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桜田門ウィッチーズ  作者: しろいぬ
第二章 新生活開始
15/46

2−7

 田仲恵一……二十九歳。犯罪者コード、B3。

 あの男が絡んでいるとされる暗殺事件は、二十八件。うち四件は一家皆殺しだ。犠牲になったのは、およそ三十五名……それも、無抵抗の人間ばかりだ。

 手口はいつも同じ。腹を一突き。あるいは、致命傷に至る複数の刺し傷。それだけだ。無駄がない。そこに感情の影は一片も残らない。


 そしてーーあいつは、目撃者を残さない。赤子であろうと、通りすがりの他人であろうと、一切の容赦がない。

 ただ一人を除いては、だ。


 かろうじて生き延びた証人。

 被害者の家に泊まっていた、息子の友人。

 錫村刀矢……当時十九歳。

 あれが、彼の人生を変えた夜だった。

 あの日がなければ……刀矢はただの学生で終わっていただろう。

 魔法なんぞとは無縁の、平凡な大学生活を、何の疑いもなく送っていたに違いない。

 ……それが幸せだったのかどうか、今となってはもうわからないが……。




 ◆◆◆



 夜半過ぎの課長室に、真野主任が訪れていた。

 報告を受ける間、藤城早月(ふじしろ さつき)は、胸の奥を締めつけるような後悔に苛まれていた。


「まさか、あいつが堂々と警察の前に姿を見せるとはな……」


 低く吐き出すように呟くと、机に置いた拳に力がこもった。

 全員に出動命令を下したのは、自分だ。その判断が甘かったせいで、刀矢は重傷を負い、そして――B3を取り逃がした。

 田仲恵一という脅威は、今も自由の身だ。

 最悪の結末だけは避けられた。だが、あまりにも大きな代償を支払った。


「想定に入れておくべきだった……これは、私の失態だ」


 山下から送られてきた記録映像と、公園に設置された防犯カメラの映像――何度も再生した。

 刀矢があの行動に出たのは、ただの正義感ではなかった。

 あれは……。

 まるで、背中を押す何かに取り憑かれているようにさえ見えた。


(あの目……錫村Bじゃない……?)


 頭の片隅で、考えたくない可能性がちらつく。


(まさか……刀矢A……?)


 錫村Bは、刀矢Aと田仲の因縁を知らないはずだ。それなのに、あの執念……あの反応……偶然とは思えなかった。


「錫村の容態は?」


 問いかけに、真野が短く息を吐く。


「一命は取りとめました。ただ、予断は許しません。かなり深くやられています」


 病院には小野倉が付き添っていると聞いた。

 山下は解析のため、今夜も署に詰めるつもりだろう。


「田仲と少女の……足取りは?」

「逃走中です。付近の監視カメラを辿っていますが、彼らが逃走に使ったのは魔具だと思われます。その場合、足取りは追うのは困難です」


 真野の声に、わずかに苛立ちが混じっていた。

 雑音に所属するメンバーは、全て把握できているわけではない。

 自分たちの知らない所で、空間操作のできる魔具を作れる魔法使いが加入した可能性もある。


「あいつは……親友の無念を晴らそうとしたのか……?」


 早月が呟く。

 あれほど執拗に雑音を追った理由。

 刀矢が公安に入ったのは、田仲恵一に報いを受けさせるためだった。

 それなのに、親友の仇を前にして、決着をつけることも叶わなかった。


「錫村Aがこの結果を知ったら、複雑でしょうね。自分の手で終わらせたかったはずですから」


 真野の言葉に、早月は小さく息を吐いた。


「……世の中は、そんなに都合よくできていないということか」


 もしかしたら、錫村Aもあちらの世界で田仲恵一を探していたのかもしれない。

 そして、魔法のない世界で田仲を殺して……ただの人殺しになっていたかもしれない。

 そう考えると、今回刀矢が命を落とさなかったのは、まだ運に救われた結果だったのかもしれなかった。

 だが、その運もいつまで続くのか――。


「……錫村Bに、伝えるべきだろうか」


 珍しく、弱音が喉をすり抜けた。

 真野が肩をすくめ、わずかに口元を緩める。


「相談ですか? 課長にしては珍しいですね」


 早月は視線を落とし、苦笑する。


「……失言だった。忘れてくれ」

「冗談ですよ。すみません。課長は張り詰めすぎです。今回の件だって、最終的には錫村の命令違反です。俺たちが止めるのを無視したんです。全部を背負う必要はない」


 本当の自分は、強い人間ではない。ただ、強くあらねばならないと自分に言い聞かせているだけだ。

 だから、こうしてふと隙を見せてしまう自分が、どうしようもなく嫌いだった。


 そのとき、真野のスマホが振動した。

 短い通話のあと、彼が顔を上げる。


「錫村の状態が安定しました。意識はしばらく戻らないでしょうが、峠は越えたそうです」

「……そうか」


 胸を締めつけていた重みが、ほんの少しだけ解ける。


「田仲と少女の行方は、こちらで追います。錫村が目を覚ましたら……俺から話します。今は、他に学ばせることが山ほどありますから」


 魔具とは何か。魔法とは何か。

 なぜ人が魔法を手にするのか――その答えを、早月も知らない。

 科学がどれだけ進んでも、真実にはまだたどり着けていない。


 分かっているのは、世界に初めて魔法使いが現れた記録と、そこから始まった新たな歴史だけだ。

 変化する犯罪の形。組織化する魔法犯罪者たち。

 魔法を持たない者が向ける憎悪と恐怖。

 交錯する、歪んだ正義。


「……魔法使い同士の戦争、か」


 低く吐き捨てるように呟くと、真野が首を横に振った。


「違いますよ。これは――きっと“世界の調整”です」


 その言葉の意味を、藤城早月は理解できなかった。

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