3−6
議員惨殺事件から一週間が過ぎた。
俺は、捜査に加われないので訓練場で時間を過ごしていた。
何もしないよりは、気分が紛れる。
「《起動》」
初めて魔具を出したときよりも、ずいぶん早く出現させられるようになった。
マネキンに狙いを定め、思った箇所を撃ち抜く。
「頭」
弾道を無視して、弾が頭の部分に吸い込まれていく。
「胸」
大げさに言えば、足に銃口を向けていても弾は胸を貫く。
もっとも、実際は意識がそっちへ流れてしまうので、やっぱり足に当たってしまう。
だから慣れるまでは、狙った位置にしっかり銃口を向けるしかない。
(錫村Aは、この能力を完璧に使いこなしていたんだよな……)
比べたって意味はない。
そう思いながらも、無意識に考えてしまう。
「右腕」
水鉄砲は、必ずしも命を奪うためだけの道具じゃない。
動きを止めるための発砲だってできる。
新しいマネキンを出し、今度は人間の動きを模したモードに切り替える。
現場で立ち尽くして狙いをつける余裕なんてない。
自分も動きながら、胸を正確に撃ち抜く。
「左あ……」
「おい! 何やってんだ! 死に損ない!」
不意に響いた罵声に、反射的に動きを止めた。
「本間さん……」
見た目は子供、中身は三十四歳の先輩刑事だ。
「訓練を……」
「お前、謹慎中だろが! 勝手に動いていいのかよ!」
「許可は取りました。医者にも、適度に運動した方がいいって言われたので……」
「フン」
本間さんは不機嫌そうに横を向く。
「お前なんて、訓練したって意味ねぇだろ。クソへっぽこ野郎」
今日も相変わらず機嫌が悪いらしい。
まあ、機嫌のいい時なんて見たことがないけど。
「本間さん、訓練されるならどうぞ。俺はいつでも引きますんで」
無言でリモコンを操作する本間さん。
周囲にいくつもの魔法陣が浮かび上がり、渦を巻く魔力が円形を描く。
少年の姿をした先輩が手にしたのは、オレンジ色のフリスビーだった。
「おりゃーーー!」
フリスビーを投げると、標的のマネキンごと粉砕された。
破片が床を転がる。
思わず息を呑む。
「……すごい」
銃弾なんて比じゃない。
鉄球をぶつけたような破壊力だ。
「いつまで見てんだよ。怪我しても知らねぇぞ」
「す、すみません。俺がいたら気が散りますよね」
背中を丸め、出て行こうとしたときだった。
「待てよ!」
怒鳴られ、思わず足が止まる。
昔、テレビ局で見たディレクターがADを怒鳴り散らしていた光景を思い出した。
理不尽に怒られていたあいつも、こんな気持ちだったんだろうか。
「あーーーーーーっ」
本間さんが頭をかきむしる。
相当イライラさせてしまったらしい。
「悪かったよ……別に、お前のことが嫌いなわけじゃないんだ」
「え?」
急にトーンが変わり、驚いて思わずきょとんとする。
「錫村Aは大ッ嫌いだけどな!」
息を荒げた本間さんが、しばらく黙った。
「……その、嫌われてなくて良かったです」
(というか、知ってました)
「この姿になってからなんだ。妙にイライラして、ガキの癇癪みたいのを起こしちまうんだ」
俺はずっと疑問に思っていたことを聞いてみる。
「本間さんに魔法をかけたやつも、もう死んでいるんですか?」
本間さんが首を横に振る。
「あいつは生きてる。ちょいちょい姿は確認されている」
「それなら、解除できるかもしれないですね」
「ああ。恐らく、あいつをぶっ殺せば元に戻れる」
子供の顔でそんな物騒な話をされても、少なくとも俺よりは希望があるように思えた。
「錫村は、俺のこの姿を見て鼻で笑いやがったんだ。『その姿、お似合いですね』ってな」
「それは酷いですね……」
「だろ? あいつ、マジで性格悪いんだよ。いつも人を見下すような目をしやがって」
俺のことじゃないけど、結局、俺のことでもあるんだろう。
苦笑いで返すしかなかった。
「まあいい。そんな愚痴を言いたかったわけじゃねえ。小野倉がすっげえ気にしてるからさ。声をかけてやってくれ」
「小野倉さんが、ですか?」
「ああ。不用意に声をかけちまったから、そのせいでお前がシャボン玉を食らったって。錫村Aが消えたのは、自分のせいだってずっと落ち込んでる」
