表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
桜田門ウィッチーズ  作者: しろいぬ
プロローグ
1/46

0−0 プロローグ


悦男(えつお)、起きろッ!」


 ソファに沈み込むようにうたた寝しながら、悦男は夢を見ていた。

 夢の中では、ビルの最上階にあるスイーツブッフェで、イチゴのショートケーキを両手に持って幸せに笑っていた。


 その甘い時間を、腹に炸裂した本気の蹴りが、無惨に破壊する。


「いったァ……なにすんのさ……」


 よく通る高い声が、体のどこかから漏れた。

 太った腹をさすりながら顔を上げると、モニターに向かって舌打ちしている修星しゅうせいの姿が見えた。額には汗。目は鋭く、全身が戦闘態勢に入っている。


「急げ! 逃げるぞ! 公安だ!」


 その言葉に、悦男はソファから跳ね起きた。

 文句のひとつも言いたかったが、今はそんな悠長な場合じゃない。


 部屋の隅で点滅している警告ランプは、今にも爆発しそうな勢いで赤く点滅していた。

 建物の周囲に取り付けた監視モニターには、既に三人の侵入者の姿が映し出されている。


 一人はショートカットの痩せた女。

 もう一人は、あどけなさを残す子ども。

 そして――最後の一人。


「……死神だ。修ちゃん、あいつ、死神だよ……!」


 悦男の声が、裏返る。

 黒いスーツを着た長身の男が、カメラ越しにこちらを見つめている気がした。画面の中にいるはずなのに、その目だけは現実に滲み出して、肺の奥を凍らせた。

 まるで――画面から射抜くような視線だ。


 噂だけの存在。見た者は皆、死ぬ。

 それが“公安の死神”。


 修星の手には、小さなブリキの人形が握られていた。


「くっそ、どこから嗅ぎつけやがったんだ」


 このアジトは、倒産した倉庫の二階を改造して暮らしていた場所。

 長居しすぎたかもしれない。


 悦男が顔面蒼白になって叫ぶ。


「《魔具(ギア)起動(エンゲージ)》!」


 悦男の瞳が、黄金色に染まる。

 魔力の波が、空気を震わせた。揺らぐ空気に、針を擦るような高周波音が混じる。

 温度が数度下がり、吐息が白く染まった。

 体の周りに、いくつもの魔法陣が浮かぶ。

 それらは呼吸に合わせて収縮を繰り返し、周囲の光を吸い込みながら脈動する。

 それは大小様々な大きさで、複雑な文様や文字が描かれていた。


 魔法陣の消滅と共に、悦男の手には黄色いシャボン玉の容器と、ストローのような発射口が握られている。瞳の色も戻っていた。


「逃げ道は裏口だ。悦男、泡玉(バブルシフト)で俺を飛ばせ。下の連中の注意を引く。その隙にバイクを回してくれ」


「そんなことしたら、修ちゃんが捕まっちゃう!」


「構わない。時間を稼ぐ。あの子どもを操って(・・・)牽制する。バイクで拾ってくれれば逃げ切れる」


「……わかった。行くよ――!」


 悦男はストローを構え、息を吸い込む。

 魔力を流しながら吐き出すと、泡の膜が空中に膨れ上がり、修星の体を包み込んだ。

 ふわりと浮いた修星の体が、窓から滑るように夜へ溶けていく。


 悦男は裏口へ駆ける。階段を一段飛ばしで駆け下り、道路を挟んだ茂みへ。

 そこにバイクは隠してある。


(間に合え……!)


