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桜田門ウィッチーズ  作者: しろいぬ
第二章 新生活開始
13/46

2−5

 梅の花公園は、八ヘクタールもある広大な敷地を持つ、緑と花にあふれた場所だ。

 六百五十本もの梅林が見どころらしいけど――今はそんな風情とは真逆の、物々しい空気に支配されていた。


 盾を構えた機動隊。警察車両がずらりと道路を塞ぎ、非常線が張られている。

 近隣住民には避難命令が出ていて、辺りに人影はほとんどない。


 俺のいた世界なら、絶対に野次馬やマスコミが押し寄せてきて、スマホを構えて動画を撮りまくるところだ。

 でも、この世界じゃそんな光景は一切なかった。

 “魔法”――それはそれだけ人々を黙らせる恐怖の象徴らしい。


 サーチライトに照らされる中、勝井琉斗は噴水広場の脇で立ち尽くしていた。

 どう見ても気の弱そうな、普通の中学生だ。

 制服は泥と枯葉でぐしゃぐしゃに汚れ、頬は青ざめて震えている。


「こんばんは。私は宇田島睦実。公安の刑事だ。君を捕まえに来たわけじゃない。保護しに来たんだ。だから、もう大丈夫だよ」


 宇田島さんの声は不思議なくらい優しくて、胸にすとんと落ち着く響きがあった。


「僕達も、君と同じ“魔法使い”だ。でも安心してくれ。誰も君を傷つけたりしない」


 琉斗は視線を何度も彷徨わせて、怯えきった小動物みたいに小さくうなずいた。


 俺は少し離れた場所で待機させられていた。

 隣には、口の悪い子供――本間さんと、山下さん、小野倉さん。

 全員、緊張の色を隠さない。


「山下班長、念写完了しました。勝井琉斗の魔具は“ビー玉”。魔力を調整することで、一度に複数を掃射できます。けれど……これは人を攻撃するためじゃなく、自己防衛用の能力です。ビジョンを読みました。発現の直前、彼は危うく命を落としかけていました」


「被害者のスマホにも証拠が残ってるわ。大量の水を無理やり飲まされる動画。……“いじめ”なんて言葉じゃ生ぬるいわね。あれは、ほとんど拷問よ」


 山下さんの声が震えていた。


 中学生とは思えない。

 ただの悪ふざけが、人を殺しかける暴力に変わる。

 そして、それを止める大人もいなかった。


(こんなの、怖すぎるだろ……)


「……あの、これ、写真ですか?」


 小野倉さんが手にしていたポラロイド写真を、ちらりと覗き込む。

 そこに写っていたのは、何色ものモノクロの絵の具をぶちまけたみたいに、ぐちゃぐちゃに歪んだ絵だった。


「説明し忘れてたわね。彼女の能力は対象の魔具の本質を写し取る能力なのよ。すごいでしょう?」


 山下さんが誇らしげに言うと、小野倉さんは顔を伏せて、かすかに首を振った。


「大した能力じゃありません。……私にしか読めないし……」


「でも、そのおかげで対応が変わることもある。とても重要な能力よ」


「……彼、すごく怯えています。“助けて”“怖い”“どうして”って。ずっと、その言葉ばかりです」


 山下さんが通信機に声を落とす。


「宇田島さん、彼はこちらに攻撃する意志はありません。そのまま説得を続けてください」


「了解」


 耳に着けたイヤホンからも、彼らの声が届く。


「学校でのことは、これからきちんと調べる。だけど、君はまだ未成年だ。裁判でもその点は考慮されるだろう。学校側もいじめを認めているし、彼らのスマホにも証拠が残っていた。……大丈夫だ。君の人生は、まだ終わっていない」

「……僕を、助けてくれるんですか」


 琉斗の声はかすれていた。


「もちろんだ。私達は君を守るために来た」


 琉斗の肩が小さく震え、やっと視線が定まった。

 ゆっくりと、差し伸べられた宇田島さんの手に、彼の指先が触れる。


 ……その瞬間。


 ドォォォォン!!


