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第12話 救済と狂気と

「後藤先生、少しテレビの音、少し上げてもいいですか?」


 午後2時を少し回った頃。

 少し遅めの昼食をとっている後藤に、同僚の医師が尋ねる。

 後藤はそれに対して微かにうなずき、リモコンを手渡す。


『……番組の途中ですが、臨時ニュースを申し上げます。本日午後2時8分ごろ。○○国の△△氏がナイフのようなもので刺されて重体とのことです。犯人は警察によりすでに確保された模様です。犯人は××市在住の村田フレイとみられる模様です』


 そのニュース報道を聞き、後藤の手が止まる。

 よく見るとその手は少し震えていた。

 そして、小さく「……どういうことだ?」と呟く。

 後藤は過去を思い出す。

 確かそれは2年前、あるアパートで起きた火災。

 その生存者として緊急手術にて命を救った人物として、その名前を記憶していたからである。

 後藤は一人思う。

 俺が救ったはずの命が、人を傷つけた。

 ……俺は、間接的に人を殺してしまったということか?

 その本来であれば負う必要のない自問自答。

 それが、終わりの始まりであった。


「メス」


 後藤はいつものように手術を行っている。

 心拍数モニターが規則正しいリズムを刻む。

 その声は一見すると普段のように冷静ではある。

 しかし、どこか心あらずにあるようだ。

 同僚の医者がオペ看護師に目配せを行う。「今日の後藤先生は何かおかしい」と。


「後藤先生、大丈夫ですか?」

「……問題ない」


 短く返した言葉には、常の傲慢ともいえる自信が見られない。

 どちらかというと、自身を必死に奮い立たせているような様子さえ感じる。

 そして、ミスは起こった。

 後藤の手が止まる。

 心拍数モニターの規則正しいリズムが、心停止を示す音へと変わった。

 汗がとめどもなく流れ出す。

 赤い血の噴水が、後藤の視界を責めるように染める。

 ……そこで後藤の記憶は途切れた。


「俺様は、俺様には、もう無理だ……」


 後藤は自分を責めていた。

 助けた命が人の命を奪ったこと。

 それが本当に正しいことだったのかと。

 迷いがミスを生み、患者を死亡させた。

 その重圧に押しつぶされそうになっていた……。


「……後藤先生、医者を辞める気ですか?」


 同僚の医師が尋ねる。


「……あぁ、もう俺様には無理だ。俺様は今日、助かるはずだった命を奪ってしまった。それだけじゃない。昼のニュースみただろ? あれは俺が昔担当した患者が起こした事件だ。俺様が、間接的に殺したようなもんじゃないか!!」


 壁を激しく叩く。

 まるで自分を罰するかのように。


「そんなの後藤先生に関係ないじゃないですか! 後藤先生は自分にできることをやっただけ! そのあとの患者がどう人生を歩むかなんて関係ないじゃないですか!」

「……『助けないでくれ』って言われたんだ」

「……えっ?」

「あの、村田フレイってやつは、実の両親からさえ、ここで死なせてほしいと言われるようなクズだった。俺様は医者の使命として断ったさ! それがこれだ!! なぁ! 俺様は何か間違ってたか!! 何か間違ってるか!!! 何が悪いんだよ!!!!」


 同僚はそれに答えることが出来ない。


「……俺様はもう疲れた」


 脱ぎ捨てられた白衣(ほこり)


