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第1話 死に至る病

注意:本作は見る人によっては最初から最後まで胸糞悪いだけの展開です。スッキリすることはないでしょうから、その辺りを踏まえて自衛よろしくおねがいします。



=====



「こ............これって......」


 目の前に差し出されたA4サイズのシンプルな白い紙、そこに書かれた文字数も大して多くはない。どころか文字数だけ見ればごくわずか。

 そんな紙面上の情報量の少なさに対して、この状況の方は、俺の頭を混乱と絶望で満たすのに十分な情報量が駆け巡っている。


 紙面上部に印字されている文字はシンプル。

 そこには『人工中絶手術に対する同意書』とある。そのタイトルだけで、それ以下に書かれた文章を読まずとも、書かれた内容はわかってしまう。


 同意書の『本人』欄には、彼女の名前である『御霊雅(みたまみやび)』の文字がしっかり記入され、押印も済まされている。


 そして、『配偶者またはパートナー』の欄は空白。


 それを俺に差し出してきた。この状況でその意味がわからないほど、俺は馬鹿ではない。



 (みやび)に片思いしていて、彼女の言う事ならおおよそのことを叶えてあげたくなってしまう俺に。

 あのときから孤立してしまった俺に唯一変わらずに優しく接してくれた彼女に恩返しをしたいと、日頃から伝えていた俺に。

 いろいろと面倒を見ようとしてくれてた雅の提案を無視して、恩も返さずに高校の卒業式を間近に姿を消した、こんな俺に。


 そして、雅とは一度も(・・・)シたこと(・・・・)がない(・・・)俺に。


 そんな俺にコレを渡してきた意味。

 絶対に配偶者でもパートナーでも、まして子どもの父親でもない俺に渡してきた意味。

 どこに行ったのかさえもわからなかったであろう俺をわざわざ見つけ出してまで渡してきた意味はなにか。


 彼女には彼氏がいる。もちろん俺じゃない。

 直接会って話したことはないけど、俺たちの1歳年上で、雅と同じ大学の先輩。つまり今は2回生の人だろう。


 実家を出る前に、何度か、それらしい男の隣を笑顔で歩く雅を見たことがある。きっと彼だろう。


 そんな彼ではなく、俺にコレを差し出してきた意味。


 そういうのをひっくるめてみれば、その意味は深く考えるまでもない。


 この中絶の責任を、俺が被れ、と。そうすることで今までの恩を返せと。そういうことだろう。


「............うん。もうわかってると思うけど、あたし、うっかり妊娠しちゃってね。でも私、まだ大学生じゃない? 赤ちゃんを産んで育てるにはまだちょっと難しくて......」


「......それで俺にこれにサインしてほしいってことか」


「うん......。こんなの頼めるのはアルしかいないから」


「そ、そっか」



 こんな最低な状況でも、『俺しかいない』という言葉1つでちょっと嬉しくなってしまう自分を殴りたい。


 それにしても......脈がないのはわかってたけどさ。こんな仕打ち、あるか?


 地元を離れたのは、あそこにはほとんど味方がいないどころか両親を含めて敵ばかりだったってのもあったけど、決め手になったのは『雅が彼氏といるのを見るのが嫌だった』って理由だった。


 高校卒業を前にして地元を離れて、誰の援助も得られず、こんなところで惨めに孤独に暮らしてた俺に、トドメを刺すようなこの仕打ち。


 未だ恋心を捨てきれずにいる相手の妊娠を知らされ、その中絶の責任者になることを願われる。


 あぁ、これが恩を返すことなく逃げた俺への天罰か。それならば甘んじて受け入れねばなるまいて。



 それにしても今回のこの頼み事。彼氏や夫ではない人間に頼んできたわけだ。本来の相手は責任を取るつもりがないのだろう。

 しかもその代役を頼む相手が俺。探す手間を掛けてでもわざわざ俺に頼むってことは、きっといろいろ事情があるんだろう。


 その事情の中身まではわからないけど、あんまり聞くべき話じゃないことくらいは俺でもわかる。


「だ、だめ......かな?」



 あぁ、雅は相変わらず可愛いな。

 あざとい上目遣いも、不安なときの表情もなにもかも。


 トレードマークの赤いヘアバンドも、長い黒髪も、切れ長の目も、紺色のワンピースに腰のベルト。

 ベルトをしても一切強調されることのないまな板のようなバスト。それら何もかも、久しぶりに見ても変わってなくて愛おしい。


 まぁ久しぶりって言っても、最後に会ってからほんの2ヶ月ちょっとしか経ってないわけだしな。そうそう変わったりはしないか。


 でもその全部が俺のものじゃない。愛しさを感じるほど、その裏返しに絶望感を味わうことになる。


 そんな俺の心情を知ってか知らずか、俺の心をかきむしるような不安そうで可愛らしい表情で覗き込んでくる彼女。


 いろいろ聞きたいことはあるけど............ま、今更俺の人生に大した価値もない。

 これにサインだけすれば、雅の役に立てるってなら、お安い御用だ。


「あぁ。俺で良ければ、いいよ」


「ほ、ほんとっ!? よかったぁ! ありがと! さすがアルだねっ! 小1からの幼馴染は伊達じゃないってね。愛してるよっ、アル!」


「は、ははは」



 そういうのは彼氏くんだけに言ってやれ、とか言いたかったけど、この状況でそのセリフはいくらなんでも見え見えの地雷すぎる。

 なんとか飲み込んで、乾いた笑いだけ返しておいた。


 便利に遣われてるだけだってわかってても、軽い言葉だけの『愛してる』だとしても、頼られて嬉しくなって、そしてその反動で絶望する。

 なんかもう疲れたし、最期に雅の役に立って、死のう。


「雅に助けてもらった恩を返せないままこっちに来ちゃったからね。こうやって役に立てるなんて、嬉しいよ」



 そう決めた俺は小さく深くため息をついたあと、『配偶者またはパートナー』の欄に『女楽或雅(めらあるか)』と自分の名前を書き込んで、判を捺した。


「ふふっ。そんなこと気にしなくてよかったのに〜。けどありがとう、アル。あたしはアルならこんな急なお願いでも聞いてくれるって信じてたよっ!」



 あぁ、『信じてた』か......。

 ほんと、雅は相変わらずだな..................。


 俺の心が汚れてるせいで、雅の笑顔が一瞬悪魔みたいに見えてしまった。こんなに天使みたいな笑顔なのに......。

 ほんとうに俺はだめなやつだ。


 あの件以来、ストレスで髪は真っ白になったし、ものすごい時間がたった気がするけど、まだたったの1年半前......か。

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