3−5
修星が仲間に連れられてこられたアジトは、住宅街の一軒家だった。
一階には大きなリビングがあって、立派なソファが置かれている。
菜美は、何事もなかったかのようにテレビでアニメを見ていた。
女の子が好きそうな、魔法少女のアニメだ。
その音声に重なるように、シャワーの水音が聞こえていた。
かすかに、女の鼻歌が聞こえてくる。
修星は行儀悪くテーブルに足を乗せて、ソファの背に体を預けていた。
「あー、さっぱりした。仕事終わりって、無性にシャワー浴びたくなるのよねぇ」
サリと呼ばれている女は、バスタオル一枚という姿でリビングにまで来る。
「おい、服、着てこいよ」
「へぇー、純情なんだぁ」
サリは、意地悪っぽく視線を絡めてくる。
「逆だ。見慣れてるから、なんとも思わねぇわ。暖房ついているからって、そんな格好してたら風邪引くだろ」
女の白い肌も、体を滑るように流れる水滴も、痩せているくせに胸と尻が突き出した豊満な体も、特に興味はない。
サリは忠告を無視して、冷蔵庫を開けている。
「アイスあるんだー。菜美ちゃんも食べるー?」
「菓子ばかり食わせんな。そうでなくても、こいつはあまり食わなくて困ってるんだよ」
菜美が、ちらりと修星の顔を見る。
「……怒ってるわけじゃねぇよ。お前には、もっとご飯を食って欲しいの。そんなに痩せっぽっちじゃ、元気でないだろ」
「あんたって、お母さん気質なんだねぇ」
「誰が、お母さんだ」
面倒見がいい自覚はある。どんな人間のクズであっても、仲間は別だ。
「ボスが、あんたにこの子を預けた理由わかった気がするわ。私だったら、毎日お菓子とジュースでパーティしてたもん」
「お前……料理できないのか?」
「失礼ね。できるわよ。ピザでしょう? チャーハンに、うどんに……ラメーンもね」
サリは答えながら、冷凍庫をごそごそ漁っている。
つまり、彼女が言う「料理ができる」は、電子レンジで作れる冷凍食品か、お湯を入れるだけのカップラーメンのことらしい。
キッチンのゴミ箱には、やたらと弁当の空き箱が捨てられていた。
「ここの二階には怪我人も住んでんだろ? そいつにも、こんな飯出してんの?」
「あいつは、何でも食べるからね。食事に興味ないんじゃないかな」
「そういう問題じゃないだろ」
修星は冷蔵庫を開け、材料を確認する。
何か動いていないと、あの光景を思い出してしまう。
大きな駅前の、一角。周囲に集まる人々。臨時に作られた壇上で、力強く演説をする壮年の男。
そこに、修星に操られたスタッフの一人が耳打ちをする。
『先生、あそこを見て下さい……』
潮見坂には、ピンクのコートを着た少女が視界に入った。
手には、おもちゃの魔法の杖を持っている。
次の瞬間、潮見坂は視界がぐるりと回った。
修星の隣で、菜美が呪文を唱えていた。
『ねじねじ。ねじれちゃえ。ねじねじ』
体の関節を無視して、潮見坂の体がねじれていく。
ばたりと倒れると、捻れた頭部が引きちぎられてコロリと地面に転がった。
『先生!』
叫びとも悲鳴ともつかない、甲高い声が一帯に広がる。
彼を囲うように配置されていた警備員たちが、顔面蒼白で周囲を探る。
その中には、警備会社の魔法使いもいた。銃弾や、飛び道具なら彼に阻まれていただろう。
だが、菜美の能力を防ぐような力はなかった。
菜美は視線が合えば、能力を発動させることができる。
その力は恐ろしく強大で、大人の体を簡単にねじってしまう。
そして趣味の悪い、人間ネジが出来上がっていた。
「うっ……」
吐き気を押さえながら、玉ねぎとピーマンを切っていく。
あの力は、子供でなければ発現しない。まともな大人には無理だ。
いくら殺そうと思っても、体をねじ切ってしまおうなんて発想が思いつかない。
「やっば。オムライス? あんた、天才調理人かなんか?」
「喫茶店でバイトしてたから、これくらいはできるんだよ」
やっと服を着たサリと菜美に、オムライスを出した。
「うーっ、最高。このオムライス、めっちゃ美味しいし。今日の仕事は私なんていらないぐらい簡単だったし。また、指名してよ!」
まるで、客にまた指名を頼む風俗嬢みたいな言い方だ。
「今日、簡単だったのは最初だったからだ。次は、もっと警戒される、きっとお前の出番もくるぞ」
「その時は、その時ってことで!」
口元にケチャップを付けながら、サリが機嫌よく菜美の頭を撫でている。
「菜美ちゃん、美味しい?」
「……うん。美味しい」
「修星が、いっぱいご飯食べて、菜美ちゃんもお姉ちゃんみたいなエロい体になりなさいって」
「……んなこと、言ってねぇぞ」
菜美の体に無数につけられた虐待の痕も、最近は目立たなくなってきている。
傷の治りと栄養は、関係が深い。
「お前、それ食ったら上で寝てるやつにも持っていってくれ」
「ケイにも作ったんだ」
