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桜田門ウィッチーズ  作者: しろいぬ
第三章 死神と魔女
18/46

3−2

 ーー入院してから、一ヶ月が過ぎた。

 酉越さんの言った通り、俺は無事退院できることになった。


 お腹の傷は、まぁまぁ綺麗な縫い目だ。

 縁が赤く盛り上がっていて、触れるとまだ熱が残っているのがわかる。

 ガーゼを換えるたびに、こつんと鈍い痛みが走る。


 病室の窓を少しだけ開けると、秋の乾いた風が白いカーテンを揺らした。

 もう一度この空気を吸えるんだと思ったら、それだけで胸の奥が少しだけ軽くなった。


 仕事は無期限の謹慎中だ。

 しばらくは警視庁の部屋に戻ることになる。

 けれど、前の自分と同じようには戻れないのだろう。


 六課のみんなは何度も見舞いに来てくれた。

 本間さんだけは顔を出さなかったけれど、宇田島さんは毎週欠かさず来てくれた。

 手に提げた紙袋の中に、温かい肉まんや資料や、差し入れにしては場違いな観葉植物が入っていたのを、なんだか今も鮮明に思い出す。


 特に山下さんと一緒に揃えてくれたという、この世界についての資料はありがたかった。

 分厚い封筒に詰まった書類やパンフレットは、どれも手触りが硬くて、開くたびに現実の重さがひやりと伝わってくる。

 外国人が日本に観光に行くときに読むガイドブックみたいに、わかりやすく書かれたものもあった。

 でも、行方不明者の統計や未解決事件の報告は、ページをめくるだけで胸の奥が冷えていく。


 事件性の高い行方不明者は、東京だけで年間千人を超える。

 そのうち三割は魔法使いが絡んでいるとされていた。

 つまり、表に出ない”事件になっていない事件”が山ほどあるということだ。


 道を歩いていた人が、突然姿を消して、近くのビルの屋上で滅多刺しの死体で見つかる。

 看板が落下して死亡したはずが、調べると老朽化ではなく鋭利な刃物で切られていた。

 刑務所に収監されていた服役囚が、独房で首を吊って発見される。

 けれど、死亡直前に「殺される」「助けて」と叫ぶ声を、看守も囚人も何人も聞いていた。


 読んでいるうちに、魔法使いが世間で恐怖の対象になっているのも無理はないと、嫌でも思い知らされた。

 もし俺が一般人なら、きっと近づくのも怖いと思っただろう。


 迎えが来るから病室で待っていろと言われ、公安支給のタブレットで”東京グルメガイド”を読んでいた。

 ページをめくるたび、珍しいラーメンやハンバーグの写真が目に入る。

 美味しそうだなとぼんやり思う一方で、どこか現実感がなかった。

 まるで知らない外国の街のガイドブックを読んでいる気分だ。


 コンビニもファーストフードも、似ているのにどこか違う。

 流行りのファッションもどこか個性的だ。

 知ってるアニメや漫画もない。


 それにーー追いかけていたお気に入りのアイドル、ハッピー・パッピーのキキちゃんも。


「キキちゃん、元気かな……」


 もちろん、元気なのだろう。

 俺がいなくなったって、彼女の世界は変わらない。

 推しが一人減った所で、彼女は認識さえしないのだ。

 悲しいけれど。


 感傷に浸っていると、ふいに画面に影が落ちた。

 顔を上げると、いつの間にか黒いスーツの青年が立っていた。

 病室の天井の蛍光灯が、彼の色素の薄い髪を青白く照らしている。


 青年にしては高い声で「迎えに来ました」と告げられる。


「公安七課の石巻(いしまき)です」


 相葉先生が言っていた。

 七課は全員が特殊な能力を持っている、と。

 彼もそうなのだろう。


 線が細く、中性的な顔立ちで、どこかふわりとした雰囲気があった。

 白い病室に立っているのに、不思議と違和感がなかった。


「着いてきて下さい」


 なぜ六課ではなく七課の人間が迎えに来たのだろう。

 疑問を抱えたまま荷物を抱え、病室を出る。

 廊下を歩くと、足音が規則正しく響いた。


 長いエレベーターに乗り込むと、石巻君がようやく口を開いた。


「警視庁に行く前に、お連れする場所がありますので寄りますね」


「お連れする場所?」


 どこだろうと首を傾げると、石巻君が短く答えた。


「七課保有の施設です」


「あー……」


 俺は小さく手を打った。