「……もう、無理だ」


 そして、後藤方舟は医者を辞めた。

 自宅に引きこもり、抜け殻のように生きる。

 テレビは「命の重さについて」「どう生きるのか」と言ったドキュメンタリーを流していたので、衝動的に破壊してしまいただの物言わぬ残骸と化していた。


「なぁ、誰か俺様を助けてくれよ……」


 その彼を救ったのは、一つのSNSに挙げられていた広告であった。

 そこには「救えなかった命に苦しむすべての人へ」と書かれていた……。

 普段であれば鼻で笑い、サッとスクロールして終わるような内容。

 しかし、後藤はなぜかその広告に目を奪われた。

 ――まるで、運命の出会いかのように。


「……こんなもん信じて何になるんだ」


 後藤はその広告に書かれていた宗教施設へと足を運ぶ。

 集会場では説教者が、嘘か本当かも疑わしいような自身の体験談を語っていた。

 抑揚の無い声が講堂に反響する。

 所々から、すすり泣くような声が聞こえる。

 常の後藤であれば、一笑にふしてその場を後にしたであろう。

 しかし、彼の心は弱っていた。

 そして思う。ここには「これほど救われたい人がいたのか」と。

 そして説教者は続ける。


「皆さんは『救えなかった命』に苦しんでおられます。ですが、ある宗教では『死は救済である』とも言います。愛する人の『死』。大切な方の『死』。それは確かに残されたものに大いなる苦痛を与えます。しかし、旅立たれた方はすべての苦しみから解き放たれ、『救済』をされた。決して『死』は恐れるものではありません。受け入れるものなのです」


 後藤に衝撃が走る。

 そして、説教者は続ける。


「皆様、『命の価値』とはだれが決めるのでしょうか? 本人ですか? 神ですか? それとも……。私はそうは思いません。『命の価値』は誰がどう歩んだか。つまりは、その人物に『死が訪れた時』に初めてわかるものだと思います。皆様、よく生きましょう。そして、満足を持って旅立つ時を待ちましょう」


 説教者の言葉が終わり、ほかの人物が退出しても後藤は動けずにいた。

 自分が救えなかった命、救ったのにも関わらず不幸を招いてしまった命。

 そのすべての命が、「死」によって救われるとしたなら……。


「まだ、こちらにいらしたんですか? ほかの方はもう移動されましたよ」


 説教者のアシスタントをしていた人物が、後藤に対して話しかける。


「……教えてほしい」


 自分の行動は間違っていたのか……。

 後藤の心の底から疑念が巻き上がる。

 そしてそれは疑問の形をとって、後藤の口から零れ落ちる。


「……あんたは、死んだほうが良い人間っていると思うか?」


 それに対してその人物は、


「そうですね。もしかしたら、そういう方もいらっしゃるかもしれません。ですが、私たちはそういった方も救うことを教義としております。死は救済です」

「……わかった」


 そして、後藤は会場を後にした……。


「……『死は救済』、か」


 薄汚れた街に降り注ぐ雪。

 それはまるで後藤の心を象徴するかのようであった。


「死は救済……」


 ブツブツと呟く後藤。

 酔っ払いや不良。そういった人物を一瞥する後藤の心に浮かぶ疑念。


 「……まるでがん細胞だな」


 後藤は思わずつぶやく。そして、その言葉が彼の中で確信に変わった。

 それは「生きている価値のない人間」が、この世界には沢山。

 あまりにも沢山いるのではないかという思い。

 不要な命は社会の病巣である。ならば、医者である自分がそういった病巣を取り除くのは医療行為なのではないか。


 ――そして、「悪魔」が生まれた。


 薄暗い室内にキーボードを叩く音が反響する。

 周囲に散乱するのはおびただしい量の新聞や、ニュースサイトの記事を印刷した資料。

 そして、週刊誌から切り抜いた記事の数々。

 それに書かれている犯人と言われる人物の名前を、文章作成ソフトに次々に打ち込んでいる。


「……死は救済である。病巣を取り除くのは医者としての使命。そのためなら俺様は」


 その目はかつての使命と理想に燃えたものではなく、狂気と執念に染まり濁っていた。

 完成したリストを、その目で見つめる。


「この『村田フレイ』は確実に切除しなければならない。調べたところ、あのアパート火災はこいつが火をつけた。こいつのせいで多くの人間が死んだ。だからこいつは切除する。そして、この『二瀬野陽彩』は……後でいいか。まずは練習を兼ねて……」


 訪問医療を行っていた時代に使用していたカバン。そのジッパーを開ける。

 その中には、およそ医療とは似つかわしくない「凶器」の数々が詰められていた。

 後藤は鞄を閉め、肩にかける。


「……これより、手術を開始する」


 そう宣言し、自室を後にした……。

 歩む先には闇が広がり、歩む後には雪が降り積もる。

 それはまるで、歩む先は地獄。過去の栄光はもはやないも同然。ということを示すかのようだった。


「……死は救済だ」


 贖罪か、救済か。それとも……。


ご覧いただき、ありがとうございました!

★での評価やブクマで応援いただけると嬉しいです。

感想をいただけると励みになります!

次話もがんばって書いていきますので、ぜひお付き合いください!


カードが揃うまで、物語は止まらない――

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