3−1 死神と魔女
「ライブに出れないってどういうことだよ!」
「ずっとじゃない。ドラマの撮影期間だけだって」
「ふん。数回しか出ない端役をもらったぐらいで、俳優気取りか?」
「スタッフから言われてんだ。急に撮影はいるかもしれないから、予定は入れないようにって!」
また浩と仁が喧嘩してる……。
「白々しいな。どうせ、ライブをやっても客がこないからだろ? お前はプライド高いから落ちぶれていくのが許せないんだろ?」
「そうじゃねぇよ。俺達はコント界の一発屋だしな。もうこの業界でやっていくのは限界だ。お前も過去の栄光にしがみついてないで、前を向けよ。このままじゃ三人とも何者にもなれないで終わる」
そうだ。仁は正しい。
レギュラー番組は全て終了し、CMも契約終了。月に一回は呼ばれていたゲスト出演も声がかからなくなり、俺達は使い切った消耗品みたいに、あっさりとゴミ箱に捨てられていく。
「面白い」だの「イケメン」だのとチヤホヤしてきた連中は、あっという間に踵を返し振り向きもしない。
わかっていたさ。そういう業界だ。
「ああ、そうかよ、じゃあ、俺も好き勝手させてもらう。もうロケット・モンスターズは解散だ」
「待って。解散って……、二人共落ち着けよ。俺達、これからだろ?」
その時の二人の冷たい視線は、きっと一生忘れられない。
俺はあの時、(もう一回、話し合おうぜ)と言おうとしたのに、言葉を飲み込んでしまった。
「……おい。傷が痛むのか」
その声に、重い瞼を開ける。
「あ……」
消毒の臭い、規則的な音の出る機械音、白い天井、腕から伸びている点滴の管ーー。
そうか、夢か。その事に、困惑して安心して。
改めて、自分が入院しているのだと思い出す。
「すみません、ちょっと夢見てて」
「大の大人が夢見て泣くなよ。ビビるだろ」
医療機器の数字を眺めながら、そう言ったのは白衣を着た男性だ。
……って、誰?
この人に見覚えはない。もっとも、俺が意識が戻ったのはほんの数時間前だ。
看護師の話によると、俺は意識不明の重体で運び込まれ、手術をした後一週間も寝ていたらしい。
「体は自由に動かないかもしれないけど、状態は悪くない。あと一ヶ月もあれば退院できるだろ」
「もしかして、俺の手術をしてくださった命の恩人ですか?」
三十前後だろうか。
白衣を着ているが、中は派手なロックバンドのTシャツで、耳にはいくつもピアスをつけている。
病院よりライブハウスが似合いそうな人だった。
「そうなるな。お前の腹を治した医者だ」
「ありがとうございます。その、なんてお礼を言っていいか……」
「礼なんていらねえよ。仕事しただけだ」
少しずつ、現実の輪郭が戻ってくる。
雑音との交戦、銃撃、刺された感触。
全部、本当にあったことだ。
夢でも幻でもない。
「生きてるのが不思議です。腹を刺されて助かることって……あるんですね」
「そりゃあ、魔法を使ったからな」
「……魔法?」
ぽかんとしていると、男が口元を吊り上げた。
「《起動》」
先生の右手に小さな木の箱が現れる。
オルゴールだ。蓋を開けると、見覚えのあるゼンマイ仕掛けが収まっている。
「これが俺の魔具だ」
「オルゴール……」
「こいつで、肉体の時間を巻き戻せる」
「……すごい魔法じゃないですか!」
思わず声が大きくなる。
刺される前に戻せなかったのか、という疑問が頭をかすめたが……。
「俺はもともとは救急救命士だったんだよ。『もう少し発見が早ければ』『あと数分で助かったのに』って状況ばっかりだ。……そんなこと考えてたら、ほんとに時間を戻せるようになったってわけだ」
「……すごい……」
気がつくと、涙がにじんでいた。
この殺伐とした世界で、ただ人を助けるために生まれた魔法。
「なぜ、また泣く?!」
「……先生が立派すぎて……感動しました……」
「立派ってほどでもねえよ。三十分しか戻せないしな」
「それでも、すごいです。尊敬します」
「……ま、いい。俺は公安七課の酉越だ。よろしくな」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
「錫村の顔で言われると、やっぱ変だな」
小さく笑う。
救われるような笑顔だった。
刺された直後まで巻き戻せたから、生きている。
もし酉越先生がいなければ、今頃もうこの意識はなかった。
そして、俺が死んだら――錫村刀矢Aも死ぬ。
いくつもの命が、自分に繋がっている。
(俺は……死んじゃいけない)
心の奥底で、やっと現実を掴んだ気がした。
今まで生きていた惰性のような生活では味わえない、緊張感に包まれた。
そのとき、扉が開く音がする。
「あれ? 酉越君、来てたんだ」
軽いヒールの音に続き、相葉先生と藤城課長が現れた。
「相葉先生……藤城課長……」
