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第50話 再び、鼓動を刻め

 ここは、どこだろう。


 俺はシルヴィアさんに「負けた」はずだから――多分、ここは「あの世」なのかもしれない。

 そう思いながら、俺は周囲を見渡してみる。

 セピア色をした東京タワーが少しずつ砂に代わり、崩れ落ちていく。

 砂に埋まった自由の女神像は灰へと姿を変え風に舞う。

 よく見回してみると、日本とアメリカを代表するかのような建造物の数々が色を失い少しずつ風化していっているようだ……。


(もしかして、もしかしてここは――俺の心の中なのか?)


 俺は確かにシルヴィアさんが使った、「死神」の正位置で死んだはずだ。

 なのに、こんなに心が穏やかなのは何故だろう。

 不思議な感覚に襲われている俺の耳に、どこかから声が聞こえた気がした。

 その方を見やると、そこには馬に跨がった喪服を着た女が弔旗(ちょうき)を掲げてこちらへと向かってきているように見える。


(あの人は、もしかして……)


 俺は「死神」のカードを取り出し、見つめる。

 そこに書かれていたはずの人物が、消えている。


「……ついてこい」


 その女の人は馬から下り、一言だけ俺にそう告げて歩みを進める。

 俺は少しだけ戸惑いを感じたが、その人の後を追った。

 どれだけ歩いたか、もう思い出せない。

 不思議なことに疲れは無い。

 その人が歩みを止める。

 すると、そこには見覚えのある一軒の家があった。


「……俺の家?」


 色の抜けたすべての景色が少しずつ崩れ落ちていく中、不思議とそこだけは色と形を保ったままになっていた。

 喪服の女に促されるまま、俺は扉を開けた。不思議なことに、鍵はかかっていなかった。

 家に入ると、こぶし大のおにぎりが2つに豚汁。それとソーセージが二本に卵焼き。

 簡素ではあるが、美味しそうな食事が一人分だけ用意されていた。


「……食べろ」

「……黄泉竈食ひ(よもつへぐい)じゃないよな?」

「……違うから、安心しろ」


 俺は用意された食事に手を付ける。

 ほどよい固さに握られたおにぎりは口の中で解ける。

 具は鮭と、昆布。

 ソーセージもほどよく焼かれており、香ばしさが鼻腔をくすぐる。

 ゲームマスターに奪われたはずの「嗅覚」が戻っている……。

 それに驚き、よく考えたら目が見えていたことも思い出す。

 卵をほおばる。甘く焼かれたそれは、しっとりと出汁を包み込んでいる。

 最後に豚汁を飲む。

 これだけ、インスタント食品なのは何故だろう?

 俺の脳裏に父親の姿が浮かんだ……。


「食べたか、露刺朝陽」

「……あなたは『死神』なんですか?」


 俺の問いかけにその人は曖昧にうなずく。


「『そうだ』とも言えるし、『そうでは無い』とも言える。定義が揺らいでいるから、曖昧だ」

「……何だよ。まるで禅問答みたいだな」

「露刺朝陽、妙に日本的な物言いをする。半分アメリカにルーツを持つのに」

「……ここが俺の心象世界だって言うなら分かるだろ? 俺には日本とアメリカにルーツを持つ。言うならば、二面性がある。まるでカードの正逆みたいに」

「……そこまで分かっているなら話が早い。ついでに尋ねようか。ここが露刺朝陽の心象世界であると言う推論に至った経緯は?」

「この食事だ。こいつら、親父が作ってくれる日曜日の朝食にそっくりだ。豚汁がインスタントなのもそのまま。『ほかのもんに手をかけたんだから、少しぐらい手を抜かせろ』って親父はよく言っていた。この食事が俺の記憶から造られたって考えれば、すべて辻褄があう。こんなわけの分からない世界に来たんだ。そのくらい起こったって何の不思議も無いだろ?」


 俺の回答に対して、「死神」は冷たい笑みを浮かべる。

 だがそこに、満足そうな色が浮かんでいるのは気のせいだろうか?


