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桜田門ウィッチーズ  作者: しろいぬ
第二章 新生活開始
14/46

2−6

「ねぇ、サリちゃん。もう行こうよ。公安相手にするの、めんどいし」


 ぼそっと呟いたのは、少女の隣に立つ黒ずくめの青年だった。最初からそこにいたはずなのに、まるで空気みたいに存在感が希薄だ。黒いパーカーのフードを深く被り、その奥の顔は暗がりに沈んで見えない。


「ダメだってば。ボスから言われたでしょ? 連れていくなら、自分の意思でって」

「でもさ、こんなの――時間のムダじゃん」

「ムダじゃないよ。無理やり誘拐なんてしたら、後がめんどくさいの」


 少女が、笑いながら琉斗の肩に手を添える。その細くて白い指が、やけに冷たく見えた。


 通信機に、真野の声が割り込む。明らかに焦りの滲んだ声だった。


『発砲許可は出していない! 機動隊は全員撤退! 立入禁止区域を半径一キロに拡張! 絶対に誰も近づけるな!』


 続いて、小野倉の緊迫した声が届く。


『念写完了。少女の魔具はスノードーム。能力は自動反撃――攻撃を加えた者にすべて跳ね返る。範囲は半径一・五メートル。青年の方は釣り竿。能力は……空間操作。注意してください。そいつは犯罪者コードB3です』

「B3……!」


 その名を聞いた瞬間、背筋が氷のように冷たくなる。


「……山下さん、B3って……」

「雑音の中でも、最も残酷な手口で人を殺す殺し屋。滅多に姿を見せない……本当に厄介なのが来たわね」


 吐き捨てるような言葉に、誰も返さなかった。――それほど、この青年が危険だという証拠だった。


「僕は……」


 琉斗が掠れた声を吐く。


「もう……誰も傷つけたくない。でも、もう二度と、いじめられたくなんてない……!」

「ふふっ、いいね、その目。やっぱり合格点かな?」


 少女が唇を歪め、琉斗の背中に腕を回す。

 このまま連れていかれたら、彼はもう二度と戻れない。


 機動隊が撤退を始める。


 少女の横に立つ黒いフードの男と目が合った。

 感情が読めない死人のような糸目。


 ーーどくん。

 その時、俺の中で何かが鼓動した。


 『刀矢……』


 誰かが頭の中で俺の名前を呼ぶ。


 『うちに泊まるの久しぶりだよな。今夜は、朝までゲーム対決だぞ』

 

 柔らかそうな栗毛、リスのような小動物の顔立ち、少年にしては高い声、人懐こい笑顔、コロコロと変わる表情、赤く染まった体、動かない手ーー。


 『予定外だけど、めんどいからコイツも殺しちゃった』


 黒いフードの奥の糸目。『まだ、居たのか』という気だるそうな声。

 

 震える手で、発射された銃声。


 遠くから聞こえるサイレンの音……。


(誰だ……?)


 そう思うのと同時に、俺の体は――勝手に動いていた。


「琉斗君! ダメだ!」


 宇田島さんが横目で睨む。戻れ、そう言っている。

 通信機には真野さんと山下さんの声が重なっていた。


『錫村、戻れ!』

『錫村君、止まりなさい!』


「そいつと一緒に行ったら駄目だ!」


 ……無理だ。足が止まらない。


「《起動(きどう)》」


 右手に、黄緑色の水鉄砲が現れる。

 これしかできない。けど――


「その子を離して」


 俺は銃口を少女に向けた。

 少女とB3が、同じ角度で首を傾ける。


「まさか……死神?」


 少女の声に、初めて怯えの色が混じった。

 B3も、薄い緊張を纏う。


「ここでコイツを殺したら……ボスに褒めてもらえるかな」


 青年の声は、熱の抜けた氷みたいに冷たかった。


「《魔具起動(ギア・エンゲージ)》」


 黒いフードの青年が、釣り竿をゆらりと持ち上げる。


「《捕縛釣竿(バインド・ロッド)》」


 その声と同時に、空気が重く沈む。

 世界がねじれたように視界が歪む。


「――ッ!?」


 刹那、強い力に引きずられた。

 気づけば、俺はB3の目の前に立たされていた。


「なっ――」


 声が出るより早く、腹に衝撃が突き刺さる。B3のナイフが、無造作に突き立てられていた。


「ぐ……ぁ……ッ!」


 鈍い痛みが、内臓をかき回すように広がった。


(死ぬ……!)


 反射的に右手を持ち上げる。黄緑色の水鉄砲が震える手に握られていた。

 少女がいる。琉斗がいる。B3の手がナイフを握ったまま動かない。


 考える暇もなかった。

 もう、どうせ逃げられないのなら――。


「その子を……離せ……ッ!」


 叫ぶように引き金を引いた。

 乾いた破裂音。


(跳ね返される……?)


 覚悟したが、反撃は来なかった。

 弾丸はB3の肩を撃ち抜いた。青年の体がわずかにのけぞる。


「……チッ」


 少女が舌打ちをする。


 琉斗の目が恐怖に見開かれる。

 血が喉を伝い、息が荒くなる。けれど、言わなければならなかった。


「琉斗君……人殺しにだけは……なるな……」


 言葉が血の泡になって零れる。


 その刹那、宇田島が駆け出した。スノードームの内側――反撃できない唯一の範囲に、躊躇なく飛び込む。

 少女が反射的に琉斗を放し、後退した。


「今だ!」


 真野がスケボーを地面に叩きつける。車輪が火花を散らし、一直線に琉斗の元へ滑り込む。

 腕を伸ばし、琉斗を抱え上げる。


「本間! 預かれ!」

「チッ、了解だ!」


 本間が駆け寄り、琉斗を引き受ける。


 少女は一瞬だけ、無表情でこちらを見た。瞳の奥に感情はなかった。


「もういい。撤退する」


 低く呟く。


 少女が地面に何かを叩きつけた。

 重低音の爆発が、世界を真白に染める。

 空気が振動する。

 次の瞬間、少女とB3の姿が、白い光に融けるように滲んだ。


「待て――!」


 真野の声が届くより先に、二人の輪郭は完全に消失した。そこには何も残っていなかった。


(く……そ……)


 視界が暗くなる。


 血が流れていく音だけが、やけに遠くに聞こえた。

 最後に、琉斗が泣きながら本間にしがみつく姿が見えた。


 そこで、俺の意識はぷつりと途切れた――。


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