「当たり前だろ。俺達だけで食うわけにはいかないからな」
食事を終えると、どこかネジが外れた女と、心に大きな穴が開いてしまっている少女は、ソファにもたれかかり、抱き合うように寝てしまった。
悦男がいた時は、仕事終わりと言えばコメディ映画を見るのが定番だった。
頭の中をからっぽにして、ギャーギャー笑って、深い眠りに着く。
そしていつの間にか、朝になる。
「そう言えば最近、まともに寝てねぇな」
安心して寝れないのは、心の底で菜美のことを恐れているのかもしれない。
(こいつらが組んでくれねぇかな……)
それが本音だ。もちろん、死神への復讐を忘れたわけではない。
あいつは絶対に自分が殺すと決めている。
自分が死ぬのはそれからだ。
それでも危うく脆い少女の側にいるのは、怖いのだ。
点滅しているスマホの画面を見つめた。
送られてきたメッセージは、一見なんの意味も持たないような記号の羅列だ。
(次の指示が出るまで、ここで待機……か)
目を閉じると、浅い眠りが襲ってきた。
人生をやり直す魔法ねぇかなと思いながらも、この世界から魔法なんてなくなっちまえばいいのに……そんな矛盾に、自分でも苦笑した。
◆◆◆
俺は、六課の会議室に入ろうとして、IDカードをかざした。
無機質な電子音が響いて、ロックが解除されない。
そういや、まだ無期限の謹慎中だった。
「錫村、退院したのだな」
扉の前でばっかり出くわしてしまったのは、藤城課長だ。
「はい。今朝退院して、勝井琉斗君に会ってきました」
「そうか」
「あの……、俺の謹慎っていつ解けるのでしょう?」
「少なくても、普通に動けるようになるまでだ」
「普通って……走れるようになればオッケーですか?」
課長は一度視線を落とし、ゆっくりと息を吐いた。
「そんな猫背になっているようじゃ、仕事に差し支える。」
「そうですね。俺が足を引っ張るわけにはいきませんし、部屋で大人しくしてます」
同じフロアの自室に戻ると、わずかに緊張が緩む。
それでも、胸の奥に重しが残っていた。
音がない。
無音が、こんなに落ち着かないものだとは知らなかった。
息をする音すら響いている気がした。
事件が気になって、タブレットを取り出す。
指先が微かに震える。
検索結果に表示された動画サムネイル。
再生する前から、嫌な予感がしていた。
「うぇ……」
画面の中で、男の体がねじれていく。
骨の折れる乾いた音が、小さなスピーカーから流れてきた。
何度も何度も、全身がねじれて。
最後に、頭が落ちた。
呼吸が乱れる。
腹の奥から吐き気がこみあげた。
「これ……テレビ中継してたのか」
想像するだけで胃が冷える。
こんなものを目にした人たちは、もう何を信じていいのかわからなくなるだろう。
もちろん当該の映像は今は見れないようになっている。
ネットに上がっていた動画も、次々と削除されていく。
だが、この映像が全国ネットでお茶の間に流れてしまっていたという事実は変わらない。
こんなスプラッタは、作り物であっても、すぐ規制に引っかかるだろう。
大人が見たってトラウマになるだろう。
俺だって、夢にでてきそうで怖い。
マスコミは、魔法使いによる殺人事件だと報じている。
街頭演説に集まった人たち全員が容疑者になる。
それだけじゃない。通りかかった人物も、窓から覗いている人たちだって全員が容疑者だ。
この中から、どうやって犯人を見つけるのだろう。
考え事をしていると喉が乾いてきた。
コーヒーでも買ってこようかと、廊下を歩いていた時だ。
「錫村!」
知っている声に振り向く。
「宇田島さん、ブリーフィング終わったんですか?」
「ああ。今さっき終わった所だ。それより、退院おめでとう」
「ありがとうございます。まだ現場の復帰は無理そうなんですが」
「無理すんなよ」
「事件……ネットのニュースで見ました。俺に何か手伝うことはありませんか?」
「事件のことは心配しなくていい。公表はしていないが、容疑者はほぼ確定している」
「そうなんですか?!」
さすが公安と言ったところか。
仕事が早い!
「過去に同じような被害者がいてな。恐らく同一人物犯だと思われる」
「もしかして、雑音のメンバーなんですか?」
「それは今、捜査中だ。だが……もしそうなら、かなり厄介だぞ」
宇田島さんの表情に緊張が走った。
「物理攻撃ではない、ガードできない魔法だ。山下班長が発動の条件や能力の欠点を解析している。だが、直接対決をして小野倉から情報を引き出さないと厳しい、と言っていた」
「それって……」
「下手に対峙すれば、俺達もあの議員のように体がねじれてしまうということだ」
(……最悪だ)
想像しただけで足がすくんだ。
少なくとも、俺はあんな魔法に対抗する術を知らない。
右手を見つめる。俺の水鉄砲が、まるでおもちゃみたいに頼りなく思えた。