相葉先生は俺と目が合うと、一瞬ハッとして笑顔を作る。
「おはよう、眠れる森の錫村よ」
酉越先生が「げっ」と短く声を漏らした。
「ん? 今、私を見て『げっ』とか言った?」
「俺は、用事があるのでこれで……」
酉越先生が、そそくさと退室する。
俺は藤城課長と目を合わせた。
「相葉先生、酉越さんに何したんですか?」
「何もしてないわよぉ」
(絶対嘘だ)
「それよりもー、錫村君、やっと復活か」
「はい。お陰様で。この通り生きてます」
「よかった。魔法がなかったら、死んでたねー」
さらっと怖いことを言う。
「具合はどうだ?」
藤城課長は、手にピンクと黄色の花束を持っている。
「……すみません……みなさんに、ご迷惑を……」
「謝るな。今は治すことだけに専念しろ」
藤城課長が花を花瓶に生けてくれた。
相葉先生は、テーブルに置かれていたファイルを勝手にめくっていた。
「錫村君、無期限の謹慎処分なの?」
「命令違反だからな」
「……わかってます。すみませんでした」
「それも、いい。全部終わったことだ」
短い沈黙が落ちる。
「あの……琉斗君は無事ですか?」
「ああ。今は七課の保護施設にいる」
「そう、ですか……」
俺の中の記憶が蘇る。
B38を撃った感覚。あの時、俺は確実に仕留めるという”強烈な意思”があった。
それは俺のものなのか、それとも錫村刀矢の体に染み付いたものなのかまではわからない。
だが、確かなものは残っている。
それは俺が人を殺したという事実だ。
沈んだ顔をしていると、相葉先生が不意に笑って指先でデコピンをされた。
「なーに落ち込んでるのよ。これからなんだから」
「……そうですね」
俺には覚悟がなかった。
現実味がなかったからだ。
能力を封印しても、雑音は消えない。
なら、もう覚悟を決めるしかない。
この手で、汚してしまったものを。
この手で、償うしかない。
「さて、私はちょっと様子を見に来ただけだから仕事に戻るけど、早月は?」
「私は、もう少し錫村と話がある」
相葉先生が部屋を出ていく。
藤城課長は、ベッドの脇に置いてあったスチール製の椅子に腰掛けた。
急に空気が重くなる。まさか、説教タイムなのか? と少し身構えたが、藤城課長は深く頭を下げた。
「……藤城課長?」
「すまない、錫村。こうなったのは全て私の判断ミスだ」
俺は慌てる。
とんでもない。こうなったのは自分のせい。俺が突っ走ったからに他ならない。
「頭を上げて下さい。俺が命令違反したからなんです。自業自得なんです」
藤城課長が、ゆっくり顔を上げる。
その姿に、胸の奥を針で突かれるような感覚が走った。
自分なんかに、この人が頭を下げている。
「子供は大人が守らなきゃいけない、って常識は俺が住んでた世界にだってあったんですよ」
俺は恥ずかしいので視線を逸らす。
「というのは建前なんですけど。実は、体が勝手に動いたんです。こんなこと、前の俺なら絶対にしなかったのに。むしろ最後尾で震えてる性格だったのに。どうしたんでしょうね。あいつを倒して、あの子を助けなきゃって思ってしまったんですよ」
「元の世界で、勝井琉斗と知り合いだったのか?」
「いえ、全然。知らない子です。知ってるとか知らないとか、そういうのではないんじゃないかな。すみません、ちゃんと説明できなくて」
藤城課長は、じっと俺の手から伸びる点滴の管を見てた。
「錫村、君には刑事を辞めるという選択肢がある」
「それって、コンビニの店員に戻ることになるんですか?」
「それは無理だ。刑事を辞めたからと言って、雑音は君の存在を許さないだろう」
「なら、どうなるんです?」
「公安の施設で保護することになる。不自由な生活にはなるが、命の危険に晒される可能性はかなり低くなる」
俺は保護されたいわけじゃない。
きっと俺の能力は、保護されるためのものではない。
「前の俺なら迷わずそうしたでしょうが、なんででしょうね。俺の中のもう一人の俺が、それを許さないんです。ちょっとカッコつけすぎでしょうか?」
今までの俺なら”命をかける”なんて、例え話の世界だった。
「俺、もっとこの世界のことを知ろうと思います」
(何者でもなかった俺が、何かになれる気がしたんだ……)
でもさすがに、藤城課長には気恥ずかしくて口に出せなかった。
「希望をしたわけではないのですけど、時間もできましたし」
へへっと照れ笑いをすると、藤城課長は「そうか」と短く答えた。
彼女は、俺の事を肯定も否定もしない。
ただ見守るように、そっと隣に居てくれる。そんな存在なんだと感じる。
「勝井琉斗が、君に会いたがっている。動けるようになったら、会いに行くといい」
夢のような魔法の世界。
それはファンタジーな要素はなく、ただひたすらこの世界に理不尽を突きつけていた。