 爆音とともに、地面が弾け飛んだ。

 目の前に粉塵が広がり、俺は反射的に目を伏せる。


「な、何だ!?」


 咳き込みながら視線を上げると、噴煙の奥――琉斗の背後に二つの影が立っていた。


「……人影?」


 ありえないタイミングの“出現”。

 マジックショーの幕開けみたいに唐突すぎて、現実感がなかった。


「雑音だ!!」


 本間さんが叫ぶなり、俺の横を風みたいに駆け抜けていった。


(嘘だろ……!)


 俺も飛び出そうとした瞬間、スーツの襟を強く引かれた。


「待機!」


 振り返ると、山下さんが真剣な目で俺を見ていた。


「錫村君はまだ半人前。交戦許可は出せない。ここで待って」


「でも……!」

「現場に立つのは必要な経験よ。でも、雑音と交戦するのは訓練じゃない。命を落とすかもしれない」


 わかってる。頭ではちゃんと理解してる。

 でも――胸がざわついて仕方がなかった。


(何ができるわけでもないくせに、くそ……!)


 俺は唇を噛んだ。

 目の前の非常線の先で、別の世界の“現実”が蠢いていた。




 ◆◆◆




「《魔具起動(ギア・エンゲージ)》、《氷殻(アイス・)逆撃(・リトリビューター)》」


 鈴のような軽やかな声と共に、目の前にオーロラのような膜が降りた。


 琉斗は、あまりにも急な展開に思考が吹き飛んでいた。

 背後から、ひんやりとした腕が自分の体をがっちりと抱え込んでいる。


「危ない。危ない。……間一髪じゃん」


 耳元に落ちてきた声は、女の子のものだった。

 たぶん高校生くらいだろう。抱きしめている腕は細くて白く、それなのに力は大人の男みたいに強かった。


「いいか、少年。警察の言葉なんて信じちゃ駄目だよ」


 甘い響きの声が、耳に絡みつく。


「……っ」


 琉斗は戸惑って声が出せなかった。

 視界の端で、宇田島と名乗った男が銃を構えているのが見えた。

 さっきまで優しかった目が、一瞬にして鋭いものに変わっている。


「ほら、よく見てみな。あの男……君に助けの手を差し伸べていたふりをして、今は私達に銃を突きつけてる」

「……っ……」


「能力を封印されたら、君はまた弱い立場に逆戻りだ。今度は、どこまでもどこまでも、地獄が続くんだよ」


「琉斗君、そいつらの声を聞くんじゃない!」


 宇田島の声が届く。

 だけど、胸が苦しい。

 少女の声は、どうしてか――心の奥の、いちばん弱い部分をなぞるようにしみてくる。


「私達と一緒に来なよ。搾取される側じゃなく、搾取する側に回るんだ」


 少女が、柔らかく笑った。

 その時、沈黙を破る鋭い銃声が公園を裂いた。


 パン――!


 撃ったのは、周囲を固めていた機動隊員の一人だ。

 銃口は少女に向けられていた……はずだった。


「……え?」


 けれど、撃たれたのは少女じゃなかった。

 反対に、発砲した本人の肩口から血が噴き出していた。

 顔面は真っ青になり、信じられないものを見るように目を見開く。


「ひ……っ……」


 尻もちをついた隊員が肩を押さえ、ガタガタと震えながら呻いた。

 恐怖で、引き金を引くことすら正しくできなくなっていた。


「私の魔法だよ。この子が守ってくれてる」


 少女が小さく掲げたのは、雪が舞うスノードームだった。

 中に入っているのは、小さな可愛らしい家のミニチュア。


「君と私、相性がいいと思わない? ――ね、仲良くしよ?」


 琉斗の頭の奥で、何かがぱきん、と音を立てた気がした。


(た、助けて……誰か……)


 けれど声は喉で詰まり、目の前の現実だけがぐしゃぐしゃに歪んで見えた。

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