 きっと、勝井琉斗が保護されている施設だろう。

 藤城課長が言っていた。

 彼が、俺に会いたいと伝えてくれていると。


 病院を出ると、空気が少し冷たかった。

 昼の陽射しは柔らかく、ビルのガラスに反射して白く光っていた。

 駐車場を通り過ぎ、屋上への階段を上がると、本格的な冬を知らせる風が頬を撫でた。


「ヘリコプター?」


 屋上には三機のヘリコプターが並んでいた。

 プロペラがゆっくりと回り、風が吹き抜ける。

 その音が、世界の色を少しずつ奪っていくように思えた。


「こちらです」


 石巻君が指したのは、二台のドクターヘリよりも小柄な白い機体だった。

 白い塗装に薄いグレーのラインが走っている。

 近くで見ると、想像以上に無骨で、どこか獣のような存在感があった。


「きちんとシートベルトをして下さいね」


「俺、ヘリコプターに乗るの初めてなんですよ。ちょっと緊張するなぁ」

「安心してください。僕はまだ一度も墜落したことはありませんから」


 そんな笑顔で言われても、安心はできない。

 苦笑しながらシートに体を預ける。

 シートベルトを締めたとき、腹の傷がひりりと痛んだ。


 プロペラが音を強め、機体がゆっくりと浮かび上がる。

 地面が遠ざかり、病院の屋上が小さな四角になった。


 助手席のモニターには、地上の様子が映っていた。

 道路の車が玩具のように小さく並び、街の輪郭が遠ざかっていく。


 雲の切れ間から、陽光が水面に反射するのが見えた。


「……海?」


「はい。七課の施設は孤島にありますので」


 なるほど。

 ヘリコプターで移動する理由が、やっと腑に落ちた。


 三十分ほど飛んだだろうか。

 広がる海に、小さな島がひとつだけ浮かんでいた。

 島の輪郭は歪で、ジャングルのような濃い緑に覆われている。

 近づくにつれて、その中に不自然に整えられたヘリポートが見えた。


 着陸すると、機体ごと地面がゆっくり沈んでいく。

 無音のエレベーターに乗っているようだった。


「……すごいですね。秘密基地みたいだ」


「よく言われます」


 石巻君が淡々と答えた。

 それが冗談ではないのが、この世界らしい。


 地下に降りたはずなのに、天井の照明は太陽光のように柔らかくて、影が穏やかだった。

 廊下の壁には白いタイルが貼られ、足音が吸い込まれていく。

 所々に光を取り込む窓があり、外の緑が揺れて見えた。


「地下なのに、なんでこんなに明るいんです?」

「光の屈折を利用して、地上から太陽光を取り入れているんですよ」

「へーっ」


 感心しながらキョロキョロしていると、廊下の先にエレベーターがあった。


「ここから、地下に降ります」


 石巻君が操作パネルに手を当てると、認証の電子音が鳴った。

 扉が開き、冷たい空気がふわりと肌を撫でる。


「ここのセキュリティーもすごそうですね」

「とても厳しい管理人がいますからね。それに、この建物はかなり複雑な形をしているので、僕も全部は把握していません」


 乗り込むと、エレベーターは音もなくすっと動き出す。


「地下五階まで行きます」

「ずいぶん深いですね」

「それだけ守られている、ということです」


 エレベーターの中は狭くて、石巻君と向き合うと目線が重なる。

 彼は相変わらず表情を崩さないまま、まっすぐこちらを見ていた。


「面会時間は三十分以内でお願いします。僕は施設長と話がありますので、終わったらこの通信機で知らせてください」


 小さなイヤホン型の通信機を渡される。

 耳に装着すると、ひそひそとしたノイズが鳴った。


「これ、会話が筒抜けなんですか?」

「いえ。緊急通信用なので、通話中以外は音声は拾いません。ご安心を」


 少し安心して、息を吐いた。盗聴されるのは、正直少し嫌だ。


 廊下の左右には部屋がずらりと並んでいた。


「こちらです」


 金属製の扉で、銀色のプレートに”5032号室”と細い文字で数字が刻まれている部屋だ。

 俺がドアノブに手をかけると、指先に微かな震えが走る。


(……何を話そう)


 けれど、答えは決まっていた。

 まずは、彼を安心させてあげたい。きっと不安でいっぱいのはずだから。

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