「……創造主シルヴィアに奪われた五感は戻ってきているようだな」

「……そういえば、触覚もある。味覚も感じた。そうか、当たり前すぎて気にしていなかったけど、奪われた五感が回復しているのか」

「『死神』は『死と再生』を象徴する。露刺朝陽の『死んだ』五感も再生されたようだな」

「『死と再生』……か……」


 俺は魚住さんに言われたことを思い出す。

 死神は「死」と「再生」を象徴する。

 しかし、俺の持つ「死神」のカードには「逆位置」が設定されていなかった。

 だけど、あのシルヴィアさんとの戦いの中で「戦車」を使ったときに脳裏に浮かんだ文字を思い出す。


「シルヴィアさんと戦って居るときに、『戦車』を使った。そこで、『一度、創造主シルヴィアに敗北して死亡しろ』って書いたのはお前か?」

「そうだ。そうするしか、創造主シルヴィアに露刺朝陽が勝利する方法が無かったからだ」

「……どういうことだ?」

「少しだけヒントを。先ほど、定義が曖昧だと言った。では、―――定義とは何だ」


 俺はその問いかけについて考える。

 曖昧な定義。

 タロットカードの「死神」は「死と再生」を司る。

 存在しない、逆位置の能力。

 つまり、それは――。


「俺が、『死神』の逆位置を設定すれば良いのか」

「そうだ。定義とは、『誰か』が『何か』を『そうだ』と決めること。創造主シルヴィアは死ぬことが無くなった。そのせいで、『死という概念』そのものが存在しなくなった。その先に存在するはずの、『再生』にたどりつくことも無い。無理矢理『死』と言うものを、『終了』と定義したが、それは正確では無い」

「……何でも、後回しにするのは良くないってことか」


 レオナルドさんが「師匠は『死神』のカードは縁起が悪いから後」って言っていた。

 なのに、「愚者」のカードで「死ぬ」ことが無くなった。

 だから、逆位置の能力を設定することが出来なかったのか……。


「でも、どうやって?」

「簡単だ。ただ、望めば良い。露刺朝陽(おまえ)には、心の中からの強い思いがあるだろう」

「強い思い……」


 俺は「情けない自分を殺して、新しい自分になりたい」と思っていた。

 いつか誰かが、それを叶えてくれると信じていた。

 でも、違ったんだ。


「……誰かじゃ無い。自分で変わろうとしないと、何も変えられない。でもそれは、お前たちカードの力を借りなくても成し遂げられることだ。いや、人生を生きるなら、成し遂げなくてはならないことなんだ」

「……なんだ、分かっているじゃ無いか」


 その喪服を着た女の姿が変わる。

 その姿は――俺。

 ゲームマスターに変えられた姿では無い、俺自身の姿。


「分かっているじゃ無いか、露刺朝陽(オレ)。俺は、自分で変わろうとしなかった。だけど、今は違う。そうだろ?」

「あぁ、そうだ。だからこそ、俺は再び歩み始めたい。自分の人生という旅路を」

「なら、もう出来るはずだ。『死神』の逆位置を定義しろ」

「『死神』の逆位置……。『再生』を司るカード」


 もう一人の俺は、「死神」のカードへと吸い込まれるように消えていく。


「……『定義』を決めるのは、常に誰かの意思。そして、これは――俺の願いっ!!」


 俺の心臓が拍動する。

 激しく鼓動を刻む。

 心臓の音がうるさい。

 カードが「早く解き放て」とばかりに、激しく脈動する。

 色の失われた世界が、色を取り戻していく。

 崩れ砕け散っていった建造物達が、元の姿に戻って行く。

 俺の心臓がその様子と重なるように、痛いくらいにビートを奏でる

 生まれ変われ。露刺朝陽。

 叫べ、生の咆吼を。

 俺は、脳裏に浮かんだ言葉。それを激情のままに叫ぶっ!!


「『死神』の逆位置っ!!




















<アルカナ・ビート>」

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