 その時だった。


「お、やっぱこっちか」


 冷たく乾いた声が響いた。


 足が止まる。

 目を上げると、そこにいたのは“奴”だった。


 黒スーツ。表情のない顔。

 背後に、光と影がゆらめくように脈打っていた。昼と夜が混ざるような、現実と悪夢の境界が滲む。

 そして漂う、圧倒的な“死の予感”。


 悦男の全身から、音を立てて血の気が引いていく。


「君の魔法、便利だね。だけど、自分は飛ばせないんだろ? 二人で飛んで逃げられたら楽だったのにね」


 まるで日常会話のように語るその口調が、却って不気味だった。


「魔法ってさ、結局“人間の願い”から生まれてるから、どこかに必ず欠点がある。……完璧なもんなんて、ないんだよ」


 悦男は確信した。

 この男は、人を殺すための訓練を積んできた“公安の死神”なんかじゃない。

 もっと、根本から違う。――“殺しを迷わない存在”だ。


「頼むから動かないでくれよ。最近、つい殺しちゃうからさ。怒られてんだよ、上に」


 ふわりと笑うその口元に、悦男の心が凍りつく。


「君の仲間のこと。いろいろ聞かせてもらわないと」


 死神が一歩、踏み出した――その瞬間。


「錫村さん! 本間さんが!」


 女の声。ショートカットの女性が裏口から飛び出してくる。


 一瞬、死神の目線がそちらに流れる。


(今しかない!)


 悦男は、全身の魔力を振り絞る。


(飛んでけ! お前なんて飛んでけッ!!)


 巨大なシャボン玉が炸裂する。

 それは白く輝きながら一直線に、死神へと向かっていった。


 同時に、黄緑色の水鉄砲が構えられ、発射音が響く。


 悦男の視界に、水が迫る。

 それは、弾丸と遜色ない速度と精度で、額に向かって真っすぐ。


 最後に見たのは、口元だけで笑った死神の顔だった。


(やっぱりこいつ……死神だ)


 ◆◆◆


 ろくでもない人生だった。


 親ガチャに失敗して、悦男は母親から虐待を受けて育った。

 母親は酒に酔うと暴力を振るい、パチンコに負けてはタバコの火を押し付け、度重なる折檻で体の傷がどんどん増えていく。

 新しい男ができると子供を放ってどこかに行ってしまうし、別れるとふらりと戻ってきて、悦男を八つ当たりの道具にした。


 父親の顔はあまり覚えてない。

 物心付く前に、薬物中毒で逮捕されて刑務所の中で死んだらしい。


 学校ではさんざいじめられた。

 だから五年生になる頃には、ほとんど学校に行かなくなった。


 家出をしたのは、13の時だ。

 繁華街のごみを漁り、公園で寝泊まりをし、ガラの悪い連中のパシリをした。

 スリに万引き恐喝と、犯罪を強要されたのは嫌だったが親に殴られるよりはましだった。


 どこにいても、ろくでもない人生だ。


 だから人間の最底辺という位置で、少しでも座りのいい椅子に座った。

 でもそこは汚く醜く、結局、地獄だった。


 要領の悪い悦男はいいようにコキ使われて、ボロボロだった。


 そんな悦男の人生が、初めて変わったのは――魔法が使えるようになった日だった。


 シャボン玉。それが悦男の魔具(ギア)だ。

 最初はただ小さな物を浮かせるだけ。だが、やがて人をも飛ばせるようになり、雑音ノイズに拾われた。


 組織は、悦男を人間扱いしてくれた。

 暖かい布団。菓子。テレビ。普通の“生活”をくれた。


 そして、修星と出会った。


 同じように壊れた過去を持つ修星と、悦男はすぐに打ち解けた。

 任務も、日常も、二人で分かち合った。

 誰かを殺すことすら、息を合わせてこなしていった。


「俺たちみたいなはみ出し者が、寿命を全うして死ねるわけない」


 それが、修星の口癖。


 だから――なんとなく分かっていたんだ。

 こんな生活、いつまでも続くわけないんだって。


 悦男の心臓はとっくに止まっていたが、僅かな時間、意識はあった。

 その僅かな時間で悦男は考えていた。


 空ってこんなに青かったんだな――そう思った瞬間、世界は音もなく白く霞んだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