「……そうだったんですか」
「あいつ、スーパーネガティブ女だからな」
(言い方……)
本間さんは再びフリスビーを手に取った。
軽そうなおもちゃは、投げられるとマネキンを爆発させるほどの威力を持っていた。
その衝撃音に、思わず肩が震えた。
「俺のこの魔法、魔力の調整が全然できねえんだよ。だから、精度とスピードを上げるしかない。下手に撃てば街ごと吹っ飛ばしちまうからな」
確かに、威力だけなら壁も何も関係なく破壊しそうだ。
「お前も何も考えずにバンバン撃ってるんじゃなくて、魔力の調節を練習しとけよ」
言い方は相変わらずだが、アドバイスをもらえた。
本当は、いい先輩なのかもしれない。
「わかりました。やってみます。ご指導ありがとうございます」
「……見舞い、行かなくて悪かったな」
そんなこと気にしてくれていたんだと、思わず胸が温かくなる。
子供の姿をしていても、この人はずっと先輩なんだと感じた。
口は悪いけど、根は優しい人だ。
◆◆◆
小野倉さんを探して廊下を歩いていると、曲がり角で真野さんに出くわした。
「錫村、体の調子はどうだ」
「痛みももう、だいぶ引きました。普通にしていれば、何の問題もないです」
それを聞くと、真野さんはわずかに表情を緩めた。
「なら、課長に話をしてみる。調子が戻ったなら、謹慎を解くよう交渉してやる」
「……本当ですか?」
思わず声が上ずった。
一週間、何もできずに過ごした時間が、一気に胸の奥を締めつける。
「お願いします。もう二度と、勝手に動きませんから」
「ぜひ、そうしてくれ」
返事は短いが、信じられないくらいありがたかった。
真野さんの背中を見送ると、少しだけ肩の力が抜けた。
その後直ぐに、俺の謹慎は解けた
午後から始まるブリーフィングの参加も許された。
会議室はいつもより空気が重い。
それだけ、潮見坂の死がいろいろな意味で大きすぎたのだろう。
「……以上が、今回新たに判明した情報だ」
真野さんが資料を置いた。
ホログラムに潮見坂の顔写真が浮かんでいる。
テレビでは理想を語る笑顔ばかりだったが、無表情だと人を選別しているような目をしていた。
「潮見坂は、かねてより裏の顔を持つとされていた人物だ。だが証拠はなく、捜査は何度も立ち消えになってきた」
真野さんの声がやけに冷たく聞こえた。
「五年前、都内で連続した強盗事件を覚えている者もいるだろう」
その場にいた数人が、小さく頷く。
「犯行グループは実行犯のほとんどが死亡。残る数名は逮捕されたが、主犯とされる真帆場重道は事件後すぐに海外へ逃亡した」
真野さんは視線をゆっくりと巡らせた。
「だが真帆場重道は、今回、潮見坂が殺害された直後に、公安に保護を要請してきた」
心臓が一拍遅れて脈打った。
空気が固まるのを感じた。
「理由は不明だが、パトロンが消されたことで逃亡に見切りをつけたのだろうと推測される。真帆場は交換条件として、潮見坂の不正献金に関する証言と捜査協力を全面的に申し出ている」
会議室の奥で、本間さんが小さく舌打ちした。
「……今さら何を」
それが率直な感想だった。
結局、自分を守るために切り札を切ったに過ぎない。
「潮見坂と強盗事件との関連だが、被害者の中には元秘書の家族と、献金疑惑を追っていた記者の家族が含まれていた。つまり、強盗に見せかけた殺人だった可能性が高い」
真野の目は何も映さないガラス玉のようだった。
「告発を免れるための口封じ。潮見坂にそれだけの動機があった」
これが、あの人を殺した動機だったとしたら。
もしそうなら、犯行を止められる人間は最初からいなかったのかもしれない。
「真帆場は明後日、特別機で羽田空港に到着する予定だ。空港、もしくは移送中に襲撃される可能性は十分にある。其の為に君たちにも警護の要請が来ている」
そう言って、真野さんの視線が俺を一瞬だけ掠めた。
息をするのが苦しかった。
この場所にいることを、まだ許されていない気がした。
それでも、少しだけ胸の奥が熱を持った。
何もできない自分に戻るのが、一番怖い。
握りしめた手が、微かに震えた。
いつだって、何もできないのが一番怖いんだ。




