をして、犯行手口や防犯カメラなどの記録を解析をして、初めて雑音による犯行だと判明するのである。


 車内に静かな緊張が戻る。

 通信機から、定期連絡の声が流れてくる。


『A-1ポイント通過。異常なし。A-2ポイント、不審者は確認されず……』


 無線の音が、妙に遠く感じた。

 今のところ、襲撃の兆候はない。


 それが一番、怖かった。

 嵐の前の静けさに似た、この沈黙が。



 ◆◆◆




 護送車が長い橋に差し掛かった。

 今日は昨夜の雨が嘘みたいに晴れていて、川面に反射した冬の太陽が、目を刺すようにきらきらと揺れていた。


 この辺りは埋立地だ。

 無数のコンテナヤードが並び、巨大クレーンが無言でそびえる。

 勝者の象徴のように、超高級タワーマンションが空を突き刺している。

 その景色は、俺がいた世界とほとんど変わらなかった。


 売れていた頃、この近くのテレビ局に週に何度も通った。

 でも、今では遠い別の人生の話だ。


 通信機が淡々と報告を告げる。


『A-3ポイント通過。異常なし』


「……本当に何も起きないんですかね」


 隣で久我さんが小さく息を吐いた。

 声が少しだけ震えていた。


 その瞬間、護送車ががくん、と揺れた。


「うおっ……!」


 運転席の刑事が短く声を上げる。

 同時に、車内に甲高い警告音が鳴り響いた。


「何だ?!」


 宇田島さんが鋭く振り向く。

 車体が傾き、視界が不自然に持ち上がっていった。


「車が……浮いてる?」


 誰かの呟きが、護送車の中に響いた。


 重たい車体がありえない角度で持ち上がる。

 地面との距離がみるみる離れていく。橋の欄干が視界の下へと沈み、空と雲が逆さまに迫ってきた。

 シートベルトに体が押し付けられ、鼓動が耳の奥で喧しく跳ねた。


「……嘘だろ」


 俺の視界の端で、マジックミラー越しに黒い影が見えた。

 橋の欄干の上に立つ、細身の男。フードを深く被り、釣り竿のような魔具を構えている。


「B3だ……」


 宇田島さんの低い声が、車内に緊張を走らせた。


 俺の心臓が、ドクン、と大きく跳ねた。

 あの男だ。

 俺を――刺した、あの男だ。

 けれど、驚きも恐怖も、なぜか遠くに感じた。

 浮かび上がった車体の中で、世界の音がすっと静まっていく。

 まるで、 これが“悪夢の続き”だとでも言うように。

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